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あいとちか  作者: さとー
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こうして少年は愛を知った

 すりガラスの向こう側から聞こえる小鳥のさえずりで僕は目が覚めた。いや、本当は目が覚めてから小鳥のさえずりが聞こえたのかもしれないけどそんなことはどっちだっていい。

 起きたばかりの頭でぼんやりと、何匹かの小鳥たちが歌うのを聴いていると、不意にその中におかしな音が紛れ込んだ。

 僕のお腹が鳴いた音だ。

「そうか、昨日の夜は何も食べずに寝たんだっけ……」

 僕は早朝から働き者の胃袋を満足させるためにも、朝にしては少し重いジャンクフードを朝食に選んだ。作るのがめんどくさい時のために何個かおいてあったものを適当に選んで食べる。

 お腹は大満足なようで、それ以上鳴いて何かを要求することはもうなかった。

 お腹を満たしたところで、リンダたちでも誘って何かしようかと思ったが、そこで何か違和感があることに気付いた。なんだか変な感じがする。

 一体何だと思っていると、あることに気付いた。

 それというのは、今まで僕からリンダたちを誘ったことなどこの間のキャッチボールを除いてただの一度もないということだ。

 いや、だからどうしたと思うかもしれないが、結構大きな問題だったりする。あれだけ一緒にいながら、僕の方から何かを誘ったりしたことはないのだ。

 学食に行くときも、一緒に帰るときも、僕から誘ったことはない。

 何をするにも初めての時は勇気がいるわけで、つまるところ恥ずかしかった。

 それに誘うにしても何に誘うのか……、またキャッチボールにでも誘うのだろうか? いいかもしれないが、リンダが言い出すならともかく僕がキャッチボールをしたいと言い出すのは何かおかしい気がする。僕は野球に全く興味がないし、そもそも本気でキャッチボールがしたいわけではないのだし……

 ならば町の探索なんてどうだろう? いやいや、昨日僕がやったじゃないか。

 それから数分の間友達を遊びに誘う口実についてあれこれ考えた僕だったが、そもそも僕自身にやりたいことがないので口実なんて見つかるはずないという結論に至り、早々に考えることを放棄した。

 大体、今の時間にリンダたちが起きているとは思えないし今日もボランティアかもしれない。それならば午前中は家でゴロゴロしていていいだろう。暇だったら昼飯時に僕の部屋をリンダが訪ねてくるはずだ。

 僕は半ば強引にそう結論付けて、そういえば読みかけだった本があったことを思い出し、それに手を付けた。

 その後、結局一時を過ぎてもリンダが訪ねてくることはなく、リンダを待っているうちに炊き出しの時間は終わってしまった。なので僕は冷蔵庫にある残り少なくなった食材で適当に昼食を済ませ、再び暇な時間へと戻ってしまった。

 午前中に読んでいた本はもう読み終わってしまったが、そういえばあれは学校の図書館から借りてきた本のはずだ。この場合どうすればいのだろうか? この状況が解決するまでとりあえず持っていていいだろうが、果たしてそもそもこの状況は解決するのだろうか。そして一体何をもって解決とするのか。

 現状、多くの人は何が起こっているのか分からないが、警察や公共機関の驚くほど迅速な対応で大きな混乱は避けられている。それどころかまるで突然訪れた休暇のように過ごしている人がほとんどだ。

 しかし、食料に限りがあるのもまた事実。それに昨日聞いた話では、今現在ここ愛知県内から出ることができなければ、県外から人が来たという話も聞かない。このままいけば食料が底をつくことは目に見えている。

 人々はそれに気づいていないほど愚かであるはずがない。みんな気付かないふりをしているのか、いまいち危機意識が足りないのか、それともそれほどまでにこの国の警察などの機関を信用しているのか、それは分からないが、パニックが起こっても仕方がないので今の状況は最善と言えるかもしれない。

 そんなことを思う僕も大概呑気な奴かもしれないが。

 何せよ、僕には今この状態が――世界が崩壊したこの状態が――元の状態に戻るなんて思えなかった。

 だとすれば、僕はこの世界で生きる準備をしなければいけないのかもしれない。

 僕はそう考えて、世界の崩壊以前に買いためていたインスタント食品を前に考え込む。

 そう考えた時、まず一番に心配すべきなのは当然食料である。まだ僕の部屋には買いためていたインスタント食品がある程度は残っているが、それが尽きるのも時間の問題だろう。その他の食材はあらかた使い切ってしまった。さて、一体どうするべきか……

「困ったな、どうしよう……」

「そうだ、国に任せよう」

 後ろから無理やり声を低くしたあいの声が聞こえた。

「勝手に僕の心の声を代弁するな」

 振り返るといつもの白いワンピースを着たあいが、後ろ手を組んで立っていた。その顔はいたずらっぽい笑みに覆われている。

「でも実際そう思ったんでしょ?」

「違うね。僕は今、皆が呑気にしているうちに菜園を作って食料を蓄えておこうと考えていたところだよ。もちろんほかの人たちが食料に困った時には無償で分けてあげるね」

「よくもまぁ、そんな真顔で嘘つけるね」

 否定はしない。もちろん嘘であり、実際はあいの言う通りほかの人に任せる気満々だった。だから僕は話をそらす。

「そういえばあい、県外に出れないっていう噂を聞いたんだけど――」

「いや、話そらさないでよ」

 失敗した。が、僕はまだあきらめるようなことはしない。

「いやいや、ここからさっきの話につながってくるんだよ」

 僕は真顔で言い張る。いや、僕はめったに表情は変わらないんだけれども。

 そんな僕を、あいは疑っていますと目で語りながら見つめる。

「……よろしい。続けたまえ」

 お許しが出たので続けることとする。

「県外に出れないってことは、自衛隊とかも来れないんだろ? だったら国とかに頼るのは不可能なんじゃないか?」 

 よし、繋がった。我ながら完璧だろう。

「うわぁ、ほんとに繋がっちゃったよ。……うん、確かにそうだね。今の状況じゃ、外から支援が来るのは期待できないかも」

「だろ、だったらやっぱり――」

「今は、ね」

 と、力強くあいは言い放つ。

「んーっとね、ちかだから教えるけど、いや、教えられるけど、そのうちほかの県にも行けるようになるから大丈夫だよ。今はまだ世界が崩壊したばっかりで色々と不安定だからこんなことになってるけど、安定してくれば段々とほかのとこにも行けるようになってくる。今はなんていうのかな……世界が変わってる途中なんだよ。」

「そうか、何となくしか分からないけど、大丈夫だってことは理解できたからどうでもいいや」

 普通ならここで、それがいつになるのかも聞かなければいけないのかもしれないが、そういったところに興味を持たないのが僕だった。

 それに、詳しい仕組みは分からないが、あいがそう言うならなんとなく大丈夫な気がした。

「ふふっ、相変わらず何事にも興味が薄いんだね」

「ていうか、聞いても理解できそうにないしな」

「まぁね、そもそも私にもわかんないし……いつ世界が安定するのか」

 全然大丈夫じゃなかった。

 それでも僕なんかにできることなんて限られてるからどうでもいいんだけど。

「そんなことよりさ、どう? 今のところ」

 あいがまた自由に話題を変えた。

「ん? ああ……暇だな。自分の趣味のなさに絶望していたところだよ」

 僕の、わざと質問の意図から外した答えにあいはひきつった笑みを浮かべる。

「ははは、いや、それはそうなんだけどね、もっとこう、この世界のこととか」

「ああ、分かってる。冗談だよ。……いいんじゃないかな。みんな、何かから解放されたみたいな顔してるよ。都会の喧騒から解き放たれて田舎暮らし始めたサラリーマンみたいな」

 僕としてはちゃんと答えたはずだったのだが、どうやらまだ少し質問の意図から外れていたらしく、何とも言えないような表情になるあい。

「うん、それはそれでいいんだけどね。その、ちかは……ちか自身はどうなの? 今の世界は、楽しい?」

 そう聞かれて、昨日とおとといのことを思い出す。

 緑に覆われた町、友達とのキャッチボール、路地裏での一件、炊き出しにいた学食のおばちゃん、町の人々、そして魔法。

 それらを思い浮かべて、今の僕の心が導き出した結論は――

「――いいんじゃないかな、割と」

 こんな曖昧な答えの一体どこが嬉しかったのか、あいは今まで見たことのない、幸せそうな顔になった。

「なんだよ、何がそんなに嬉しいんだ?」

「ちか、さっきの言葉のとき、どんな顔してたか分かってないでしょ」

 そう言うあいの笑顔のあまりのまぶしさに、僕は思わず顔を背ける。

「どんな顔してたんだよ」

 思わず柄にもなく質問してしまう。

「あのね、幸せそうに、頬が緩んでたよ」

「そんなことはなかったと思うけど……」

 どうしてだろう、思わず否定してしまう。

「そんなことあったんだよー、あはは」

 僕なんかよりもよっぽど幸せそうにあいは笑いだすと、そのまま何故か走り出してベッドに飛び込んだ。そして小さな子供のように、枕を抱きかかえてゴロゴロとベッドの上ではしゃぐ。

 僕には一体どうしてあいがあんなに嬉しそうにしているのか分からなかった。

 わかりはしなかったけど、嬉しそうなあいを見ているとそんなことはどうでもよくなるのだった。

 僕のベッドの上で幸せそうにしているあいを眺めていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。一瞬玄関のほうに目をやった後にベッドのほうへと視線を戻すと、まるで初めから誰もいなかったかのように、僕のベッドにいたはずのあいは消えていた。 

 ただ、少し形の崩れた枕と乱れたシーツが、あの少女が確かにそこにいたことを証明しているようだった。

 意識を玄関のほうへと戻し、足早に玄関へと向かう。

 リンダがやってきたのかと思い、僕は玄関を開ける。普段なら念のためにのぞき窓から誰が訪ねてきたのかちゃんと確認するはずなのに、どうしてだか浮足立っていた僕は確認もせずにその扉を開けたのだった。

「あ、どうも」

 玄関の扉を開けた僕の耳に届いたのは、聞きなれた友達のそれではなく、全く知らない男の声だ。見ればその男は警官の青い制服を着ている。

「ど、どうも」

 予想外の訪問者に思わずどもってしまう。

「えーっと、こういうものなんだけど」

 そう言って若い警官は警察手帳を開いて見せた。

 刑事ドラマなどでよく見るその手帳を眺めていると、その警官は形だけのものだと言わんばかりにすぐさま警察手帳を閉じて内ポケットへとしまう。

「少しだけ時間いいかな、玄関で少しだけ話を聞いてもらうだけだから」

「は、はぁ。いいですけど」

 一体何事かと思ったが、そういえば心当たりがないこともなかった。おとといの路地裏の件である。確かあの事件はこれ以上何か聞きに来ることはないという話だったが、事情が変わったのだろうか?

 そんな僕の考えとは裏腹に、警官が訪ねてきたのは違う理由だった。それも、路地裏の件なんかよりもずっと僕の心をざわつかせる話だ。

「ありがとう」

 そう言って、未だこういうことに慣れていないのか、若い男の警官は頑張って作っているであろうことが分かる笑顔で、なるべくこちら側を圧迫しまいと言葉を続けた。

「昨日からの話なんだけど、昨日から君の学校の生徒数名が行方不明になっていてね……、あ、しまった……。初めに言っておかなきゃいけないんだった……えーっと、今から僕が君に話すことは誰にも言ってはいけないよ」

 なんか色々と心配になるような警官だなと思ったが、そんなことよりも今この警官は何と言った? 行方不明? 僕の通う高校の生徒が? だから僕のところに注意を呼び掛けに来たのだろうか? 

 そんな僕の疑問は、次の警官の話で吹き飛ぶ。

「それで、今回君のところに来た理由なんだけど……君、聞いたところによると、この部屋の隣に住んでいる、隣田寮君と仲がいいそうだね」

 そう言う警官の顔は、先ほどまでの顔とは打って変わって真剣そのものだった。

 僕の頭に嫌な感覚が走る。体が勝手に隣の部屋へと駆けだしそうだった。それをかろうじて抑えることができたのは、そんな感情が自分に生まれたことに驚いていたからか。

「隣田君が、どうかしたんですか」

 僕が警官の目をまっすぐに見てそう尋ねると、警官の肩が一瞬ビクッとはねた。

「そ、そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ」

 どうやら今日の僕は、自分でもわからない表情をしているらしい。それも、恐らく先ほどと今回では全く逆の表情だろう。

「はい、それで、隣田君がどうしたんですか」

 僕を落ち着かせようとするような言葉はどうでもよかった。いち早くその行方不明の件とリンダがどう関係しているのかが知りたい。

「ああ、えーっと、その行方不明となっている学生というのがね、全員君と同じ高校の野球部なんだ」

 今度こそ僕の体は隣の部屋へ行こうと動き始めていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。気持ちは分かるが、いったん落ち着くんだ」

 駆けだそうとした僕の体は、唯一の出入り口である玄関に立つ警官に止められる。

 無理やり通り抜けようともしたが、犯罪者を取り押さえるために鍛えられたその体はびくともしない。

「落ち着くんだ。隣田君が行方不明と言っているわけじゃない」

「じゃあ……じゃあどうして僕のところに訪ねてくるんですか。今彼は隣の部屋にいないんでしょう? そして居場所も分からない」

 かろうじて、大声を上げることだけは我慢できた。しかし噛みつくような口調は抑えられない。別に今目の前にいる警官が悪いわけではないのに、そんなことは分かってるのに、内側から湧き上がってくる焦燥感を抑えることができない。

 こんな状態になるなんて、自分でも驚きだ。僕はそんな人間ではなかったはずなのに。

「た、確かにその通りなんだが……ただ外出しているだけという可能性も残っている」

 この男は何を言っている? 僕の学校の野球部員が何人かが行方不明になっていて、今現在部屋にリンダがいない。そんな状況で『ただ外出しているだけ』だと? 危機感が足りないにもほどがあるんじゃないか? 

