託される希望
〔終わりだ津流城!! 沙久夜ああああああああああああああああああああっ!!〕
水柱の上の紫の竜と少年に、無数の黒い竜の首が襲いかかる。
「〝破軍津波〟」
だが、少年は抜刀して刃から莫大な水を……巨大な津波を周囲に放ち、《《1つの意識を共有した1つの生き物のように》》押し寄せる竜の首を押し返そうとする──が、
〔こんなもんが通じるかああああああああああああああああっ!!〕
無数の黒い竜の首は津波を突き破り、勢いを増して少年と紫の竜に迫る。
「〝波紋刃〟」
対して少年は刀を掲げ、発生した水を薄く圧縮し、刀身を中心にした輪形の水の刃を作る。刃の輪は水面に波紋が広がるように〝異元領域〟の果てまで大きくなっていき、周囲から襲いくる竜の首を高圧縮のウォーターカッターのように全て切断した。
〔……ちっ、こんな技を持ってやがったか〝清世の利剣〟め……!〕
しかし黒い竜の額についた紫の破片が光ると切断面がくっつき、見渡す限りの黒い水面にそそり立つ無数の竜の首は全て元通りに蘇生する……一方、
「……左様、かつて某は稚拙な正義を気取り、〝清世の利剣〟……太平の世を守護せし破邪の剣であるなどと、のぼせ上がっていたのでつかまつる。そして……」
紫の竜の背……大きな屋形の屋根で津流城は刀を強く握り、
「世界を巡り数多の悪党を討つ傍ら、御しきれぬ力にて広大なる土地をも滅ぼし……無惨なる、不毛の荒野と化さしめたのでつかまつる……!」
〔それで今じゃ世界の大悪党、〝封印災害指定〟か〕
「……如何にも……」
憎まれ口に津流城は声を硬くして、
「未熟が故の増長により現世の秩序と正義を乱せしことこそ、某が〝封印災害指定〟を受けた訳合いにつかまつる……なれど」
一転、迷いを払ったように力強い声で、
「御屋形様の……真の主君の薫陶により、某は現世の真実を悟ったのでつかまつる」
〔御屋形様だと? 父上が何かしたのか?〕
「否!」
竜の首の希望を一刀両断するように、
「我が主君は未来永劫、三千世界に只一人、水代煌路様のみにつかまつる!!」
〔完全に裏切りやがったか!! あれだけ父上が目をかけてやったのに!〕
逆上する黒い竜の首を津流城は鋭くにらみ、
「草薙弥麻杜は、沙久夜様に狼藉を働きし仇に他ならぬのでつかまつる……一時は、その〝悲願〟に賛同しかけた不肖の身につかまつるが……」
後半はつぶやくような小声で言った津流城だったが、再び堂々として、
「ともあれ、御屋形様の薫陶により某は悟ったのでつかまつる。現世が如何に矮小であるかを」
瞳も精悍として、
「そして現世の秩序と正義も、決して磐石ではないと。秩序とは強者が弄ぶ建前に過ぎず、正義もまた勝者の行いを盛り立てる虚飾に過ぎぬと」
無数の黒い竜の首が硬直した。
「何より……真に掛け替えの無いものを守らんとする者は、全てを犠牲に捧ぐほどの〝欲〟を抱かねばならぬと……胸に一匹の〝鬼〟を棲まわせねばならぬと悟ったのでつかまつる」
瞳と声、そして刀を握る手に信念を籠め、
「かくして目を開かれし某は、己が〝天命〟に目覚め、全身全霊に誓ったのでつかまつる。すなわち──」
荒ぶる益荒男のごとき少年に黒い竜の首がブルブル震え出した。
「この世は夢幻のごとくなり……現世がまやかしの建前と虚飾により人を惑わす幻に過ぎぬならば──」
黒い竜が震えを激しくするも、益荒男は大瀑布をも超える重圧を迸らせ……
「迷わず、挫けず、立ち止まらず、〝天命〟を果たすべく我が主君と共に、某が現世の建前と虚飾を築く者となるのでつかまつる!!」
〔ドン底まで落ちぶれたか〝妹の搾り滓〟め!!〕
震える黒い竜が紫の破片を光らせ〝異元領域〟を強力な振動で満たす。
見渡す限りの黒い水面にそそり立つ無数の黒い竜の首が、同じ振動率で震え共振することで空間が崩壊するような振動を発生させているのだ。
「ぬおっ……!?」
「こ…このような術を……太華琉さん……!」
ザバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ
亜空間を丸ごと揺るがす振動に水面は大時化のごとく荒れ狂い、紫の竜を頂きに据える水柱も今にも砕けそうに乱舞する……そして、
〔木端微塵になれ津流城!! 沙久夜あああああああああああああああああっ!!〕
ピシッ……ピシピシッ……!
