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春夏秋冬の月  作者: myu-myu-
29/49

3-3

6月1日


バイトへの道のりで、あの日のことを考えていた。中野と話した日のことだ。


ちゃんと話してみて、ようやく現在地点を確認できたのだろうか。僕の隣には彼女がいない。あの夢の光景が、すごく昔のことのようで、でも間違いなく、その過去と現在は地続きになっているのだ。不思議だなあ、と感慨に浸っていたが、意外にも足取りは軽い。


やっぱり話してよかったな、と素直に思えている。よく考えてみれば、過去にそんなことがあったからといって、現在の行動とは関係がないのだ。頑なになっていたことが「一体どうして?」と思えるくらいだ。


そして、中野が言った話も頭から離れない。幸せになることとは「当事者になることだ」と中野は言った。


当事者かあ……実態はすごくぼんやりとしていて、具体的にどうすればその当事者になれるのか、は話してくれなかったことに気がついた。あ、そうか。それすらも自分で決めることが当事者なのだろうか、などと考えながら歩を進めた。



休憩室でバイトの制服に着替えながら、シフト表を眺めていた。今日の僕のシフトは夕方から夜まで。パートの方々と交代して店をまわすことになる。そして、今日シフトがかぶっている人は、室さんらしい。


室さんについては以前川端さんに聞いたことがある。僕と同じ、この店舗では2人だけの学生アルバイトだ。「見たらすぐにわかると思う」と意味深なことも聞いているが、どんな人だろう。


優しい人だったらいいなあ、と思っていると、ドアが勢いよく開いた。


シフト上がりのパートさんかと思って「お疲れ様です」を言おうとドアの外を覗きこむと、そこには不良が突っ立っていた。


黒いスニーカー、生に近い濃紺のジーンズ、真っ黒なゆるい無地のパーカー、と足元から視点を上げていく。首元には細い光。金色のネックレスがちらりとパーカーの隙間から見えている。顎と口の上に薄く蓄えたひげ。黒いキャップ、そして、キャップの周りからわさわさとあふれているのは、ドレッド。たくさんのスチールウールがうねりをあげている。初めてこんなに近くでドレッドを見たかもしれない。耳たぶに痛々しく刺さっているピアス。薄くて細い眉毛。その下にある眼はこちらを凝視している。獲物を狙う動物のように鋭い眼光。僕は硬直してしまったように目をそらすことができない。これがいわゆる「ガンを飛ばす」というやつだろうか。2人は膠着して止まった。


やばい、不良がこんなとこまで入ってきてしまった。もしかして強盗? 叫んだほうがいいだろうか。非常用ブザーはレジの側にある。まずはここから脱出しないと、と動き出そうとした刹那、不良の後ろでアラタニ店長が横切るのが目に入った。


「あら室くん、おはよう。その子最近入った子だから優しく教えてあげてねー」とだけ言って、足早で忙しそうに去っていった。


眼前の不良は「へえ新顔なんだ」と低い声を出しながら威嚇的に言った。僕にはそう感じた。


これが……噂の……「ひと目でわかる」室くんか。



「学生っすかあ?」


一瞬だれに聞いているのかわからなかったが、部屋には室さんと僕しかいないということから僕に話しかけていることを理解した。


「あ、はい、そうです」


「へえ、そうなんだ」


そう言いながら室さんは青と白の制服をパーカーの上に羽織った。襟から黒いパーカーのフードがはみ出ているし、ダボダボのジーパンにドレッドだぞ。今から働くのにそんな適当な格好でいいのだろうか。たしかこの人大学生のはずだが、信じられない。二十代後半にしか見えない。


ああ、こういうタイプの人は本当に苦手なんだ。


「ここ学生少ないっすもんねえ~逆に大変っすね~」とタバコを咥えながら言った。


聞いてくることは当たり障りない世間話だ。もしかして、新人の僕に気を使ってくれているのだろうか。「逆に」の意味はわからないが。


何とかこの空間から逃げ出したかったが、僕はまだ自己紹介をしていないことに気づいた。


「お、遅れましたが、久保田肇と言います。これからよろしくお願いします」軽く僕は頭を下げた。


「おう、わかんねーことあったらきいてくれや」


この人、意外といい人、なのかもしれない。


「室さんはどこの大学に行かれているんですか?」


「おれ? おれは秋月だよ」


そう言って美味しそうにタバコの煙を吐き出した。天井に向かって吹かれた煙があてもなく漂っていった。


予想外の大学名がでてきて少し動揺した。


「あ、頭、いいんですね」


「オレ内部進学だから別によくねーよ。中学入試以来ロクに勉強してねーしな」


「ああ、いわゆるエスカレーターってやつですね」


「そーそー。それそれ」


僕と室さんの間がタバコの煙で少し曇ってきた。


「あんたの大学は?」


そりゃ聞いたら聞かれるよな。


「僕は、その、丸敷大学です」あまり言いたくはなかった。


「へえ」思ったより室さんの反応は薄かった。


「すいませんFラン大学で」


「そうなの?」


「え、知らないんですか?」


「おれ受験してないからあんまりそーゆーのわかんないんだよね。大学名とかもほとんどわかんないや」


「そうなんですか」


と言いながら、僕は複雑な気持ちになった。僕はあんなに必死で勉強して秋月大学に入学しようとしていたのに、ほとんど何もしなくてもそれが手に入るような人だっている。


もちろん中学受験の時には室さんも頑張ったのだろうが、高校生の時に頑張って入学した秀才大学生と、室さんのような不良を同じ肩書で並べるのは少し理不尽で不平等に思えてしまう。


「大学つっても春花秋灯くらいしか知らねーなー。逆に内部進学のおバカ加減をなめちゃいけねえよ~?」


逆に? 何と何が逆なのだろう。



その後一緒にバイトをした。丁寧とはいえなかったが、聞いたことは教えてくれた。「逆に」が室さんの口癖であることがわかった。室さんにとっては接続詞のようなもので、意味はあまり考えていないようだった。


見た目よりは、悪い人だとは感じなかった。あと、決して室さんに直接文句は言えないが、お客さんがレジに並んでいようとも、仕事の途中であろうとも、何分かおきに、タバコを片手に休憩室に消えていくのはやめてほしかった。


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