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春夏秋冬の月  作者: myu-myu-
26/49

2-14

移動中はあまり会話をしなかった。さっきの空気をまだ引きずっているということもあるが、もともと中野から何か話しだすことも少ないからだ。だから中野の方から「寄って帰らないか」と言ってきたことに驚いていた。もう一つ驚いたことは、中野と僕の最寄り駅が同じだったことだ。どうして今まで言わなかったのかと聞くと、「通学は一人の方が好きだから」らしい。


電車内でポツポツとそんな何気ない会話を交わしてみたりして、当たり障りなく時間が過ぎた。景色が流れていくのを眺めていた時間の方が長かったように思う。


改札をでて、何気なく振り返った時、手を振る女の子がすうっと頭の端っこを通り抜けた。


「こっちだ」


とだけ中野は呟いた。駅から西に、すたすたと先へ進む中野の背中を追いながら歩いた。中野の家はどのへんにあるのだろう。駅の西側へはあまり来ないものだから、地元なのに知らない土地にいるような不思議な景色のように感じた。


お世辞にもきれいとは言えない駅の駐輪場を超えた辺りで、建物の隙間から夕日が差し込み一瞬目を細めた。線路越しに見える夕日に焼けた雲が、西の空をきれいな模様で彩っていて、有名な絵画のように綺麗だ。そうだ、と思って反対側を見てみたが、まだ月は出ていなかった。


そこから何分も歩かないうちに、中野が「ここだ」と言った。そして僕は「へえ」と声に出した。


喫茶、と書かれたレトロなプレートが扉にかけてある。中野が冷たそうな金色のノブを引くと、カラカラと扉に付いていた鈴が上品に鳴って、「いらっしゃいませ」と話しかけるような声が聞こえた。


古めかしい店内は薄暗くて暖かい光に包まれていて。コーヒー豆のいい臭いが鼻腔を撫でた。中野は何も言わずにずんずん奥に進んでいき、カウンターの奥の小さな椅子の席に座った。鞄をガサツに床に置いたのを見て、僕も同じようにした。慣れている様子から、いつもこの席に座っているのだろうか、と思った。


「こんな店があったのか」


地元なのに知らなかったなんて。いや逆か、地元だからこそ家の近くの喫茶店に寄ることもないか、と自分で勝手に納得した。


「ここは静かで落ち着く。周りの客が気にならないのもいい」


エプロンをつけた店員がきて、「ご注文は」と慇懃に言った。「アイスコーヒー」と中野がすぐに言ってしまったので考える暇もなく「僕も同じので」と言った。店員は特に表情を変えることもなく軽く頭を下げてから席を離れた。コンビニとは対極的な接客だなと思った。


決して広いとは言えない店内にはスーツを着て新聞を広げている客と、なんとなくお金持ちの雰囲気が漂うおばさま達が上品に談笑している。僕達以外の客はその2組だけだ。カウンターの方はどうなっているのか気になって少し体を傾けて覗いてみた。でもカウンターの方ほど暗くなっている上に、ちょうど見えない角度になっているので僕は諦めてまともに座った。カタカタという豆を挽く音がその方向から聞こえる。


「メニュー見なくてよかったのか。ここは言わないと持ってきてくれないんだ」


と中野が言った。


「いいよ。入って早々バタバタするのも嫌だったし。中野はいつもアイスコーヒーなのか?」


「うん。まあ俺はこの場所が好きで、この場所を目的にくるから飲み物はなんでもいいんだ。とりあえず生中、みたいなもんだ。そういうわけで他のメニューは何があるのかほとんど知らない」


「ふーん」


とアバウトな返答をした。相変わらず変わったやつだ。


最初はよくわからない無口なやつだと思っていたけど、最近は結構しゃべるようになった。人見知りなのだろう。中野の話はユーモアがあって、面白かった。含蓄のある言い分と予想外の視点からの意見、そこから繰り出される中野持論はただ聞いているだけで惹きこまれた。


しかし中野はどうして僕をこの店に連れてきたんだろう。ただこの店を見せたかった、自慢したかった、なんてことは中野に限ってないだろう。

そのうち店員がやってきて、コッコッと丁寧にコーヒーの入った細長いコップが置かれた。それと小さいカップを2つ置いて店員は去っていった。小さいカップにはミルクとシロップがそれぞれ入っていた。