空間そのものが襲ってくるような振動に圧迫され、紫の竜の胴体である屋形に細かな亀裂が走る……が、
〔なにいっ!?〕
津流城の周りに八振りの紫の刀が現れ、黒い竜が目をむく。直後、宙に浮く紫の刀が輝くと、亜空間を震わせていた振動があっさりと消えた。
〔その刀……〝八鱗刀〟の刀か!?〕
「左様にございます。刀をあなたの振動と反対の振動率で共振させることで、あなたの振動を打ち消したのでございますよ」
〔馬鹿な……たった8本の刀の振動だけで……!〕
「これも〝瀬織津〟の……沙久夜様の御加護につかまつる」
津流城が厳かな声をつむぎつつ、《《8本の刀と同様に輝く》》紫の欠片を長着の襟元から取り出した……一方、
〔くそ……いつもいつも邪魔しやがって〝搾り滓〟があ……!!〕
「……貴殿の心中、察するのでつかまつる」
「……なに?」
訝しむ無数の黒い竜の首に、津流城は深い共感のにじむ声で、
「〝妹の搾り滓〟……幼き日〝里〟に身を置いていた時分より、その言の葉は呪詛のごとく某を苛んでいたのでつかまつる」
さらに声を重くして、
「我が妹を〝鬼子〟と忌避し水牢に囚えていた〝里〟の者どもは、〝鬼子〟の兄である某をも〝《《搾り滓》》〟《《であろうと》》同様に忌避し、虐げていたのでつかまつる」
目元を不快そうに歪め、
「故に某は、幼心にも理不尽を感じたものでつかまつる。現世に生まれ落ちるなり引き離され、顔すら知らぬ妹のために、何故己が虐げられねばならぬのかと」
口元を固く引き結ぶ……
「……なれど、左様な境遇は某が〝都牟刈〟の屋形に……沙久夜様の元に迎えられることで終息したのでつかまつる」
一転、紫の欠片を握りつつ微かに口元をゆるめる。
「……なれど、新たな境遇は新たな苦悩をも某にもたらしたのでつかまつる」
再び声を重くして、
「某が〝都牟刈〟の屋形に迎えられて間もなく、沙久夜様は石化の病に襲われたのでつかまつる。御身を石とされ苦しまれる沙久夜様を前に、某は己の無力を忌むと共に……妹に、底知れぬ引け目を抱いたのでつかまつる……!」
紫の欠片を《《強く》》握りつつ唇を噛み、
「幼き日、まさしく〝搾り滓〟……フラッターに等しき身であった某は、日々憂悶していたのでつかまつる……〝鬼子〟であろうと、妹ほどの力があれば沙久夜様をお救い出来るのではないかと……!」
〔……それが火焚凪に抱いた引け目……お前も俺と同じに、劣等感に苦しんでたっていうのか………〕
息をのむ黒い竜の首に、津流城は覚悟に燃える瞳を向け、
「左様……なれば某は、妹が東の本家に召し抱えられしを機に〝里〟を離れたのでつかまつる……己を鍛え、沙久夜様をお救いする力を得るために……!」
〔……!〕
「そして日々精進を重ねた某は、沙久夜様より賜った護符の……沙久夜様の御加護を授けられるがごとく、〝封印災害指定〟を受けるほどの力を得たのでつかまつる」
〔それは……〕
沙久夜から護符を通じて〝瀬織津〟の力を注がれていたんだ……クローンを製造していた地下空洞での会話を回想しつつ、黒い竜の首は叫ぼうとする。
だが、そもそも強くなるため、自ら〝里〟を出て行った津流城である。
己の弱さを知りながら〝里〟に引きこもっていた自分とは……『お山の大将』とは初手から違っていたと思うと、言葉を続けることは出来なかった……しかし、
〔……勝手ばかり言うんじゃねえ!!〕
見苦しいと知りつつ吐き出すのは、義憤に包まれた抑えきれぬ妬心。
〔忘れたとは言わせねえぞ! 誰が〝里〟を地獄に……〝暗黒節〟に沈めたか!!〕
