2-12
5月10日
ゴールデンウィークが明けた。研修は一応終わり、ひと通りの作業は聞いたが、到底覚えたとは思えない。アラタニ店長いわく「あとはやりながら覚えよう」とのことだが、やはり不安は多い。
基本的な作業は反復するのでわかるが、ややこしいネット支払いの処理であったり、郵便物がどうのこうのなど、あまり起こらない要望が起こってしまうとフリーズしてしまう。そんな時は店長や同時間にシフトに入っている人に助けを乞うのだが、少し見苦しいな、とあたふたしながら思うのである。まあ誰でも一度は通る道だと言い聞かせて、なんとかこなしている。
明らかに不機嫌そうな客に限って厄介な注文をしてくるのはアルバイトあるあるネタだろう。今日もマイナーなタバコの銘柄を言われてオロオロしていると、「こっちは急いでるんだよ」といらいらした声で急かされた。すると川端さんが素早くその銘柄を持ってきて「こちらになります。申し訳ありません」とピンチも難なく解決してしまう。もう何度も何度も助けを求める前に助けてくれて、あっさり解決してしまうことが多かった。そしてその後に「タバコの銘柄は難しいよね~」とフォローしてくれる。
本当に自分と同じようにオロオロしていた時期があったのだろうか、と何回も考えてしまう。
「僕未成年なのにマイナーなタバコの銘柄言われても困りますよ」と軽く愚痴った。
「そうだよね。急いでるんならタバコくらい我慢してよ!」
川端さんは子どもみたいに言ってから笑顔になった。
「ああ、おなか減った。休憩まだかな~」
はあ……と溜息をついている。こうしていると本当に同年代と変わらないように思える。
「朝食べてこなかったんですか?」
「今日お寝坊してしまって朝ごはん食べれなかったんだよ」
そう言って川端さんはまた「はあ」と溜息をついた
「朝ごはん食べられなかったら仕事もキツイですよね」
「うんー起きたら7時だったから、急いで旦那のお弁当作って、チビ達におにぎり食べさせて出てきた」
「おお~」と素直に感心する。
こんな時に川端さんの母親の部分を感じてしまう。
寝坊して自分のご飯が食べられなくても、夫と子どもの分は当然のように作っていて、それを当然のように言う。料理も送り迎えも家事もこなしているのだろう。「あたりまえじゃん」と簡単にこなしてしまうのだ。まず7時といえば僕はまだぐっすり熟睡している時間だ。凄いなあ、と思った。
「久保田くんって兄弟いるの?」
「姉がいます」
「あーやっぱり」
「えわかりますか」
「うん、そんな感じするよー」
川端さんは嬉しそうにニコニコ笑った。
「ははは。よく言われます。姉が川端さんくらいの年齢なんです」
「へえー何歳?」
「25です。結構離れてるんですよ」
その時突然後ろの方から
「お姉さんは結婚してる?」
とアラタニ店長がレジの点検を終えて事務所から出てきた。
「いえ、してないです。仕事頑張ってるようですけど、それでも姉はまだまだ子どもみたいなもんで、昔から全然変わってないですよ。川端さんの方がずっと大人に見えます」
僕が言うと、川端さんは「いや~そんなことないよ~私もまだまだ子どもだし」と嬉しそうに顔の前で手を振った。
「子どもが生まれると変わるのよ。嫌でも、お母さんにならなきゃいけないからね。親にかぎらず、誰にでもそういう機会ってあるのよ」
アラタニさんは言葉を続けた。
「ちょっと用で店空けるわ。何かあったら連絡して」
川端さんと声を揃えて「はい」と返事してアラタニ店長を見送った。
どう考えてもうちの姉が川端さんのようにしっかりするとは思えない。将来的にも姉が母親となって子どもを育てる、と考えると何だか可笑しくなる。
「川端さんは兄弟いらっしゃらないんですか?」
「兄と妹がいるけど、」
なんだか意味を含ませた言い方なのが少し気になった。
「久保田くんはお姉さんと仲良い?」と川端さんが続けた。
久保田くんってお姉さんと仲良い?
僕は昔の会話を思い出して、一瞬はっとなった。
「良いってほどではないですけど、まあ普通の姉弟って感じだと思います」
「そうなんだ」とだけ川端さんは言った。
あっと思った。これは聞き返したほうがいいパターンだ。たまに女性は意図のわからない質問をする。ただの世間話であることも多いが、反応が決まった質問で、かつ聞いた後にあまりツッコんでこない時は大概自分に聞き返して欲しいのだ。こういう女性のつかめない質問はとりあえず聞き返せ。
まあ種田から教わったことなのだが。
「川端さんは兄妹と仲良いんですか」
「うちはあんまり仲良くないから話さないんだ」
「えっそうなんですか」
やっぱり。何か話が聞けそうだ。種田の教えのおかげだ。
「大人になったら余計に会わなくなりそうですしね」
「そう、今は会うのなんて正月くらいになっちゃった」
やっぱそうなるんだな。これからのことを考えて、それはさみしいなと少し思った。
「お兄ちゃんが先に上京して、それから私も結婚してすぐに家でちゃったからね」
「そうなんですか」
「なんかうちの家族って他人行儀っていうか、あんまりお互い突っ込んだ話はしない家庭だったんだよね。ただの同居人みたいな冷めた関係。友達の家に遊びに行った時に初めて知ったことなんだけどね。こんなに家族って仲がいいんだって。でもそれでいいと思ってた。干渉しないことが気楽だったし。家族は生活を共にするけど、人生を共にするわけではないものなんだって思ってたから」
川端さんは、でも今はちょっぴり寂しいかなと付け足した。
と僕はなんだかバツが悪い感じで「そうなんですか」としか返答できなかった。それに気付いてなのかはわからないが、川端さんは明るくまたニッコリスマイルでえへッと笑った。
すると察したようにちょうどお客さんが入ってきて、僕たちは一緒に「いらっしゃいませー」と声を出した。
退勤時間になって休憩室に行くと、「お疲れさま」という声を聞くのとほぼ同時に、あっと思った。川端さんは椅子に座ってタバコを吸っていた。
僕はびっくりして少し言葉に困ったが、色んなことを飲み込んで
「お疲れ様です」
とだけ言った。
喫煙者って悪いとか不良とかそういうイメージが強くて、タバコなんて悪ぶりたい背伸びした子どもが吸うものだと思っていた。
それを川端さんが、母であるしっかりした女性が、美味しそうにタバコを口に含んでいたのだ。さっきまでのポニーテールとニコニコ顔を解いて、タバコを口に咥えて、ぼんやりと空中を眺めていた。大人の女性に見えた。そのギャップに僕は気圧されてしまったのだろう。
帰り道、中学生くらいの頃に仕事から帰ってビールを開けている父が言っていた言葉を思い出した。
「大人は辛いことが沢山沢山あるから、酒飲んで、タバコを吸ってもいいってことになってんだよ」
当時は軽薄な言い訳にしか聞こえなかったけれど、こうやって大人になっていくのかなあと思って、僕は青になった信号を渡った。




