女忍者は生け捕りが基本です!?
「……異元領域!!」
赤茶けた空の下で煌路が叫んだ。
彼とウィステリア、それに彼にしがみつく六音が、無辺の荒野に立っている。
地平線まで続く大地はカラカラに乾き、細かいヒビに覆われていた。
だが、よく見ると魚の骨やひからびた海藻がちらほらと目に入り、そこがひあがった海の底だと分かる。
「よーこそ、オレのキリングフィールドへ♪」
赤茶色の髪で左目を覆い、万水嶺学院の制服を着た少女が荒野に現れた。
「にしても、なんでテメーらにゃオレの〝力〟が効かなかったんだ? あのヘッポコ風紀とか昨日の三つ目野郎にゃ、キッチリ効いてたっつーのに」
凡庸の衣を脱いだ少女が小憎らしく笑み、
「ま、そっちの〝同時多発エロリスト〟と〝エベレスト級天然ビッチ〟はオレとタメはるエヴォリューターだっつーから、分かんねーでもねーけど……あと1匹の〝男にハメられるーんのホラ吹き〟は、タダのフラッターのハズだよなあ?」
「「「言いがかりだ!」
です!」
だよ!」
3つの声が綺麗に重なった。
「別にホラ吹いてるワケじゃないぞ! 愛人としての来たるべき未来を前倒しで言ってるだけだ!!」
「天然ビ……だなんて、コロちゃんの前ではしたない誹謗中傷はやめてもらえませんか?」
「そんな来たるべき未来はないからね六音! というか『エロリスト』って呼び方、どこまで広まっているんだい!? 他にも『エロピニスト』とか『エロリューター』とか『恥獄の番犬ケルエロス』とか、みんな僕のことをどう思っているんだよ!?」
赤茶色の髪の少女が小憎らしい笑みを深め、
「どー思ってるもナニも、テメーが自分でブログに書いてんだろーがエロリスト。クラスの女を全員愛人にして、毎晩とっかえひっかえヤりまくってるってなあ♪」
さらに口の端をつり上げつつ、
「つーか、そこらのエロ小説よりよっぽどハードでヌルヌルでグッチョングッチョンな変態プレイは、エロリストどころか究極のエロスの王……エロティメット・キングだな♪」
「なにそのギロチン級の暴君パートⅡ!?」
煌路の絶叫。
「そもそも僕はブログなんて書いていないよ!! さては誰かが僕をおとしいれようと、なりすましブログを……って、六音! どうして顔をそらしているんだい!? まさか……」
「カ…カン違いすんなよ! あたしはそんなの書いてないからな!! ………ほんのちょっと、ネタを提供しただけで………」
「共犯確定じゃないか!! 家に帰ったらじっくり話し合おうよ! 道場に正座して3時間くらいね!!」
六音が青ざめ、
「ざ…ざけんな! 昨夜も水仙ばあちゃんにやらされたけど、あれって立派な拷問だからな!!」
「拷問なんて大げさだね! お望みとあればカツ丼くらい出してあげるよ! 代金は君持ちだけどね!!」
「何百年前の取り調べだ、エゴイストなエロイストめ!!」
激しいながらも、はた目にはじゃれ合いのような応酬。
「暴力上等だったり寝不足でヘロヘロにして自白させる大昔の取り調べか!? そんなことされて、か弱くていたいけな少女が自ら死を選んだらどーすんだ!?」
「来週の君の誕生日兼クリスマスプレゼントは辞書に決まりだね! 『か弱い』とか『いたいけ』って言葉の意味をすぐに調べられるように!!」
「死ぬのもプレゼントも選ぶ必要ねーぞ。ここで全員ブッ殺してやんだからなあ♪」
とっさに煌路が六音を抱え、ウィステリアと共に大きく飛びのく。と、一瞬前まで彼らがいた位置に槍の穂先状の手裏剣――クナイが無数に突き刺さる。
「姉さん!」
「はい!」
「ふひゃああああっ!?」