「高校生の時から、たまにここに寄ってから帰ってたんだ」


「へえ、そうなんだ。何してたの。勉強とか?」


「さすがにここで勉強なんてしないよ。勉強は家で勝手にやるもんだ」


中野はコーヒーにミルクを少量入れた。僕はそれを見ながら言った。


「こういうところに一人で来ても、何をしたらいいのかわからないや」


「別に大したことはしてないさ。本を読んだり、ただぼーと考え事したり、そういう時間も大事なのさ。自分と向き合う時間っていうか。ただでさえ勉強だらけの日々だったんだ。静かな息抜きもしないとね」


そうか。さすが関西有数の進学校〇〇高。勉強は大変だっただろう。でもやっぱり疑問がある。確か初めて会った時にも聞いたことだ。


「確か初めて会った時になんでこの大学に来たんだ? って聞いたよな、お前」


こちらの考えていたことを先に言われた。


「知りたい?」


中野がミルクを僕の方へ寄せた。


「なに? そんなに大層な話なのか」


僕はミルクをコーヒーに注いだ。氷が邪魔してミルクがコップの上部に層のように溜まった。もしかしてこの話をするためにこの喫茶店に誘ったのか? と思った。


「親にも言ってない話なんだけど、まあいいか」


そう言って中野はコーヒーに口を付けた。そして「なんでこんな大学に、か。そりゃそう思うよな」と愚痴るようにつぶやいた。

「何か言えない事情があるんなら、無理して言わなくてもいいぞ」


「いや、いいんだ。自己開示の礼儀だ」


自己開示の礼儀? どういう意味だ、と聞く前に


「寒い話だと思ってくれても、構わないから」と中野は話し始めた。


この話は気の抜けるような質問から始まった。


「久保田さ、なぜ生きるのかって考えたことがある?」


「え」


突然の質問にちょっと当惑した。そして僕はなんとなく、今から聞く話の方向がわかったように思えた。


「生きる意味みたいなこと? 中学、高校の時とかには、よく考えていたよ」


高校の時も、たまに思っていたかな。


無邪気に笑う女の子の横顔が、網膜にちらついた。


「そうだな、思春期ってそういうものだ。みんな、口に出さずともこういうことを考える。で、その問に結論はでたか?」



――夢がないんなら、作っちゃえばいいんだよ。



んー、と少しわざとらしく間をあけて、


「やりたいことをするため、とか、夢を叶えるため、とか。最近はあまり考えなかったな。わからないや」


少し笑いを誘ってみたが中野は表情ひとつ変えなかった。


「やりたいことやって、夢を叶えて、それで?」


「それで?」


中野は理性的で感情を抑えたような声音で言った。なんとなく品定めされているような気分だ。


「どうだろ。んー、幸せになること……とか?」


なんかもっとかっこいいことを言いたかったが諦めた。


「そうだな。俺もそう思う」


あれ、と思った。なんか拍子抜けというか、中野は一体何の話をしようとしているのかわからなくなった。


中野はひじを机に立てて頬杖をした。


「じゃあ幸せになること、幸せってのは、なんだと思う?」


なんだろう……と少し考えて、どこかで聞いた内容を思い出して口にした。


「気付くこと、かな。今あるものに幸せを見つけるみたいな」


僕がこう言うと中野がふふっと鼻を鳴らした。少し顔に笑みが見える。


「ふーん、じゃあみんな幸せ者か。全員、いま日本中、世界中の人達が全員幸せの中にいるとでも言えるのか」


そして「お前も幸せってことか」と続けた。


「……どうだろう」


「俺には詭弁にしか聞こえないね」と中野は吐き捨てた。


あまり考えもなく言ったのが見ぬかれているような気がする。余計なことをいうとポロポロと考えの無さを晒すことになりそうだ。

「別に宗教の話をしようってわけではない」


中野は微笑しながら言った。


「俺もそういうことをよく考えていたよ。小学生くらいの頃から」


早っ、と驚く僕を無視して中野は言葉を続けた。


「俺は最初幸せになることとは『一番になること』だと思った。それが生きる目的に繋がることだと思った。誰が見てもひと目でわかるし周りも喜んで、神童だなんて言われたりさ、優越だって感じられる。テスト、徒競走、一番になった時は自分がくっきり浮き出ているように感じられるんだ。中学生の頃はサッカーに打ち込んで、全国と日本一を目指す。もちろん勉強でも努力して、高校は県で一番の進学校に行った。当然のように京大東大を目標にしていたよ」


