1-7
8月10日
「なんでもかんでも俺に聞くな」
種田はけんもほろろな対応で僕をあしらった。しかし、ここでハイそうですかと引き下がるわけにはいかない。
盆休みはお互いの予備校が休みになるので彼女とデートに行こう、と話の流れでなってしまったのだ。しかし僕には絶対的にデートの経験数が少ない。おおよその事情を知っている種田にくらいしかこんな恥ずかしい相談は出来ないのだ。
「頼むよ。デートとか中学生以来してないんだ。こんなこと相談できるのは種田しかいないんだって」
種田は冷淡な目つきでこちらをチラリと見て「中学の時はどこにデート行ったんだ?」と聞いた。
「その時は、映画、だけど」
「じゃあ映画行ったらいいじゃん。じゃ、俺用事あるから」
と余所余所しく席を立とうとした種田を「おい、適当すぎる」と肩を捕まえて、もう一度座り直させた。
種田は明らかに面倒臭そうなため息をついて
「中学の時のように上手いことやればいいじゃないか」と言った。
「う、うん。それもいいんだけど……」
実は中学生の時のデートは、それはもう悲惨な有様だったのだ。
何とか意中の女の子に友人の後押しや携帯を駆使してデートへ誘ったのはいいが、待ち合わせしてから映画館への道のりすら何を話していいのかもわからず、二人は静まり返っていた。どうみてもつまらなさそうしている隣を歩く女の子を見ては、余計に焦ってしまい、首元やら脇やら体のあらゆる弱点から汗が吹き出し、目は自動的に泳いで焦点もいまいち定まらなかった。そしてそれを見抜かれないことにも必死だった。このようにして、僕達は電車で隣同士になった人のように、ただ一緒に目的地へ向かった。
満腔の思いで助けを求めて映画館までたどり着いたのだが、映画はどう擁護してもつまらない出来で、上映途中で逃げ出そうかと本気で思った。
つまらない映画が終わった後、さらに僕達を取り巻く不穏な空気は加速して、結局女の子の方が「用事を思い出した」とそそくさ逃げ帰ってしまった。
その時は一時の安堵を感じてしまったが、家に帰って冷静になって考えてみると結果的に最悪なデートになってしまったことは言うまでもない。後で聞いたのだが、女子界隈では僕とのデートが悲惨なデートだったとして有名になっていたらしい。悲惨なのは僕の方だというのに。
あのデートは思い出すだけで、川に飛び込んで死んだほうがマシな気分になる。
もうあんなことになるのは絶対に嫌なのだ。
僕が辛く苦い思い出を想起し、腹の底を冷やして押し黙っていると「てかまだデート行ってなかったんだな」と何かを察してくれたのか、種田はさっきより優しい声で呟いた。
「お互い予備校あるから寄り道もあんまり長くできないし、それでもほぼ毎日下校しているから、まだいいかなって」
中学生の時のようなことになるのが不安で、勇気が出なかったということもあるが。
「お前なあ……」呆れた声で種田は言った。
「なんだ」
「いや、なんていうか、付き合い始めの頃ってもっとラブラブなもんだと思うけど」
僕は胸のあたりを針でツンと突かれたような感覚がした。
「え、僕はフラれるのだろうか」
「なんでそうなるんだよ。まあそれは大丈夫だと思うけど」
種田はそう言ってから「多分」と呟いた。
「多分って。なあ、どうしたらいいんだよお」
「気にしなくていいって」
「どうやったら長続きするんだ。別れたくない。頼む頼む。こんなこと相談できるの種田しかいないんだって!」
僕は顔の前で両手を合わせて懇願した。
すると種田は仕方ないなと言いたそうにため息を吐いて、話し始めた。
「お前らは恋人同士だが、結局は違う人間だ。意見や価値観のこれからスレ違いはでてくるだろう。だからお前の価値観を押し付けるも良くないし、相手に押し付けられた価値観になんでも従うことはない。当然のことだ。それを分かっていることを前提に話すぞ」
「そりゃそうだろう。で、何をすればいい」
僕は種田の教えを急かした。
「愛情表現を怠るな」
種田はこちらをまっすぐと見て言った。
「アイジョウヒョウゲン?」
「私はあなたのことをこれまでも、そしてこれからも愛していますよ、と伝えることだ」
「ほう。で、具体的に何をすれば?」
「どうせお前にごちゃごちゃ求めても仕方ないだろ。これさえやっとけば大丈夫、というものがある」
種田はしたり顔でニヤリと笑った。
「それはなんだ?」