六音を放り投げた煌路が赤茶色の髪の少女へ跳躍。ウィステリアが六音をお姫様だっこで受け止めると同時、右手に出した光剣を少女に振り下ろす。が、斬り裂かれた万水嶺学院の制服だけを残し、少女の姿は消えていた。
「!?」
複数のクナイが上から飛来し、光剣で弾こうとする煌路に《《光剣を通り抜けて》》襲いかかる。煌路が身をよじって刃をかわし空を見ると、赤茶色の空に翼長15メートルもの黒い鳥が浮いていた。――否、
「凧……?」
鳥型のシルエットの巨大な凧を、赤茶色の髪の少女が背負って浮いていた。
鳥の胴体部分にいる少女がまとうのは、前合わせの黒い上衣と黒い袴。
ヒジから手首までを覆う手甲と、ヒザから足首までを覆う脚絆も黒いが、手甲には小さな青い金属片が多数、夜空に輝く星々のように貼り付けられている。
「クナイに変わり身、大凧、それにその黒装束……」
上空の少女に曽祖父のコレクションで見た要素を見出し、煌路が叫ぶ。
「忍者か!!」
「『クノイチ』って言えよ♪ 太陽系ドミネイド帝国唯一皇子直属クノイチ! 忍足つばめサマだあっ!!」
少女も叫ぶと左右に手を伸ばし、背負った鳥型の凧の翼をなでる。と、黒いクナイが左右の手に4本ずつ、5本の指の間にはさまれて現れた。
「喰らいやがれ地球の王子サマあっ!!」
次々に凧から出す大量のクナイを、少女が超人的な速さで土砂降りの豪雨のごとく大地へ投げる。
「どうだあ!? テメエ用に用意した特殊偏光セラミックのクナイはあ!?」
だが左右の手で4本ずつ交互に投げられるクナイは、1組が飛来してから次の4本が飛来するまで、かすかな時差が生まれる。その一瞬にも満たぬ時差の間に、煌路は軽やかに舞うように荒野を駆け、刃の豪雨を避けていた。
「ハッ、地球の王子サマもダンスがお上手ってかあ!?」
つばめが獰猛に舌なめずり。
「だったらコイツはどうだあっ!?」
少女が凶悪に笑み、左右のこぶしを背後の大凧にたたきつける。と、巨大な鳥型の凧の両翼にびっしりと、大量のクナイが刃先を地上に向けて生え出した。
「みじん切りにしてやるぜ王子サマあっ!!」
何十万ものクナイが、刹那の時差もなく一斉発射。
刃の巨大な弾幕は、人間をみじん切りどころか、髪1本残さず消滅させるだろう。
しかし、煌路は足下の大地を光剣で斬り取り、直径30メートルほどの土の円盤を作ると、それを降ってくる刃の弾幕へ蹴りあげた。
「んだとぉっ!?」
目をむくつばめの前で刃の弾幕と土の円盤が衝突し、散り散りになったクナイと細かな土の破片、そして大量の土煙が空を覆う。瞬間、土煙を突き破り煌路がつばめに肉薄してきた。
「王手だよ!!」
土の円盤を蹴ってすぐ、その陰に隠れ跳躍した少年の光剣が少女を貫く――寸前、
「甘いぜ王子サマあっ!!」
凧が上昇し光剣に空を切らせ、またたく間に空の彼方に消える。直後、凧が消えた場所から禍々《まがまが》しい漆黒が広がり、赤茶色の空を黒一色で埋め尽くす。
膨大な数のクナイが空に生え出し、漆黒の刃を大地に向けているのだ。
「喰らいやがれ! 忍足流忍術奥義〝黒嘴天蓋落とし〟いいいいいいいいっ!!」
空を覆う数十億ものクナイが、夜空が丸ごと落ちてくるように降ってくる。
煌路は落下中でいまだ空にあり、大地を斬りとって盾にすることはできない。
「甘いのは君だよ」
だが煌路は余裕の顔で、降ってくるのと同じクナイを懐から複数とり出した。
最初のつばめの攻撃を避けていた際、狙いをはずれ荒野に刺さったクナイを走りながら回収していたのだ。
「はっ!」
煌路が左右の手から交互にクナイを投げ、先発のクナイは夜空のごとき刃の大群にマンホールほどの穴を開け、寸刻遅れてその穴を次発のクナイが通り抜け――はるか高空にある鳥型の凧の両翼を、胴体部から切断した。
