2話 ぎこちない距離感 1
田舎過ぎず都会すぎもしない立地にそびえ建つ高層マンション。いつかはこんな所に一人暮らししてみたいな、と思わせるような私にとっての理想形。このマンションの一室に篠宮は一人で住んでいる。
高校生で一人暮らし。早いようにも思うが篠宮は去年、一緒に住んでいた父親を亡くしていたらしい。居住地はこのマンションであり、今は祖母からの承諾を得て住み続けているようだ。
私は両親共に健在なので、篠宮の気持ちの辛さは計り知れない。でも、友達として少しは楽しい思い出で気を和らげてあげることができればと思う。
とりあえず、マンションの玄関口に構えるセキュリティシステムに篠宮の部屋の番号でインターホンを鳴らす。…………返事なし。
次に、暗証番号を入力して“鍵”を差し込む。すると自動ドアが開いて、私は中に入り込めた。
篠宮から預かった合鍵。普通、友達になったばかりのクラスメイトにこんなもの渡すだろうか? いや、普通ではないだろう。それだけ信頼されてるってことかな? それは嬉しいことだけど、まだそんなに仲良くなった気はしない。私なんて篠宮をまだ苗字でしか呼べてないし。
エレベーターで目的の5階に到着する。訪れるのはこれで何回目だろう? 勝手に入った事はないけど……。
インターホンを押す、が反応はない。寝てるんだよね? ほんとに……?
いつもは私が到着するまでに寝ぼけながらのろのろしてる篠宮を「カメみたいだよー」なんて言ってからかってるが、今日はどういう訳だろうか?
私の前ではあまり辛そうな顔を見せない篠宮。しかし、いろいろ抱え込んでる可能性はあった。学校で感じる孤独感、父親を失った虚無感。そんな、まさか……いきなり“お別れ”なんて嫌だ――――!
よくない思考に支配された私は、無我夢中で部屋の鍵を開けた。玄関で靴を乱雑に脱ぎ捨て、篠宮の元へ駆ける――!
「篠宮! 生きてるっ!?」
「……………………すぅ……」
クーラーの冷気が満ちた快適な空間。部屋の隅に置かれたベッドの上には、ふかふかの毛布。その中にくるまれてるのは心地よさそうに目を閉じた篠宮の姿。毛布が規則正しく膨張と収縮を繰り返してるところから、息はしている。生きてることが分かる。
しかしホッとしたのも束の間。私は今、不法侵入をしている状況ではないだろうか? 困った……。でも仕方なかったしな……。
頭を回転させて出した二択。このまま篠宮を起こすか、なかった事にしてドアの前で待つか――。
…………てか、なんで私がここまで気を使わなきゃいけないんだろう。合鍵は篠宮から渡された物だし、篠宮もこうなる事を想定したのかも、しれない。早く起こそ。
「し、篠宮……っ! 遅刻するよ!?」
少し強めに呼び掛ける。だが、起きる様子はない。代わりに寝返りと共に、寝言が飛んできた。
「お、おかー、さ……ん。うぅ……」
お母さん? そう言った篠宮の眉間にはシワが寄り何だか寝苦しそうだ。そういえば、父親の話は少し聞けたが母親の話は聞いたことがない。あまり踏み込むのも悪いと思い、私からは聞いてないのだ。
「ね、ねぇ、篠宮――――……わっ!?」
肩を揺すった。悪夢を見るくらいなら起きて欲しかった。ただ、それだけ、だったのに。
篠宮に腕を掴まれ引き寄せられた。バランスを崩すが、もたれ掛かる寸前で踏ん張る。
とりあえずなんとかなったが、よく見ると篠宮の顔がすぐ真ん前にあった。腕を掴んで安心したのか篠宮は柔らかな呑気な寝顔を晒している。
仕方なく寝顔を観察してみると、可愛いなぁ――って思った。
いつもと同じ……だよね? 化粧とかしてないよね? 何故か私はドキドキしながら篠宮を見つめていた。瑞々しい肌、篠宮の息遣い――。意識する度に自分の心臓の音が早くなるのが分かる。
いやいや……、これは引っ張られた時、篠宮が潰れるかもって焦ったから。そう! 吊り橋効果的なあれだ。特に意味のある感情じゃない。
腕を掴まれたまま、私は篠宮から顔を逸らした。
起こそうとしたはずが、私は何をやってるんだろう? ため息が自然と出た時だ。
「ん……。やえ、ちゃん…?」
寝ぼけ眼の篠宮がこっちを見ていた。無防備であどけないパジャマ姿に更に心音が早くなった。緩んだ腕から素早く腕を引き抜き距離を取る。
「お、おはよっ! なかなか連絡来ないから、ちょっと心配、で……おじゃましてます……!」
不審がられるのでは? と思い弁明する。しかし、そんなことはなく。のそなそと起き上がった篠宮は背伸びしながら、礼を言ってきた。
「過保護だよー、八恵ちゃん。昨日はアニメ見ててついつい夜更かししちゃった。でも、心配してくれてありがとう」
「ア、アニメ……か。はは……」
自分が考えたよりもずっと平和的な理由に呆れる。
「八恵ちゃんはアニメ見ない? 深夜アニメってつい見ちゃうんだよね。気づいたら2時とかになってるし……ねむいよ」
「そう、なんだ。私は居間にしかテレビないから見ないかなー」
「ふーん、残念」
それから篠宮は、留め置きしてるらしい冷凍食品を解凍したり、テレビを見たりとのんびりし始めた。もう出ないと遅刻する時間なのだが、制服に着替えるどころか急ぐ素振りを見せない。
「あの、篠宮? 急がないと学校遅刻するけど……?」
「ん……? あぁ。今日は、休みにしようよ。私と遊ばない?」
悪戯っ子のように、ずる休みを提案した篠宮。少し驚いたが、篠宮が以前はよく休んでいた事を思い出す。けど巻き込まれるのは初めてだ。
「なんでそうなるの。毎日一緒に学校行く約束でしょ?」
「今日は一日一緒にいようよー。……やっぱダメ、かなぁ」
頬を少し膨らませた篠宮を私は見逃さなかった。それになんだか悲しそうだ。ひょっとしたら遊びたい……、のかな?
