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6月30日
お客さんが入ってくるたびに、湿気を含んだ熱風が未開拓の土地をみつけたかのように侵攻してくる。そして熱風は、レジ付近の不快指数を上昇させる。
夏が近づいてきているのを感じる。最近はアイスや清涼飲料水がよく売れるので補充にも気を配らなくてはいけない。
今日は川端さんとシフトが一緒だった。会ったのは前にお子さんを連れてきた時以来で、かなり久しぶりだ。
「川端さん、シフトかぶるの久しぶりですよねー」
こうやって世間話を気軽に話しかけれるようになったことも、バイトに慣れてきていることを実感する瞬間の一つだ。
「そうだねー最近はあんま入ってなかったからねー」
客が空いたタイミングで手際よく商品を補充しながら川端さんは答えた。
「前にお子さんを連れてきた以来ですよね。川端さんのお子さん、めっちゃかわいいですよね」
お世辞ではなく、素直に前の感想を言った。
川端さんは「そう?」と嬉しそうに手を止めた。
「将来は絶対イケメン間違いなしですね」
「ありがとう、私もそう思う」と川端さんはいたずらっぽく笑った。
「お子さん、どういう風に育って欲しいですか?」
何気なく、聞いてみた。普段はこんなこと気軽に聞けないのに、自然に質問が口から出た。
最近、前向きになっていることで、少し調子に乗っているのかもしれないな、と自分を分析してみた。
「どんな子どもかあ」
川端さんは空中に目をやって考えている素振りをした。
「留学とかさせたりしますか?」
「そうだねえ、留学もさせてあげたいなあ。英語圏には絶対に行かせたいと思っているよ。今どきちょっといい職業に就こうと思ったら英語って必須だよね」
やっぱりそういうものなのか。僕は英語が得意ではないし、留学もしたいとは思ったこともない。
僕はふと彼女がよぎった。愛菜ちゃんは英語が得意だったな。まあ英語の先生を目指していたいくらいだから当然か。
彼女はいまでも英語の先生を目指しているのだろうか。
「でも英語喋れるだけってのもだから、中国語も勉強させたいなあ」
川端さんは意外と教育ママなのかもしれない。あの子は苦労かもしれないなと、余計な気が回った。
「そりゃあ大変ですね。でも英語と中国語をマスターしたら海外を飛び回る職業とかにもなれそうでいいですね」
「だよねえ。世界をぴょんぴょん飛び回る商社マンとか? 翻訳家もかっこいいよね。あとは……」
指を折って息子の将来の姿を考えていたのに、
「ああ、だめだめ」
と楽しそうに話していた自分を律するように、言葉を止めた。
「どうしたんですか?」
「私ね、子どものやることは子どもに決めさせようって、決めているの」
「それは、どういう理由でですか?」
ちょっと興味のある話だ、と思った。
「なんていうか……私が親の立場になってから、わかったことって沢山あるんだよ。育てることの大変さとか、習い事とか色々させたくなったり、うるさく言いたくなる親の気持ちがね。今になってその意味とか必要性はわかるんだけど……」
僕は相槌を入れながら聞いていた。
「うーん、私が子供の時、やらされてばっかりで、やりたいことをやらせてもらえなったなあって。そういう印象が今でも強く残っているんだ。それ、結構引きづっているし」
「そうなんですか」
「だから、私は子供の意志を尊重してあげようって考えているの。好きなことを、好きなことだからさせてあげたい。当時思っていたよりも、子どもの期間ってあっという間だったし。ただ何となくやらされてばっかりで、大切な子どもの時間を過ごしてほしくないかな。なんでもやらされてばっかりで、やりたいこと、好きなこともわからないまま、生きている人も、少なくないと思う」
僕は川端さんの言葉にドキッとした。
「確かに……多いと思います」
「うん。さっき話した留学もさ、もちろん大事なことだし、人生の選択肢は増えるかもしれないけど、頭ごなしに強制はしたくない。子どもが自分でしたいことだっていうのなら、その時は、全力でサポートしてあげたいな」
自分でしたいこと、という響きに覚えがあった。
「いわゆる、夢みたいなものですよね」
夢、と川端さんは僕の言葉を繰り返し、少し笑ってから、