「ざけんな対空ミサイルも届かねえ高さだぞおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
毒づきながら凧の胴体部ごと墜落するつばめ。大地に激突する直前、数十億のクナイが突き刺さり真っ黒になった大地に、《《無傷》》で着地する煌路が見えた。
煌路がクナイの大群に開けた穴は、つばめへの攻撃と共に、自分もそれをくぐって降りそそぐクナイを避けるための物でもあったのだ。
「ちっくしょお、王子サマってな、オレをコケにするヤツばっかか……うっ!?」
凧から離れたつばめが、光剣を手に迫りくる煌路を見てクナイを構える。が、光剣は特殊偏光セラミックのクナイを通り抜け――
「ぐはっ!」
クナイが覆う大地に背中から激突するつばめ。直後、あお向けに倒れる少女ののど元に、仁王立ちの煌路が光剣の切っ先を突きつけた。
「勝負あったね」
少年の勝利宣言。同時に勝利を祝福するような柔らかく荘厳な白金色の光が、黒い刃が覆う見渡す限りの大地を輝かせ、数十億ものクナイを光のツブにして消し去ってしまう。
「お疲れ様でした、コロちゃん♡」
直後、煌路の後に白金色の髪をなびかせるウィステリアが現れ、お姫様だっこしていた六音をヒビに覆われた荒野に下ろすと、
「今日もがんばりましたね。お姉ちゃんからのご褒美です♡」
弟の左隣に寄り添い、その頬に唇を触れさせる。――と、六音のみならず倒れているつばめまでが、頬を引きつらせ欝々と漏らす。
「ったく、人前でチュッチュッ、チュッチュッとこいつら……!」
「ちっ、こいつもムカつく歳上にツバつけられてんのかよ……!」
「「!?」」
互いのつぶやきに鼓膜をなでられた2人が、はっとして視線を交わす。
なんだろう、似たような気づかいと気苦労をこれまで散々味わい、これからも散々味わいそうな奇妙な連帯感………いや、共振感覚は。
「やっぱりコロちゃんは優しいですね♪」
だが《《とっても仲良し》》の姉弟は、外野など歯牙にもかけず密着したまま、
「敵であっても女の子は傷つけないんですから。お姉ちゃんは嬉しいです♪」
「うん、もちろん女の子っていうのもあるけど……この子、さっき言っていたよね。『昨日の三つ目野郎には自分の〝力〟が効いてた』って」
不意に硬くなった煌路の声に、六音とつばめがシンクロしてビクッと震えた。
おそるおそる少年を見れば、目に映るのは温和な笑顔―――なのだが、瞳は威厳に満ちた光をともし、つむがれる一言一言が周囲に重くのしかかる。
「それってつまり、この子は昨日の誘拐事件にも関わっていたんだよね。だったら、いろいろ話を聞きたいし……太陽系ドミネイドの皇子直属なら、そっちの方の貴重な情報も聞けるだろうからね」
生来の支配者の声と瞳に、金しばりのように硬直する少女2人。――だったが、
「それに、ほら……本物の忍者なんて珍しいからね。連れて帰ったら、日本の時代劇が好きな火焚凪や銀鴒が喜ぶかなって思ってさ♪」
「「それが本音かっ!?」」
一転くだけた少年の声に、敵味方を超えツッコミをシンクロさせる少女たち。
「あはは、まあ小粋なジョークはともかく………」
「「ホントにジョークかっ!? ハードでヌルヌルでグッチョングッチョンな拷問やる気じゃないのか!?」」
敵味方を超えたツッコミ・パートⅡ。
声がシンクロするたび魂もシンクロするような2人だったが、ほどなく六音が肩の力を抜き、