 いや、違う、これは単に僕を安心させようとしているだけだ。落ち着いて話ができる状態にしようとしているだけだ。だから落ち着け。ここで取り乱しても意味なんてない。そもそも僕はそんな人間じゃないはずだ。

 半ば強引に、自分にそう言い聞かせて何とか話ができる状態へと落ち着く。

「落ち着いたかい?」

 そう言う警官の顔は、先ほどまでの頼りなさげな新米警官と言った風ではなかった。もしかすると、あれすらも演技だったのかもしれない。

「は、はい、すいません」

「いいんだよ、いまどきそんな風に友達を思って取り乱す若者は珍しい。その気持ちは大切にした方がいい。さっきまで訪ねてきたほかの野球部員たちはただ君の名前を出すだけで、自分の心配ばかりだったからね。……まぁ、自分も危ないんだからしょうがないといえばしょうがないか」

 後半は、独り言のようだった。

「それで、だ。最後に隣田君と会ったのはいつか教えてくれるかな」

「はい、えっと……確か、昨日の朝です」

「なるほど、昨日の朝……とすると、彼が部活動単位でのボランティア活動に行く前だね」

 はい、と僕は短く答える。

「そうか、ではもう一つ。彼が行きそうなところに心当たりはあるかい?」

 そこで僕は、学校の野球場しか思い浮かばない自分に気付く。

 いくら考えてもほかに場所が思いつかなかった。友達なのに、それしか……

「すいません……学校の野球場しか……」

 手がかりを得ることができず残念だったのか、若い警官はうーんと唸って顎に手を置き顔をしかめる。

「なるほど……ありがとう。……それにしても、隣田君はよほど野球が好きなんだね。今まで聞き込みをしてきた野球部のみんなも野球場としか言わなかったよ」

 野球部の人たちさえもそうなのか……。ていうか、前から気になっていたのだが、リンダと野球部の部員が野球以外のところで関わっているのを見たことがない。野球しか頭にないから友達が少ないのだとリンダは言っていたが、だとするならばどうして野球部員の中にも友達がいないのか。

「では、協力ありがとう。くれぐれもこのことは誰にも言わないようにね。それと、何かあったらこの紙に書かれているところに……っと、そういえば通信機器はどうしてだか使えないんだったな。ごめんごめん、いつもの癖で。えーっと、とにかく何かわかったことがあったら、近くの警察に伝えてくれ。あたりを巡回しているはずだから。それと、一応君も注意してくれ。なるべく外には出ないように。何か分かったら知らせに来るから、安心して待っていてくれ」

 口早にそう言うと、警官は玄関から立ち去ろうとした。

 だがしかし、僕はその背中を呼び止める。

「ちょっと待ってください」

 野球部のところを回り、僕のところに来たのなら、当然次に行く場所は決まっている。

 あかりだ。

 恐らくこの警官は次にあかりのところへ聞き込みに行くだろう。それならば。

「これから向さんところに行くんですよね。僕も行きます」

 どうしてこんなことを言っているのか……自分が自分じゃないみたいだった。

 警官は振り返って、困ったように笑う。

「困ったな、友達思いなのはいいんだけど……そのうえ頭も良くて行動力もあるときたか」

 僕はもうひと押しというように、とにかくそれっぽい理由を並べてみる。

「向さんは僕以上にこの話を聞いて取り乱すと思います。だから、きっと、いや絶対に僕がいた方が話がスムーズにいくはずです」

 警官は本格的に困った様子で頭をぼりぼりとかきながらやれやれと呟き、警察関係者としてどうかと思うようなことを言った。

「うーん、本当はいけないんだけど……町はこんな状態だし……ていうかこんな感じの展開って前から憧れてたんだよな……はぁ。いいよ。確かに、君がいた方が話もスムーズに進むだろうし、今回だけは特別だ」

「…………」

 正直、この警官大丈夫かと本気で心配になったが、都合がいいのでよしとしよう。



 その後僕とその警官はすぐにあかりのもとへと向かった。途中、女子寮の学生たちが警察と一緒に女子寮を歩く僕を不審な目で見ていたが、そんなことを気にしている場合ではない。

 そんなことよりも僕が最も心配だったのは、いかにしてあかりを落ち着かせるかということだ。あんな風に言ったものの、正直な話僕には取り乱すあかりを落ち着かせることができるか自信がなかった。むしろ僕なんかよりも、その手のプロであるところの、僕の前を歩く警官に任せた方がいい気さえする。

 そう思い、僕に背中を向けまっすぐに歩く若い警官のほうを見る。

 そして、今のうちに行方不明の件についてわかっていることを聞いておこうと、話しかけようとしたところでまだ名前を聞いていないことに気が付いた。警官さんと呼ぶのは何かおかしいし、警部さんというにしても、身にまとっている青い制服が警部というよりは警官というイメージを与えてくる。それに若さも相まって、どうしても警部さんと呼ぶにはおかしい感じがした。

 しょうがないので名前を尋ねることに決め、口を開こうとしたところで、僕の意思を遮るように前を歩く警官が僕のほうを振り返らずに口を開いた。

「逆神君、変なことを言うようだが……最近周囲の人や君自身に不思議なことが起こったりしてないかい?」

 こちらからは背中しか見えないのでその顔を見ることはできないが、その口調は自分でも何を質問しているのかよく分からないといった風だ。

 もちろん心当たりならたくさんある。恐らくこの警官は魔法のことを言っているのだろう。この前の路地裏での一件のように、魔法が関係している事件は少なからず起こっている、と昨日情報収集をしているときに聞いた。見た感じ若そうな警官だが、あい曰く魔法が使えるようになったのは基本的に子供だけだ。この警官は自分では魔法を使えないものの、魔法が関係した事件を見ることでその存在を少なからず認識したのだろう。

 質問の仕方からして半信半疑と言ったところか。

 もしかすると今回の件にも魔法が関係しているのかもしれない。ならばこの警官にも魔法というこの世界の新たな法則について理解してもらった方がいいかもしれない。

 だがしかし、問題はどこまで説明するかだ。無論、あいのことについて話すわけには絶対にいかない。僕があいから聞いたことを除いたうえでわかるはずのことを話さねばならない。

 とすれば、やはりキャッチボールや路地裏の件のことを中心に話すべきだろう。

 そう考えた僕は、リンダの肉体強化の魔法のことや、路地裏でのことを、あたかも何も知らずに不思議な現象を目にしたかのように話した。

「なるほど……正直な話、いつもなら信じられないというところだが……ここ最近は不思議なことばかりだからな……。植物の大量発生に、電子機器の異常。県境付近の人々の話によると、どうしてだか県外へ出られないらしいし……。それに化け物の目撃情報ときた……」

 最後の化け物という言葉だけは少し異彩を放っているが、今なら何が起きていても不思議じゃないと思う反面、あいからもそんなことを聞いていないので、デマではないかとも思った。そんな状況だ、そんな噂が広がってもおかしくない。

 ただ……野球部員の行方不明という話を聞くと、その化け物について妙に不安になる。まるでアメリカでよくあるホラー映画みたいに、化け物が次々と人を殺していくような――そんな最悪な想像までしてしまう。

 その不安を振り払おうとするかのように、警官にその化け物の目撃情報について話を聞こうかとしたところで、僕たちはあかりの部屋の前に着いた。

 つくづく聞きたいことを聞こうとすると邪魔される。まぁ、そこで諦めてしまう僕も悪いのだが……

 言葉を発しかけた口を思わず閉じ、玄関のチャイムを鳴らす警官の手をじっと見つめる。

 どのようにしてあかりを落ち着かせるか、そのことに全意識が集中した。

 しばらくしてチェーンロックのかけられたドアが開く。ラフなTシャツを着て出てきたあかりは何事かといった表情で警官の青い制服を見つめ、その後ろにいる僕に気付くとさらに不思議そうな顔をした。

 あかりが何かを言う前に、すぐさま若い警官がおぼつかない手つきで警察手帳を開く。

「えーっと、こういうものなんだけど、ちょっと時間いいかな?」

 あかりは警察手帳を見た後に、僕のほうをちらっと見た。そして、ちょっと待っててください、と言ってから扉を閉じる。しばらくするとガチャリとチェーンロックのはずれる音が聞こえ、再び扉が開いた。

「えーっと、あんまり見られたくないので、中でいいですか?」

 この前はパトカーで女子寮まで送ってもらったりしていたので、これ以上周りから変な目で見られるのは嫌だったのだろう。それに、僕もいることもあって部屋の中にも入れやすかったのか、あかりはそんなことを言う。

 それに対し、警官は逡巡した後、周りで何事かとこちらのほうをうかがっている女子生徒たちを見て、それでは遠慮なく、とにこやかに言ってから部屋の中へと足を踏み入れた。

 僕もそれに続く。

 そういえばここ女子寮はもちろん男子禁制なのであかりの部屋は初めてだったりする。というより女の子の部屋に入るのはこれが初めてだ。こんな時なのに思わずどんな感じなんだろうと思ってしまう。

 感想としては、まぁこんな感じだろうといったところか。男子の勝手な想像なら片付いたきれいな部屋を想像するかもしれないが、日々生活していればよほどきれい好きでもない限りそのようなことにはならないだろう。散らかっているわけではないが、生活感あふれる部屋、そんな印象だ。

 と、不謹慎にもそんなことを考えながらそこらへ散っていた僕の視線が一か所へと集まった。勉強机である。いや、正確には勉強机の上にある写真立てだ。そこには、一組の男女が写っている。リンダとあかりだ。恐らく入学式の日に撮ったのだろう。二人は桜の舞い散る中、校門の前に並んではにかんでいた。二人とも今よりも若干顔つきが幼い。

 僕の視線に気づいたのか、あかりはどうしてか慌ててその写真が見えないように写真立てを倒した。

 そうするとあかりは何事もなかったかのようにすました顔で警官を椅子まで案内し、それと向き合うように自分もテーブルを挟んで反対側に座った。僕は唯一空いていたあかりの隣の椅子に座る。

 僕とあかりが警官に対して向かい合う形で、話は始まった。

 警官が話を始めてからというもの、僕はいつあかりが冷静さを失ってもいいように待機していたが、結局僕の心配は杞憂に終わった。

 途中途中で驚きの表情を見せたり、青ざめたりしたようには見えたものの、あかりは最後まで席を立たずに黙って話を聞いていた。

 しかし、取り乱しはしなかったものの、話を聞いている時のあかりの様子は誰の目から見ても普通ではなかっただろう。

 本人は気付いているのかいないのか、太ももの上に置かれた手はズボンをギュッと握って震えていたし、先ほども言ったように顔は青ざめていた。

 そして話の最後にリンダが行きそうなところに心当たりはないか聞かれ、僕やほかの人と同じように野球場とだけ答えてから、今度は逆にあかりのほうから警官のほうへと質問を投げかけた。

「あの……これから、リンダ……隣田君を探しに行くんですよね?」

 顔を伏せたあかりの表情は窺い知れないが、その声は少しだけ震えていた。

 あかりが言いたいことを察したのだろう、若い警官は少しだけ迷った後、正直に話すことを決心したのか、あかりの問いに対してまっすぐに答える。

「上のほうに聞き込みの結果を伝えてからだけど、恐らく僕も捜索のほうに加わるだろうね」

「わ、私も――」

「だめだ」

 あかりの言葉を聞き終える前に、警官は自らの意志の強さを表すかのように力強く告げた。

 正直僕もリンダを探しに行きたかった。行って、いち早くリンダの無事を確かめたい。しかし、この状況で僕たちが一緒に行きたいと申し出ても子供のわがままにしかならないということも同時に理解している。警官も僕たち二人に万一のことがあった場合は責任が取れないし、その手のプロに任せた方がうまくいくだろう。ここは僕たちが出張るところではない。

 そのことをあかりも分かっているのか、悔しそうに唇を噛み締め俯いている。

 警官は、口調を先ほどの力強い口調から申し訳なさそうな口調へと移し告げる。

「申し訳ないが、僕は職務上君たちを連れていくことはできない。だから、君たちには家で待機してもらう。報告は必ずするから安心して待っていてくれ」

 あかりには申し訳ないが、この警官の言う通り、部屋に待機していた方がいいだろう。今のところ行方不明になっているのは野球部の部員だけとはいえ、何があるか分からない。それにあかりは女の子だ。危ないところに行かせるわけにはいかない。むしろ、リンダはただ外出しているだけなのに、あかりがリンダを探して危険な目に遭ったらリンダはどう思うだろうか。そう考えるとやはりあかりに行かせるわけにはいかなかった。

 ……などと、色々と理屈をこねくり回してあかりを止めることについて考えていたところ、では自分はどうするかという問題にぶつかる。

 すぐに、二つの選択肢が頭に浮かんだ。

 あかりが勝手な行動をとらないように見張りながら僕も警察からの連絡を待つか、あかりは女子寮に待機させておいて自分だけこっそり一人でリンダを探しに行くかだ。

 どう考えても最初のほうを選ぶべきだということは分かっている。

 しかし、どうしてだかそれだと落ち着かない。体が自分のものではないかのようにそわそわする。今すぐ駆け出してリンダの無事を確かめに行きたい。

 警官がこの場を立ち去ろうとしている。

 そのまま一緒に出ていくか、それともここに残ってあかりが勝手な行動を起こさないように見張っておくか、決断の時だ。

 警官はゆっくりと立ち上がるとそのまま玄関のほうに体を向けた。

 しかし、僕はいくら考えても答えが出ることはなく、そのまま立ち上がることもできずにこの場に残ることになりそうだった。結局僕は、自分では何も決めることもできないまま警官の背中を見送ろうとしていた。

 警官の、「それじゃあね、くれぐれも勝手な行動を起こさないように」という念を押す声が聞こえた。

 しかし次の瞬間、歯がゆさや無力感といった複雑な感情がたまった空気を、あかりが吹き飛ばす。まるで、夜の海を照らす灯台のように。

「ほかにも……心当たりがあります」

 玄関のほうへと歩き出していた警官の動きがぴたりと止まる。ゆっくりと、こちらのほうを向く警官の目は、椅子の上で手をギュッとにぎって俯くあかりの心を見透かそうとしているかのようだ。

 慎重に、けれども力強く警官が尋ねる。

「それは、何の心当たりかな」

 あかりは未だに顔を上げない。その表情を隠すように俯いたまま言う。

「隣田君の、行きそうなところです」

 どうしてこのタイミングで、とでも言いたげな表情で警官はあかりを見る。

「それは、とても助かるね。どこだい?」

 その、聞く人によっては高圧的とも取れるかもしれない声音に対してあかりは、ようやく顔を上げ、まっすぐに警官を見上げて答えた。

「言えません」

 その予想外の一言に対して僕と警官はあっけにとられた表情になる。

 数秒の沈黙。

 警官のほうは僕よりも早く、すぐさま真剣な表情になった後、今度は誰が聞いても高圧的な声音であかりに言葉を発した。

「すまないけど、子供のわがままに付き合っている暇はないんだ。いち早く隣田君を探さなければいけない。もちろんそのほかの野球部員たちもね。早く、その心当たりのある場所というのを教えてくれ」

 いくら高校生といってもまだ子供といえる年齢である。当然、大人に逆らうにはある種の恐怖を抱えることとなる。ましてや相手は警官。そしてあかりは女の子である。怖くないはずがない。

 しかしそれでも、あかりはまっすぐに、全く目をそらさず、警官の目を見据える。

 そのまっすぐな目は、硬く閉じられた口は、あかりの心を言外に語っていた。

 しばしの沈黙の後、あかりの固く閉じられた口が再び警官に逆らう。

 僕は息をするのも忘れ、その様子を眺めることしかできなかった。

「私が案内します」

 その言葉が意味するのはつまり、自分も連れて行けということだ。でなければ、場所は教えない、と。

 警官の顔が若干ひきつる。それは目の前の少女のわがままに対する怒りのせいか、それともほかの要因か。

「もう一度言うよ。子供のわがままに付き合っている暇はない。これだけの理由じゃ満足できないか? だったらもっと言おう。君についてこられても足を引っ張れるだけで正直迷惑なんだ。君の安全を確保できるとは限らないし、万一の時責任もとれない。だから、ここは大人しく情報を提供してくれ。それとも、本当は心当たりなんてないのかな?」

 警官はあえて口調を強めているかのようだった。あかりを、守るべき一般市民を危険から遠ざけるように。その中に、子供のわがままに対する憤りが含まれていないとは限らないが。それでも僕たちを思いやってくれてはいるのか、警官は声の調子を少しやさしげにして続ける。

「僕達警察を信じて欲しい。必ず、無事に隣田君を連れてくるから、そのためにもその心当たりのある場所を教えてくれないかな?」

 その諭すような口調にあかりの瞳が一瞬揺らいだが、恐らくもう彼女のいち早くリンダのところへと駆け付けたいという気持ちは止まらないのだろう。

「子供のわがままなのはわかっています。……それでも、探しに行きたいんです。このまま、一度はここで引き下がっても、あなたがここを立ち去った後に私は絶対に隣田君を探しに行きます。我慢……できないと思うから……。だからいっそのこと連れて行ってください。それに、きっと私だって役に立つ。リンダ……隣田君のことを一番知っているのは私です。誰よりも、彼のことを知ってる……だから、きっと役に立つ。余計なことはしません。だから、お願いします」

 当然、いくら気持ちがこもっていたところでそんな言葉だけじゃダメなことは僕もあかりも分かっている。しかし、なんだか今回は、この世界は、言葉だけじゃないような気がした。

 あかりから、不思議なオーラのようなものを感じる。あかりの体から、その体の中に押しとどめることのできなかった何かが噴き出る。それはきっと、あかりの強い心によって生み出された魔力だ。

