3 迷い子
ヒロインの生い立ちが続いています。
ヒーローの登場はもう少し先です。スミマセン。
アーノルドはルーニーを手のひらに集めルーナに変えて、こぶし程の光の球を作り出した。
それを念じて鳥の形に変えて急ぎ、伝令として飛ばした。
そして身支度をしていつもより早く仕事に出発し、この国の大臣補佐の部屋を訪ねた。
彼は信頼できる仕事仲間であり、幼馴染で親友でもあった。
「おはようございます、シルベス。朝早くにすまない。」
挨拶をしながら部屋に入ると、人懐こい笑顔が迎えてくれた。
「ああ、ずいぶん早いね。どうしたんだい?相談って何?」
アーノルドは妻が体験した昨日の出来事と自分が見た少女の外見、それにルーニーを少しも感じられないことをシルベスに話した。
「近年は届け出がなかったが… 過去、確か8年ほど前に1件あったはずだ。」
シルベスは魔石と呼ばれる魔力を帯びる石を加工して作った「板」に、ルーナで記録している「記録板」と言われるものを書架から取り出し、その上に掌を置く。
すると念じた物事に該当する記録が浮かび上がった。
「8年前に西の都市アズルで20歳の青年が市民に保護され、届け出がされている。早朝、路地に倒れていたから泥酔者と思われたようだな。外傷はなし、彼は突然の事態に混乱し騒いだので市民に取り押さえられ、保安部に引き渡されたようだ。茶髪に薄い青緑の瞳、この青年の外見は我々と変わらないようだ。言葉は我が国の言葉を聞く話すことはできたが、読み書きはできなかったようだね。彼は今もアズルで生活をしているよ。他には…10年前と22年前か。」
新たに該当する記録が浮かび上がるが、それら2件については届け出た年月日や保護された場所、性別などの簡単な記録しかなかった。
「恐らくそのことについての法があるわけではないし、届け出がされていないものもたくさんあると思う。保護された場所が大都市であったりちょっとした騒ぎになって保安部が動いたり、困った市民が役所に知らせたりすれば記録に残るがね。それ以外は…」
一緒に記録板を見ていたアーノルドは「渡り人のルーニーについての記述は?」と尋ねた。
「それについては『渡り人』についての研究書の方がいいな。」
シルベスは別の記録板を書架から取り出して、再び掌を置く。
「研究書なんてあるのか?」
驚いて言ったアーノルドにシルベスが
「何事にも興味を持って、研究をしてくれる人が1人くらいはいるものさ。」
と、得意げに言った。
この研究書には記録板に記載のあった先ほどの3人の他に、著者が聞き込みでたどり着いた2人を加えた計5人の『渡り人』についての記述があった。
個別の記録を読んでいくと、発見された年月、年齢や性別に外見も様々。
『渡り』当初の言語理解も初めからこの国のフォルスタ語ができたという者もいれば、全くできなかった者もいて共通点は見当たらなかった。
… 唯一、「ルーニーが全く無い」ということを除いては。
「君の家に出現した子もおそらく『渡り人』だろうな。さて、どうする?」
シルベスの問いに「ああ…」とつぶやいて、眉間のしわを深くするアーノルド。
「困っていることとは…マリアンヌか?」
察しのいい親友に無言で頷き、アーノルドは言った。
「そうなんだ。マリーに懐いていて…、そして彼女もとても可愛がっている。」
シルベスはフーッとため息を吐き、独り言のようにつぶやく。
「体が弱くて子どもが持てないマリアンヌにとっては嬉しい出来事だからな。その子は迷子として届け出をしたら、身元調査の過程でルーニーがないことが判明してしまうだろう。その後は孤児院か研究機関に連れて行かれて、研究対象として暮らすことになるだろうな。」
表向きは孤児院に行くこととするのだろうが、ルーニー研究者からすれば格好のモルモットに違いない。
アーノルドもシルベスも眉間にしわを寄せる。
「ここで内々に諸々の手続きをしてしまえば…双方に幸せな道が開けるかもしれない…な。」
シルベスのつぶやきに、アーノルドもマリアンヌを想った。
「もともと『渡り人』に関して、特別に定めた法や規定はない。むしろ世間一般では存在自体、知られてもいないことだ。一般的にされている養子の手続きをしてしまえば、何も問題なんかないだろう。」
シルベスは私の返事を待たずに、養子申請の書類を取り出し用紙にどんどん書き込んでいく。
「でも『ルーニー』のことはどうするんだ?」
これは書類でどうこうなる問題ではない。