「……で? この我が分身………じゃなくて分身の術ぐらいできそうなクノイチをどうすんだ? 太陽系ドミネイドの皇帝家の関係者なら、こいつも人間に化けたトロニック人じゃないのか? 正体出されたりしたら、情報を聞き出すどころじゃなくなるぞ」
「ヘッ、もちろん分身の術ぐらいできっけど、分身ならぬ我が半身………じゃなくて半身浴が好きそうな三つ編みめ、『化けた』とは言ってくれんじゃねえか♪ あいつらって人間になってる時は、人間のヤり方でガキ作れちまうんだぞ」
あお向けに倒れたクノイチが、のどに刃を突き付けられたまま鼻で笑う。
「ま、オレは帝国ができた時から皇帝家に仕えてる降順兵の家の、正真正銘、生まれつきの人間だけどな♪」
「確かにね。さっき自分でエヴォリューターって言っていた通り、この子は間違いなく人間だよ。重圧の質が、トロニック人のそれとは明らかに違うからね」
小憎らしいつばめの声に、煌路がうなずいて応えた。
「へえ、腰抜けの地球軍にも、種族ごとの重圧の違いが分かるヤツがいんのか」
「うん、主に家庭環境の関係で、小さいころからプロテクスに接する機会が多かったんでね。自然と違いが分かるようになっちゃったよ。それと、僕は地球軍に協力はしているけど、軍人じゃないからね」
自然体ながらも、油断を感じさせない煌路の声。
「ともかく、忍足さんだっけ? まずは、この異元領域を解除してもら――え!?」
急に風景が切り替わり、ひからびた大地が灼熱の砂漠になる。と、足元の砂が爆発するように噴き上がって高い壁となり、1人1人を囲んで分断した。
「これは……また別人の異元領域か!」
煌路が自分を囲う砂壁を光剣で斬りつける。が、何度斬りつけても斬られた部分はすぐにふさがってしまう。
「ダメか……それにしても、この異元領域から感じる重圧は……」
光剣を振るいつつ奥歯を噛みしめ、こみ上がる焦燥感を抑えようとする。
「間違いない、トロニック人のものだ……それも、いま太陽系にいる中でもトップクラスに強力な……!!」
じりじりと肌を焼くような砂漠にいながら、頬を冷や汗が伝う。
「壁ができる寸前に見た限り、六音には姉さんが一緒にいてくれたから大丈夫だと思うけど……うっ!?」
周りの砂壁から砂の触手が無数に生え、先端をとがらせ襲いかかってきた。
「くっ、迷っているヒマはないか!」
触手を避けた煌路が跳躍、その身を回転させ、両手で構えた光剣をドリルのようにして砂壁に穴をうがっていき……2秒後、砂塵をまき散らし砂壁を突破した。
「「え」」
つばめと間近で真正面から目が合った。
煌路の横で砂壁に囚われていた彼女も、壁を突破した瞬間だったのだ。
「「くっ!!」」
それぞれの背後から襲ってきた触手を、煌路は光剣で、つばめは鎖鎌で振り向きざまに破壊。そのまま2人は、次々に襲いくる触手を背中あわせで迎撃していく。
「この攻撃、君を助けに来たドミネイドの仕業じゃないのかい!?」
「ざっけんなオレも襲われてんだろが! テメーのダチのプロテクスがやってんじゃねーのか!?」
「僕も襲われているんだけど!?」
2人のまわりが砂壁で囲まれ、四方八方からさらに大量の触手が襲ってくる。
「くっ、君の異元領域を再展開して、この領域に上書きできないのかい!?」
「何度もやろーとしてっけどダメだ! テメーはどーなんだよ王子サマあ!?」
「右……いや、後に同じくだよ!!」
異元領域の強さは創作者の強さに比例する。
人間のエヴォリューターとしては傑出した2人でも、強力なトロニック人の領域を消すには至らなかった。
(まずいな……このぶんだと、六音を守りながら戦っているはずの姉さんは……!)
血が滲むほど唇を噛み、
(……非常事態だ! 最終テスト前だけど〝あれ〟を使うしかない!!)