「……無論、覚えているのでつかまつる。我ら兄妹がいた往時の〝里〟は、地獄のごとく重苦しく、瘴気のごとく息苦しき重圧に覆われていたのでつかまつる……」
顔を曇らせつつ、強く握る護符を己の胸に押しつけ、
「その重圧に〝里〟の者たちは心を蝕まれ、あるいは魂を貪られ、ある者は正気を失し数多の同朋を殺め、またある者は狂乱の果てに自ら命を絶つに至ったのでつかまつる……」
思い出すだけで冷や汗しつつ、
「往時の〝里〟の有り様たるや、死者の蠢きし黄泉国がごとき、陰惨なる魔窟であったのでつかまつる……」
必死に震えを堪えるような声で、
「そして、左様な魔窟の……〝暗黒節〟の元凶たる重圧を発せし者こそ……〝里〟の中央より遠く離れた水牢に囚われし、我が妹だったのでつかまつる……!」
加えて苦い記憶を回想するように、
「思い返せば……〝里〟の者の某への暴挙も、身を削るような重圧の恐怖から逃れんとする、せめてもの足掻きだったのでつかまつろう……」
憐れみを浮かべてから顔を引きしめ、
「年端も往かぬ身でありながら、遥か離れた地より姿も見せず〝里〟を……多くの人心を恐怖により席捲せし振る舞い……まさしく〝鬼子〟の所業につかまつる……!」
〔そうだ……昔、お前ら兄妹がいた頃の〝里〟は、どいつもこいつも死の恐怖に怯えてた……!〕
黒い竜の首の憎悪に震える声……しかし、
「……なれば、我ら兄妹が時を同じくして〝里〟を離れしは、〝里〟にとっての僥倖だったのでつかまつろう……某にとっても、沙久夜様がわずかなりとも平穏を享受されたのであれば僥倖だったのでつかまつるが……」
〔ふ…ふざけるな!!〕
安堵するような津流城に積年の鬱屈を爆発させ、
〔そもそも沙久夜やお前らが〝里〟に生まれなければ何も起きなかったんだ!! 〝里〟があんなになることも! 母上が野心に狂うことも! 俺が……劣等感に押し潰されることも!!〕
妬心を隠さずブチ撒ける……が、急に卑屈に笑うようにして、
〔だ…だが、今度はそうはいかないぞ……いま火焚凪は水牢に入ってるが、昔みたいな重圧は感じないからな……何日か前に俺が水牢に行った時も、そんな重圧は──〕
「貴殿が右腕を失した折につかまつるか……」
〔う…うるせえ! 大体〝里〟に殴り込んできた火焚凪を捕まえて水牢にブチ込んだのはお前だろうが!!〕
なけなしの自信を斬り捨てられたように逆上し、
〔だったら〝鬼子〟も怖くはねえ! 多少強くなった〝搾り滓〟程度に負けるようじゃタカが知れてるからな!!〕
「確かに妹を捕え牢に入れたのは某につかまつる……なれど、如何に某が力を付けようと、火焚凪がああも容易く捕われるなど、元来は有り得ぬのでつかまつる」
それは、妹への信頼か、
「すなわち火焚凪の捕縛を成せしは、相応の訳合いが2つ重なった結果なのでつかまつる」
あるいは、己の力量への理解か、
「訳合いの1つは、御屋形様に暇乞いをした火焚凪が心を乱していたこと」
はたまた、同じ主君を戴く者の共感か、
「今1つは……今の火焚凪が、雌伏の時にあることにつかまつる」
……否、それは長き苦難を乗り越えた者のみが辿り着ける、達観の視点と境地。
〔雌伏の時だと……?〕
「虫は卵から孵り幼虫となり、やがて蛹を経て成虫となるのでつかまつる」
〔なに……?〕
「幼き日〝里〟にいた火焚凪は〝卵〟であり、東の本家で過ごした折が〝幼虫〟、そして〝里〟に戻りし今は〝蛹〟なのでつかまつる」
〔何の話だ……?〕
怪訝そうな黒い竜の首に津流城は淡々と、
「今、火焚凪は往時のごとき重圧を放っていない……貴殿のみならず、〝里〟の大半の者は左様に感じていたことでつかまつろう……なれど」
かすかに身震いしつつ、
