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7月9日
家からコンビニまでの数分の距離を歩いただけなのに首元は汗ばんでいた。
遠くで鳴るアブラセミの声が聞こえる。愛菜ちゃんと付き合ったのは丁度去年の今頃だった。まだ本格的に受験勉強も初めていない。でもいまはコンビニで働いていて、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」というのにも慣れ始めている。この一年いろいろあったなあと感慨深く思う。
店長に前から言われていたとおり、今日は棚卸しの日だった。うちの店舗では業者に頼まず、パートとアルバイトで全ての作業を行う。平日の客数が少ない時間を使って2、3ヶ月に一回は行っているらしい。いつもコンビニはよく利用していたのに、そんな作業をしていたなんて、今まで知らなかった。普段訪れる時間帯にやらないから当然といえば当然だが。
まず、商品棚の値段プレートの辺りに1商品につき1枚の付箋を貼っていく。その後、棚の商品の数を数えて、付箋に記入する。違う人がもう一度チェックし差異があれば付箋の数字を訂正し、確定した個数を店長が機械に取り込む、という段取りだそうだ。
今日は普段よりもシフトに入っている人が多い。川端さんと室さんも今日は一緒だった。この3人で一緒にシフトに入るのは初めての事だった。
僕は正直、室さんがまだ苦手だった。一緒にバイトをしてる限りでは、そんなに悪い人だとは感じないのだが、凶悪な見た目でどうも気後れしてしまう。深夜シフトでは、よく雑誌を読んでいたりバックでゲームをしていたりするサボりぐせも直してほしい。ただ、室さんはやるべき仕事はやるし、深夜はほとんど人が来ないからどうせ暇になるので大した支障はないのだが、いつも僕は自分が真面目すぎる気分になる。
室さんは商品棚ではなく、倉庫の在庫チェックを担当するそうなので、内心ホッとした。室さんはアラタニ店長の後ろについて、気だるそうに倉庫へ消えていった。
僕は川端さんともう一人のパートさんと付箋を貼り終えたので、商品を実際に数えていく作業にはいった。これが意外と難しい。奥までぎっしり棚に詰まっている商品の数など、数えにくい商品の数を数えるには、一回棚の商品を全て出す必要がある。ガサゴソと引っ張り出している時にグチャグチャになってしまったり、横の商品に肘があたって商品を落としてしまうことも多かった。
あたふたとなっている僕をみて、川端さんは笑っていた。
「久保田くん、サークル入った?」
棚卸し作業に慣れ始めてきた頃に川端さんが話しかけてきた。
「いえ、入ってないです」
「そーなんだ、どうして?」
川端さんは邪気のない笑顔で尋ねる。
「なんか、ノリとか合わないかなーって。元から入る気なくって」
「ふーん、新歓コンパとか行ったりした?」
「いえ、僕は行かなかったです」
なんかこの受け答えでは、友人の少ない寂しいやつだと思われそうだと思った。でも実際に大学の友人はあの2人くらいしか思い浮かばない。あとはすれ違うときに挨拶するくらいの薄い関係の人ばかりだ。
僕は数え終わったお菓子の個数を付箋に書いた。
「もう新歓コンパってやってないの?」
「どうなんでしょう。詳しくは知らないですけど、今の時期はやってないと思います」
この前種田が、サークルではもう夏の予定を決めたりで忙しくしていると言っていた。新歓コンパの時期はとっくに去っているだろう。
「そっかー」
うーん、と川端さんはうなっている。
こういう時は、聞き返すのがセオリーだ。僕は再び種田のアドバイスを実行する。
「どうかしたんですか?」
「ちょっと相談ごとに近いんだけど、妹がね……」
僕は相槌しながら話の続きを促す。
「最近、妹の夜遊びが多くて帰るのが遅いってお母さんから聞いたんだ。妹は今の時期は新歓コンパが多いからしょうがない、の一点張りらしくて……」
そういえば川端さんには兄と妹がいるって聞いたことがある。確かあまり仲が良くない兄妹だったはずだ。新歓コンパということは、川端さんの妹も大学生なのだろう。
