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4月1日
ドンドンドンドン!
「肇! 今日は入学式でしょ!」
もう一度、ドンドンドンドン。母が壁を叩き、壁を揺らし、二階の床を揺らし、ベッドを揺らし、僕の頭を揺らした。脳みそだけが覚醒していて頭の中で返事をしてみる。
またドンドンドン! となってから「肇―!」という母の声。
このまま静かにしていても収まる気配がない。指先だけグーパー動かしてみるが、やはり応答する気は出なかった。体が鉛のように重く、もぞもぞと鈍重な動きしかできない。
ドンドンドンドン!
なんとか体を起こしてみて、「うるさいなあ」と呟いた。妙に気分が悪い。空気が砂のように重くのしかかかっているような感覚。最悪の寝起きだ。
「起きてるの!? 肇ー!」
ドンドンドン! もう、しつこいな。本当に家ごと揺れているのではないかと思った。
「……はあい」僕はまだ本稼働していない喉をなんとか動かして生返事をした。聞こえていなかったら二度寝しよう。
「入学式は!? 行かないの?」聞こえていたか。
「昼からだから大丈夫」
「そうなのー。母さんもう行くからね! ちゃんと行きなさいよ!」
すぐにバダンと扉を閉める雑な音がした。
ふう、やっと行ったか。と思ったらすぐに
「あ! スーツは和室にかけてあるから!」と大きな声が家じゅうに響き渡った。
またバダンと不躾な音が鳴って、家は静まり返った。近所に聞こえたら恥ずかしいとか、そういう考えはないのだろうか。
ベッドに座ったまま、置き物のようにぼおっと空中を眺めてみる。
……何か夢を見ていた気がする。起こされるほんの直前の一瞬まで。どんな夢だっけ。誰かと喋っていたような。古いビデオデッキのコマ送りみたいにイメージが浮かんだ。確か、学校の夢?
……まあいいか。
今何時だろうと思って時計を確認した。9時40分。あと20分で入学式が始まる。
今日は4月1日。年に一度だけのウソをついてもいい日だってのに、起きて10秒くらいでウソを使ってしまった。別にいいけど、と考えながら視線を落とすと、チカチカとひかるものに気付いた。携帯だ。
種田からのメールが来ていた。
「何時に行く?」「もうついてる?」「こないのか?」と10分起きくらいに受信している。あいつはこういう行事とか結構真面目に行くよなあ。一見軽そうなのに。体育祭でも文化祭でもしっかり役職をこなしてみんなの人気も得て、あいつは立派な青春を送っていた。やる時はやるというか、手の抜きどころが上手いというかなんというか。世間では彼のような人のことを世渡り上手っていうのだろう。僕には到底できそうにない。買ったばかりのスマートフォンを不器用に扱いながら、「入学式行かないから。資料とか僕の分も一応もらっといて」と返信した。
種田はひとり暮らしを始めて少しさみしいらしいようで、最近はよく向こうから連絡がくる。未だに種田の家に行ったことはないが、大学から結構近いところに住んでいるので、まあ帰りがてらにそのうち行くことになりそうだ。それにしても、種田の実家から通えないこともないのに、どうしてそこまでひとり暮らしに拘るのだろう。わざわざ自分からひもじい学生生活に身を置くなんて理解に苦しむ。「大学生になったら一人暮らしするって決めているんだ」と高校の時から言っていたが、どうも不純な動機ではないかと勘繰るってしまう。
ポケットの携帯がヴーヴーとなり始めた。種田から電話だ。
「ん……もしもし」
「もしもしじゃねえだろ。入学式こないの?」
少し不機嫌そうに種田は言った。電話の背後でなにやら騒がしい音が聞こえる。もう大学校内にいるようだ。
「うん行かない」僕はけろっと答えた。
「なんで?」
「なんでだっていいだろう」
入学式なんて行っても行かなくても一緒だ。入学式なんて大したことしないだろう。大体想像できる。どうせ大学生活における心構えとか宗教に気をつけろとか、そういう説教まがいの、“貴重なお話”を聞かされるだけに決まっている。あと人が多そうだしスーツをわざわざ着て出かけるのもまっぴらごめんだ。めんどくさい。
「友達作らないと大学生活辛くなるぞ」
「別にいいよ。」
「……ほんとにこないのか?」
「うん」
僕がそう即答すると、電話の向こうではハー、と溜息が聞こえた。
「みんな入学式から積極的に友達作りに勤しんでいる。みんなひとりぼっちは嫌だからな。今度来た時にはもうグループが出来上がっていると思う。今日だけで友達のいない大学生活が決まってしまうぞ」
「どうせそんな関係なんて一年後には話さなくなっていると思うし、そんな薄っぺらい関係の人ばっかりつくってもしょうがないさ。それに友達ってそういう風に、作ろうとして作るものじゃないだろ」
「それでもテストのときとか困るだろう。ノート借りたりさ……なんか、出席カードを代わりに出してもらったりとかさ。あと単位取りやすい講義とかの情報も大事だろ」
「つまり情報のために友達を作れってことか?」
「そんなことを言ってるんじゃねーよ」
優しく声をかけてくれるのはありがたいけど。もう、僕は決めたんだ。
「じゃあ講義の情報とかは種田に頼ることにするよ。たまに昼飯とかおごるからさ」
言いながら、自分がこう言われたらどうするだろう、と思った。
「変わったな、お前」
種田は落ち着いた口調で言った。
「そうかな、僕自身は実感ないけど」
「うん、そうか。もう入学式は間に合わないと思うけど、学校には来いよ。入学式後に講義の取り方説明とか、学部オリエンテーションとかもあるみたいだし。履修登録の資料とかも、必要だろ」
「んー……」めんどくさいけど、仕方ないか。どうせ家にいてもやることないし。
「わかった。ぼちぼちそっち向かうよ」
「ん。じゃあ着いたら連絡してくれ」
「了解」
「じゃあ入学式行ってくる」
そして「いい加減立ち直れよ」と種田は付け足した。僕は「大丈夫」と適当に返事をして電話を切った。
僕はベッドから降りて、手を上に上げて、ググーッと伸びをした。そしてパタンと手を落とした。
変わった、か。そうだな。確かに僕は変わったと思う。
早くも今日二度目のウソをついてしまったな、と思った。