「火焚凪の重圧は今も〝里〟に、それも往時より遥かに濃厚に満ちているのでつかまつる……多くの者がそれを感じぬのは、その重圧があまりにも深く大気に溶け込んでいるが故につかまつる」
〔……!?〕
「貴殿も耳にしているでつかまつろう。この数日、〝里〟に現れる女の幽霊の噂を」
〔!?〕
黒い竜の首は、自室の鏡に白い着物の少女が写ったことを思い出し……
〔ま…まさか……〕
「如何にも。〝里〟の随所に現れし幽霊こそ、大気に溶け込みし重圧が結ばせた愚妹の幻影だったのでつかまつる」
黒い竜が絶句し、津流城も遠い目をして、
「某もまた、先刻〝幽霊〟を目にしたのでつかまつる。某を助勢せんとでも思い上がったか、差し出がましくも沙久夜様の御声を某に伝えおって………」
微苦笑しつつ沁々《しみじみ》と語る津流城……だったが一転、視線と声を鋭くし、
「左様な火焚凪の重圧は〝里〟に満ち、はち切れんばかりに膨らみつつ胎動しているのでつかまつる……今にも〝蛹〟を脱し、〝成虫〟にならんとするがごとく……」
〔なんだと……それじゃあ〝里〟はまた……〝暗黒節〟みたいな地獄に沈むっていうのか……!?〕
黒い竜の首が戦慄しつつ、
〔だったら、どうして止めない!? なんで放っておく!? また昔みたいな……いや重圧が昔以上なら、今度は〝里〟どころか……!」
「左様。今の火焚凪の重圧を鑑みるに、再びの〝暗黒節〟は〝里〟のみならず、世界を阿鼻叫喚の地獄に沈めるのでつかまつる」
〔だったら……!〕
「懸念は無用につかまつる。再びの〝暗黒節〟は御屋形様が阻んでくださるが故」
主君への信頼と忠義に満ちた声に、焦燥していた黒い竜の首が安堵する……が、
「今はまだ、〝時〟に致っておらぬのでつかまつる」
〔……なに?〕
続いた不穏な言葉に、黒い竜の首は再び不安をもたげさせ、
〔どういうことだ……今回〝暗黒節〟を阻んでも、〝時〟が来れば世界は地獄に沈むっていうのか……?〕
「如何にも。いずれの道を辿ろうと、遠からず世界は地獄に沈むのでつかまつる。多くの者が未曾有の苦難に呻吟せし、世界を断絶させるがごとき地獄に……なれど」
凪いだ海のごとく平静に、
「左様な地獄こそが……〝破壊〟こそが我らの、そして我が主君の御意思なのでつかまつる」
見渡す限りの黒い水面に立つ無数の黒い竜の首が、時が止まったように固まった。
「我らはこれより、世界の革新を執り行うのでつかまつる。そして〝破壊〟こそは〝創造〟の第一歩なのでつかまつる。故に──」
主君の言葉を噛みしめるように、
「新たな世界を〝創造〟すべく、我らは古き世界を〝破壊〟するのでつかまつる」
さらに固まる黒い竜の首………だったが、
〔……はっきり、分かったぞ……〕
ほどなく、抜け出た魂が戻ったように声をしぼり出し、
〔結局、お前も妹と……〝鬼子〟と同じだ……〕
魂が嗚咽するような震える声で、
〔兄妹そろって世界の敵……〝封印災害指定〟だ………〕
あるいは、常識や秩序の及ばぬ〝異物〟に怯える声で……しかし、
「今やその〝指定〟は、我が主君に捧ぐ我が忠義の証につかまつる」
〔悪魔に誑かされ……いや、魂を売り渡したか……!〕
揺らがぬ少年に常識や秩序を《《超越する》》〝傑物〟の〝器〟を感じ、黒い竜の首は悪態を吐きつつも魂が萎縮するような畏怖に囚われる……一方、
「いつの世も新たな時代の波に乗れぬ者は、世を革新せんとする者を謗るものにつかまつる。我らは左様な蒙昧どもを、革新の波にて押し流すのでつかまつる。世に数多ある洪水伝説のごとく」
〝傑物〟は傲りも罪悪感も無く淡々と、