煌路が怒涛の重圧を放ち、背後のつばめが目をむく。――直後、
にゃお~ん
ビシィッ
砂色の空に亀裂が走り、それを中心に風景が切り替わっていく。
「これは……!?」
《《まだ何もしていない》》煌路が目を見開いた。
その眼前で風景は全て切り替わり、灼熱の砂漠は真っ黒な峡谷地帯となる。
頭上には墨を流したような黒い空が広がり、大地にも同じ色の切り立った岩山が、見渡す限り無数にそそり立っていた。
「また……別の異元領域か……!」
とある岩山の頂上に広がる平地から、煌路が周囲を見る。
その光景は、さながら夜闇の色に染められたグランドキャニオン。あるいは地獄の底にあふれる亡者たちが、救いを求めて天に伸ばす腕が岩山となったよう。――その時、
「コロちゃん!!」
「煌路!」
「姉さん!! 六音!」
岩山のテニスコートほどの平地で、煌路が同じ平地に立つ姉と居候の無事な姿を、視界のすみで確認する。が、それ以上はピクリとも動かない……いや、《《動けない》》。
「この重圧は……!」
トロニック人の重圧は、砂漠の異元領域と共に消えていた。が、新たに峡谷の領域から感じる鋭利な刃のような重圧に、煌路と、さらにウィステリアも全身を緊張で引きしめていた。
「それに、この異元領域は確か………」
《《覚えのある》》重圧と風景に、煌路は光剣を強くにぎり重圧の発生源を――空を見る。
「人……?」
1人の少年が、黒い空に浮かんでいた。
煌路と同年代の、気品と厳粛さを湛える精悍な美形だ。
だが、切れ長の目に輝く銀色の瞳や、腰まで伸びる黒曜石に似た黒髪を含め、その顔は整い過ぎていて人間味が薄く感じられてしまう。
「〝かの賊〟は逃したか」
清新な覇気をまとう身は、黒の襦袢、袴、羽織に包まれ、腰の左右には黒塗りの鞘に収められた日本刀が一振りずつ。
一見すると無粋で威圧的な黒ずくめの出で立ちだが、帯や羽織のえり、刀の鍔などに瞳と同じ銀色があしらわれ、上品な光沢で威圧的な出で立ちを風情のただよう優雅な装いへと昇華させている。
「次こそは討ち取ってくれようぞ。だが――」
さらに全身から迸らせる溌溂とした重圧と、若武者のごとく威風堂々とした風格で、少年は黒い亜空間を震撼させていた。
「お前の〝鳥〟たちが騒ぐので様子を見に来たのだが、醜態だな、つばめよ」
黒と銀の少年が、お姫様だっこする少女へ妹を窘める兄のように語った。
「ざ…ざっけんなよクロ! 自分をオトリにして敵をおびき出すコートーセンジュツに決まってんだろ!!」
クロと銀の少年へ、少女が駄々をこねる妹のようにわめいた。
「減らず口を。だが、どうあれお前の手には余る相手であったようだ。我でさえ独力では、〝かの賊〟の領域への干渉は困難だったのだからな」
「……ちっ、やっぱそこのピエロが、ちょっかい出してやがったか」
つばめが自分をお姫様だっこする少年の背後を見る。と、1人の道化師が、たたずむように黒い空に浮かんでいた。
「礼なんざ言わねーからな〝運び屋〟め」
つばめが減らず口を叩いたのは、真紅の派手な衣装で全身を包み、笑い仮面で顔をかくす道化師。
その手の長杖は上部の丸い鏡をきらめかせ、鏡の周りの無数の鈴から、しゃらんと涼やかな音を奏でる。
「うむ。この道化の助勢あってこそ、お前の囚われていた領域に我が領域を差しはさむことが出来たのだ。だが、ことの始めからして〝かの賊〟は、己の領域の座標を知られぬよう巧妙な細工を施していたのだ」
人間味の薄い顔に、一抹の悔しさが滲んだ。
「しかし、不意にかの領域に歪みが生じたのでな。その隙をつく形で、ことを成さしむことが出来たのだ」
「不意に歪みだあ……?」
眉根を寄せるつばめ。
そういえば異元領域が切り替わる寸前、動物の鳴き声が聞こえたような………
「やっぱり君は、昨夜の黒い戦闘機の……!」
その時、眼下の岩山から顔を引きしめた煌路の声が聞こえた。
「一応、助けてもらったお礼を言うべきかな?」
「それには及ばぬ。こちらも妹分が世話になったようであるからな」
『誰が妹だ』と騒ぐつばめには取り合わず、空から煌路たちを見おろす少年が厳然とした声で亜空間を震わせる。
「ミズシロ財団東の本家が次期当主、水代煌路だな」
「まあね。そう言う君は、太陽系ドミネイド帝国の王子様ってところかな?」
「いかにも。太陽系ドミネイド帝国皇帝ヴァルシストームが一子、オブシディアスである」
名乗り合っただけで、両者の凄まじい重圧が峡谷地帯に吹き荒れた。
直後、六音が貧血を起こしたように青ざめてよろめくが、ウィステリアに支えられ何とか持ちこたえる。