 目には見えずとも確かに感じるその力に、僕と警官は思わずたじろぐ。その魔力は言葉以上にあかりの気持ちの強さを如実に表していた。

 僕とは大違いだ。警官は僕を友達思いだといったけど、あかりに比べればなんてことはない。普通以下である。こんな、大量の魔力が僕からは噴き出なかったのだから。

 魔法の使えない大人である警官は、その未知の力から感じるプレッシャーに、思わず僕のほうを見る。

 僕は、あかりの魔力に影響を受けたのか、もう迷うようなことはなかった。あかりのようにとはいかないけど、まっすぐに警官のほうを見つめる。

 本来ならあかりを止めるために連れてきたはずの僕が、あかりの側についたことに警官は僕の目を見て気付いた。

 意志の強さを実際に感覚でとらえるという未知の体験をしながらも、それでも警官は自らの職務を全うしようとしていた。

「いやいや、だめだ。君たちが何と言おうと足手まといなのには変わらない。君たちを危険にさらすわけにはいかないんだ。さぁ、早くその心当たりのある場所というのを教えてくれ」

 言葉に焦りを感じる。もうひと押しかもしれないと、直感的に思った。

 あかりの心でも足りないというのなら、そして僕があかりみたいにもなれないというなら、僕は僕なりの方法でもうひと押しさせてもらうとしよう。

「本当に、足手まといだと思ってるんですか? ……ここに来る途中、話しましたよね、魔法のこと。今回のことについても魔法が関係しているかもしれない。もしそうだとしたら、今みたいに未知の力に少しでも通じている僕たちを連れて行った方がいいかもしれませんよ」

 屁理屈なのは分かっている。それでも、自分を納得させるために何か理由が必要だった。

「しかし! こちらにも大人の事情ってものがあって――」

 余裕が失われているのか、段々警官の語気が荒くなってきたところで、あかりがとどめだと言わんばかりに言葉をはさむ。

「そもそも!」

 そう叫んで言葉を遮ると、一呼吸おいて、

「私たちに引く気がない以上、そうするしかないと思います」

 相変わらず強引な一言。しかしまっすぐで、それゆえに勝てない。

 警官はその言葉に唖然とし、あかりの周囲に漂う魔力からその意志の強さを察すると、疲れ切ったような顔でしぶしぶ僕たちを連れていくことを認めた。

「くそっ……しょうがないなぁ……こういうの、憧れてはいたけど、実際にあると困るもんだなぁ……。万一のことがあって処分でも受けたらどうすんだか……はぁ……、独り身でよかった……いっそのこと少年課にでもいこうかな……」

 こうしてぼくたちは、若いながらも様々な苦労がにじみ出ている警官のその顔に、新たな苦労の痕跡を残すこととなった。多分、しわの一つくらい増えてもおかしくなかったように思う。



 その後、僕と若い警官はあかりの案内のもと、心当たりのある場所へと向かった。どうやらあの言葉は嘘でもなんでもなく本当のことだったらしい。

 ちなみに徒歩である。警官曰く、「パトカーの数にも限りがあってね、僕みたいな下っ端には回してもらえないんだよ」ということだ。

「で、その心当たりのある場所ってどこなんだ? そろそろ言ってもいいんじゃない?」

 僕ははやる気持ちを抑えきれずにあかりに尋ねた。

「そうね、もういいか。学校だよ。昨日、部活動のボランティアが終わった後リンダと会ったんだけど、その時リンダが言ってたの。ちょっと用事があるから先に帰っててくれって。それで、何だか怪しかったから私もついていくって言ったんだけど、絶対にダメだって言って聞かなくて……最終的には行先だけ教えてもらう形で妥協したわけ」

 ここで先ほどから黙って後ろをついてきていた警官が口をはさんだ。

「嘘をついているという可能性は?」

「ないです」

 ぴしゃり、とあかりは即座に断言した。

「理由は?」

 先ほどから警官の口数が少なく、必要以上のことを喋らない。普段がこんな感じなのか分からないために怒っているのではないかと心配になる。

 いや、怒っていてもなんら不思議ではないわけだが……

「理由ですか……。私、隣田君との付き合いは長いので、隣田君が嘘をついているかどうかはなんとなくわかるんです」

 そうだったのか。これは僕も初耳だ。特有の癖でもあるのだろうか? もしそうだったら今度こっそり教えてもらおう。

「なるほど……ね。愛のなせる業、というわけか」

「んなっ! 何言ってるんですか! 別にリンダとはそんな関係じゃ……」

 あかりは顔を真っ赤にしてすごい勢いで警官のほうを振り返り、そしてしてやったりといった顔でニヤニヤしている警官の顔を見て悔しそうにうなった。

「うう……早くいきましょう!」

 あかりはそう言うやいなや前を向き直し、先ほどよりも早いペースで歩きはじめる。

 やはり怒っていたのか、警官はそれを見て楽しそうにうんうんと頷くと、今度はそのままの表情で僕に話しかけてきた。

「どうやら満更でもないみたいだね。君はどうなんだい? 二人がくっついちゃったら?」

 大人とは思えない感じで冷かしてくるなぁ、この人。

「それはそれでいいことなんじゃないですか? ていうか、そうなった方がはっきりしていい気もしますし」

「……ほんとにどうでもよさそうだね、君……。全く……初めは熱い子かと思ったけど、案外クールだね。全く、からかいがいがないな」

 警官はやれやれというようにわざとらしく肩をすくめると、今度は打って変わって真剣な表情になった。

「……これは、言おうか言うまいか悩んだんだけど、君みたいな子は、知らないより何事も知っておいた方がいいと思っているだろう。それに、君には何事も受け止められる強さがありそうだ……」

 どうやら僕に間違った印象を持っているようだ。僕に強さなんて言葉は似合わない。だって僕は、受けとめているというより、はなから気にもさえしていないのだから。

 現実なんて、どれもこれも醜すぎて受け止められるはずがない。

 少なくとも、前の世界はそうだった。

「向さんの部屋で、僕は初めて、君が魔力と呼ぶものの存在を感じ取った。君が言うには、あれは感情の高ぶりに際して増幅するそうだね。つまりあの時の魔力は、向さんが隣田君を思ってあれほどまでに感情を高ぶらせていたということだ。それに対して君は、確かにあの時隣田君を思って行動していたのだろうが、僕が感じ取れるほどの魔力は発していなかった……」

 それ以上は、聞かなくても分かる。警官のほうも分かっていたのだろう、それ以上は言わなかった。

 それはつまり、僕が大して、リンダのことを――

「ちか、変なこと考えてないよね」

 僕の落ち込む思考を、毎度のごとくあかりがひっぱりあげる。

 最悪の考えが浮かぶ前に、あかりの凛とした声が僕の脳内を明るく照らす。そこに潜む暗闇を、全てかき消すかのごとく。

「ちか、こんな……最近感じ始めた不思議な力に惑わされないで。ちかが、リンダのこと友達だって、大切に思ってくれてることは私が知ってる。確かに……ちかは結構冷めてるところもあるけど、大切なところだけは冷めてない。そこの警官さんと一緒に私のとこに来てくれたのだって、ちかが言い出したんでしょ?」

 何も根拠なんてないはずなのに、あかりはそんなことを言う。

「最後だって、本当はいけないと分かっているのに私の味方をしてついてきてくれた。私は知ってる。ちかが、私たちのことを大切に思っているってこと。……だから、自分の気持ちを疑わないで」

 あかりは、力強くそう言い切った。

 つまりは、「私が信じてるんだからあんたも信じなさい」ということだ。強引だが、それゆえに逆らえない。

 何度彼女の言葉に救われたことか、何度も何度も、暗闇に落ち込んでいく僕を、あかりが照らし出してくれる。そして時にはリンダと一緒に強引に引っ張り上げてくれる。

 もしみんなの言う通り僕が変わったのだとしたら、この世界のせいもあるかもしれないが、やっぱり一番の原因はリンダとあかりだ。

 本当は、世界は残酷で、醜くて、汚いはずなのに……二人を通して見る世界はなんてきれいなんだろう……

「ごめん、あかり……ははは、やっぱり敵わないなぁ、あかりには」

 目の前を歩く少女が、妙に眩しかった。こんなにきれい見えた人間は、あいつくらいだろうか。ふと、あの白いワンピースの少女が脳裏をよぎる。

 しかし僕の前を歩く少女の輝きは、白いワンピースの少女のそれとは少し違う。憧れ、尊敬、憧憬、そんな言葉が出てくる様だ。こんな感情を抱いたのは、初めてかもしれない。

「……もし、リンダがいなかったら……あかりのこと好きになってたかもしれないね……」

 つい口を出た言葉に、表情には出さずとも内心驚く。

 あかりのほうも、目をぱちくりさせて僕のほうを見ていた。今日知り合ったはずの警官さえも驚いている。

「ぷっ……あはははは」

 急にあかりが笑い出した。

 その姿を見て何だか僕は恥ずかしくなる。珍しく取り乱しながら、

「笑うなよ……ふと思ったことを言っただけだって」

 あかりは必死に笑いをこらえながらこっちを見て言う。

「あはは、ごめんごめん、あまりにも意外だったからさぁ……ふぅ……ちかがそんなこと言うなんてねぇ。ふふふ、嬉しいけど残念、もしリンダがいなかったら……私たちは出会ってすらいないよ」

 そう言いながら、世界のすべてに感謝するような笑みを浮かべて、あかりはくるりと前のほうを向く。

 もしリンダがいなかったら――確かに僕とあかりは出会ってすらいなかっただろう。それがどういうことか、口元を緩め、しかし目は眩しそうに細めて僕たちを見つめる警官には分からない。そしてきっと、この場にいないリンダにも分からないはずだ。

 そして目の前の少女は歩く、リンダのいるかもしれない学校のほうへと。僕の進む道を照らすように、僕を導く明かりのように、先へ先へと――その先に何が待ち受けているのかは、この場にいる三人には何もわからない。

 それが、悲劇ではないことを、愚かにも僕は祈ってしまった。

 そんな人間じゃなかったくせに。

 〝神に逆らう者〟の名を持つくせに――神に、祈ってしまった。



 学校に着いた――否、正確には学校の正門が見えるほどの距離にたどり着いた僕たちが初めに目にしたものは、人と車の群れだった。

 正門の周りには僕の隣に立つ警官と同じ青い制服を着た人や、その人たちよりも若干偉そうなスーツの人たちがいる。そして周辺にはその人たちが乗っていたのであろうパトカーが数台。

 あかりが反射的に駆け出す。それを見た僕が慌ててあかりの後を追うように駆け出した。しかしそんな僕の手を、若い警官が掴む。

 思わず警官のほうをにらみつけ、腕を振りほどこうとするがその腕はびくともしなかった。

 警官は僕の腕をつかんだまま早足であかりが駆けて行った方へと向かう。その先ではあかりが複数の通せんぼをする警官に対して何かを訴えている。

 しかしその警官たちは頭を横に振るばかりで、あかりの言うことを聞こうとはしていないようだった。

 警官と一緒に歩いていきあかりのところへとたどり着く一歩手前のところで、警官は強引に僕を自分の正面へと立たせて、有無を言わさぬ強い口調で言いつけた。

「いいか、まず落ち着くんだ。君ならクールになれる。そして落ち着いたらあそこで取り乱している向さんをここに連れてきて落ち着かせろ。僕は一体何があったのか話を聞いてくる。それまで大人しくここで待っているんだ。君ならこれが今とりうるベストな選択だと分かるはずだ。何事も冷静さが大事だ。……冷静になったな? さぁ、行ってこい」

 僕は学校のほうをちらりと見、そして一度だけ深呼吸して心を落ち着かせる。

「すー、はー」

 ……何とか、冷静な判断ができるくらいには落ち着いた。それでも、正直心臓は早鐘のように脈打っている。リンダがいるはずの学校、そこに集まる警察やパトカー。どう考えても普通じゃない。具体的なイメージこそ出てこないものの、嫌な予感が頭をよぎる。

 そんな僕の心を、取り乱すあかりの姿が逆に冷静にさせる。

 僕は、冷静でいなければ。取り乱すあかりの代わりに、僕だけは。

 心は落ち着かせ、なおかつ迅速にあかりのもとへと駆け寄る。警察に詰め寄るあかりの腕をつかんで、先ほど警官が僕にやったように無理やり僕のほうを向かせた。

「ちか! 何なのこれ! 昨日から……リンダが! 学校にいるかも! 誰も帰ってきてるの見てないんでしょ!? ねぇ!」

 予想以上の取り乱しようだった。部屋で警官と話していた時、どれほど我慢していたのか想像もつかない。

 僕は必死に、珍しく大声をあげてあかりに呼びかける。

 確かパニック状態の人を落ち着かせるには、大きな声などをあげて驚かせるのが効果的らしい。人間は驚くと一瞬思考が停止し、それによって我に返ることができるそうだ。

 僕はとにかくあかりよりも大きな声で叫びながら落ち着くように言った。

 その声を聞いてあかりがはっとしたように目を見開く。そして俯きながら小さく「ごめん」とつぶやくと、掴んでいたあかりの腕が脱力した。

 周りで警察が何事かというようにこちらを見ていたが、それどころではないといった風にすぐに学校のほうへと視線を戻した。

 僕は急いで若い警官と分かれた地点まで戻る。

 若い警官は僕たちが戻ってくるとほどなくして駆け足で戻ってきた。

「二人とも、落ち着いたかい?」

 僕は努めて冷静に「はい」と返事をする。

 それに対してあかりは全く元気がなさげに「はい……すいませんでした……」俯いたまま答えた。

 こんなあかりの姿を見るのは初めてだ。

 僕はあかりのほうを気にしながらも警官に今の状況がどういうことなのかを尋ねた。

「これは、一体どういう状況なんですか?」

 警官は冷静を装ってはいるが、心なしか表情に余裕がない。

「それなんだが、にわかには信じられない話なんだけどね……ここに、野球部の一人が連れていかれるのを警察官の一人が目撃したらしくてね……」

 そこまでは信じられない話ではなかった。しかし、困惑した口調の警官の口から僕の頭では理解できない話が飛び出す。

「それで、その連れ去った人物……いや、この場合人物ではないのか……とにかくその連れ去ったものというのがだね……白い、化け物だったそうで、今はその白い化け物の妨害によって学校に入れないそうなんだ」

 あまりに突拍子のない話に、僕の頭が普通とは逆にさらに冷静になる。

 白い化け物……? 