「しかる後、波に洗い流されし清浄なる地に新たな世を築くのでつかまつる。これこそは〝破壊〟と〝創造〟の輪廻……すなわち人の秩序や常識を超えし、現世の真理なのでつかまつる」
淡々とする中に誇りをにじませ、
「そして我が主君以下、元より〝常識破り〟こそを〝常識〟とする我らZクラスこそは、真理の執行を〝天命〟とする者なのでつかまつる」
〔常識も秩序も捨てて、本物の外道に落ちたか……!!〕
黒い竜の首が怒りと……恐怖に声を震わせる。が、津流城は溌剌とした声で、
「〝天命〟の前には、外道に落ちるなど些事につかまつる」
主君の薫陶を胸に湧き上がらせ、
「元来、某が秩序の守護者たらんとしたのは、只一人の掛け替えの無い女性を守護するためにつかまつった」
〝掛け替えの無い女性〟への想いを胸に宿し、
「なれば世界や秩序を守護しようと、その世界に掛け替えの無い女性がおられぬならば全ては虚構と化すのでつかまつる」
同志への忠義と……〝親愛〟を胸に刻み、
「されば某が真に守護すべきは秩序にも世界にも非ず、只一人の女性であったのでつかまつる」
女性への献身を胸に誓い、
「因って某は、その女性を守護せしために古き世を〝破壊〟し、新たな世を〝創造〟するのでつかまつる。己が非力と些少なる自尊心などのために、再び掛け替えの無い女性を手離し後悔するなど愚の骨頂につかまつれば」
新たな信念と大いなる覚悟を胸に燃え上がらせ、少年は1人の〝漢〟として宣言した。
〔…………………………………………〕
片や〝漢〟の信念と覚悟に圧倒されるように、見渡す限りの水面にそそり立つ無数の黒い竜の首は固まってしまう……が、ほどなく一抹の希望に縋るように、
〔……妹への引け目は……劣等感は、無くなったのか……?〕
「……否。我が妹への引け目は、未だ某の胸に燻っているのでつかまつる」
かすかに強張った津流城の声……
「なれど、左様な〝引け目〟も己の一部と受け入れると思い定めたのでつかまつる。何故ならば……」
長い夜を抜けたように清々《すがすが》しく、
「〝引け目〟とは〝憧憬〟の転じた姿……すなわち対極となる二つは、表裏一体の表と裏なのでつかまつるが故」
〔劣等感は……憧れの、裏の姿………〕
呆気に取られる無数の黒い竜の首に、津流城は重々しくうなずき、
「左様、某が妹に抱いていた〝引け目〟とは、己より優れた者への〝憧憬〟であると悟ったのでつかまつる。そして、それは己が未熟であることの証であり……」
一片の迷いも無く堂々と、
「未熟なればこそ、目指す理想があればこそ、某は一層の精進を経てさらなる高みを望めるのでつかまつる!!」
覇気に満ちる〝傑物〟に黒い竜の首が茫然となる………が、
〔……ふ……ははははははははははははははははははははははははははははっ!!〕
見渡す限りの黒い水面で、無数の黒い竜の首が一斉に笑い、
〔……南米で、俺の複製体に言ってたな〕
やがて、黒い竜の首も清々しい声で、
〔人は誰かのためにこそ、大業を成せるんだと……〕
「如何にも。某はそれを証明せねばならぬのでつかまつる。遥か異国の地で散った異邦人のために、我が主君への忠義のために……何より……」
覇気と強大な重圧を全身から放ちつつ、
「掛け替えの無い女性を、この手に掴むために!!」
揺るがぬ信念を抱く少年に、黒い竜の首は納得した上で確認するように、
〔本気で、たった1人の女のために世界を作り直すのか? 本当に、そんなことが出来ると思ってるのか?〕
「一命を捨てて……否、一命を賭して成し遂げる所存につかまつる」
死ぬのではなく、生きて望みを叶えるという不動の誓盟。
〔……それが、お前の選択か………〕