「……すいません、ウィス先輩。煌路1人の重圧なら、少しは慣れたんですけど……2人分は、ちょっと………」
「ご謙遜には及びません。これほどの重圧、普通の人なら最善でも失神してしまうでしょうから」
「……『最悪』ならどうなるかは、聞かない方がいいんでしょうね………」
六音が悟りきった顔で嘆息する。
一方、煌路は背後の居候に振り向く余裕もなく、黒い空に浮かぶ少年だけを見澄まして……
「ひとつ、聞いてもいいかな? 君は人間なのかい? それともトロニック人なのかい? 君の重圧はどちらのものとも違う………両方が混ざり合ったような、今までに感じたことが無いものなんだけど」
みなぎる緊張の中、臆すこと無く声をつづる。
「太陽系ドミネイドの皇帝と皇后って、トロニック人なんだよね? そうなると君は皇帝の養子で……〝昇元転生〟って言うんだっけ? トロニック人じゃない異星人でも、実力を認められればトロニック人に生まれ変われる制度が、ドミネイドにはあるんだよね? 君もそれを受けたとか?」
ギィンッ
降ってきた不可視の斬撃を煌路が光剣で弾いた。
狙いをそれた斬撃は、煌路たちが立つ岩山のとなりの岩山をまっぷたつにする。
「ほう、今の一撃をしりぞけるか。次期当主の肩書きは虚飾ではないようだな」
「君こそ、まばたきだけで空間を圧縮して真空の刃を打ち出すなんて、なかなか出来ることじゃないよ」
少年たちのすぐ横で、斬り裂かれた岩山が轟音を上げて崩れていく。
「まあ僕の家にも〝指斬〟って名前の、かすかな指の動きだけで斬撃を放つ技があるんだけどね。それと似たようなものかな?」
「なに、所詮は我らが師より盗み取った、技とも呼べぬ手慰みよ」
岩山の断末魔が響く中、澄まし顔の2人の間で空気が張りつめていく。
「ひとつ教えてくれよう。我はまぎれもなくトロニック人たる父母より生を受けた、その魂を継ぐ者である。ならば魂と共に受け継ぎし、帝国の至尊たる父母に倣ったこの身も、我が尊厳である」
鮮烈な誇りに満ちた声と同時、羽織の左胸に刻まれたドミネイドの紋章を縁どる黄金色が、荘重なる輝きを放った。
その色こそは彼の曽祖父――全宇宙のドミネイドにおける重鎮中の重鎮、全宇宙のドミネイドを統率する最高幹部会の中でも、長老格たる人物に由来する色だった。
「なるほど……そういえば、そのクノイチが言っていたね………」
一方の煌路は、先刻のつばめの言葉を思い出して納得する。
『あいつらって人間になってる時は、人間のヤり方でガキ作れちまうんだぞ』
引きしめられた煌路の顔が、わずかに和らげられる。――が、
「それじゃあ、次は君が相手ってことかな?」
顔を引きしめ直し、右手の光剣の切っ先を上空の王子様に向ける。
続けて自分の背後に、新たな光剣を大量に発生させ――
「見よ必殺の〝煌刃絶壁〟byブレイク・ザ――」
いまだ青ざめる六音の軽口が途切れた。
膨大な数の光剣が壁を築き、煌路と少女たちの間を遮断したのだ。
気づけば煌路の背後には、上は空の彼方まで、左右は地平線の彼方まで伸びる、光の〝絶壁〟がそびえ立っていた。
「やるのなら、僕も全力でいかせてもらうよ?」
世界を断絶するように広大な威容から、万物を焼き払うように壮大な輝きを放つ、この世の条理さえ圧倒するように雄大な〝絶壁〟を背に少年は宣言した。
「さあ、ここで決着をつけるかい?」
背後から烈光を浴びる少年が、黒いシルエットと化す中で瞳を爛々《らんらん》と輝かせる。
たぎる闘志と、壁の後の少女たちを死守する決意を強くするように。――だが、
「いや、雌雄を決するは次にまみえた時としよう」
鋼の巨人の国の王子様の、堂々たる撤退宣言。
その腕にお姫様だっこされる少女は眉をつり上げ、
「待ちやがれクロ! このまま引き下がるなんて――」
〈俺が課した試練は為し終えたのか? 愛弟子どもよ〉
突如、強大極まる重圧が黒い亜空間を揺るがした。
「し…ししょお……!?」
つばめが息をのみ、オブシディアスともども硬直する。同時に岩山の上の煌路も、
「……まさか……この、トロニック人の重圧は……!!」
重圧に光剣の壁をかき消された少年が、冷たい汗にまみれる。――刹那、
「六音さんっ!!」
弟の背後で、姉が居候をシャボン玉のような亜空間で包んだ。自分のレベルのエヴォリューターならともかく、フラッターが浴びればショック死確実な重圧から居候を守るために。――否、
(気を抜けば……僕たちでも、危ないな……やっぱり、この重圧は……!)