「連絡せずに家に帰らない日も多いみたい。注意しても聞かないそうだし。中学高校くらいから家に彼氏を連れてくることが何度かあったけど、毎回違う男の子だったから、お母さんも色々心配してたなあ」
つまり、最近、実家の母親から妹の帰りが遅いことについて相談された、ということか。
「私も恋愛関係の話は妹と話さないからわからないし。こういうものかな、大学生って。私、大学出てないから」と川端さんは加えた。
サークルにでも入っていれば夜遊びも多少あるだろう。いわゆる"オール"で、朝まで遊ぶことだって大学生は少なくはないと思う。しかし、中学の時から、男をとっかえひっかえしていたような女の子が深夜帰りや朝帰りを頻発するなら、不純な想像もし難くはない。おそらく川端さんの妹なので、可愛くてモテるのだろう。でもチャラくて、化粧の濃い女の子なのかもな、と勝手に失礼な妄想をしてしまった。どうして姉妹でここまで違ってしまうのだろう。
いや、よく考えたら種田の女の子版みたいなものか。最近の種田は彼女に一途なようだけど。
しかし女の子で男遊びが激しいというのは少し想像しにくかった。なぜかはわからないが、そういうのは女よりも男がすることのイメージがある。僕の知り合いにそういう女の子がいないから、そう思うのだろうか。うちのようなFラン大学の女学生なら多いに考えられるが……。川端さんの妹さんは、どこの大学の学生なのだろう。
「川端さんの妹さんって」
とまで言った時、室さんがバックから戻ってきたので、僕は言葉が止まった。彼はのっそのっそと気だるそうに歩き、この世の全てを憎んでいるかのように睨みつけながら歩いてきた。僕はそう感じた。
「え、川端さんって妹さんいっしゃるんスかあ?」
室さんはズケズケと会話に割り込んできた。僕の声が聞こえたのだろう。デリカシーのない人だなあ。
「川端さんの妹さんとか絶対かわいいじゃないスかー」
「えーどうだろ、かわいい方かなあ? 自分の妹だからわかんない」川端さんは嫌な顔ひとつせず、いつものニコニコ顔で室さんに答えた。
「あー逆にね。逆に」
何が逆なんだか
僕はそれとなく作業に戻りながら会話に耳を傾けた。
「妹さん、どこの大学なんスか?」
「秋月大学だよ。室くんと一緒だね」
げ、また秋月大学か。愛菜ちゃんといい、やはり近くに秋月大学があるだけあって、近辺には秋月学生が多いみたいだ。遊び好きの女の子なのに、勉強もできるらしい。
「え! おれと一緒スか。知り合いかもしれねえッス」
春花秋灯は学部がたくさんあって、めちゃくちゃ人が多いからさすがにそれはないだろう、と思った。
「そうかもね」えへ、と笑ってから「秋月大のRabbitっていう演劇サークルしってる?」と川端さんは言った。
「あー……知ってます。よく交流あるんで。結構仲良くさせてもらってます」
室さんは悪人面でにかっと笑った。
「私の妹、文化祭で主演やるらしいから見にいってあげてね」
「え、主演スか。すごいですね」
「そう、大抜擢されたみたい」
「川端さんの妹さんってことは、きっとかわいいだろうしなー。さすがスね」と室さんはまた下卑たことを言っている。秋月大学の文化祭で主演か。おそらく凄いことなのだろう。
「あれ、でもRabbitに川端なんて女、いたかなあ」
可愛い子なら目つけてると思うんだけどな、と室さんが言った。
「桐村って子、知らない?」
「え」
僕はその予想外の名前を聞いて、思わず声にだしていた。
「桐村……?」
なんで、いまその名前がでてくるんだ……?
「久保田くんも私の妹知ってるの? 桐村愛菜っていうんだけど」
「な、なんで……」
どういうことだ。
桐村愛菜? 同姓同名の人の話か? でも秋月大学で僕と同い年のの桐村愛菜だぞ。別人とは考えにくい。あれ、川端さんの妹が桐村? 名前が違うじゃないか。夜遊びで遅くまで家に帰ってこないチャラい女の子が、桐村愛菜?
逡巡する僕を2人は不思議そうな顔でみている。
あそっかあ、と合点がいったように川端さんは言った。
「今の私の名前は川端。旧姓は、桐村。結婚して名前が変わったの」
川端さんの笑顔が僕に向けられていた。
「そんな……」
そのニコニコ笑顔をみて、彼女の笑顔が浮かんだ。
僕の頭は理解することを拒んでいた。
さっきまで途中まで数えていた数字も、五月蝿かったアブラセミの声も頭から消えた。