 普通なら信じなかっただろう。警察も何かの見間違えだと断定するところだ。

 しかし、今の状況がその話にリアリティを持たせる。もうここは、僕たちの知っている世界ではないのだから。

 僕の頭は自分の持っている知識の中から必死にその白い化け物を理解しようとする。真っ先に頭に浮かんだのはもちろん、魔法だ。とりあえず、その白い化け物は魔法に関係する何かだろう。

 僕の頭は高速で回転を続ける。

 あいはそんな化け物がいるなんて一言も言ってなかった。そもそも、あいはきれいな世界にしたくてこの世界に魔法という新たな法則を付け加えたのだ。

 だったら、人に危害を加える化け物なんかを作り出すとは思えない。

 ……ということは、その化け物は人為的なもののはずだ。この世界の自然的出来事ではなく、人間の意志によって生み出された魔法的何か。それが今回の白い化け物。

 僕の頭はそこまで結論付けると、一度思考を切り替え、次の行動を行うための指令を体に出す。とにかく、その白い化け物をこの目で見て確かめなければ。

 見てどうにかなるものではないが、思考でその考えるべき対象をきちんとイメージできるかは重要だ。

「その、白い化け物の写真とかありますか?」

「無い……が、そもそもその必要もない」

 そう言うと若い警官は僕たちを学校の敷地内がよく見える警察の少ない方へと連れていき、校内のほうを指さした。

 その指の先にあるものに、僕とあかりは絶句する。

 そこには、生き物とは思えない、人間の形をした何かが立っていた。遠くにいるのであまり細かく判断はできないが背丈は僕と同じくらいだろうか、その人間の形をした何かは、見張りをするように扉の前に立っている。

 そして、それが人間でないと断言できる理由――それは、その色にある。先ほど若い警官が白い化け物と呼んだように、その色は全身真っ白だ。

 一見すると白いタイツで全身を覆った変質者にも見えるかもしれないが、その滑らかすぎる表面は金属光沢のようなものを纏っており、光を、当たり方によっては七色に反射している。

 目もついていないのに辺りを見回すように時折動くその首は、完全に人間のそれだが、まるで液体が形を持って動いているかのようにその表面にはしわ一つできない。

 例えるなら、白い水銀を限りなく人間の形に近づけて動かしているような、そんな感じだった。

 そんな――そんな謎の物体が、十数体ほど学校の敷地にいた。扉の前に立って辺りを見回しているものもいれば、校舎の周りを巡回しているものもいる。

 異様な光景だった。

 見知ったはずの学校で、謎の物体がうろちょろしている。その理解不能な光景が、たまらなく恐ろしい。人間の、未知のものを恐れる本能に直接訴えかけてくる。

 その正体も、危険性も、目的も、行動基準も、何もかもが不明。それは僕たちに、自然とどこからか湧き上がってくるような気持ちの悪い恐怖を与えている。

 さっきは何者かの人為的な魔法によって生み出された化け物なんじゃないかと考えたが、とんでもなかった。こんなものをこんなにも生み出せるなんて、人間にできることとは思えない。ましてやあれが、人間の心から生み出されたものだなんて、思いたくもなかった。

 僕たちがその無機質な白い化け物たちに目を奪われていると、校舎の中から一人の人間が出てきた。着ている服が白かったので僕は一瞬また白い化け物が出てきたのかと思ったがそうではなかった。中から出てきたのは、僕たちのよく知る人物だった。

「……リンダ!」

 思わずあかりがその名を叫ぶ。

 その声が届いたのか、白い野球のユニフォームを着たリンダがこっちの方を向いた。恐らく向こうも僕たちの存在に気が付いたことだろう。しかしリンダはまっすぐに、ざわめく警察の集まる正門のほうへと歩いていく。

 あかりが正門のほうへ回りこもうと走り出す。それを合図にするように僕もまた駆け出していた。今度ばかりは警官も止めない。僕たちのすぐ後ろを一緒に走っている。

 正門に着いた時、リンダは警察官数名に囲まれてパトカーの中へと連れこまれているところだった。

 リンダのほうへと駆け寄ろうとするが、警察が邪魔でパトカーには近づけない。友達だと説明すると、話を聞いた後で会わせるから待っていて欲しいとのことだった。

 何が何だか分からないが、とにかくリンダの無事だけは確認できたので僕とあかりはほっと胸をなでおろしながらリンダと警察の話が終わるのを待っていた。

 それから大体三十分後、僕とあかりと、何故かまだいる例の若い警官のところにリンダが警察に案内されながら連れられてきた。

 学校で一体何があったのか、いつも前を向いて堂々と歩いているはずのリンダはうつむいて歩いている。また、その顔は野球帽で隠れて見えない。しかし、明らかに元気がなかった。

 警察たちは僕たちの姿を確認するとリンダに一言何か言って、きた道を引き返していった。

 後に残されたリンダが、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。

 僕とあかりは待ちきれずに、こちらからもリンダのほうへと近づく。

 まるでこちらに来るのをためらっているかのようにゆっくりとしたペースで歩いてくるリンダに対し、僕たちのスピードはどんどん速くなっていた。

 三人が、そろう。

 僕はリンダの体のあちこちを正面から見える範囲で確認する。特にけがはしていないように見えるが、野球のユニフォームのあちこちが汚れていた。

 リンダは気まずそうに何かを言おうとしているが、言葉を見つけきれずにとりあえず帽子をとった。

 そして、それを合図にするかのように、うつむいていたあかりが突然リンダに抱き付いた。

「心配……したんだから……」

 涙声でそう言った後、服が汚れるのも気にせずにあかりはリンダの胸の中で嗚咽を漏らし泣き続けた。

 リンダは、ただひたすら「すまん」と言いながらそんなあかりの頭をなで続け、僕のほうを見て力なく笑うのだった。



 それからしばらくしてあかりが落ち着くと、いつの間にか姿を消していたあの若い警官がパトカーを一台借りてきていた。

 僕たち三人はそのパトカーに乗って学生寮のほうまで送ってもらいながら、リンダから一体何があったのかを聞いた。

 初めリンダは何も語ろうとしなかったが、先ほどまでの心配が段々とイライラに変わるあかりを見て観念したようでしぶしぶ語り始めた。語りはじめるリンダの顔は本当に辛そうで、僕とあかりは途中から、つらいんだったら話さなくてもいいと言ったが、リンダはどうせなら話しておきたいと言って最後まで話し続けた。

 リンダ曰く、全ての元凶は野球部でのいじめにあったそうだ。そのいじめには部長であるリンダを除くほぼすべての部員が関係していたらしく、いじめられていたのは一人、神亜創かみあはじめという一年生なのだそうだ。

 神亜創の野球の実力は入部当初から既に部内で一番だったらしい。一年生にしてエースで四番、そんな漫画のような存在だった彼はそれでも驕らず真面目に練習に取り組んでいたそうだ。しかし、彼が来るまでエースだった部員や、彼のせいでレギュラーに入れなかった三年生などの嫉妬は、彼の人柄などには関係なくぶつけられることとなった。それも、いじめという陰湿で最低な方法で……

 そして今なお解決されていない事件は、そんな彼が復讐のために起こしたものらしい。魔法という力を手にした彼は、その力を使って今までいじめを行ってきた野球部員に復讐を果たそうとしたのだ。

 しかしながらリンダはもちろんいじめになんて参加していないし、そもそもその存在さえも知らなかったので復讐の対象とはならなかった。だからあの白い化け物がリンダをさらいに来たわけではないらしい。あかりの話の通り、リンダのほうから学校に向かったのだそうだ。

 部活動単位でのボランティア活動の帰り、リンダは偶然、野球部員が白い化け物に学校へと連れ去られていくのを目撃したらしい。そしてその白い化け物の前を、まるで統率者のように歩く神亜創も一緒に。

 その後、こっそりと後をついていったリンダは最初に連れて行かれるのを目撃した部員のほかにも何人かの部員が白い化け物に拘束されているのを発見し、助け出そうとしたが逆に白い化け物に捕まってしまったそうだ。その後神亜創がやってきていじめの件について話を聞かされたのちに、リンダ自身は全く関与していなかったのを理由に解放されたのだそうだ。

 神亜創は言ったらしい。

「別に殺すつもりなんてありません。ただ、何もせず泣き寝入りするのだけは悔しいんで何か仕返しだけはしたかったんです。だから、こんな騒動を起こしてしまったことだけはちゃんとあとで警察にでも何にでも謝りますから、部長は帰ってください。部長は何も知らなかったんですから……まぁ、それもそれで部長としてどうかと思いますけど……やっぱり悪いのはほかの人たちですからね」

 恐らく、リンダが最もショックを受けているのは、自分がいじめの件に気付けなかったということだろう。

 リンダは、野球以外のことには基本的に興味がなく、そのほかのあらゆることに関して鈍感なのだが、そのくせ部長としての責任感は強いらしく今回のことに関して責任を感じているのだった。

 だが、もう終わったことだ。リンダは無事に帰ってきた。今はまだショックを受けているが、この間の路地裏の事件のようにすぐに立ち直るだろう。人間とは、そういうふうにできている。

 きっといじめを行っていた野球部員たちも神亜創という一年生の気が済めば解放されるはずだ。リンダの話を聞いている限り、殺すつもりもないらしいし、落ち着いているようだ。やり過ぎるということもないだろう。あの白い化け物は不気味だったが、全く未知のものであったからなわけで、魔法という存在に慣れればそのうち案外平気になるかもしれない。

 きっと、明日には全員が解放され神亜創も警察に事情をすべて話すことだろう。いじめを行っていた野球部員たちがひどい目にあうのは当然の報いでしょうがないことだ。

 終わった……すべて、解決した。あとはもう僕には関係のないことだ。

 だから、喜んでもいいはずなのに、隣にいるリンダの様子を見るとどうも釈然としなかった。

 パトカーで学生寮の前まで送ってもらった後、車を降りる僕に警官がこっそりと話しかけてきた。

 ほかの二人には聞こえないように、警官は声を落として話す。

「隣田君のことだが、気を付けていてくれ。相当気に病んでいるようだ。もしかすると、一人で学校まで引き返しかねない」

「そんなことは……ないと思いますが」

 いくら責任を感じているとはいえ、さすがのリンダもそんなバカなことはしないだろう。

 うん、しないだろう…………と思うが、やっぱり心配だ。

「それと……もう一つ気になったことがある」

 何だろう? ほかに気にすることなんてあるのか、僕には全く心当たりがない。その心当たりのなさが、逆に僕の不安感を煽る。

「隣田君の話を聞く限り、彼はボランティアの帰りに白い化け物を目撃しそのまま後をつけて学校に行ったそうだね。そして先ほどまでずっと学校にいた。これは疑いようのない事実だろう」

 警官の言いたいことが分からない。警官の言葉を聞く限り何もおかしいところなんてないはずだ。しかし、次の言葉で僕は自分の愚かさを思い知る。

「隣田君の言っていることが疑いようのない事実なのだとしたら……向さんは一体いつどこで隣田君が学校に行くことを知ったんだろうね?」

 脊髄に電流が走ったような、嫌な感覚に襲われる。ピリピリと、手がしびれた。嫌な汗が噴き出てくる。

 あかりは学校に行く前のリンダに会ってリンダが学校に行くことを本人から聞いたと言っていた。しかし当のリンダは、白い化け物を見つけてからそのままずっと尾行して学校までたどり着いたと言っている。これは明らかにおかしい。

 どちらかが嘘をついている? どちらが? 

 そんなのもちろん、あかりに決まってる。あれはただこの警官を納得させるための方便だったに過ぎないのだ。そうだ。それで解決じゃないか。

 そう自分自身に言い聞かせようとする。しかし、あかりは僕たちを確かに学校のほうへと案内していた。それはつまり、あかりはリンダが学校にいることを知っていたということだ。

 おかしい……何かが……。言い知れぬ不安が僕を襲う。

「まぁ、今のところはひと段落ってところだ。でも、注意しておいてくれ」

 警官は、そう不吉な言葉だけを残してパトカーで去って行った。

 警官と別れた僕たちはいつも通りあかりを女子寮の前まで送った後に、僕とリンダの二人で男子寮へと帰る。

 リンダは何か考え込んでいるような様子で、部屋の前に着くまで一言もしゃべらなかった。

 扉の前で、お互いにじゃあ、と言ってそれぞれも部屋に入っていく。僕は、しばらくの間扉の内側からのぞき窓を通して外を監視した。

 あかりのほうも気になるが、今はリンダのほうが優先だ。もし学校に行こうとするなら、今日しかないだろう。明日には恐らく終わっているのだから。それはつまり、今日さえ乗り切ればいいということだ。この件が片付けば、もう何も心配することなどないだろう。あかりのことも、もう事件さえ解決してみんな無事ならば何も気にすることなどなくなる。

 だから、僕は今日ばかりは頑張らねばならないと不相応にも思った。

 もしリンダが外出するなら、学生寮の構造上必ず僕の部屋の前を通ることとなる。

 しかし、僕の杞憂だったのかしばらくたってもそこにリンダが現れることはなかった。

 ふぅ、と息を吐き、安心してのぞき窓から目を話そうとしたところで、ガチャリ、と隣の部屋の扉が開くような音が聞こえた気がした。

 慌ててのぞき窓に目を戻す。

 そこには、僕の部屋の扉をちらりと見て、何かを呟くリンダの姿が映っていた。その口の動きが、僕には「すまん」と言っているように見えた。

 本当に、学校に行こうというのか、リンダは――

 にわかには信じられず、数秒体が動かなかった。

 我に返った僕は急いで扉を開ける。扉が開く音に驚いたリンダが、廊下の向こうで振り向いた。目が合って、お互いに少しの間固まる。

 先に声をかけたのは僕だった。

「どこに、行くんだ?」

 リンダは笑顔だったが、その笑顔が作られる前、一瞬だけ見せた表情が僕の脳裏から離れない。何か思いつめたような顔。そして、同時に何かを決心したような顔だ。

「ん? ランニングだ。ちょっと気晴らしにな」

 何気なくリンダは言うが、僕にはもうその言葉が真実だとは思えない。

 はっきり言えばいいのに、思わずリンダを追い詰めるかのように僕は言う。

「だったら、僕も行くよ」

 リンダの顔がこわばってきた。僕が、リンダが学校に行こうとしているということを、見抜いているのではないかと疑っているのだろう。

「……気持ちはありがたいんだが、ちかじゃ俺のペースにはついてこれないだろ」

 しばしの沈黙、僕とリンダはお互いの心を読もうとするようにお互いの目を見る。先に目線をそらしたのはいつもとは違ってリンダのほうだった。

 それを合図にするかのように、僕は核心に触れる。

「本当は、学校に行くんだろ……もう、いいじゃないか……明日には終わってるって……。そりゃあ、部長として責任を感じるかもしれないけどさ……でも、今更何もできないよ。いじめが行われていた事実は変わりようがない。だったら、仕返しして終わりでいいじゃないか」

 リンダは、自分が学校に行こうとしていたことを見抜かれたことに気付いてから作り笑いをやめた。表情の豊かな方であるがゆえに、珍しく何の表情も見せていないリンダの顔は、一体何を考えているのか分からない。

「……なぁ、ちか……正直俺さ、何か違和感みたいなのには気づいてたんだ……。神亜がレギュラーに選ばれてからいっときして、段々と練習中のあいつの顔から笑顔が消えていってるのに、俺は……あいつの投げる球のことしか考えてなくて……部長失格だな……」

「だから、自分も罰を受けに行くっていうのか……」

 リンダは、少し考えてから口を開く。

「……そういうわけじゃ、ないのかもな。いやもし、それであいつの気がそれで収まるならそうするけど、あいつはいいやつだから本当に俺を恨んでねぇ。ていうかそもそも、俺はまだ信じられねぇんだ……いじめを行った奴らも含めて、そんなに仲は良くなかったけど、一緒に野球頑張ってきたやつらなんだよ……だから、そんなことしてたなんて……」

「でも、こんなことになってるんだから、なかったってことはないだろ、いじめ。それもこんな大事を起こすくらいなんだから……言いにくいけど、ひどかったんだと思うよ」

 嘘も、慰めも、苦手だから、思ったことをそのまま口にした。

 それに対してリンダは悲しそうに笑ってから、「そうだよな」と今もなお現実を見ていなかった自分に悔しがるように歯を食いしばる。

 そして、それでも大人しくはできないのか、学校に行くことをあきらめようとはしなかった。

「それでも……行かなきゃならねぇだろ。部の問題なんだよ。こんな俺でも部長は部長だ。だったら、行かなきゃだろ」

 だけど、僕も引かない。これ以上あかりに心配をかけることはできないだろうし、あの白い化け物が頭に浮かぶたびに、どうしてもリンダをあそこに近づけたくなくなった。

「その野球部も、こんな状況じゃ……ないも同然じゃないか」

 そんな僕の言葉に、リンダは雷でも落ちたかのような顔になって、そしてすぐにその顔に怒りの感情が表出した。

「そんなの、関係ねぇだろ」

 リンダのこんな顔は初めて見た。必死に怒りを押さえつけようとしている。

「確かに、世界はこんな風になっちまったけど……もう二度と元には戻らねぇのかもしれねぇけど……あいつらとは一緒に頑張ってきたんだよ」

 初めて見るリンダの怒った顔に、僕は目をそらすこともできなかった。ただ、その言葉を受け止める。いや、受け止めるのとは違う。僕はその言葉を、よけることも受け流すこともできなかっただけだ。