「『好き』だと言え」
僕はなんだそんなことか、とちょっと拍子抜けしてしまった。もったいぶった割には普通のことではないか。
僕がそう思っているのを察したように種田は言葉を続けた。
「結局のところ、大事なことって普通のことなんだ。当たり前のことなんだ。だからこそ、そこを疎かにしてはいけないんだよ」
そう言った後、「なんか俺、すごく恥ずかしいこと言ってるかも」と種田は自嘲的な照れ笑いをした。
「うーむ……それってどういうタイミングで言えばいいんだ?」
「いつでもいいよそんなの。あと、ふと気付いた時とか」
気付いた時とはなんだと思った。
「なにに気付いた時だ?」
「あ、この子のこと好きだなって思った時とか、かわいいなって思った時とか。ない? そういう時に言ってあげればいいよ。あ、やっぱり真面目に言ったら恥ずかしいじゃねえか」
種田は勝手にスクスクと笑っている。
僕は何となく種田の言い方に引っかかった。言って『あげる』とはなんなのか。そんな気持ちで相手に好きだと言うものなのか。
「気付くときか……よくわからないが、それより好き好き言うのって、なんかチープじゃないか?」
「ん、どこが」
「そういうのって簡単に口にしちゃダメだと思うんだ。言えば言うほど軽くなっちゃいそうで、なんか嫌だ。決め台詞ってココぞという時にとっておくものじゃないか。それに」
僕は種田の目を見て、僕の話を聞いていることをしっかり確認してから言葉を続けた。
「伝えなきゃいけないものって言葉ではなくて、気持ちだと思うんだ」
僕がこう言うと、種田は少し間をあけてから、語気を強めて静かに話し始めた。
「それこそお前の価値観だろ。お前がどう考えているのかなんて関係ない。好きという言葉は、彼女のために言うんだ。言葉は言わないと伝わらないさ」
「うむ……」
「恥ずかしくて言えないのか? それは自分が大事だからだろ」
種田は強く言い切った。
「いや、恥ずかしいとかではないんだ。でも」
「まあ俺はどっちでもいいけど。正解なんてないことじゃん。お前の言うことの方が正しいかもな」
僕の言葉をそう言って遮り、鞄を肩に引っ掛けながら立ち上がった。
「はい、相談終わり。思ったより時間ギリギリになったじゃん。じゃ、俺予定あるから行くな」
もっと色々言いたかったが、種田の言う通りここで答えの出る問題ではないか。そもそも、こんな言い争いをするために相談したわけではない。
「分かった。色々ありがとう」
種田は、「あ、そういや」と思い出したように僕に尋ねた。
「そういや、お前ら一緒に帰ってるけど、朝は一緒に登校してこないよな」
「桐村さんが、朝は凄く弱いからって絶対に会わせてくれないんだ。起きられないとかじゃなくて、何か寝起きは態度が悪いらしい」
種田は興味が無さそうにふうん、と鼻を鳴らした。
「へえそうなんだ。じゃあまた明日な」
種田は軽いフットワークでさらさらとドアの向こうに消えていった。
種田はなんだかんだと言ってもちゃんと相談に応じてくれるし、今まで接点が少なかったことがもったいないくらい良い奴だ。そりゃあ人が集まるわけだ。しかし、その広すぎる交友関係は未だに謎が多い。いつもの柄の悪い人達とつるんで、どこかへ出かけているようだが、ナンパでもしているのだろうか。
そう考えると、やはり種田は女癖が悪いという噂の信憑性がずっと増す。さっき聞いた種田のアドバイスも色男のアドバイスであって、簡単に僕に当てはめる訳にはいかない。決して恥ずかしいとかではない。分野が違うのだ。そういう女を操る技のようなものは、色男に任せたらいいのだ。そうだ、危ないところだ。僕が種田の価値観に押し切られてしまうところだった。色男が持つカップルの価値観ではなく、僕達の、僕達だけの価値観で歩めばいいのだ。
僕と彼女はほとんど毎日一緒に帰っているし、メールも電話もよくしている。僕は彼女のことがもちろん好きだ。僕達は他の数多のカップル達とは違う。というより、好きだから一緒にいるに決まっているじゃないか。だいたい僕の方から告白したのだから、彼女も分かっていることだろう。「好き」だなんて台詞を軽々しく使うべきではない。
やはり決め台詞はココぞという時に使うことによって、それは本来の役割を果たすことができるのだ。くり返し言うが、決して恥ずかしいとかではない。
……あれ、そういえばデートに関する相談はどうなったのだ。