少年の脳裏に苦い記憶が甦る。
(4年前の"ロンドン撤退戦"……あの時の"黒死の重圧"だ……!!)
自分を含む"地球三大エヴォリューター"が為す術なく撤退させられた………否、4年が過ぎてなお、その重圧は地球最強のエヴォリューターを、全身の細胞1つ1つを押し潰すように圧迫していた。
〈間もなく俺は、お前たちの星系に帰還するぞ。試練の期限は俺が帰還するまでと申し渡したこと、忘れたわけではあるまいな〉
「ま…待てや、ししょお……今回の上洛は、遠征もしてくるから……3ヶ月は、帰ってこないって言ってたろ……まだ、1ヶ月もたってねえぞ………」
つばめがのどをカラカラにして、たどたどしく震える声をしぼり出した。
〈ふっ、最愛の愛弟子どもと一刻も早く再会せんと、雲霞のごとく押し寄せるプロテクスを、あらん限りの勇猛をふるい斬り捨ててきてやったのだぞ。宇宙の深淵よりも深い師の情愛に、存分に感銘するが良い〉
「ちくしょお……いっつもいっつも、自由すぎんだよ、ワガママししょおめ………」
つばめが反抗期のような、しかめっツラになりつつ、
「つーか、帰ってくるって……今、どこにいんだよ……?」
〈今はまだ〝大帝都〟だが、俺ならばお前たちの星系まで、さほど時間はかからぬからな。試練を為しておらぬのであれば、急ぐが良いぞ〉
「ちっ……オレらの銀河から、遠く、遠く、遠~~~~~~~~~~っく離れた別の銀河にある、宇宙全部のドミネイドの本部じゃねえか……だってのに、こんなメチャクチャな重圧……マジで、反則だろ………」
畏怖と悔しさの混じったつばめの声に、地上の煌路も戦慄する。
(この重圧……さっきの砂漠の領域の重圧が、お遊びに思えるほどなのに……はるか彼方の別の銀河から、これだけの重圧を地球まで放てるなんて……!)
かすかに気を抜けばヒザから崩れ落ちそうになる中、歯を食いしばり、1本だけ右手に残った光剣を強く握りしめる。
(4年前も思ったけど……今の太陽系にいるトロニック人はおろか、全宇宙のトロニック人の中でも上位に入る元使だ……でも……!!)