「大体……何なんだよお前は! この前路地裏であんな光景見た時も、ひとり平気そうな顔しやがって! それだけじゃねぇ、世界が崩壊してから、楽しそうに……まるで今の世界が美しいみたいにしてやがる! ……お前、初めて会ったとき言ってたよな、『僕は世界が嫌いだ』って。お前が望んでた世界ってのはこんな世界なのかよ! 路地裏であんなことがあって……俺の後輩があんな化け物生み出して……こんな世界が好きだっていうのかよ!」

 ベランダのようになっている学生寮の廊下にリンダの怒鳴り声が響く。

 僕は、何も言えなかった。

 そのかわりに、リンダが喉の奥から絞り出すような声で小さく言葉を吐き出す。

「俺、馬鹿だからうまく言えねぇけどさぁ…………なんか、違うだろ」

 ただ何も言えず壊れたロボットみたいに首を落として突っ立っている僕に背を向け、リンダは一言、「怒鳴って悪かった」と言ってからその場を立ち去った。

 止めることなんて、できなかった。



 それから僕は放心状態のまま部屋へと戻り、ふらふらとベッドに倒れこんだ。

 誰かからあんな風に怒鳴られたのはいつぶりだろうか? 父も母もそんな人ではなかった。しいていうなら姉くらいか、僕に怒鳴ったりしたのは。そのたびに僕は言い返すこともできずにただただ圧倒されるだけで、口論にすらならなかった。相手が思いっきり感情をぶつけてくるのに、こちらは何も言わない。

「卑怯……だよな……」

 思わず口を突いて出た独り言に、答える者はいない。

 ただ、その代わり、僕の体に巻き付いてくる腕があった。

 普段はおしゃべりなくせに今回は黙って僕に抱き付いてくるあいに、僕は珍しく自分から話しかける。

「いたのか……」

「……いたよ、ベッドに倒れこんだ時から」

「全然気づかなかったよ」

 あいは、顔を隠すように僕の脇腹あたりに顔をうずめている。そこから聞こえるくぐもった声は、泣いているのかと思うような声だった。

 そして、その声であいは尋ねてくる。

 いつもみたいに突然。

「ねぇ、ちか……この世界……好き?」

 先ほどの話を聞いていたのだろう。自信はなさげだ。

 相変わらず僕には嘘も、慰めも言えない。

「分からない……分からなく、なった……」

「今学校で起こってることって、前の世界の悪いことを引きずって起きてるんだよね……だから、これが終われば良くなるのかな……それとも、結局変わらないのかな……この世界って汚いままなのかな……」

 不安がる少女の質問に、僕は答えられない。

 そしてもう一つ、質問が付け加えられる。

「私がしたことって……間違いだったのかな……」

 あいがしたこと――それは、世界をこんな風にして、魔法という新たな法則を付け加えたことである。動機は、前の世界があまりにもひどかったから。だから、よりよい世界にしようと、前の世界を崩壊させて世界に新たな法則を付け加えた。

 それがたった今、僕の友達によって否定された。

「こうなることはね、分かってたの……前の世界に引きずられて、何か醜いことが起こるってことは分かってた。けど、やっぱりつらいね……否定されるのって……今までずっと見てるだけだったから……実際に何かをしたのは初めてなんだ。余計……だったのかな? 悲しいこと……増えちゃったのかな?」

 そんなことはない、と一言いってやればいのだろうか? 思ってもない癖に、そんなこと分からないくせに、無責任にもそんな慰めの言葉をかけてやることなんて僕にできるのか。

 そんなこと、僕にはできない。

 だから卑怯者の僕は、ほかの質問をして話を逸らした。

「なぁ、あい……あの白い化け物って何なんだ? 魔法ってあんなこともできるのか?」

「こういう時は、質問してくれるんだね……」

 その、あいにしては珍しい皮肉を表す言葉が、僕の心に大きな痛みを与える。

「……いいよ、それでもちかからの質問は嬉しいから、答えてあげる」

 そう言って顔を上げたあいの顔は、部屋が薄暗くてよく見えないけど、口元は笑っているように見えた。

「あの白い化け物はね……言ってみれば神様の出来損ないかな。神亜創って言う人の魔法で生み出された神様の亜種――それがあの白い化け物だよ。ねぇちか、神様って何だと思う?」

 突然の質問。あいは僕の答えを聞く前に次の言葉を発した。

「神様ってね、元々は世界のシステムみたいなものなの。分かりやすいとこでは、時間はまき戻らないとか、地球上では物体が重力に従って落下するとか、水や火とかいった概念なんかもそうだね。そんな、世界中にありふれたシステム――それが神様なんだよ」

 なんとなく、あいの言いたいことは分かる。人間は古来より、自分たちが理解できないことを神の仕業だとしてきた。雷が落ちれば神の怒りだと恐れ、雨が降れば神の恵みだと喜ぶ。そんな世界のシステムを神と呼んで崇めてきた。もっとも、それらが科学で説明できるようになってからはそんな信仰も廃れていくばかりだ。

 そしてここから、あいの話は少し難しくなる。

「でも、しばらくすると人間は神様に、人間でいう人格のようなものを与えた。神様に意志があると考えたんだね。ほら、よく神の怒りとか言うでしょ? ……そして世界なんてものは、結局のところ人間の認識するものでしか成り立ってない。虫の世界と人間の世界って一緒だと思う? 虫と人間って見えてるものも感じてる時間も違うよね。だったらそれってもはや違う世界って言ってもいいんじゃないかな。これは一人一人の人間にも言えることなんだけど、同じ生物の場合は見えている世界も感じている世界もほとんど同じだから、多少の誤差はあっても同じ世界で生きていると言える。まぁ、結局はどのくらい大きな視点で見るかっていう問題なんだけどね……ものすごく大きな視点からいえば虫も人間も同じ世界で生きてるって言えるし……っとまぁそれはいいとして、とにかく人間の認識する世界において、神様は意志を持っちゃったんだよ。そして、神亜創はその神様の一人。一体何のシステムを担当している神様なのかは分からないけど、あんな風に何体も神様の亜種を作るなんて神様じゃなきゃ無理だよ」

 神亜創が、神様……全く持って荒唐無稽な話だが、あいが神様の亜種と呼ぶあの白い化け物を操っていることを考えると、それほどの存在でもおかしくはないと思えた。

「前の世界ではね、自分が神様で世界の何かしらのシステムを担当しているだなんて気付く神様はほとんどいなかった。ただの人として生きて、死んで、そしてまたほかの誰かがそのシステムを受け継いでいた。科学の力で人間が神の存在を否定し始めたからね、いないと思ってるから自分がそう言う存在だとも気付けなかったんだろうね。でも今、私が世界を崩壊させた影響によって自分が神様であることに気付くものたちが増えた。そして神様にはこの世界のシステムを担うために莫大な力が備わっているんだよ。そしてその力があればあんな風に、普通の魔法じゃできないようなレベルのこともできる。それでも、できることは限られるんだけどね」

 つまり、人間が神様には意志があると考えたから本当に神様に意志が宿ったということか。そして神様とはこの世界のシステムそのものであると……

 なんだかよく分かるような分からないような話だが、とりあえず聞いたままに受け入れるのがこの僕だ。疑いもしなければかといって信じるわけでもない。本当ならいいし、嘘でもそれはそれで構わない。僕はこういう話に関しては基本的にこういうスタンスだ。

 ひとしきり説明を終えた後、あいは再び僕の脇腹のあたりに顔をうずめるようにした。

「その神亜創って人は……どう思ってるのかな? 自分をいじめてた人たちに復讐できて喜んでるのかな……。ねぇちか、それって……悪いこと? 私ね、さっきちかの友達があんなこと言ってるの聞いて……そして、それに対してちかが悲しそうにしてるの見てね……わかんなくなっちゃった……やっぱり世界は……相変わらず醜いね……ちかは、どう思う?」

 その質問に、僕はやはり答えられない。答えなんて、出せなかった。

 しばしの沈黙の後、いきなり玄関のチャイムが鳴った。

 ベッドから起き上がり、ちらりとさっきまであいと二人で寝ていたはずのベッドのほうに目を向けると、やはりそこには誰もいなかった。

 まるでそこには最初から誰もいなかったかのように、こつ然と姿を消している。

 ただ、僕の服の、ちょうどあいが顔を押し付けていた脇腹のあたりが、まるで彼女の存在と感情を表しているかのように濡れていた。

 ドンドン、と僕を急かすように扉が叩かれる。

 なんとなく、誰が来たかを確認する前からその扉を開けるのが嫌だった。誰がやってきたのか、大方の予想はつく。そしてその理由も。

 リンダの顔が心に浮かんだ。といっても僕はリンダが来たと思っているわけではない。予想する訪問者からその顔が連想されるだけだ。

 僕は暗い気持ちで玄関へと向かったが、僕がたどり着くより先に扉のほうが勝手に開いた。ぼんやりと、開いた扉から現れた人物から思考を逃すためにどうして扉があいたのか考える。

 まぁそんなこと、すぐに分かるしどうでもいいのだが。

 鍵をかけていなかっただけだ。リンダと分かれて、放心状態だった僕が鍵をかけ忘れただけ。ただそれだけのこと。

「ちか、さっきリンダが学校の方向に向かうのを見かけたんだけど何か知らない? と、とにかく追いかけなきゃ」

 あかりは慌てて、勝手に入ってきたことにも触れずにそんなことを言った。

「ああ、知ってるよ。リンダは学校に行った」

 まるで感情のないロボットみたいに事務的に伝える。

 そんな僕に対してあかりは様子がおかしいと思ったのか、心配そうに言う。

「どうしたの……ちか? ていうかそれだったら、早く私たちも学校に行こ――」

「なんで?」

 別に怒っているわけじゃない。だってそんな理由なんてないんだから。なのに、どうしてか僕はあかりの言葉を遮るように質問する。

 まるで、解けない問題の答えを早く教えろとごねる子供のように。

「なんで僕たちまで行かなきゃいけないんだ?」

 僕が何を言っているのか分からないと言った風で、あかりは少し声を荒げて答える。

「何でって……!? そんなの心配だからに決まってるでしょ!?」

「だったら大丈夫だよ。リンダは自分の意志で行ったんだ。だったら僕たちに心配する必要なんてないだろ。何があったって自己責任じゃないか。……いじめをやってたやつらだって同じだよ。あいつら自身が悪いんだ。これ以上、僕たちが干渉することじゃない。そもそも野球部の問題なんだから、僕たちは関係ないだろ」

 さっきはリンダに、野球部なんてなくなったといったくせに、何を言っているのか……全く持って虫のいいやつだ。

 自分でも、どうしてこんなことを言っているのか分からなかった。

「ねぇちか、それ本気で言ってる?」

 あかりは怒っているのか、怪訝そうな顔をしている。

 そして次は心配そうな声になる。

「何があったの? リンダと会ったんだよね。リンダがここを出る前に」

「……うん」

 目を伏せて黙る僕に、あかりはもう一度尋ねる。

「何があったの?」

「止められなかっただけだよ。リンダを……止めることができなかった」

「だったら、早く追いかけようよ」

 何故だろう? あかりのこの提案に対して僕は首を縦に振ることができない。行く理由が見つからない。リンダは別に追いかけてくることを望んではいないだろうし、僕たちが行ったところで邪魔なだけだ。そうだ、理屈で考えれば僕とあかりがリンダを追いかける理由なんてないじゃないか。あかりはあの白い化け物を見たせいで心配し過ぎているだけなのだ。あれが何なのかあいから詳しく説明してもらった僕とは違うから、こんなに不安になっている。

 それに、リンダは言った。何かが違う、と。路地裏の件や神亜創の件について、何かが違う、と。一体何が違うというのだろうか? 路地裏で不良に襲われた青年は、大切な人を守りたいというその心で不良たちから大切な人を守った。いじめを受けていた神亜創もまた、新たに得た力で今まで受けた仕打ちの仕返しをしようとしている。何も違わない……何も間違ってはいない――はずなのに、僕はあいの質問に対して、何も答えることができなかった。

 そして今目の前にいるあかりも、リンダと同じ考えなのだろう。

 改めて、差を感じた。

 どうして今までうまくやってこられていたのか分からない。こんなにも、どうしようもなくずれているのに。

 きっと、僕が醜いと思っていたあの世界は、彼らにとっては美しかったのだろう。そして、僕が美しいと思ったこの世界は彼らにとって美しくなかったのだ。

 そのことが僕にはまるで、この世界になってリンダたちとたくさん笑いあった出来事さえも否定されているように思えて、何だか悔しかった。

 だから僕は、いじけた子供みたいになって言う。

「リンダが一人で行きたいから一人で行ったんだ。追いかける必要なんてないさ」

 そんな僕の心を見透かしたように、あかりは強い口調で僕に言葉を浴びせてくる。

「何いじけてるの! そんな、遊びに誘ってもらえなかった子供みたいな顔して! ちかも心配なんでしょ? 理由なんてそれだけでいいじゃん!」

「決めつけるなよ、僕は別に心配なんてしてない」

 あくまで態度を崩そうとしない僕に対し、あかりはついに我慢の限界に達したのか、僕の両肩をつかんで、無理やり目と目を合わせる。

「いい加減にして。なんであんたたちっていっつもそうなのよ! リンダは普段元気で、ちかは普段落ち着いてるくせに、二人とも何かあるとすぐに暗くなる。特にちかは、すぐに自分なんかって言い出すんだから! もっと自分に自信持ってよ!」

 あかりが――何度も何度も僕を暗い気持ちから引きあげてくれたあかりが――僕をまた暗闇から引き上げようとしている。

 でも、それは今の僕にはあまりにも眩しく、そのせいで逆に僕の闇が濃くなっている気さえした。いい加減切り離したい。ようやく世界が美しく見えそうだったのに、それなのに数少ない大切な友達にそれを否定してほしくなかった。

 それに、最近のリンダとあかりを見ていると、僕は邪魔なんじゃないかと思う。僕なんかいない方が二人は楽しくやっていけるんじゃないだろうか……

 警官の言っていたことも気になる。その不信感が、僕の感情をさらに悪い方へと持っていく。

「どうやったら自分に自信持ってくれるのよ……」

 あかりがうんざりしたような口調で言った。

 そりゃそうだ。うんざりもするだろう。そしていつか見放されるのだ。

 今はそうじゃなくても、これからいずれ僕が邪魔ものになる日が来そうな気がした。ずっと昔から仲良くやってきたリンダとあかりにとって僕なんて異物に過ぎない。きっと僕が二人の間に入れることもなくなっていくのだろう。もしそうなったら、つらい。だったらもういっそのこと、ここらで自ら断ち切った方が楽な気がする。

 そう思ったから僕は、最低な言葉を口にする。最後に、あかりの傷つくような顔を見るのはつらいけど、そんなことさえもどうでもいいような気がした。

「どうやったらって……そうだね……じゃあ僕のものにでもなってくれよ……あかりの初めてでも貰えれば……自信くらい持てるんじゃないかな?」

 ……ああ、終わった。

 これで、何もかも。

 我ながら最低だ。

 最低の台詞過ぎて笑えてくるくらいだ。

 流石のあかりもこれで諦めてくれるだろう……嫌われるのはつらいけど、こっちの方がまだましだ。あとから邪魔者扱いされるよりかはずっとましだ。

 そして僕は驚きの表情を見せるあかりに、さらに突き放すように言う。

「無理だろ? それじゃ、もう僕には構わないでくれ。リンダを追いかけたいなら一人で行ってくれよ」

 これ以上あかりのほうを見ていられなくなった僕は、逃げるように背を向け部屋の奥へと戻ろうとする。

 喪失感と開放感の入り混じる僕の心境は、それ以上の悲しみのようなものに支配されていた。

 しかしそれでも、離れ行く僕の体と心をあかりの手が引き留める。

 一瞬何が何だか分からなくなった僕の体が、あかりによって無理やり回転させられた。

 あかりのまっすぐな視線が僕を射抜く。

 たじろぎ、力の抜けきった僕の体をあかりが押し倒し、そのまま覆いかぶさるような姿勢で、あかりは僕の目から決して目線を逃がさずに言った。

 強く、静かに、夜の闇を照らすあたたかな松明の炎のように。

「いいよ……それで、ちかが自分に自信が持てるなら。私はそれで構わない。でも私が――私が愛してるのはリンダだけ。それは変えようがない。……それだけは、覚えておいて」