王都に住む満10歳以上の者は個人識別登録をしなくてはならず、その時にルーニーを読み取る装置(魔石)で本人が登録を済ませなければならない。
「それに関しても、我が家にいいものがある。祖母から譲り受けたものだが、それがうまく利用できると思う。」
「それはフィルダナ家の物なのだろう?易々と貰うわけにはいかないよ。」
親友とはいえ、その家の物を簡単に貰うわけにはいかないと思っていると、シルベスがはにかみながらこう言った。
「もう家督も継いだんだ、私の意見に家族も反対はしないよ。それにマリアンヌは君のところに嫁に行くときに、我が家で準備した宝石やドレスを受け取らなかった。そんな妹へ兄からのささやかなプレゼントさ。」
マリアンヌが嫁したとき子どもが持てない彼女は、後々処分に困るから「持ち物」は少ない方がいいと、立派な家のお譲さまとしては異例の身内だけの簡素な式で結婚式を済ませ、大きなトランクケース2個だけを荷物に嫁いできた。
フィルダナ家は娘の晴れの日を楽しみに気合を入れて準備をしたかったのに、娘が頑なにそれを拒むのでそれは大変がっかりしていた。
子どもを持たず後を継ぐ者がいない我々は、私が暮らしていたオルスター家のカントリーハウスで十分だとそこで生活を始めるつもりだったのだが、フィルダナの両親が「せめてここに住んでくれ!」と懇願するので、閑静な場所にあるフィルダナ家所有の庭付きの小さな屋敷に住むことになった。
それも両親の気持ちを無下にできないのと、体の弱いマリアンヌに快適に過ごしてほしいと願った私が、どうにか彼女を説得した結果だった。
因みに「小さな」とあるが、フィルダナ家に比べてであり一般的には十分に広い敷地で立派な屋敷である。
その屋敷もマリアンヌの希望によって、我々が住んではいるがフィルダナ家所有のままだ。
だからシルベスを筆頭に皆、嫁いでいったマリアンヌに何か受け取ってもらいたいのだろう。
アーノルドは近いうちにフィルダナ家に家族で訪れることを約束して、シルベスが作成した養子の書類を受け取った。
この日アーノルドは定時に仕事を終え、養子の書類の未記入部分を埋めるために早めに帰宅した。
「おかえりなさい!」とマリアンヌは少女と手を繋いで、階段をゆっくりと降りてきた。
近くまで来ると少女はマリアンヌのスカートに隠れるように、彼女の後ろに回って顔だけピョコリと覗かせる。
「ただいま。いい知らせがあるよ。」
とだけ言い、みんなで食堂に向かった。
食事をしながら『渡り人』について知りえた情報を話し、状況や少女の状態から『渡り人』で間違いないこと。
身元不明の孤児として届け出をすれば、研究機関かよくて孤児院行きになってしまうこと。
シルベスの提案と彼が手配してくれた書類のことなど話して、マリアンヌに養子の申請をするかしないかの最終判断を任せた。
「私、今回のことは神さまのお導きだと思っているの。今までだって孤児院への慰問やボランティアをしてきたけれど、誰か一人を我が家にって…できなかった。もし叶うのならこの子を娘として迎えたい。この子とあなたと3人で『家族』になりたいの。」
今まで何も望まなかったマリアンヌが心から望み、得られなかったことが叶う。
しかし秘密を抱え、幼子を教育し大人にすることは並大抵のことではなく、その子の人生をも左右する。
しかも我々と血の繋がりのない、他の世界の人間なのだ。
簡単なことではないことは二人とも十分理解している。
「分かった。この子を家族に迎えよう。まずは書類だ。」
シルベスが用意してくれた書類には既に、大まかなことが彼によって記述してあった。
フィルダナ家の隣国に住む遠い親戚から養子にしたことになっているし、この書類の保証人としてシルベスの名前が書かれている。
私が書くところは少女の名前、性別、年齢、髪・瞳の色だ。
「マリアンヌ、この子の名前はどうする?」
「今日庭に出たの。この子が咲いている百合の花を指さして『ユリ』と言った後に自分を指さしてもう一度『ユリ』と言ったのよ。だから『ユリ』って呼んでみたの。そうしたらとても嬉しそうに笑ったわ。たぶん『ユリ』がこの子の名前じゃないかと思うの。」
マリアンヌが少女の顔を見て「ユリ」というと、花が開くように笑った。
「では『ユリアーヌ』でどうだ?『ユリア』と呼べば響きもあまり変わらず、本人も混乱しないだろう。」
「ユリア!素敵。ユリアーヌね。」
マリアンヌはまだ言葉を理解しないユリアーヌに、身振り手振りで名前を教えている。
アーノルドはそんな彼女の傍らで書類の空欄を順番に埋めていった。