渾身の力を振りしぼり、煌路は背後の少女たちとの間に光剣の壁を再展開する。
何があろうと彼女たちだけは守るという決意を新たにするように。――だが、
〈ならば我が愛弟子どもよ、己が責務に邁進するが良い〉
ひときわ尊大な声となり、ひときわ亜空間を揺るがせて、強大な重圧が消えた。
重圧に縛られていた少年少女たちは、思い出したように大きく息を吐き、止めていた呼吸を再開する。
「…………………………………………………………」
しばしの沈黙のあと、黒い空に浮かぶオブシディアスが腕の中の妹分へ、
「お前も理解したであろう。我らが敬愛する師が間もなく帰還される。すなわち、我らに猶予は残されていないのだ」
光剣の壁にも揺るがぬ王子様のこわばった声。次いで視線が眼下へ向けられ、
「名残り惜しいが、さらばだ水代煌路よ。次にまみえし時は、己の全てを懸けて剣を交えようぞ。互いに己の世界の次代を担う者としてな」
威厳の戻った声と共に、二振りの刀の銀の鍔が、光剣の光を反射してキラリ。
「そうだね。戦うことなんて、いつでも出来るしね」
煌路も肩の力を抜き、右手で額の冷や汗をぬぐう。
その手に先刻まで握られていた光剣は無い。
「それに君たちの師匠とやらは論外として、さっきの砂漠の異元領域を作ったトロニック人でさえ、今の僕や君じゃあ手も足も出ないだろうからね。それを思うと虚しくなるっていうか、今は戦うのを控えたくなるよ」
少年の厭戦気分を表すように、その背後の光剣の壁が上から消え始める。
「ほう、貴様はともかく、我も〝かの賊〟には及ばぬと申すか」
「うん。ここで僕と君が全力で戦っても、相打ちがいいところだろうからね」
共に皮肉げに笑む少年たち。つかの間、そのまま見つめ合うものの――
「ふははははっ! どうやら思った以上の〝器〟であるようだな!!」
空から見おろしていた王子様が悠然と降下し、次期当主の眼前に降り立つ。
「だが、この場で我らが剣を交えたならば、苦杯をなめるのが貴様であるは明白よ。指摘することさえ滑稽ではあるが――」
オブシディアスの目が、高さ2メートルを切った光剣の壁を見る。
「いかな防壁があろうと、何かを守りながらの剣が我に届くとは思わぬことだ」
光剣の壁が消滅し、その後にいたウィステリアと六音が現れた。六音はシャボン玉のような亜空間から解放されている。
「そうかな? 何かを守りながらは、君も同じだと思うけど?」
煌路が見るのは、王子様に掌中の珠のように横抱きされる少女。
「「………………………………………………」」
再び見つめ合う2人の少年。――刹那、両者から強烈な重圧がわき上がる。
昂揚と歓喜に満ちた重圧は、再び空気を張りつめさせ、黒い峡谷地帯に地鳴りと地震を引き起こす。
「ふふふふふ……!」
「ふはははは……!」
宿命の好敵手を得たように、こらえきれぬ笑いを漏らす2人。
一方、高まる重圧に再び六音がよろめくが、再びウィステリアのシャボン玉のような亜空間に保護され、ことなきを得る。
ビシイィィィィィッ
その時、黒い空にひと筋の亀裂が走った。
「む? 強引な上書きにより不安定となっていた亜空間が、我が師や、我らの重圧に耐えきれず崩壊を始めたか」
淡々とオブシディアスが言うと、2人の少年の重圧が霧散する。が、手遅れとばかりに亀裂は異元領域全体に広がり、黒い空も岩山も千々に砕け散っていく。
「道化よ!」
オブシディアスの声に、空に浮かぶ道化師が長杖の鈴をしゃらんと鳴らす。と、オブシディアスの背後の空間に、直径2メートルほどの真紅の穴が開き、妹分を抱える少年はきびすを返し悠然と穴に入っていく。
「あれ? 帰っちゃうのかい? 〝大帝都〟ほど遠くはなくても、火星にある太陽系ドミネイドの〝帝都〟からはるばる来たんだよね? 僕の家に寄って行ってくれれば初物のおいしい桃と、友達が精魂こめて〝仕込み〟をしたお饅頭があるから、ご馳走するよ♪」
煌路のおどけた声に、六音が青ざめた顔から茶化した声で、
「……こういう時こそ、出すのはカツ丼じゃないのか♪」
「何百年前の取り調べだ!?」
即座につばめがツッこみ、2人の少女が会心の笑顔でサムズアップを交わす。
「粗忽者め……」
腕の中の妹分の挙措に、王子様がほのかに苦笑して小さく嘆息。
次いで急速に亜空間が崩れていく中、煌路たちに背を向けたまま顔だけ振り返り、
「さらばだ、水代煌路よ。次にまみえる時を楽しみにしているぞ」
「僕もだよ、オブシディアス。その時は正々堂々と決着をつけようね」
さわやかな笑みの奥に、獰猛な闘争本能をたぎらせる2人の少年。
――刹那、亜空間が完全に崩れ去った。