僕は随所に相槌を入れながら静かに聞いていた。


「もちろん思い立ってすぐになんでも上手くいったわけでない。サッカーも全国大会に行けなかったし、〇〇高はすごい進学校ではあるが別に一番の高校ってわけではないよな。でも僕はこのまま努力を続ければ絶対に一番になれる自信があったし、死に物狂いになれた。この道が正しいところに繋がるっていう自信が自分をそうさせたんだ。とにかく一番にこだわった。一番じゃなきゃダメなんだって言う強迫観念にとらわれていたね。あの頃は」


中野は続けた。


「あの〇〇高で一番の成績をとることは並大抵の努力では無理だった。俺と同じように一番に拘るやつだって少なくなかったし、ずっと全力疾走している気分で、精魂尽き果てるかと思ったよ。でも楽しかった。これが生きてるってことなんだと思うくらい。競争して勝利に貪欲になることが、生きることなんだって。そして、やがて○○高校でも、全国模試でも、俺は一番になったんだ」


「すげえ」


素直に感想が声にでていた。


「凄くなんかないさ。それに見合うのが当然なほどの努力をしていた。まあそうはいっても、やはり素直に嬉しかった。ついにやったんだって。掲示板を見た時はらしくないほど喜んだね。でも、その一瞬だけだった。一番になることを目的にやって、一番になった。……それで? って考えてしまったんだ。こういう風に努力を続けて、たまに一番になって喜んで、それで? って。一番の大学に行って、そこでも同じようにして、自分の身の丈に会っている会社に入って、また一番を目指して、ってしていく未来が透き通って見えた。そしていつか歳をとって、一番を目指せなくなりながらも、老いた体を引っ張りまわして……って自分はこうなるのだろうと。キリがないなって思った。いつまでも、もっと大きなはずの自分を探して生きて、その先に何があるのかと考えて怖くなった。宇宙の果てを考える気分に近いけど、ちょっと違う。宇宙は所詮宇宙の話だ。これは自分自身の話だった」


種田はコーヒーを吸ってからまた続けた。


「一番を目指し続けるってのは大変過ぎる。世界に何億人いると思っているんだ。賭けみたいじゃないか。大半の人間はある分野で一番になれない。こんなことってないよ。大半の連中がその一番のやつの御膳建てさ。一番になれない連中は途中で目指すことを止めて、家庭とか子どもとか趣味とか、別のものに幸せの場所、価値を交換して、なんとなく“俺は幸せなんだ”とか思うんだ。もともとの目的なんて忘れちまっている。幸せを感じていると感じているだけだ。自分の人生の背骨として生きてきたことなのに、無くなってしまっている。そして疑問を持つこともなく、こんなもんだって思う。一番になった稀有で選ばれた人間さえも一番のまま死ぬ人間は中々いない。そのうち次の世代に譲るんだ。まあそういうのってよくある人生だよな。普通の人生さ。でも悪いがおれはそんな生き方はしたくない。なんとなくじゃだめなんだ。俺は明確に幸せになりたいんだ」


言葉は淡々と続いた。


「じゃあどこが俺の理想なんだろうって思ったんだ。一番ってなんだろう。そもそも何を持って一番だと言い切れるのか。成績の数字の比べっこでもしないとわからない。数字がなければ一番かどうかもわからない。馬鹿らしいよな。俺の人生は、て思った。人生において、とても大事なところが欠落しているように感じたんだ。人間が手に入れる理想には限界があるんだって気付いたんだ」

中野はコーヒーを一口すすった。


「光陰矢のごとし。刹那に過ぎる時の中で、俺たちは『いつ死ねるのか』を考えなければならない。もちろん幸せになってから死ななければいけないんだ。大半の人間は死ぬことを前提には生きていないんだ。もしも今死んだら、なんて考えない」