 予想外の展開に戸惑う僕に、あかりはさらに畳みかける。

 僕の心の中を見透かすような澄んだ瞳で。

「私が、そんな言葉でちかを見限ると思った? 甘く見ないで。私はそんなことで友達を見限ったりしない。ちかがどんなに自分を嫌いだと言っても、どんなに世界が嫌いだと言っても、私が何度でも否定してあげる。私にそれができるなら――何度でも、何をやってでも、ちかが自分を好きになれるように、ちかが世界を好きになれるように、私がしてあげる。迷惑だと思われてもいい。重いって思われてもいい。押しつけがましく思われたっていい。嫌われてさえ構わない」

「ど……どうして……そこまで……」

 あまりに自分と違いすぎて疑問の言葉が口をついて出た。

「そんなの決まってる。私の心が、そうしたいって言ってるから。ちかは、友達だから」

 勝てない、そんな言葉が頭に浮かんだ。このひたむきさには、この眩しさには、絶対に勝てないと思った。

 あかりのまっすぐで力強い目をしばし眺めた後、僕は、浮いていた頭をごろんと床につけ、目をつむってため息をつく。

「はぁ…………結局、敵わないなぁ……あかりには……」

 僕の敗北宣言を聞き、あかりは一転して満足そうな表情を浮かべた。

「当たり前じゃないの。で、ほれ、どうすんのよ?」

「……行くさ。行けばいいんだろ」

 ついに僕から望んでいた言葉を吐き出させたあかりは立ち上がると僕のほうに手を差し出してきた。

 その手を取って、立ち上がる。

 まるで、地獄から引き揚げられたような気分だった。

 なんだか、さっきまで悩んでいた僕が馬鹿みたいだ。いや、事実馬鹿だったのだろう。初めて友達と喧嘩して傷ついて、拗ねてもう一人の友達に八つ当たりした。あいを引き合いに出してまで自分に言い訳をした。最低な言葉もぶつけた。そこまでしても、あかりは僕を見捨ててはくれない。こんなダメな僕を、見捨ててはくれない。

 彼女は言う。友達だから、と。友情とはこんなにも重たいものなのだろうか? そうなのだろう。だから僕には持っていられなかったのだろう。だから僕は捨てようとしたのだろう。しかし結局、捨てることすらも、僕にはできないのか。逃げることすらも――できないのか。

 ならば。

 僕はようやく前を向く。初めて前を向く。あかりの照らす方へ。

「そうと決まったら早く行こ!」

 そう言ってあかりは玄関から飛び出していった。僕がついてくることは当たり前だというように。そんなはずないのに。全く、あまりに勝手な考えだ。僕がついていかなければいけない理由なんてどこにあるというのか。そもそも僕のものになるという約束はどこへ行ったのだろう? 別に本気で言ったわけじゃないが。

 しかしその強引さに逆らうことなどできない。〝神に逆らう魔法〟なんて使えるくせに、友達の女の子ひとりにも僕は逆らえないのだ。

 あの不信感さえもどうでもいい。問答無用で信じてしまえる。たとえそこに何かしらの悪意があったとしても受け入れることができる――

 それほどまでに、僕はあかりにまいっているようだった。

 思考にとらわれた僕が部屋から出てこないのであかりが戻ってきた。

 扉から顔をのぞかせ、「早く行くよ」と僕を急かす。

「なぁ、あかり」

 話なら早く終わらせてと言わんばかりにあかりは僕の次の言葉を急かす。

「なに?」

 そんなあかりに、僕はあの時の言葉を言い直す。返事なんてわかりきっている。この告白が自己満足以外の何物でもないことも理解している。でも僕はためらわなかった。伝えたいから伝える。それでいいんじゃないだろうか。こういうことはよく分からないけど、それでいい気がした。だから僕はもう一度――今度は余計な言葉を混じえずに言う。

「僕さ……やっぱり好きだ。あかりのこと」

 予想外の言葉にきょとんとした表情で固まった後、あかりはまたあの時みたいに笑って僕の告白に答える。

「あははっ、だから言ってるでしょ。私が愛してるのはリンダだけなの。でも……ま、今まで告白された中では一番うれしかったかな」

 返事が分かっていたせいか、案外悲しくはなかった。

「ははは、妬けちゃうなぁ……全くリンダのやつ、こんなかわいい女の子ほっといてどこに行ってんだか……喧嘩の最中なことだし――一発殴りにいかないとな」

 そう、自分には似合わないような台詞を吐いて、部屋を出ようと一歩踏み出す。

 それを見たあかりは「さ、行くよ」と言うとまた部屋の外へと出ていった。それを追いかけるように扉の前まで来た後、僕はふとあいのことを思い浮かべた。

 僕と同じ漢字の女の子。

 僕と同じ感じの女の子。

 僕と同じように世界が嫌いだった、僕のかけがえない友達だ。一緒にいる時間も、出会ってからの年月も、リンダとあかりよりも多い真っ白な女の子。

 そのあいが、今もまだ世界が好きになれずに苦しんでいる。そして、前の世界を壊してしまった自分が正しいのか分からずに悩んでいる。

 助けたい、と思う。僕があかりにたった今してもらったように。

 一度止まって自分の部屋を振り返る。そこには誰もいない。しかし、何となくあいには届く気がした。だから、僕は言う。僕の決心を伝える。

「あい、決めたよ。お前が美しい世界を作りたくて世界をこんな風にしたなら――そしてそれが正解かどうか分からないっていうなら――僕が正解にしてやる。お前が世界に付け加えた新たな法則で、前の世界の醜い部分なんて全部吹き飛ばしてやる。たとえこれからこの世界に悲劇が起きようとも、僕が全部解決してやる。ここは美しい世界だと、胸を張って言えるようにしてやる。そのためだったら僕は何だってやる。そのためならこの名の通り、世界のシステムにだって――神様にだって、逆らってやる」

 これはその第一歩だ。悲劇なんかじゃ終わらせない。あいも、リンダも、神亜創すらも納得する形でこの件を終わらせてやる。

 だから僕は走る。この道を照らしだしてくれたあかりを追って。

 Tシャツの脇腹の部分についていたあいの涙は――もう、乾いている。



 あかりと共に学校へと向かう道中、あかりに疑問に思っていたことを尋ねてみた。疑問に思っていたこととはあかりはどうしてリンダが学校にいることを知っていたのかということだ。

 あの警官が別れ際に言った通り、リンダの話を聞く限りにおいて二人が会っていたとは考えられない。ましてや白い化け物の後をつけて学校にたどり着いたならばあかりに前もって学校へ行くと伝えていたはずがないのだ。それにもかかわらずあかりは僕たちを確かに学校へと案内していた。これは一体どういうことか? どう考えても辻褄が合わないのだ。

 僕としては絶対に解けないような試験問題に出くわしたような気分だったのだが、あかりは単純明快に当たり前と言った風で答えてくれた。

 その答えを聞いた後で、僕はやはりまたこう言うのだった――「全く、やっぱりあかりには敵わないな」と。

 そして肝心の答えはというと、あかりは警官に嘘をついた。ただそれだけである。あかりはリンダの捜索へと連れていってもらいたいがためあの若い警官に嘘をついたのだ。

 いやいや、しかしあかりは現に僕たちをリンダのいた学校まで案内してくれたじゃないか、と思うかもしれない。いや、思うかもしれないというか僕もそう思った。だから聞いた。

 しかしあかり曰く。

「ん? あれも嘘だよ。だってリンダの居場所なんて知らなかったし適当に一番いそうなところに案内しただけ。ていうかそもそもリンダの行きそうな場所なんて学校の野球場しかないじゃん。現にみんな警官から行きそうな場所の心当たりを聞かれても野球場としか答えられなかったみたいだし。でも流石にあそこで実は知りませんとは言えなかったし、もう一回野球場とも言えなかったから、学校ってことにしたの……ほら、皆の言う野球場って当然学校にある野球場のことでしょ? だったら野球場と学校って同じ場所じゃん。だから学校っていえば別のところに心当たりがあるような風に野球場までリンダのこと探しに行けるでしょ。もしいなかったらいなかったでほかの場所に移動したのかもとか何とかいってそのまま警官が捜索するのについていけばいいし」

 成程その通りだった。

 学校と野球場って同じ場所じゃん!!!!

 何も知らない警官ならまだしも、僕のほうは気付いて然るべきだったのかもしれない。

 馬鹿なのか僕は? あかりの心当たりが学校だと聞いた瞬間に学校と野球場って同じ場所じゃないかと疑問に思ってもよかったはずだった。ていうかあの場でなら誰でも気付いてよさそうだ。

 謎ですらない。もしこれが謎解きであれば出題者は一生問題なんて出さない方がいいだろう。

 全く……一体僕は何を悩んでいたのか。まぁ、人の不審な行動の理由なんて大抵こんなもんだ。そこに何かしらの特殊機関が絡んでいたり、とても深刻な悩みがあったりだとか、そんなことは現実にはありえない。だから、あかりが何かしらの特殊能力を持っていてリンダの居場所が分かったはずもなければ、実はリンダとあかりは特殊な立場の人間であかりがリンダを監視していたのでもない。この、建物と地面が突如植物で覆われた非現実的な光景が僕の感覚を麻痺させていたのだろう。

 それでも、魔法が生まれたこの世界ならばあかりが何かしらの魔法でリンダの居場所を知ったという確率はあるのか。でもまぁ、そんなことはどっちでもいいことだ。あかりは心からリンダのことを大切に思っていて、あの時の、リンダが心配だから捜索に行きたいという気持ちが真実であればなんでもいい。結局重要なのはそこなのだから。そして今、リンダを追いかけて走っているあかりの気持ちに何の裏表もなければそれでいいのだ。

 我ながら、そこを疑っていたなんてあきれる。とことんひねくれた奴だ。

 と、いつもならここで暗くなるのかもしれないがもう僕にそんな暇はない。これ以上あかりに甘えるわけにはいけない。僕は決めたのだ、あいのためにこの悲劇を止めて見せる。いや、これだけじゃないこれからこの世界で起こる悲劇を、止めてみせる。そして、あいが胸を張ってこの世界にしてよかったと、この世界は美しいと言えるようにしてみせるのだ。

 これはその第一歩。僕にその道を照らし出してくれたあかりへの恩返しも兼ねた第一歩だ。

 そういえば、もう一つ聞きたいことがあった。今僕たちはなんとかリンダが学校に着く前に追いつこうと走っている最中でしゃべるのはきついが聞いてみよう。

「なぁあかり、そういえば僕が『僕のものになってくれ』って言ったときさ『いいよ』っていったよな。もし僕が本気でそう言っていたとして……そのまま襲い掛かりでもしたらどうしてたんだ?」

 僕の、デリカシーの欠けるともいえる質問に対してあかりは答える。何気なさそうに。

「もしもちかがそれで自分に自信を持てるのなら、それも仕方ないって思ってたよ。ま、ちかは絶対にそんなことしないって分かってたけどね」

 なんというか……これはもう人間としての器が違うような気がする。

 いやしかし、これはもしかしたら貞操観念が低いだけかもしれないので心配だ。ということでちょっと試してみるべきかもしれない。いや、変な期待とか抜きにしてね。

「なぁあかり、もしあかりが自分の胸を触らせてくれたら僕はもっと自分に自信が持てそうなんだけど触らせてくれないだろうか?」

「いいから黙って走って」

 普通に怒られた……。いや別に本気で言ったわけじゃないから全然悲しくないけれども。あかりのほうも別に僕が本気で言っているわけじゃないことを分かっているはずだから悲しむ要素なんてないし。

「ちかってそんなこと言うんだね……」

 あれ? 冗談って思われてない?

 あかりは僕の前を走りながら何やら続けてぶつぶつ言っている。

「ちかって人間のそういう気持ちを汚いって思ってる節があったから、そういった冗談は言わないタイプだと思ってたんだけどな……あれかな? ようやく人間のそういう性的な気持ちも認めれるようになったってことなのかな……」

 あかりは本当に、いつも僕たちのこと考えてくれているみたいだ。僕よりも僕の内面の変化を正確にとらえているのかもしれない。あかりが友達で、本当によかったと思う。

 それからはあかりに言われた通り黙って走った。ていうか途中から喋る余裕がなかった。流石スポーツ推薦で入学してきただけのことはある。持久力もそこらの女子とは比べ物にならない。キャッチボールの時のように僕は負けじと後ろからペースを落とさずに。僕があかりにペースを合わせているんだと言わんばかりに走り続けた。

 結局僕たちはリンダに追いつくことなく学校へとたどり着いてしまった。

 学校の周りには未だに警察関係者がうろうろしている。見たところまだ神亜創は出てきていないようだ。

「はぁ、はぁ……結局、リンダには追いつけなかったね」

 息を切らしながらあかりが言った。

「はぁ、はぁ、ぁぁ……はぁ」

「ん? さっきのは『ああ』って言ったの? それともただ息を切らしてるだけ?」

「はぁ……いや、はぁ……さっきのは……はぁ、はぁ」

「あ、大丈夫だよちか……大体分かったから……ていうかごめん、ちかが帰宅部なの忘れて結構思いっきり走っちゃった……」

 あまりに体が酸素を求めすぎていてしゃべるのがつらかった僕は、とりあえず片手を膝につきながらもう片方の手を軽く上げてグッと親指を立てておいた。

「いや、そのグーは何よ……全然オッケーじゃないじゃん……」

 これからどうしようかと二人で考えていると(決して僕の体力が戻るまで待っていたわけじゃない)例の若い警官がこちらへ走ってきた。

「君たち……隣田君を追ってきたんだね。全く……隣田君が一人でやってきたときから予想はしていたが……」

 若い警官は完全に呆れ顔だったが、あかりはそんなこと全く気にせずに単刀直入に聞いた。

「リンダは……隣田君はどこですか?」

 警官は少し迷った後に、心配そうな顔つきで言った。

「彼なら、学校の中だよ……止められなくて済まない……言い訳がましく聞こえるかもしれないが、人間とは思えないほどのジャンプ力でパトカーを踏み台にして僕たちを飛び越えていってね……あれが魔法か、聞いてはいたけど実際に見るとすごいものだね……ま、未だ消えていないあの白い化け物に比べればかわいいもんだが」

 そう言って警官はちらりと後ろの学校のほうを振り返る。大勢の警察の隙間から、月の光やパトカーのライトを反射して光る白い物体が見えた。

 僕はようやくまともにしゃべれるようになったので、警官に質問した。

「あの、リンダはあの白い化け物に捕まらなかったんですか?」

 僕の一番の心配はこれだった。リンダ曰く神亜創自身はリンダに対してあまり恨みを抱いていないようなのでいいが、あの白い化け物は神亜創自身が生み出したとはいえ何をするか分かったもんじゃない。

「それなんだよ、隣田君はバットを所持していてね、あの白い化け物が一匹彼のほうに走って行ったんだけど、それを持っていたバットで思いっきり殴ったんだ。すると、その殴られた白い化け物なんだが、そのまま数メートル吹っ飛んだあと霧みたいに消えた。そして隣田君はそのまま学校の窓をバットで叩き割って校内に侵入。それがついさっき起こった出来事。中で何が起きているかは分からない」

 先ほどからあかりが黙って話を聞いているのが気がかりな僕だったが、警官もそれは同じなようで、話しながら決してあかりから目を離そうとしなかった。

「それでね、恐らく物理的にあの白い化け物は倒せるみたいだし、中に人が入っているなんてこともなさそうなことが分かった。だから今警察では突入するか神亜創自身が出てくるのを待つかで意見が割れていて身動きが取れない状態なんだよ」

