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8月29日
ツクツクボウシの鳴き声が降り注ぐ学校の校門に、私服の種田が立っていた。会うのは随分久しぶりだ。
「久しぶりだな」
と言うと、種田は「おお」と生返事をした。
自習しに来たのか? と聞こうと思ったが、私服なのをみて自分で勝手に解決した。
「最近は全然自習室にも来ないが、勉強しているのか?」
「んーぼちぼち」
種田は腕の時計で時間を確認している。
「で、こんなところで何をしているんだ? 私服で」
「校門で待ち合わせなんだ」
と種田は言った。誰かと遊びにいくのだろうか。
「夏休みは何してたんだ?」
「んー色々。まあほとんど遊んでたけど」と微笑しながら「久保田は?」と聞き返してきた。
「勉強だよ。」
「ははは。受験生は大変だなあ」
と種田は嬉々としてそう言った。絶対に分かって聞いただろう。
「他人ごとみたいに言ってくれるな。お前が羨ましいよ」
僕は地面に向かって深い深い溜息をついた。去年の夏休みはサッカーのことだけを考えてグラウンドを駆け回っていたというのに、一年でこんなにも変わるものなのか。
「頑張れって。しょうがないじゃん。夏休みが受験勉強の踏ん張りどころだろ」
「そんなことわかってるけどなあ。勉強ばっかりでいい加減嫌になりそうだ」
こんなこと、種田に愚痴ってもしょうがないか、と思った。
「はあーもっと早く告白しときゃよかった。自分が憎いよ。なんでもっと早く告白しなかったんだろう。せめて高2の時から付き合えてれば桐村さんともっと一緒に居られたのに」
種田は携帯を弄りながら
「もっと早くやってればよかった、なんてどんなことでも思うものさ」と興味がなさそうに言った。
そういうものかな。思えば僕はいつも終わったことを後悔している気がする。サッカーも小学生の時からしていればもっと活躍できていたかもしれない、とか。何をしていてもそんなことばかり。きっと小学生からサッカーをやっていたとしても幼稚園児からやっていれば、等と考えてしまうのだろう。
「それよりも秋月だろ。合格できそうか」
種田は聞いた。
「いや、実は今のままではヤバいかもしれない。間に合うかギリギリなんだ」
「そうか」とだけ種田は言った。
僕達は少しの間沈黙していると、種田が「今日も暑いな」と汗を拭った。
「次の9月の模試で偏差値超えられなかったら、決断するよ」
僕が言うと、種田はじろりとこちらをみた。
「何の決断だ」
「10月から受験までの間、もう桐村愛菜と会わないことにする」
「思い切ったな。でもそこまでする必要あるか? えらく極端だな」
「もちろんそうならないように努力するけど、でも合格出来なかったら意味ないから。受験を生活の中心に置くんだ」
「ふうん、そうかそうか」と言いながら何か考え事をするように種田は黙った。そして、
「それは桐村と相談して決めたことなのか?」
と少しだけ心配そうに言った。やはり種田はなんだかんだ言っても僕達を気にかけてくれているのだ。
「いや、テストの点が出てから言おうと思っている」
僕は言った。
「じゃあ、クリスマスイヴはどうするの」
クリスマスイヴか。その存在を忘れていた。どうしようか。
「さすがにクリスマスイヴくらいは一緒に過ごすんじゃないかな」
僕は他人事のように言った。
「そうか」
種田は自分で聞いておいて興味の無さそうな返事をした。いつも種田はこんな感じだなと思った。でも嫌な感じはしなかった。
それより僕は自分で言った言葉の意味をもう一度確認した。クリスマスイヴに大切な彼女と過ごすのだ。こんなことが自分に訪れるなんて、考えてもいなかった。そして僕はそれを当然のように口にしていることにも驚いた。何だか自分と関係のないところで起きている話のようだと思った。
クリスマスイヴのことを考える前に、僕はまだ大切な用事を済ませていなかった。僕はまだ彼女に「好きだ」と言っていなかったのだ。