突然中野はパン! と手を叩いた。


「この瞬間に世界中の人間が死ぬとしたら、何人が満足して死ねるだろう。多分ほとんどの人間が後悔の中で死に行くだろう。『俺は何も成していない。これからだったのに』と。もちろん俺だって近いことを思うだろう。でも、いつ死ねるのか、何が幸せなのか、いつ幸せになれるのか、について考えることで話は別のものになると思わないか。俺は再び『幸せとは何なのだろう』と考えて、やがて一つの答えを出した」


ここまで一気に言って、中野はコーヒーを多めに飲んだ。僕は中野の話に惹きこまれている。無意識につばを飲んだ。


「俺が思う幸せってのは、『当事者になること』だと思うんだ」


「当事者?」


「そう。自分が物事に直接関係しているという実感だ。逆に言えば脇役ではない感覚。何億人とこの地球に人間がいる。20歳にもなれば地球が自分を中心に回っていないことを実体験つきで理解しているだろ。おれは特別じゃない、ということをだ。それを理解した上で当事者意識を感じることに人生の面白みがあるんじゃないかと思うんだ。そしてその時、俺たちは一つの個として解き放たれるんだ」


そしてまた言葉を紡いた。


「一般的に考えた幸せというと、金か? 社会的地位か? 時間か? 女か? 家族か? 一番になることか? 確かにそういうものは分かりやすくていい。世間的な幸せだ。でも、俺は納得ができない。それらの大半が相対的な価値だからだ。他人と比較することで幸せを測っているうちは、絶対に当事者にはなれない。自分の幸せは自分で考えて決めるしかないんだ。他人の言う幸せが、必ず自分にあてはまるもんでもないだろうからな。自分にとっての当たり前が他人の不幸だったり幸せだったりするし、人の欲ってのは計り知れない。結局自分がどうであるかだろう。そうやってずっと考えて、さっきの答えにたどり着いた」


ふうーと中野は背もたれにもたれた。


「その時、霧の晴れた気分になった。俺は自分のやりたいことをやりたいだけやるだけだって。当事者であればいいんだって吹っ切れた。それからは楽しくって仕方ないね。たまに変人扱いされることは少し癪だが、そんなことをする奴等に俺の考えは理解できない」


「どうしてそんなに、生きる意味とか、幸せにこだわるんだ」


僕は中野に尋ねた。


「どうしてって俺の人生だからに決まっているからじゃないか。どこかの誰かのような普通の人生なんて、そんなの、生きている意味が無いんだよ」


と当然のように言った。


なるほどね、と僕は理解した風に


「それで勉強も止めて、やりたいことに夢中になって、丸敷大学にきたってわけか」と言った。


「いいや違うよ?」


中野はきょとんとした顔になった。あれ? ちがうのか。


「俺は勉強好きだったし、その努力は続けたよ。同じルールのもとで頭脳を競うのは楽しい。ずっと一番とはいかなかったが、常に好成績をキープし続けた。勉強もそれなりに続けたが、加えて色んなことに興味を持つようにした。世の中に何があるのかを知らないと、進む方向も決められないからな。それで読書も始めた。もしかすると久保田には俺の話が逃避の言い訳に聞こえたのかもしれないが、そんなんじゃない。これはむしろ一人で自分に挑む戦いさ。世間が決める幸せではなく、自分が決めた幸せに向かって努力するんだ。やることが何か大きく変わらないかもしれない。でも自分のあり方がはっきり変わるんだ」


中野の目が活き活きとしている。


「ずっと数字ばかり追っていたからかもしれないけど、次第に俺は人に興味を持った。それまではあまり気づかなかったけれど、○○高校は意外にも俺みたいに勉強ばかりやってるほうが少数派だった。周りには面白い奴が沢山いた。そいつらはちゃんと勉強もやりながら自分の好きな事もやっていてさ。俺、全然わかってなかった。次第に人々と接するようになって、自分の底が深くなっている実感を感じた。高校時代の後半は結構遊んでたかな」


