終局
見とれている場合ではありません。私も私のお役目を果たさなくては。
私の役目。私の使命。たとえ相手が数多の勇者さまが挑み敵わなかった魔物の親玉でも、この身に授かりし二つの祝福があれば、きっと打ち砕けない敵なんてありません。
「ここは私におまかせを」
「えっ」
「実は、とっておきの魔法があるのです」
驚くレニさまを残し、巨塊に歩み寄ります。
「――vous commencez……」
小さく呪文を呟くと、光で描かれた6基の魔法陣が宙に浮かび上がりました。
「feu d'artifice――!!」
前方へと杖を振りかざす動作に合わせ、それぞれの魔法陣から光弾が放たれます。降り注ぐ光の雨が炸裂して色とりどりの火花をまき散らし、まるで花火のようでした。
……というか実際、花火そのものなのです。魔力消費の高さと見た目の派手さに反し威力が低すぎて使われなくなった古い魔法ですが、どうせ私が使えば何をやっても効果は同じなので構いません。
封印から解き放たれてなお微動だにしないこと。取り巻きの魔物が姿を見せないこと。気がかりなことは幾つかありましたが、ここまでくれば勝負は決まったも同然。美しい火花の影に隠された【死への誘い】は徐々に、確実に魔王を蝕んでいるはずです。
最後の光弾がひときわ大きく、美しく花開いたときでした。
「……!」
地響きとともに、柱のように直立していた巨塊が傾き始めました。
「すごい…本当に」
レニさまの目には喜びと戸惑いが浮かんでいます。きっと私も同じ顔をしているでしょう。
ですが、喜ぶのは後です。巨体があのまま倒れてしまったら、おそらく城もろとも崩れてしまいます。
「早くここを出なくては」
その時でした。突然、暴風が巻き起こりました。どうやらこの風は魔王の体を中心として渦巻いているようです。布地の多いローブが風の抵抗をもろに受けるので歩くこともままなりませんが、どうにか壁際まで辿り着いて身をかがめ、見上げた光景に愕然としました。
「あれは…何でしょうか…」
斜めに傾いだ柱の――魔王の半分ぐらいの高さの位置で、金色の何かが――瞳のようなものがゆっくりと開いていきます。
「まさか、仕留められなかった…!?」
よく見ればそれは瞳ではなく、何もないはずの空間がひび割れていたのです。一体何が起こっているのかわかりませんが、誰もなし得たことのない状況なのでガイドブックも役に立ちません。
亀裂は広がっていくほどに風の勢いもまた強くなります。
「きゃあああ」
「エステラさまっ!!」
持ち手の叫びに応え、聖剣から守護の光が溢れます。白く暖かな輝きに包まれながら、空間の裂け目に何かが――魔物の群れのようなものが吸い込まれていくのが見えた気がしました。でもそれはたぶん瓦礫か何かの見間違いです。だって、本当に魔物の群れがいたのなら、魔王が倒される様を黙って見ているはずないでしょうから。
***
ひとしきり嵐が吹き荒れたその後には、崩れた城の瓦礫と私たちだけが残されました。あんなに大きな魔王の巨体も、どこへ消えてしまったのか欠片も見当たりませんでした。
――夢でも見ていたのかもしれない。
もしも私が一人でここに来ていたのなら、そう結論づけていたでしょう。
顔を上げると少年が立ち尽くしていました。その手には出番のないまま役目を終えた聖剣が握られています。私の視線に気づき、少し困ったような顔で微笑みます。
「ボクはやっぱり勇者失格ですね」
「そんなことありません!」
レニさまの漏らした独り言を、私は全力で否定します。
本来なら聖剣に選ばれた者が果たすべき役目を奪ってしまったのは私です。そんな私に、あの時、想像を遥かに超える魔王を前にして。竦んだ私の手を握ってくれたのは。私に立ち向かう勇気をくれたのは。他の誰でもない、レニさまだったのですから。
「それに、失格だというのなら、それなら私のほうが…」
実は、この期に及んでまだ勇者さまには【死への誘い】のことを話していなかったのです。おかしな呪いのせいで、旅路に不安を抱かせたくなかった。……いいえ、もっと正直に言えば、嫌われたくなかっただけなのです。
わざわざマイナーな魔法を選んだのは『新しく開発された魔王に対抗しうる魔法』だと騙るため。『とっておき』だなんて、特別でもなんでもないのです。
回復魔法のひとつもろくに使えず、己の保身のためだけに嘘を吐く私のほうが、よほど聖女にふさわしくないに違いありません。
「帰りましょう、エステラさま」
微笑んだその瞳は、晴れ渡った空のように青く澄んでいました。
もうちょっとだけつづきます