 あかりはやはり黙って話を聞いているが、恐らく今にも校内に侵入すると言い出すだろう。止めることができるかは分からないが、そもそも止める気もあまりなかったりする。なぜなら、あの僕にはあの白い化け物をどうにかする方法はあるからだ。だから、僕と一緒にという条件下において僕はあかりが校内に入るのはぎりぎり許せる。それでも僕一人で行く方がいいにはいいのだが。しかしそれが警察にとって同じとは限らない。ていうか絶対に止められるだろう。そして残念ながら今の僕にはあの白い化け物を突破する方法はあっても警察を突破する方法はないのだった。

 僕たちが何か余計なことはしないかと若い警官が目を光らせている中どうしたものかと考え込んでいると、あかりが閉ざしていた口を突然開いた。

「ちか、無茶なこと言ってるのは分かってるけど、あの白い化け物、魔法とかでどうにかできないかな?」

 あかりが、白い化け物についてのみどうにかできないかと尋ねたので、その質問に答えた後、僕はもしやと思ってあかりに言った。

「ああ、実を言うとあの白い化け物については何とかなりそうなんだよ。でも警察のほうはどうにもならないかな」

 僕の言葉を聞いて、あかりがにやりと笑みを浮かべた。それにつられるように僕もにやりと笑う。あかりの顔はまるでいたずらっ子のそれでかわいいものだが、きっと僕は悪役のような顔になっていることだろう。

「それは奇遇だね、ちか。私は警察の方ならなんとかなりそうだよ」

 警官が冷や汗をかきながらひきつった笑みを浮かべた。

「おいおいおいおい、まさか学校に入るなんて言いやしないだろうな……」

「まさかぁーそんなはずないじゃないですかぁー」

 あかりはそうわざとらしく言うと、警官の顔に手のひらを向けて近づけていき、

「えい! 目つぶし!」

 そう叫んだ瞬間にあかりの手のひらが光を放った。

「んなっ! 眩しっ!」

「ちか! 走るよ!」

 そう言ってあかりは僕の手をつかんで引っ張るようにして走り出した。

 後ろから若い警官の声が聞こえる。

「ま、待て! こら!」

「ちか、警察の人たちが私たちを止めに来たら私が合図してもう一回目くらましするから、目をつぶって手で覆ってね。次は思いっきりやるから気を付けて。それから先は校内までひたすらダッシュ! 校内の白い化け物はちかに任せるから、ちゃんと守ってよね!」

 そう言うやいなや走ってくる僕たちに気付いた警察たちが立ちふさがろうとしていた。リンダが無理やり突破したせいで向こうもかなり慎重になっているようだ。

「ちか、目つぶって」

 その合図とともに僕は目をつぶったが、その瞬間、まるで目をつぶっている時にものすごく明るいものを見た時のような感覚に襲われた。いや、ようなも何も事実そういうことなのだろうが。まぶたの中に走る血管が光によって透けて見えるせいで視界が赤い。

 警察の驚く声が聞こえたあと、あかりがもう目を開けていいと言ったのでその通りにした。少しだけ視界がぼやけたがすぐに正常な状態に戻る。普通の状態に戻った僕の視界には、目を抑えて呻きながら「なんだ? 閃光弾か!?」などと叫んでいる警察がいる。

 あかりは短く「急いで」というと僕の手を取り再び駆け出した。

 恐らくよく見えていないのであろうその目で僕たちを捕まえようと、手を伸ばしてくる警察たちを避けるように、あかりはパトカーの上に飛び乗った。一瞬ためらった僕だが半ば投げやりな気持ちでその後に続く。よく見るとリンダが踏み台にしたときに着いたのであろう傷が深々と残っている。どんな力で踏んだのか、かなり深くへこんでいた。

 その近くに僕とあかりの浅い足跡がべこっとこぎみのいい音を立てて刻まれる。なんだかその音と僕たち三人の足跡が妙におかしくて僕はいつの間にか笑いながらパトカーから飛び降りていた。そしてそのまま校内へと走る。見れば隣に並んだあかりも笑っていた。ようやく視界が戻ってきた警察たちが僕たちのほうへと手を伸ばそうとするがもう遅い。すでに僕たちは学校の正門を抜けて白い化け物のいる正面玄関へと走っていた。

 隣で走るあかりが僕の後ろのほうに下がりながら叫ぶ。

「次はちかの番だよ! あの白い化け物どうにかしてね! 正直めちゃくちゃ怖いんだから今更どうもできないとかほんとに無しでお願いね!」

「たぶん大丈夫! 任せて!」

 白い化け物は僕たちのほうに全くパーツのないのっぺりとした顔を向けると、バスケットボールのディフェンスのような構えで両手と両足を広げて構えた。

 僕は右のこぶしを握って後ろに引き、思いっきり殴りかかる姿勢でスピードを緩めずに走りこむ。

 後ろからあかりの慌てる声が聞こえた。

「え!? ちょっと待ってちかそれ本気!? 何それ大丈夫なの!? え!? え!?」

 僕の考えは実にシンプルだった。僕の魔法は〝神に逆らう魔法〟である。そして神亜創の魔法が〝神の亜種を創る魔法〟である。創造の反対は破壊。だったらこの場合、僕の魔法であの白い化け物を倒せるはずだ。神亜創が人間であると同時に神であり、それによって創り出されたあの白い化け物が神の亜種だと知った瞬間に、この使い方の分からなかった魔法の使用方法が突如頭の中に浮かんできた。それはまるで、知っていたことを思い出したかのような感覚だ。そして今、実際にその白い化け物を目の前にして、自然と魔力の使い方がさらに明瞭に頭に浮かんでくる。

 僕はそれに従い魔力を、振りかぶった右のこぶしに込める。

 そして思いっきりそれを、目の前の白い化け物に――神の亜種に――叩き込んだ。

 あかりが女の子らしい悲鳴を上げる中、かっこ悪くも僕のこぶしは白い化け物の手に受け止められたがそれも束の間、一瞬の、サンドバックを殴ったかのような感触のあと、僕の右手はそのまま真っ直ぐ進み白い化け物は霧のように消えていった。

 少し後ろで止まっていたあかりが胸の前で両手をギュッと握りしめ、目じりに涙を浮かべて呆然としている。

 そしてはっと我に返り、

「え? 何をしたの?」

 あかりが発したあの光もそうであるはずなのに、どうやら理解が追いついていないようだ。だから僕は、今自分が起こした現象をありのままに一言で伝える。

「――魔法だよ」



 校舎の中は当然明かりなどついておらず薄暗かった。窓から差し込む月明りでかろうじて視界が確保できているものの、廊下の奥は暗闇に包まれている。

 あの白い化け物が一体どうやって僕たちの存在を認識しているのかは分からないが、なんとなく廊下の電気をつけるのはためらわれた。むやみに電気をつけてこちらの存在をアピールするのがいやだからである。先ほど僕の魔法があの白い化け物に対して有効だということが証明されたものの、出会いたくはないというのが本音だ。

 それにしてもやはり夜の学校というのは怖い。しかもいつどこからあの白い化け物が飛び出してくるかも分からないのだ。正直そこらのお化け屋敷より何倍も怖かった。

 それでも何とか平静を保てているのは後ろで僕よりも怖がっているあかりのおかげだろう。僕もそこらの男子高校生と同じで、お化け屋敷に入った時は頼れる男を演じてしまうらしい。それに、僕は実際にあの白い化け物を撃退できるのであかりよりも怖がる道理はない。

 途中で通過する教室の扉を逐一気にしながら夜の学校の廊下を進む。

 段々と校内の薄暗さに慣れてきて歩の進む速さも上がってきたころ、何か硬いものを踏みつぶした。パキッと音を立てて割れたそれはガラスだ。少しだけ僕がびっくりした後に後ろの方からあかりの短く女の子らしい悲鳴が聞こえたかと思うと、あかりが急に僕の腕に抱き付いてきた。スポーティーなTシャツの下から、あたたかくて柔らかいものが僕のひじのあたりに当たる。正直ガラスを踏んだ時なんかよりもよっぽど心臓が飛び出るかと思った

 ごめんリンダ!

 全然悪くないはずなのになぜか僕は心の中で友達に謝る。

「だ、大丈夫、ただのガラスだよ」

「びっくりした……」

 あかりは地面に散らばっているガラスを見ると僕の腕から自然に体を離した。先ほどの、男子にとっては夢のようなシチュエーションに関してはこれっぽちも気にしていないらしく、極々自然に話しかけてくる。

 気にされても困るが、気にされないのもそれはそれで悲しい。

「これ、多分リンダ入ってくるときに割った窓だよね」

 廊下の窓ガラスが一つ割れており、そこから腕を通して鍵を開けたのか、割れた窓は開いていた。あかりの言う通りリンダは窓を割ってから鍵を開け、開いた窓を通って侵入したのだろう。僕が踏んだガラスはその時に散らばったものだ。

「ということは、リンダが進んだ方向はこっちで合ってるはずだ」

 リンダが窓から侵入したのは正面玄関に立っていた白い化け物を避けたからだろう。そして僕たちはその正面玄関にいた白い化け物を倒してここまで来たのだ。リンダがわざわざこの窓から侵入したのに避けていた正面玄関方面に行ったとは考えにくい。ということはこのままこの割れた窓ガラスを起点に正面玄関とは反対方向に進めばいいはずだ。

 と、我ながら完璧な推理だと感心していたところで、僕のこの完璧な推理は無駄に終わる。

 貴金属特有の響く音が、僕たちのすぐ近くにある階段の上のほうから聞こえた。

 またもやあかりが小さな悲鳴を上げる。そして今度は僕のTシャツの裾の端っこをキュッとつかむ。今回ばかりは僕もその音に結構驚いた。

 恐らく階段を何かが転がり落ちているのであろう。その音はどんどん近づき、そしてついにその音の発生源が転がり落ちてきた。

 金属バットである。

 僕とあかりは無言で目を合わせた後、ほぼ同時に階段のほうへと駆けだした。

 廊下に転がっているバットを無視し、階段を一段飛ばしで駆け上がる。踊り場で方向転換した矢先、上から例の白い化け物が転がり落ちてきた。僕はとっさに足のほうへ魔力を込め、思いっきり転がり落ちてくる白い化け物を蹴り上げる。一瞬の何かに触れる感触ののち、白い化け物は霧となって消え、僕の片足がそのまま振りぬかれた。

 ちょうど消える瞬間にあかりが踊り場から駆け上がってきて僕を追い抜いていった。

 この先にもまだ白い化け物がいないとも限らないのであかりを止めようと顔を上げた途端、僕のそんな心配は先ほどの白い化け物と同じく霧のように消えた。

 恐らく落ちていったバットを拾いに行こうとしたのだろう、階段を降りようと階段の上から一段目に足をかけていたリンダの姿が見えた。驚きのあまり目を皿のように丸くしている。

 そんなリンダに、僕を追い抜いていったあかりが、全くそのスピードを緩めようともせずに思いっきり抱き付いた。というより、女子とはいえ体育会系の鍛えられた肉体で全力で飛びついたのだ、それはもうただのタックルと言っても過言ではなかった。

 しかしそこはやはりキャッチャー(この場合は全く関係ないかもしれないが)。見事にあかりを抱き留める。恐らく魔法も使ったのであろう。リンダの体は後ろに一二歩下がったくらいで、全くと言っていいほど平気そうだ。

 僕も階段を駆け上がり、あかりに抱き付かれて戸惑っているリンダのところへ行く。あの時のことを思い出し、気まずくて何を言っていいか分からない。それはリンダも一緒なようで、気まずそうに僕から目をそらした。

 すると突然あかりがリンダから体を離し、今度はリンダの腕を片手でつかんで、僕の方を向く。

「ちか、もうちょっとこっちきて」

 そういうとあかりは、僕の言葉も待たずに空いている方の手で僕の腕もつかんだ。そして思いっきり、その腕を引っ張る。リンダのほうも同時に引っ張られているのか、僕のほうへと近づいてくる。僕とリンダはぶつかる前にあかりの腕の力に逆らって無理やり足を止める。

 しかしあかりはそんなことおかまいなしに今度は僕たちの腕をつかんでいた手を離し、二人まとめて思いっきり抱きしめた。

 あかりが言う。

「仲直りのハグ」

 そして僕とリンダの声が重なる。

「そこは握手だろ」

「そこは握手だろ」

 僕達二人の指摘に対し、あかりが切り返す。

「うるさいわね、それだと私が入れないじゃない」

 それを聞いて、僕とリンダは思わず笑ってしまう。何も言い返せない。僕たちの、負けだ。



 その後僕とあかりはここに来た経緯を手短にリンダに話した。そしてそこで改めて三人の魔法についてお互いに確認しあった。とはいっても僕の魔法に関しては説明が難しいところだったので適当にはぐらかさせてもらったのだが。

 ついでに言うと、大体分かってはいたがあかりの魔法は体を発光させるものらしい。発光させる部位は自由に選べるらしく、光の強さは感情の高ぶりによるそうだ。あの若い警官にやった程度のことならいたずら心ていどのちょっとした気持ちで発動できるらしく、あかり自身の口からは言わなかったが、あの場にいた警察全員の目をくらますほどの光はリンダのところに行きたい一心で発動させたものだろう。「あかり」という名前に合った魔法だと思った。

 僕の「逆神」という名前に対する〝神に逆らう魔法〟といい、「神亜創」の〝神の亜種を創る魔法〟といい、魔法の内容には名前が関係しているのだろうか? いやしかし、その場合リンダの身体能力強化は当てはまらないか。

 確かあいが言うには魔法で何ができるかどうかはその人の経歴とかも関係しているんだっけか。だとしたらリンダの魔法に関してはずっと野球のために体を鍛えてきたことに起因するのかもしれない。

 何にせよ、使える魔法の内容にその人の名前が関係していることは十分に考えられる話だと思った。なかなか面白い。

 魔法に関して僕が色々と思考を巡らしていると、リンダが真剣な顔で僕に尋ねてきた。場合によってはあの時の二の舞になりそうな質問だが、それでもやはり聞かずにはいられなかったのだろう。

「二人が俺のことを心配してきてくれたのは分かった。……それで、これからどうするつもりなんだ?」

 あかりが心配そうな瞳でこっちを見たが、僕はあかりが何かを言うよりも前に告げる。

「ついていくさ。どうせ止めても聞かないんだろ……それに、僕にもしなきゃいけないことができた」

「そうか……正直、ちかにはあかりを安全なとこまで連れて帰ってほしいんだが……そこはまぁ、お互い様か……」

 帰らせようとしていたことが気に障ったのか、あかりが少しだけ怒ったように言う。

「ちょっと、私も行くに決まってるでしょ。ていうかそもそも何しに来たか一番はっきりしないのはリンダじゃん。具体的に何するのよ?」

「え……えっと、それは……話し合う?」

「馬鹿ね」

「馬鹿だね」

「うるせぇな。俺だってよく分かんねぇんだよ。……でも部長として、行かなきゃいけねぇと思うんだよ。今まで部長らしいことなんて何もしてこなかったけどよ、ちかの言う通りもう野球部なんてないのかもしれねぇけどよ、それでもこれは野球部の問題なんだ。だからやっぱり部長の俺がいないと……いやさっきも言ったが部長らしいことしてこなかったけど、でもやっぱり俺は部長なわけで……えーっと、なんて言っていいんだ?」