対して無数の黒い竜の首は一斉にうなずき、
〔大したもんだな。あんまりにも眩し過ぎて、目が潰れそうだぞ……〕
自嘲しつつも清々《せいせい》として、
〔俺なんて、いつも間違った……最悪の選択をして……このザマだからな………〕
どこか憧れるように呟いた……そして、もはや思い残しは無いとばかりに――
〔だったら、その覚悟を見せてもらおうかああああああああああああああああ!!〕
見渡す限りの水面に立つ無数の黒い竜の首が、水柱の上の紫の竜とその背の少年に一斉に襲いかかる──が、少年の刀の刀身が真紅に輝き、
〔ぐあっ!?〕
少年が刀を振るうや《《刃が届いていないのに》》、真っ先に紫の竜に達しようとした黒い竜の首が数十本、脱力して黒い水面に落ちた。
〔なんだと……ぐおっ!?〕
無事な黒い竜の首が動揺する間にも少年は刀を振るい続け、一振りごとに数十の竜の首が水面に落ち、たちまち千を超える竜の首が水面に倒れたまま動かなくなる。
「八重垣に伝わりし霊剣術、〝魂斬〟につかまつる。これならば再生も叶わぬでつかまつろう」
残心の構えの少年が厳かに言った。
〔くっ、相手の魂だけを斬る技か……だが! 所詮は多勢に無勢の技だ!!〕
千を超える首を倒したものの、見渡す限りの黒い水面には未だ万を超える黒い竜の首がそそり立ち、
〔お前の覚悟はこんなもんかああああああああああああああああああっ!!〕
それらの首が再び紫の竜と少年に襲いかかる!!
〔ぐふっ!?〕
だが黒かった水面が眩く輝き、万を超える竜の首の1本1本が多数の光の輪に縛られ動きを封じられた。
〔こ…これは、まさか……!?〕
「はい。光による拘束術式〝天岩戸〟にございます」
〔く…くそおっ!!〕
動けない無数の黒い竜の首が一斉に火炎弾を吐いた──が、少年が刀から水流を放ち火炎弾を掻き消し、
「御所望なれば我が覚悟を……我らが〝天誅〟をお見せするのでつかまつる」
瞳に強い覚悟を灯し、〝介錯〟の宣告をすると真紅の刀を鞘に納め、
「沙久夜様」
「承知しているのでございます、津流城さん」
少年の厳かな呼びかけに、少年を背に立たせる紫の竜が謹んで応える……と、少年の周りに浮く8本の刀が紫の光を強め、1つに融合していき………
「なれば御覚悟を、太華琉殿」
誕生した眩く輝く1本の刀を、津流城が握り大きく一振りする。
それは紫の刀身を天翔る竜のごとく蛇行させる、刃渡り2メートルを超える荘厳な〝蛇行剣〟だった……直後、
〔なにぃっ!?〕
輝いていた見渡す限りの水面が鏡のようになり、拘束された無数の竜の首を写し出す……と、
「古事記と日本書紀の原典の1つである〝ホツマツタエ〟なる書に記されているのでございます」
紫の竜も厳かな声で、
「国で暴動が起きた折、〝瀬織津〟は大鏡を海に置き、その鏡に暴徒たちの良き心と悪しき心を写し出させ、悪しき心を清めたと」
鏡のような水面が荘厳で清らかな光を放ち出す。
「鏡が物を写す原理を御存知でございますか? それは光の反射なのでございます」
水柱の上の紫の竜が眼下からの光に照らされつつ、
「古来、〝天照大神〟と〝瀬織津〟は一柱の神の〝和魂〟と〝荒魂〟であるとされているのでございます。そして──」
厳かな声を慈愛に満たし、
「この術こそは〝壬申の戦〟の折、朝廷の軍勢を降した奥義にして〝瀬織津〟の〝和魂〟の力……すなわち、〝太陽神〟の光の力の顕現なのでございます……なれば、津流城さん」
「委細、承知につかまつりまする、沙久夜様」
紫の竜の背の少年はうなずくと、首に下げる欠片と共に紫の輝きを増す〝蛇行剣〟を大きく横薙ぎに振り、円形の紫の光を輝く水面へ放つ。
