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4月20日
今日のシフトも川端さんと同じだ。川端さんは平日の水曜日以外はパートで入っているらしい。思わず触りたくなるようなポニーテールが今日もぴょんぴょん楽しそうに揺れている。空気を含んでボリュームのあるそれをみていると、猫じゃらしにさわりたくなる猫の気持ちがわかる気がする。首筋はすっと通っていて、数本髪の毛が垂れている真っ白なうなじに女性的な魅力を感じる。
僕はレジに立って接客をしている川端さんを横目にサンドイッチとおにぎりの補充をしていた。近くを客が通った時には「からあげ安くなってまーす」と律儀に一声かけるようにした。
なんとなく、少しずつ仕事の全体がつかめてきて、目前の作業だけでなく、お客さんや店員のこともわかってきた。毎日同じ時間にくる客がいること、毎日同じものを買っていく人がいること。お金の払い方だけをとっても人それぞれ違う。十人十色だ。「バイトを初めて社会勉強だ」なんてアホらしいことだと思っていたが、実際やってみると初めて知ることは確かに多い。
やはり今まで全然知らなかった層の人々と触れ合っているということが勉強になっているのだろう。今まで接する人間なんてほぼ学生だったし、年が離れていたとしても3つ程度。それより上の人達は何だか大人に見えていたり、自分が実際に18歳になってみるとなんにも変わらないなって、思っていたり。
そんなこともあってか、僕は今まで外を歩いている人達はみんな大人で冷たいイメージを持っていた。表情も変えなくて、電車でも景色と同化して、自ら脇役に志願しているようにすら感じる。頭では分かっているのに、どうしても街や電車でみかける大人たち全員に、ハイハイしていた時期があったり、駄々をこねて泣いていたことがあったり、高校生だった時期があったこと。もちろん節目には苦悩も、苦労も努力も喜びも、覚悟を決める時だって、あったということ。「そんなことはありえるのか?」と何故か思ってしまうのだ。外を歩く無数の人々が一人残らず多かれ少なかれ、みなそういう体験をしているなんて、想像するだけで気が遠くなってしまうのは僕だけだろうか。
レジが混んできたようなので品出しの手を止め、ヘルプに入った。
「いらっしゃいませ」と店員らしく慇懃にお辞儀をした。手元でピッピッピッと機嫌の良さそうな電子音が鳴る。
店員として、レジに立って初めて会う相手に接客する時に感じた違和感はおそらくこれだろう。「うわっ喋ってる!」という奇妙な違和感の正体だ。教科書で聞いていた知識がテレビなどで共通認識として紹介された時のような、あの不思議な違和感だ。
でも、こちらの話に反応をしていることがなんだかとても新鮮で、昔からずっとかかっていたモヤモヤが少しはとれてきたような気がする。
やっぱりみんなそれぞれが別の人生を送っていて、それぞれが色んなことを考えて、人生分の長さの時間を実際に生きているんだ。だから色んな人がいる。一人も同じ人はいない。みな違う家に生まれて違う環境に育ったんだ。同じ人なんているわけがないのだ。
でもやはり、「はたして本当に?」としばしば考えこんでしまう時がある。まだ心の底までは納得できていないのだろう。
「600円のお返しです。ありがとうございました」
「ありがとー」
「次の方どうぞーいらっしゃいませー」
そういえば、バイトを初めてから一番驚いたことは、多数の人が「ありがとう」と言うことだ。僕が店員として礼を言うのはまだわかる(僕個人としては納得ができないがまあ仕事のひとつだ)。しかし客が店員に言う「ありがとう」はなぜ言うのか。もちろん仕事でないし、誰に言えと言われているわけでもない。小さい頃にそうしなさいと親に教えられたから? でもそのように、教えられたから言うという様子ではないのだ。決まっているように、とても自然に、当たり前のように、言わない方がおかしいかのように、日常的に行っていることが簡単に予想出来るくらい自然に、「ありがとう」を言うのだ。
深い意味なんてないことなんてわかってる。でも、少しだけうれしくなるのだ。なんだか応援されているように元気が湧いてくるのは本当の事なのだ。「ありがとう」と言われたら元気が出ることを彼らは知っている。その裏側には苦労があって、きっと似たように僕と同じようなことを考えた経験だってある人もいるんだ。川端さんだって、あんなニコニコ笑顔を振りまくのは、そうされたら嬉しくなるということを知っているのかもしれない。
……ま、そんなことないか。気持ち悪い。
バイト中、このようにつまらないことを心に映るままに考えている時間が増えたのが慣れてきた証拠なのかもしれない。
やっとレジに並んでいる人を全員はけてから、僕は一息ついて
「今日はちょっと忙しいですね」
と言うと、川端さんは
「近所で大きな工事が始まったから」と笑っていた。