中野がクラスの皆と遊びまわったりとかしていたんだ。あまりイメージができないな。


「うちの大学、丸敷大学はよく話題になってたよ。秋月大学と場所が近いこともあって、『負け組大学だ』って。丸敷大学ってマル大って呼ばれているの、知ってる? スッポンをよくマルって言ったりするらしいんだけど、ツキ大とマル大で『月とスッポン』って言われてバカにされてたよ。俺その話聞いた時、ゲラゲラ笑い止まらなくてさ。くだらねーがよく出来た話だろ? そして、そんな底辺大学にはどんな奴がいるんだろうって思ってしまったんだ。競争しようともしないやつらを見たくなっちゃったんだ。そう思ったら俺はもう止まれなかった。好奇心の爆発だ」


当時を思い出したのか、中野は顔をニヤけさせて話している。僕はその破綻した高校時代の中野の話をぽかんと聞いていた。


「自分で言うのも何だが、ずっと秀才に囲まれて生きてきたからさ、バカってどんな奴なんだろうって思ったら色んな興味が出てきた。ネットやSNSのしょぼい書き込みを眺めてても現実味が無くてさ、覗いてみたくなったんだ。そこに行ってやろうと思った」


「京大に行くのは辞めたのか」


「ああ辞めたよ。一応受けてやったけど」


したり顔で中野は言った。


「その結果はどうだったんだ。」


「テストは散々。当然だ。……純白の答案用紙だったからな。ははは」と中野は大きな声で笑った。周りの客がこっちをみるのを感じた。


「周りの反発はとんでもなかったけど、もう決めてたから。俺は一切揺るがなかった。自分が自分でやりたいことを決めたんだ。誰に言われようと関係ない。たとえ親でも」


もうついていけないよこんな話、と思いながら、


「実際入ってみてどうだったんだ? 丸敷大学は」と僕は諦め気味に聞いた。


「いやあ、驚いた。いくらなんでもこんなに話が通じない人達だとは思わなかった。サークルの新歓コンパとやらに行ってみたが、同じ生物だとは思えなかったよ。お馬鹿加減は予想よりはるかに上だった。まともに話も通じない。さすがに参ったね。実際さ、入学して最初の頃、少しだけ後悔もしていたんだ。会う人会う人、少し話すだけでがっかりするだけの日々だった」


そして中野は


「でも興味を持てる人間もいた。やっぱり丸敷大学に来て悪くなかったかもなと今は思っている」と続けてにやりと笑った。


誰のことだろう、と思ったが、そんなことよりも僕は言いたいことがあった。


「いや、絶対おかしいよ。世間からみたら僕も中野も受験に失敗したFラン男子大学生二人だよ。世間を気にせずに生きるなんて言っても、僕達が生きるのは世間の中じゃないか。例えば就職する時だってそういう目で見られる。きっと下っ端で使い捨てられるような仕事しか就けないだろう」


僕は力強く言うと、中野はゆっくりと言い聞かせるように言った。


「そう。そのとおりだ。見えるのはいつも結果だけなんだよな。でも、俺は間違ってない自信があるんだ。世間の常識に従うことは簡単だ。そのほうが一般的にいう成功者になることも多いだろう。当たり前のことだ。世間の求める努力をし、世間の作った成功者になることを目指すのだから。普通の人生ならば、なぜ努力をするのか、成功者とはなんなのか、考える必要なんてない。自分がどんな人間なのかとは、他者のレスポンスによって決まるからだ。特に結果を見られる」


「そりゃそうだろう」


「結果は人を判断するにどのくらい足るのか? という疑問がある。俺はその答えを出せていないが、世間から見たら、俺もお前も受験失敗Fラン男子大学生二人。それは間違っていない。風当たりは強くなるし、バカにされたりもするだろう。承知の上だ。自分の幸せは自分で決めるなんてカッコイイこと言ったって、良いことばかりじゃないさ。むしろ嫌な事のほうが多い。やっぱり俺の行動は常軌を逸している。なかなか理解はされないさ。だから、」


