1話 その出逢いは絶体絶命中に
『起きてる?』
スマホの連絡用アプリでそんなメッセージを送ったが、10分経っても返事はない。
「はぁ~、しょうがないな。あの、のんびりカメさんめ……」
悪態を吐きながら私は、駅を背にし通学路とは逆の道を歩み出した。
いつもは満員電車を避けるべく少し早めのこの時間の電車に乗るのだが、一緒に通学する約束をした相手がいないので乗るわけにはいかない。
多分、寝てるんだろうなぁ。と推測しながらその相手、篠宮香菜の根城を目指す。篠宮はマンションで一人暮らしをしてる。よって朝は自分で起きないといけないのだが、篠宮は朝が弱いらしい。こうやって起こしに行くのも慣れ始めていた。
篠宮と関係を持つようになったのは、2ヶ月ほど前。高校に進学して少し経った、桜も散り終える4月の暮れだ――――。
この日は生理だった。朝からトイレにこもってしまった私は、いつも電車に乗ってる時間帯から少し外れてしまう。遅刻にはならないが通勤ラッシュ真っ只中なので、車内はすし詰め状態になる。
これが嫌で、いつも早めに登校してる。することはなくても、だ。
案の定、満員電車は不快だった。化粧や整髪料の臭い、それに汗や加齢臭やよく分からない臭いが混じり合い、くさい……。それに加え、お腹痛いし吐きそうだ。
こんな思いをしてまで学校に行く理由は、正直ない。休んだらほんの少しだけ勉強が遅れるくらいだし、私が休んでも誰も気には留めないだろう。これから3年間、ずっとそうなのだろうか……?
――――そんなことより、本気でヤバくなってきた。冷や汗が滴る感覚があり、じくじくお腹は痛む。座れたら少しは楽になるかもしれないが、それは望めない状況。あと10分我慢すれば……いや、いっそこのまま色々ぶちまけて楽になってしまおうかな――――。
もう、なんか、泣きそうだった。
「あのっ!!」
人混み内に突然木霊した女性の声は、私のすぐ隣からだった。いきなりビビる。なんだろ?
「友達が、体調悪いんです! 席を譲ってもらってもいいですか?」
真っ直ぐで真剣なその言葉に、正面に座るお姉さんは快く立ち上がった。私には真似できそうにない。すごいな、こんなこと言ってもらえた友達は良い友人を持ったな。なんて考えた。
「さ、座って」
「わ、わた、し……!?」
ニコニコと笑む隣の少女は、私の肩にぽんと手を乗せる。席が空いた手前、呆け続けるのも変だしせっかくの好意なのでそこに腰を下ろした。
「あ、ありがと……」
私の礼に少女は「うん」とだけ返して笑んだ。誰からも好かれそうだな、と第一印象に感じる。
よく見ると同じ学校の制服だった。同じ学年かな? 気になったが、きっと友達がたくさんいて私なんかは彼女のグループに入る余地はないかも……なんて悲観的になってると目的の駅に着いていた。
「歩ける?」
車内で慌ただしく人の入れ違いが始まるなか、彼女は私の前で待ってくれていた。立ち上がるのも億劫だったが、手をさしのべてくれたので、それをつかみ一緒に出た。
なんで、こんなに優しいんだろう?