実は、私たちは友達になったといっても友達らしい事をあまりしていない。朝、学校までは一緒だが校門を潜ると篠宮はよそよそしくなる。
その理由は「私に迷惑を掛けたくないから」らしい。詳しくは語ってくれないが、仲良くしてるとところを他人に見せたくないのだとか。そのせいで休み時間は普段と変わらないし、お昼だって一人で食べる。
放課後はまた一緒に帰っているが、寄り道はまだしたことがない。誘われれば付き合おうと決めているが、受け身ばかりではダメなのも分かってる。けれど私は以前から積極的な方ではなかったし、その辺は周りに流されるだけだったので経験が乏しい。
カフェとか買い物に誘ってみようかな、とは思う。思うのだが、なかなか提案には踏み切れない。もし提案したものが篠宮の嫌いな事だったら……。盛り上げる事が出来ずに気まずい空気になったら……。と、つい考えてしまうのだ。
だから今回の篠宮からのお誘いは、不謹慎だが嬉しかった――――。
「今日だけ、だからね」
「えっ……?」
「今日は休もうかな、って気分になった!」
私は即座にカーペットの上に大の字に倒れ込んだ。天井に視線を向け、篠宮からは顔を逸らす。照れ隠し的なものだ。きっと今の私は笑いをこらえてるような変な顔をしている。
「えっ、いいの? 遅刻するけど学校行くなら行くよ?」
「いいってば。それよりほら、遊ぶん……だよね? なにしようか……。ってその前に学校に連絡しとかなきゃ」
無断欠席して家に連絡が行くのはマズいので、先に学校に電話をした。休む理由は体調不良。それだけ伝えればとりあえずは大丈夫なはずだ。
篠宮はというと、学校に電話する素振りはなく“お香”を焚いたようだ。インドっぽい煙の匂いが漂ってきたので見ないでも分かるが、確認するとやはり篠宮は専用皿の上のお香を眺めていた。
「また、お香?」
「今日はのんびり出来るからいいかなと思って」
コーンタイプとスティックタイプのお香が同時に焚かれており、篠宮はそこから目をジッと離さない。前に聞いたが、お香の匂いよりもそこから発せられる煙を見るのが面白く好きらしい。以前、大量に焚いて煙感知器が作動したという話を聞いた時は呆れたが、匂いにも拘りは持っているらしく色んな種類のものを見せてもらった。
「今日のは、なんか良い匂いだね」
「今日のも、でしょー。マグノリアっていうの。八恵ちゃんにも気に入ってもらえたみたいでよかった」
華やかで上品な花弁の香るような匂いだが、派手すぎずどことなく土っぽい臭いもするところに安心感を覚えた。これなら私も少しはお香について理解できそうな気がする。始めるかどうかは別として。
篠宮の隣に座り、私もお香の煙を眺めてみる。しかし、煙が面白いという感覚にはならなかった。
「そういえば私、寝ぼけて変なこと言ってなかった?」
不意に私を見てそんな事を言う篠宮。
「変な、こと……!? なにかなー、言ってないと思うよ、うんっ……」
「………………そっか」
少し間のあった返事。私が嘘をついたのを見抜いたかもしれない。
きっと私の目はぎこちなく泳いでいたが仕方ないだろう。さっきの出来事を思い出すような発言は不意打ち過ぎたし、顔がやたら近かったしで二重の圧力だった。いや、別に顔が近いのはなんでもない。単純に驚いただけだ、し。うん。
ゆらゆらと揺れるお香の煙に、短くなっていくお香の元。
それがが燃え尽きても、一日はまだまだ始まったばかりだった。