ここで、中野は言葉を止めた。


「だから、なに?」


「最終的には、やっぱり、世間的な結果に結び付けないといけないんだろうなって思ってる。そして、世間を説得して、屈服させる。これが俺の生きる理由なんだと思う」


そして中野はまたコーヒーをちゅうちゅう吸って黙った。


僕はなんて大それた話をするのだろう、と笑いそうになったが、僕自身はどうなんだろうと考えてそんな気はすぐ無くなった。


「なんていうか、中野は大人だな」とコーヒーを見ながら言った。


「ん」と中野は言った。


「自分で色々考えてさ。僕、そんな人生とか、生きる意味とか理由とか、ちゃんと深く考えたことなかったよ」


「違う違う。俺が大人なワケがないじゃないか。いちいち納得出来ないことに噛み付いてさ、むしろ俺は子どもだよ。大人はこういうもんだ、って納得出来ないことには目を瞑るものさ」


中野が食い気味に訂正するのを聞いて、僕は「そうか」としか言えなかった。何か、とてつもなく遠くの人に見えた。ほぼ同じ時間を今まで生きてきて、僕が立ち止まっている間、ずっと色んな事について考えて、行動していたんだ。そりゃ必然だよな。


「そういえば種田にこの話をしたら笑われたよ」


「なんで?」


僕は瞬きした。


「中野はロマンチストだなって言われてしまった。あいつは本当にすごいやつだ。やっぱりかなわないね」


そして中野は自嘲的に笑った。


ロマンチスト? 種田にかなわない? どういう意味なんだ。


「はい、俺の話は終わり。さあ、話してくれよ。次はお前の番だ」


「え? 何を?」


僕はまたぽかんとアホ面で中野を見た。


「おいおい。一体何のためにここにきたと思ってるんだよ。同じ質問だよ」


同じ質問? 僕は全然何を聞かれているのか理解できず、首を捻ることしかできなかった。


「なんでこの大学に来たのか? だよ」


はっとなった。そうか。それで、ここに連れてきたのか。自己開示の礼儀、とは自分の話をするからお前の話を聞かせろ、という意味で言っていたのか。でも……。


「でも、僕の話なんて、話しても仕方ないっていうか……わざわざ話すことでもないっていうか」


「俺は話したぞ」


話せ、と中野は譲る気配がない。


「人生の中で、ちょっと躓いたり、嫌になって塞ぎこんだりなんて、誰にでもあることだし。もう終わったことなのに、わざわざ僕に焦点を当てなくたっていいっていうか……」


「いいから」


きっと僕は目が泳いでいるだろうな、と思った。


「……いままでの全部をなかったことにしたかったんだ。そのために丸敷大学に来たんだよ」


「答えになっていない。蓋をするな。目をそらすな」芯があって、優しい声色で中野が言う。


全てをなかったことにして、大学にきたはずだったんだ。


声に出したら、認めてしまうっていうか、また巻き戻し、向き合わなければならない。彼女が隣にいないこと。あの辛い気持ちと。くそ、種田が余計なことを言わなければこんなことにならなかったのに。


そう考えていて、中野が言っていたことを思い出した。一人で自分に挑む戦いさ、という中野の言葉がずっしりとみぞおちにのしかかった。


僕は気付いていた。こんなことをいつまでもしていてはダメなんだって。彼女と顔を合わせるのも怖くて、学校に行かない日があったり、登校時間をずらしたり、廊下で彼女を見かけては猫を見つけたネズミのように退散したり……みんなに笑われている気がして誰も行かないような大学に進学したり。そして、丸敷大学に入ってからも、僕は逃げてばかりじゃないか。種田がしつこく突っかかってきたのだって、別に嫌がらせでやっていたことじゃない。


わかっている。


僕が、前に踏み出さなきゃいけないのか。



『当事者になること』だ。



「……上手く、話せないかもしれないし、長くなってしまうかもしれないけど、いいかな」


「ああ、いいよ。大した予定はない。帰ってレポートを仕上げるだけだ」


「中野みたいに、上手く話せる自信もないけど」


小さい声でそう言ってみて、本当に僕は情けない男だな、と思った。すると中野は


「わかったから、何があったのか分かるよう順を追って事細かに話せ」


と無愛想に言うので、僕は少し考え込みながらあの夜のことを思い出した。最初に電飾と街灯の光が僕を粛々と照らしつけていたことを思い出した。それから、それから、と引っ張りあげるようにある程度思い出してから、頭の中で出来事を整理した。


そして、


「彼女が僕の前にいて、募った気持ちは罪悪感とすり変わっていた」


と僕は話し始めた。



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