「大丈夫? わっ、えっと! 辛いなら座ろうかっ!?」
「あっ……!? これはちが……わなくて、うん! 座る!」
手を引かれたまま私は駅構内のベンチまで進み掛ける。
どうやら私は泣いていたようだ。視界が潤んで溢れた液体が頬を伝う感触があった。
生理の痛みは電車で座っていた事で幾分かは和らいでいる。この涙は目の前の彼女の優しさに対して無意識に出てしまったものだ。その彼女は、痛みで泣いてると勘違いしているので私も合わせた。だって、本音を知られるのは恥ずかしいから。
「もう、大丈夫だから。少ししたら歩けるから。いいよ、私のために待たなくて」
「ごめん、いたら迷惑かな……?」
「えっ!? そんなわけない! のんびりしてたら……遅刻するし」
迷惑なんて思うはずがない。私なんかに構って、いらない災難を被って欲しくないのだ。
「それなら大丈夫だよ。私、遅刻どころか不登校多いし」
「そう、なんだ……。って大丈夫じゃないよ、それ」
「まぁ、そうなんだけど」
そう言った彼女は、ため息を吐いたように見えた。あまり触れられたくない話題なのかもしれない。不登校の理由が明るい話になるはずもないけど。
「一緒に行く? 同じ高校、だよね?」
「いいの?」
「私は、いいよ」
OKすると彼女は「わーい」と喜んで、なんだか子供みたいだなと思った。
「そういえば、お互い名前とか知らないけどあなた一年?」
「うん。三組の篠宮香菜、だよ」
「一年で、三組? 私もなんだけど……!」
「へっ!? ホントに? すごい偶然だね!」
「そう、だね!」
篠宮香菜は、とても嬉しそうだった。私も釣られて、なんだか少し嬉しいと感じた。なんでだろう? こんな良い子が同じクラスだから? うーん……。わからん。
にしても同じクラスなのに顔を知らなかったなんて……。けどそれは篠宮香菜も同じなので、気にやむことはない、か。
不登校が多いって言ってた。進学して早々そんな事態になってるのは気になる。身近な人だから尚更気になった。
「ねぇ、不登校って言ってたけど、理由聞いていい?」
「うーん、いいよ……」
いいよ、と言いつつ篠宮はなかなか口が重そうだ。やっぱり聞かない方が良かったかもしれない。もう遅いけど話題を変えよう。
「嫌なら無理に言わなくても――――」
「楽しくないから」
「えっ…………?」
「学校行っても、楽しくないから。休んでるの……」
楽しくないから――。意外な理由だった。てっきり、いじめとかが原因だと考えていたからだ。でも、その理由なら私も少しは理解できる。
「私も、今は楽しいなんて思えないよ」
「でも通ってるんだよね?」
「うん……? そうだけど」
篠宮の言わんとする事がいまいち理解できない。
「私は通うの自体がもう苦痛なんだよ。私、人とちょっとずれてるみたいで友達できてもすぐ離れちゃうし、いじめの対象になりやすいし、仲良しな人たち見ると惨めに感じちゃう……。そんなことなら、なるべく休んで一人でいた方がいいよ」
努めて明るく言っているが、その表情は悲しそうだった。
今の篠宮の話を聞く限りだと、周りの環境に嫉妬……してるのだろうか? それなら、解決するのは私に出来る……のではないか? 安易に、そう思った。そして――。
「ならさ。わ、私と……その、とっ、友達に、なろうよ」
私も高校に友達はいない。というか、中学時代もそこまで仲が良い友人がいたわけではないし、こんな提案も慣れてない。なので、かなり恥ずかしい。
でも、篠宮が友達だったらいいなと思ったのは事実だし、なにより篠宮にとってもプラスになるのではないか?
「いい、の……かな?」
「私はなりたいな、篠宮と……友達……」
「えっ…………と。その……」
篠宮は、なんだか恥ずかしそうにもじもじとしている。やっぱり、あまりこんな経験がないのだろう。私もないし恥ずかしいから早く答えて欲しい。そう思ってると、篠宮はピシッと私の前に直立不動になった。ちょっと呼吸が荒いが大丈夫だろうか?
「ふっ、ふつつかものですが、お願いしますぅ!」
「は、はいっ!? よ、よろしくー……」
改められると、変に意識してしまう。周囲に人は少なかったが、それでも注目されてないか確認した。
「よろしくね……えっと、そういえばまだ名前、聞いてない」
「そう、だっけ? 私は八恵。瓜之葉八恵」
「八恵ちゃん、かぁ……。よろしくね!」
「ちゃん付けはちょっと恥ずかしいんだけど」
「私のこともちゃん付けでいいから」
「そういう問題じゃなくて――」
こうして私たちは友人関係となった。そして、篠宮の普通の人とのズレっぷりを、今後私は思い知っていく事となる。
「あのっ、八恵ちゃん」
駅からゆっくり歩き出すと、篠宮が呟いた。声のトーンが低めでなんだか神妙な面持ちに思えた。
「なに?」
「もし傷付けちゃったら……ごめんね」
「えっ、なにが?」
「これから先。その、いろいろ」
「うん……?」
その言葉の意味を私は、おぼろげながら理解したつもりでいた。だって、友達とはいえ誰かと一緒にいれば、多少なりはすれ違いや衝突は起こるものだろう。そんなものだと思っていた。
けど、篠宮の言葉の意味は少し違ったのだ――。
それを知ることになるのは、もう少し先の話。