「〝天照大神〟と〝瀬織津〟には、〝ホツマツタエ〟を始め夫婦であるとする伝承もあるのでございますよ」
円形の紫の光が波紋のように見渡す限りの水面に広がる……と、
「なれば妻である〝瀬織津〟の光を……〝愛〟を受けた時──」
無数の黒い竜の首を縛っていた多数の光の輪が砕け、
「〝天岩戸〟は開き、夫である〝天照大神〟が顕現されるのでございます」
見渡す限りの輝く水面から、無数の巨大な光の柱が立ち昇る。
「これぞ我が覚悟の業につかまつる」
光の柱はそれぞれ黒い竜の首を1本ずつ内包しており、
「『我が業』ではなく、『我らの業』なのでございますよ、津流城さん♪」
まずは水柱、次に黒い竜の首が無数そそり立った世界に、
「この業こそは、津流城さんと身共の初めての共同作業なのでございますから♡」
巨大な光の柱が無数そびえ立っている………そして、
「「〝天柱浄鏡〟」」
共同作業のごとく2人が声を重ねる──と、光の柱は目も眩む輝きを放ち……
〔ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?〕
見渡す限りの輝く水面上で、無数の黒い竜の首が浄化されるように、己を包む光の柱に溶け込んで消えていく。
「終幕につかまつる、太華琉殿」
周囲に光の柱がそびえ立つ中、柱の中で消えていく竜の首に津流城が哀悼を示し、
「現世でのお役目を果たされたならば、どうか安らかにお休みくださるよう申し上げるのでございます」
津流城を背に立たせる紫の竜も、水柱の上から神妙な声をつむぐ……と、黒い竜の首は体と共に意識も消えゆく中、遺言のように……
〔……津流城は……その女が、何者か分かってるのか………〕
「無論につかまつる」
遺言に応えるように誠実な声で、
「沙久夜様こそは、某の生涯の恩人であり……生涯を共に歩む、掛け替えの無い伴侶につかまつる」
光の柱の中から息をのむ気配がして……
〔……勝手に、しやがれ………〕
あきれ果てたようで、どこか同情するような声をもらす……
〔後悔……するなよ……〕
自分も母に翻弄され、後悔する人生だった……
〔あの世から、見てるぞ……お前の選んだ、道の果てを……〕
あの時ああすれば良かった、この時こうすれば良かったと、いつも胸の奥を後悔に締め付けられていた……
〔伴侶と一緒に、しくじって……あの世に来た時、泣き喚くがいいぜ……〕
今のままなら、津流城もきっと後悔する……人生を失敗する……
〔悔しかったら……〝清世の利剣〟と……〝封印災害指定〟……〕
だが……他人に翻弄されようと、それが自分の望む道だったなら……
〔〝英雄〟と、〝悪魔〟……どちらの道を、選んでも……〕
それが……〝魔女〟に魅入られた道だろうと……
〔命を、賭けて……足掻いてみろ……〕
後悔しない……幸せな人生になるのだろうか……
〔世界を、生まれ変わらせて……道を……希望を、かなえるために……〕
自分も生まれ変われるなら……後悔しない……希望のままの道を進みたい……
〔忠告は、したからな……〕
〝事実〟を知らせないのは……せめてもの意趣返しであり……
〔あとは……女神と、一緒に……好きに、しやがれ……〕
せめてもの、声援であり……
〔破壊でも……創造でも……〕
自分が得られなかった眩しい希望を……未来を託す心意気……
〔それとも……まずは、祝言か……だったら……〕
胸のすくような清々しい声がして……
〔これが………俺の祝儀だああああああああああああああああああああっ!!〕
太華琉が消え去る寸前、無数の光の柱から、紫の光が紫の竜へ放たれた………