「そうだね。夢。でもそこまで大げさなものじゃなくてもいいの。ただ、もっとシンプルに、やりたいからやらせてあげたいって、そのくらいのことでいいの。夢を持てってよく言われることだけど、実際のところ難しいじゃない? その取っかかりはこういう小さなところから始まるんだって思ってるんだ」
川端さんはパンを手に掴んだままそう言った。
「そうなんですか。確かに、難しい話だと思います」
「夢なんて、私の歳でもそんな大それたもの、持ってないもん」
川端さんはニコニコと笑っている。
お互いに手を動かすことを再開して、作業しながら話を続けた。
「じゃあ、子どもが、川端さんの勧めない道を選択しようとしたとき、どうしますか」
「勧めない道? 犯罪者とか?」
川端さんは笑いながら冗談ぽく言った。
「いや、そんな極端なことではないですよ。例えば、そうですね、芸術家とか、テレビタレントとか、スポーツ選手とか」
ふっと頭に浮かんだ職業を連ねた。
「華々しい職業ですけど、目に見えてない部分ではかなり苦労とかする厳しい世界だと思います。そういう世界に子どもは最初にやりたいと飛びつくと思います」
その時には、川端さんはどうしますか、と僕は続けた。
んー、と川端さんはおにぎりの乗っているトレーをずらしながら唸った。
「それも、サポートはすると思う。でも、久保田くんの言う目に見えてない部分ってのもしっかり説明することこそが、親のやるべきことなんじゃないかな」
そして川端さんはこちらを向き返り、話を続けた。
「これは持論なんだけど、親はね、子どもを引っ張るんじゃなくて、方向を示すだけでいいと思っているの。それでいて、出来るだけ子どもの行きたい方向に行かせてあげる。あくまでも自分で歩かせてあげる。親は子どもと同じ目線でいるの。例えるなら、登る山を指す感じ。そして、あの山に登ることはどういうことなのかを、出来るだけ具体的に聞かせてあげるの。山頂まで、どれくらい距離があるのか。どれだけ険しい山道なのか。そして、山頂から見える景色はどれほど素晴らしいものなのか。楽しい部分も、苦しい部分もちゃんと教えてあげる。夢を持つって素敵なことだけど、世の中、キレイ事ばかりじゃないでしょ? 簡単に”夢を持て”、なんて無責任なことを私は言えない。夢を持つことは、現実と闘うことも一緒に意味しているから。表向きだけから見える世界だけじゃないことも教えてあげないとね。これが一番って山なんてない。登り方も人それぞれ。自分で山を作ったっていい。選択肢は無限にあって、どれを選ぶのも自由。そして選んだ後に、自分が、その道を正しい道にするの」
楽しそうに話す川端さんを見ながら、僕の手は止まっていた。
「あとはー、手本であることかな、強い部分も弱い部分も、ね。子どもにそんな偉そうなことを言うからには、私自身も頑張らないと! 私はまだまだだけど、子どもが尊敬するような、そんな立派な母親になりたいな」
「……凄いですね」
もう立派な母親だよ、と思った。僕は川端さんの話を聞きながら、ああ、とか、おお、とかそんな間抜けな相槌しかできなかった。
「ごめん、私みたいなのが偉そうに言うんじゃなかったね。なんか久保田くんって話しやすくって、ペラペラ恥ずかしい話しちゃった。久保田くん営業に向いているんじゃない?」
照れ隠しするみたいに川端さんは笑った。自分の熱っぽい口調に照れているみたいだった。
「いえいえ……貴重なお話を」
「あ、お客さん」
振り返ると、年の近そうなお兄さんがレジに商品を置いて会計を待っていた。僕は小走りでレジに向かった。
いいタイミングで来てくれた、と思った。僕は川端さんとの話を止めたくなってしまっていたからだ。このままでは僕は何も言えなくなっていただろう。川端さんの明るい話は、僕の中に暗い影を落とした。
……僕は馬鹿だ。
僕は山に登ろうとしていない。それどころか、自分の目指すべき山が何かもわかっていないんだ。この前に中野に打ち明けたことで付きものが落ちた気になって、浮かれていた。自分のことを少し前進したと勘違いしていたんだ。とんだ自惚れだ。
『夢がないんなら作っちゃえばいいんだよ』
愛菜ちゃんの言葉が頭の中を反響する。僕は本質的に、あの頃から何も変わっちゃいなかったのだ。そのことに、今更気が付いたのだ。
川端さんが言った、「やりたいこと、好きなこともわからないまま、生きている人」。
まさに、僕のことだと思った。




