1 運命の悪戯
まだ「読みやすい・見やすい」書き方がわからず、試行錯誤です。
「***! ***、***~!」
その日は風のない穏やかな日だった。
陽の注ぐテラスでマリアンヌはハンカチに刺繍をしていた。
間もなく完成!というところで何かが鳴くような声を聞いた。
「ねぇエリー、子ネコ?…ううん、子ども? 鳴き声ではなくて泣いている声よね?」
先ほどまで控えていた侍女のエリーに向かって言ったのだが、侍女はお茶の用意のためにその場を離れていた。
マリアンヌは刺していた刺繍をテーブルに置き、テラスから庭に出て声のするほうに歩いて行った。
広い庭の比較的大きな庭木のある一角で、声の主はうずくまって鳴いて… いや、泣いていた。
「子ども!なぜ?」
広い敷地ではあるが高さのある塀や柵で囲われているし、門扉は閉じられ門の前に警備の者がいて、不定時に巡回もある。
どのようにして入り込んだのだろう?
近づくにつれ泣いている幼子が、この国であまり見かけない真っ直ぐな黒髪と黒い瞳をしていることがわかった。
マリアンヌは少女にゆっくりと近づき驚かせないように身を屈め、視線を同じ高さにして話しかけた。
「泣かないで。どうしたのかしら?」
声を上げるのを止め、しゃくり上げながらも立ち上がった少女は、濡れた大きな黒い瞳をマリアンヌに向けた。
「私はここの家に住むマリアンヌ。あなたは?」
マリアンヌが怯えさせないようにと優しい笑顔で話しかけると…
「****!****、*****」
少女がマリアンヌに向けて発した言葉は、全くもって理解できない異国の言葉だった。
言葉が通じなくても少女が1人になり不安がってパニックになっていることは容易に想像できる。
マリアンヌは両手を大きく広げ「こちらにいらっしゃい」と優しい笑顔で言ってみた。
すると少女はマリアンヌの表情を伺いながらもおずおずと寄ってきて、マリアンヌの胸に縋り再び泣きだした。
「おくさまぁ! おくさまぁ!」
少女が縋ったまま泣き疲れ眠ってしまったころ、屋敷のほうから侍女のエリーが自分を捜す声が聞こえた。
芝生に直に座ったままの姿で、侍女にわかるように片手を大きく振った。
「まあ!奥さま!よかったぁ」
急に居なくなった自分を捜していた侍女が走って近づいてくるので、マリアンヌは自身の口の前に人差し指を立てて「静かに」というジェスチャーをした。
侍女は主人の不可解な姿に疑問を持ちながらも従い、静かにそっと近づいた。
「あらあら!どういうことですか?」
女主人に縋りつく幼子が目に入り、主人に忠実な侍女は音量を落としつつも驚いた。
「それが私にも全く分からないの。突然泣き声が聞こえたので来てみたら、この子がここで泣いていたのよ。言葉も分からないみたいだし、髪も瞳もこの国であまり見かけることがない色合いね。よく見るとドレスも少し変わったものよね。」
侍女も顔を近づけその幼子を観察した。
「そうですね。怪しいことだらけですが、いつまでもこのままで居られません。この幼子が奥さまに危害を加えるとは考えにくいのでお屋敷に連れて戻りましょう。どうしたらいいかは帰宅した旦那さまに相談いたしましょう。」
華奢なマリアンヌよりも上背があり力のあるエリーが、眠っている少女を横抱きにして屋敷に運んだ。
「おかえりなさいませ、旦那様」
この屋敷の主人 アーノルド・オルスター が帰宅した。
「ああ、ただいま。何か変わったことは?」
いつものように尋ねると、執事のライナスが
「ええ…少々…と言いますか…、奥さまがお部屋でお待ちです。」
とハッキリとしない返事を返した。
ライナスの珍しいものの言い方に疑問を感じつつ、体の弱い妻の具合がよくないのか?と思いながら夫婦の部屋に向かった。
「マリー、ただいま」とドアを開けたが誰もいない。
すると普段は空室の隣のドアが開き、キラキラした笑顔のいつもより血色の良い妻が「おかえりなさい!」と駆け寄ってきた。
「あのね! ああ…! どこから話をしたらいいのかしら?」
ほほを染め、まるで少女のように浮き立った妻が今日庭で起こったことを話し始めた。
妻の話を聞き終えたアーノルドは話に驚きつつも、思い当たるところがあるのか難しい顔をして暫く黙っていた。
彼は国の内務官であるため、一般には公開されない書物や記録などを目にし、手に取ることができた。
それら記録の中に数件『渡り人』と称され、この世界に存在しない場所から来たと思われる、身元不明の人を保護したという記述があったことを思い出していた。
「断定はできないが、君の話からするとおそらく…」
アーノルドはマリアンヌに『渡り人』の話を簡単に伝え、少女が眠っているという部屋に妻にと向かった。
少女はあれからずっと眠っていて、侍女のエリーがそばに付いていたが起きる様子がない。
先ずは少女が起きたら確認したいことがあるので、それをしてから今後のことを考えようとアーノルドは言い、夫婦は遅い夕食を済ませてその日は寝ることにした。
空が白み始めた早朝、屋敷内に少女の泣き声が響いた。
いつ目覚めてもいいようにとエリーが少女の部屋に簡易ベッドを持ち込んで休んでいたが、目が覚めて知らない場所に驚いたのだろう。
その声を聞いて飛び起きたマリアンヌは、寝衣のまま少女の部屋に向かった。
急いでベッドの横に跪いて「大丈夫よ。」と少女の頭を胸に抱くと、少女はマリアンヌの背に手をまわして抱き付き、泣くのを止めた。
「着替えて朝食を食べましょう。」
笑顔で声をかけたが理解できていないようなので、身振り手振りで伝えて少女の手を引きながら連れて行き着替えをした。
大人ばかりのこの屋敷には少女に着せる服がないので、昨晩のうちに子どもを持っている侍女が自宅から子ども服を数点持ってきてくれていた。
再び手を引いて食事の部屋に向かい、先に着席していたアーノルドが少女に挨拶すると少し警戒する様子を見せたものの、アーノルドの物静かで優しい笑顔にすぐに強張りを解いた。
夫婦は少女が食事する様子をさりげなく観察していたが、食事や使うカトラリーにも(ナイフの使い方があまり上手ではなかったが)特別戸惑うことが無いようだった。
食事を終えると穏やかな日の注ぐリビングに移動し、少女は3人掛けソファーにマリアンヌと共に座った。
アーノルドは少女の前に跪いて視線を同じくし、少女の手をそっと取り挟むように自分の掌を重ねて、静かに目を閉じた。
… やはりな … 何も感じられない …。
マリアンヌが「どう?」という表情で見ている。
アーノルドは落ち着いた声で
「ああ、感じられない。間違いないと思うな。」
とマリアンヌに言った。