 なんかもう途中からなにを言いたいのか分からなくなっているリンダに、あかりが助け舟を出す。

「部長らしいことしてこなかったとか、過去のことはこの際どうでもいいからさ、今思ってることを言いなさいよ」

 それを聞いてリンダは、多分考えることをやめ、シンプルににやりと笑って言う。

「野球部の問題なのに、部長の俺が仲間ははずれとかおかしいだろ」

 リンダの単純明快な解答に、あかりも満足げに笑う。

「それでいいのよ。全く……馬鹿のくせにあれこれ考えてんじゃないわよ」

「さっきから俺、馬鹿って言われ過ぎじゃね?」

 二人の様子に、僕は思わず吹き出す。それにつられるかのように二人も笑い出し、夜の廊下には合わない三人の笑い声が響いた。

 その後僕たちはリンダの案内のもと、前回捕まった時に神亜創と話したという場所へと向かった。途中でまたもや校舎を巡回する白い化け物と出くわしたが、僕の魔法で消し去った。

 しかし……一体何体いるというのか……。今僕たちは神亜創がいるかもしれない第二校舎の三階へと通じる第一校舎三階の渡り廊下の目の前にいるのだが、これまでに遭遇した白い化け物の数は恐らく三十体はくだらない。

「なんかもう……僕、慣れてきたんだけど……」

「まぁ、あれだけ倒せばな……」

「なんかもう私……途中からあの白いのがかわいそうになってたもん」

 こんな会話をしつつ渡り廊下へと入った瞬間、第二校舎側の入り口から白い化け物が現れた。こちらの存在を確認したのか、全力疾走してくる。いや、あれが全力なのかは知らないが……

 僕はまっすぐな渡り廊下を走ってきたそれを乱雑に殴る。白い化け物はそれを手のひらで受け止めるが、その瞬間にあっけなく霧と化した。

 そしてそのまま僕が一歩踏み出した瞬間、また一体渡り廊下の向こう側から僕たちの存在に気付いた白い化け物が全力疾走してきた。内心「またか……」と思いつつ適当にその白い化け物を倒そうという気持ちを込めて触れる。それだけで白い化け物はやはり消える。

 と、一歩進むとまた一体向こうから走ってくるではないか……

 結局、渡り廊下を渡り終えるまでそれがずっと続いた。一歩進んでは白い化け物を倒し、また一歩進んでは白い化け物を倒す……なんかもう新しいアトラクションか何かみたいだった。

 スライムを倒す勇者ってこんな気持ちなのかな、と思ったりもした。あと、神亜創とかいう一年生に会ったら文句を言ってやろうかとも。

「……絶対夢に出てくる……」

「ど、どんまい……」

 うんざりしている僕を、あかりが何と言っていいか分からないままにとりあえず元気づけてくれた。

 そんなこんなで第二校舎三階、前回リンダが神亜創と会話したというところまであとちょっとだ。

 廊下の一番奥の教室、その扉の前に一体の白い化け物が扉を守るかのように配置されている。神亜創がいるのは恐らくあの教室だろう。

 ゆっくりとその教室へと近づくと、扉の前に立っていた白い化け物がこちらに気付いて走ってきた。普通に倒すのも味気なくなってきたので今回はただ何もせず、体の表面に魔力の膜を張るようなイメージで白い化け物が掴みかかってくるのを待ってみた。すると、白い化け物は僕に触れた瞬間にそのまま霧と化して消え、あとには何も残らなかった。この分だとあれが何体襲い掛かってこようとも全く手を煩わせずに撃退できそうだ。

 門番をしていた白い化け物をそうやって消した後、僕たちは一度立ち止まりこれからどうするか簡単に話し合う。

 話し合うと言ってももともと決まっていたことではあるので確認みたいなものだ。

「じゃあ、予定通り俺はこのままそこの教室でもう一回神亜と話し合ってくる」

「うん、じゃあ僕たちは隣の教室で待ってるから、終わったら呼びに来て」

 神亜創自身、リンダに恨みを抱いているわけではないとはいえそれでもやはり心配なのか、あかりは落ち着かない様子で、

「何かあったらすぐに呼んでね。助けに来るから……ちかが」

 僕かよ……まぁ、あの白い化け物を倒せるのは僕だけだし当然なんだが。一応リンダも一対一でバットがあれば撃退できるみたいだけど。僕の予想ではあの白い化け物は一定のダメージか何かを与えると消えるとみている。だからリンダがここに侵入したときにバットで殴った白い化け物は消えたのだろう。

「ああ、そんなことにはならないと思うが……ていうか、むしろそっちが気を付けろよ。ちか、あかりのこと守っとけよな」

 それだけ言うと、リンダはちょっと照れくさかったのか体の向きを変えて教室へと入って行った。中から恐らく神亜創のものであろう驚く声と、リンダが話しかける声が聞こえ、後ろ手に教室の扉が閉められた。

「さ、私たちはそこの教室にでも入って待っとこうか」

 そう言ってあかりが不用心にも教室の扉を開ける。

 中に白い化け物がいないとも限らないのだ。僕はそれを止めようとしたが、恐らく僕もここまで来て安心していたのだろう。油断からか、間に合わなかった。

 扉が開かれ、その音に反応したのか最悪なことに中にいた白い化け物がこちらを振り向くと同時にあかりへと手を伸ばしてきた。

 あかりが声にならないか細い悲鳴を上げる。

 僕は急いで、縮こまるあかりの顔の横から手を突き出し、間一髪で白い化け物の腕をつかんだ。

 瞬間、その白い化け物は姿を消す。

 さらにその後ろから、必死過ぎて何体いたか分からなかったが白い化け物が複数飛び出してくる。僕はそれに対して、とにかくあかりへ触れさせないために、その場にへたり込むあかりの前へと躍り出た。そのまま、あかりの盾となるように広げた両手でその場にいる白い化け物たちをまとめて薙ぎ払った。大切な人を守れる、その幸せをかみしめながら。

 振り返り、腰を抜かしているあかりに手を差し出しながら言う。

「あ、危ないなぁ……さっきリンダに頼まれたところなんだから、うかつなことはしないでくれよ……」

 まぁ実際は頼まれようと頼まれまいと関係はないのだが。

「ご、ごめん……は、ははは」

 気が抜けたせいか、笑っているあかり。

 しかし気を抜いたのも束の間、またもやあかりが小さな悲鳴を上げた。

 教室の奥の方から呻き声がしたのだ。

「うぅ……だ、だれだ……?」

 しかしながらその質問に、申し訳ない事にも僕は答えられる状態ではない。僕の差し出した手を取り立ち上がった瞬間にその声がしたため、びっくりしたあかりがそのまま僕のほうに抱き付いてきていた。腕に抱き付かれたどころではない、リンダもまとめて抱き付かれたのでもない、真正面から、思いっきり、スポーティーなTシャツ一枚のあかりが、抱き付いている。

 明らかに今夜一番で心臓が高鳴っていた。

 女子にしてはかなり力があるあかりに思いっきり抱き付かれて痛いが、そんなことよりも、引き締まっていながらも柔らかいところは柔らかい女の子の体だとか、Tシャツ一枚隔てた向こう側から伝わってくる体温だとか、すぐ隣にある頭から漂ってくるシャンプーの香りだとかとにかく幸せだ。

 いやいや、「幸せだ」じゃない……いや幸せなのはその通りなんだけど今はそれどころではない。声の主は十中八九捕まっている野球部員だろうが、一応確認しなければ。

 あかりから体を離し、声のする方へと近づく。

 教室の奥、窓の下の壁に寄りかかって、僕より一回りくらい体の大きな男子が三人座っている。ちょうど窓の下なので月明かりが射さず、さらには机で隠れていて見えなかったのだろう。

 近づいてみてみると、どうして立ち上がってこないのか、そしてどうして呻き声を上げていたのかが分かる。僕はそれが分かった瞬間、後ろから近づいてくるあかりを後ろに手をやって制した。

「あかり、廊下のほう見張ってて。……また白い化け物が来ないとも限らないから……」

「え、あ……うん」

 何かを感じ取ったのか、あかりは素直に教室の入り口まで戻って行った。

 これはとっさに思いついた言い訳である。本音は、目の前のボロボロになった野球部員たちを見せられなかった。というよりは正直な話、僕も見たくなかった。生理的に、この光景は見ていられない。目の前の、恐らくは同級生であろう野球部員たちは全員裸で、体には何かで思いっきり叩かれたり殴られたりしたような傷跡があった。血は出ていないが、体中に青痣ができている部分や赤くはれ上がっている部分がある。

 まずは服を着せないと、と真っ先に思った。論理的に考えれば傷の手当てが先であるはずだが、目の前に傷だらけで裸の男が三人もいるとなると先に服を着せたくなるのも当然だ。あまりに生々しくて見ていられない。あかりに見られないで本当によかったと思う。

 幸い近くには野球部員たちの服が落ちていた。無理やり脱がされたのか破れているものも何枚かあったが、ないよりはましだ。それらを拾い、どれが誰の服か聞きながら手渡す。

 野球部員たちは、ほとんど口をきかずに最低限どれが自分の服かを言いながら、服を受け取ると一言「ありがとう」とだけ言ってそれらを着始めた。体中痛むようであまり動きたくないらしく三人とも上は着ずに下のズボンだけはいている。

 それにしても、想像以上だ。少し痛い目に合わせて謝らせる程度だと思っていたが、かなり徹底的に痛めつけている。それほどまでにいじめがひどかったのか……とにかく神亜創はいじめを行っていた者を相当恨んでいたらしい。

 想像以上の光景を見てふと思う。隣の教室にいるリンダは大丈夫だろうか? いくら恨んでないと言われたとはいえこうなると心配だ。それに、なんだか引っかかる。リンダの話を聞く限り神亜創に対して案外落ち着いているという印象を持ったが、これは落ち着いている人間がすることとは思えない。それに、これは前から思っていたことなのだがただ仕返しがしたいだけならなにもこんな風にいちいち全員拉致してきて学校に立てこもる必要はないはずだ。こんな風に大事になって神亜創自身にメリットがあるとも思えない。神亜創が神としてこの世界の何かしらのシステムを担っているとはいえ、考え方や心は人間と大差ないだろう。いや、大差ないからこそ人間の感情は損得だけでは推し量れないのではあるが……それにしてもやはり何かおかしい気がする。

 何か、当然ではあるが僕たちの知らない事情がありそうだ。そんなこと、考えたところで神亜創本人にしか分からないことなのだろうけど。

 と、僕があれこれ心配になって隣の教室の様子を見てこようかと真剣に悩もうとしていた時、黙っていた野球部員のうち一人が口を開いた。声からして最初僕たちに「誰だ」と聞いた部員だろう。同じ質問をもう一度繰り返してきた。

「あ、ありがとう……それで、誰だ?」

「ああ、僕は逆神っていって……隣田寮の友達」

「逆神……成程……で、ということはリンダのやつも来てるのか?」

 一体何が成程なのか少し気になったが話を続ける。

「来てる。そして、今は隣の教室で神亜創と話してるはず」

「話してる……? リンダと神亜が? ははは……今更部長気取りかよ。……いや、こんなこと言ったらだめだな……こんなことだから……こんな風になったんだもんな……」

 反省、後悔そんな言葉を感じる表情だった。

 人間、これだけひどい目に合えば反省もするのか。しかし、いじめなんてやってた連中だ、どんな奴なのだろうと思っていたが案外、ちょっと気の強そうなだけのただの男子高校生という印象だ。それに、これくらいならスポーツをやっている人間にはざらだろう。

「その、神亜創のことなんだけど……どういう状態なんだ?」

「さぁ、よく分からない……あいつは……俺たちに、今までやられた分仕返しさせてもらうって言って、それっきり俺たちの前には姿を見せてない」

 ん? てっきりこの傷は全て神亜創がやったものだと思っていたが違うのか。ということはあの白い化け物にやらせたということになるだろうが……そうなると、神亜創は白い化け物にいじめの仕返しをさせてその光景を特に見ることもなく満足したのか?

 僕は友達も少ないしクラスでもかなり浮いている方だけどいじめにあったことはない。だからいじめられる人間の気持ちなんて分からないけど、そういうものなのだろうか。それとも、そんな光景を見てられないほど優しい人間なのか? 神亜創は。いやいや、それだとそもそもこんなことはしないだろう。……だめだ、ますますわからなくなってきた。こうも分からなくなってくると、神亜創が何をしでかすか分からなくなってきて怖い。

 そんな僕の不安が、次の瞬間に爆発した。

 隣の教室から――リンダがいる隣の教室から何かが壁に叩きつけられるような音がしたのだ。ドンッ! と壁の向こうから振動が響いてくる。

 僕はとっさにあかりのほうを振り返ると、あかりも僕のほうを不安げな顔で振り返っていたが次の瞬間、あかりは隣の教室のほうへと駆けだした。

 僕は思わず「待って!」と叫んでその後を追う。先ほどうかつに扉を開けて危うく白い化け物に捕まりそうになったせいか、今度ばかりは教室の扉の前で待っていてくれた。

 僕は急いでリンダと神亜創のいる教室の扉を開ける。

 しかし、中には向かい合って立っているリンダと、野球のユニフォームに身を包んだ神亜創であろう男子生徒が立っているだけだ。先ほどの音は何だったのか、むしろ向こうが驚きの表情で突如入ってきた僕たちのほうを見ている。特におかしい点は見当たらない……いや、一つだけ、ただ一つだけ挙げるとすれば、リンダの手にはバットが握られている。初めに階段から転がり落ちてきたバットはそのままおいてきたのであれとは別のものだろう。恐らくは神亜創がここに持ってきたものか。

 リンダは驚いている表情をすぐさま穏やかなものへと戻し言う。

「おいおい、まだ呼んでねぇぞ」

「いや、でもさっきすごい音がし――」

 あかりの言葉が最後まで発される前に、神亜創がそれを遮るように口を開いた。

「出てってくださいよ。……部外者は出てってください」

 神亜創の体格は僕と同じくらいだが、その声は高校一年生ということもあってか若干の幼さが残っている。髪は野球部らしく短く坊主に刈りそろえられていて、日に焼けたその顔も声と同じように幼さが残る風だ。しかし、その幼さが残る声にも、顔にも、明らかに怨嗟の念が現れていた。

 そんな神亜創とは対照的に、リンダはあくまで穏やかな口調で僕たちに言う。

「すまんな、大丈夫だからもうちょっと隣の教室で待っててくれ」

「隣の教室は、僕の創った……部長たちは白い化け物って呼んでるんでしたっけ……とにかくそれがいるので入らない方がいいですよ。すいませんが、廊下で待っていてください」

 鋭い目つきでそう言う神亜創は、まるで言外に隣の教室には入るなと言っているかのようだった。ここは大人しく廊下に出て聞き耳でも立てているべきだろうか? それともいっそのこと隣の教室にはもう入ったと言ってもいいか?

 僕がしばし返答に迷っていると、僕より先にあかりがずばりと言ってのけた。

「隣の教室にならもう入っちゃったんだけど……白い化け物ならちかが倒したし……」

 僕が心の中でひやひやしているのと同じように、神亜創の顔にも同様の色が見えた。

「なる、ほど……だったら大丈夫ですね……ではその教室で待っていてください」

 僕があの白い化け物を倒したことに動揺を見せているのか、はたまた別の要因か、それは分からないがとにかく神亜創の態度からは早くここを立ち去ってほしいという感情が見て取れた。

 落ち着いているという初めの印象から打って変わって、今の僕の神亜創に対する印象は何がきっかけで爆発するか分からない爆弾そのものだ。これ以上刺激しない方がいいだろう、と撤退しようとしたところで、後ろから隣の教室にいた野球部員が現れた。あかりがそのボロボロの体を見て絶句しながら後ずさる。野球部員はそのまま僕を押しのけるようにして教室へと入って行った。

「いじめた側代表ということで、俺が話し合いに参加する……それでいいだろ」

 出てきた野球部員は恐らくそれで話がまとまると思ったのだろう。

 しかし、恐れていたことが起きたかのように、神亜創の表情が固まる。そして、傷だらけの部員を見てリンダが驚愕の表情で神亜創に詰め寄った。

 ボロボロの野球部員は予想外の展開に何も言えないでいる。

「どういうことだ神亜! さっきお前まだ何もしてないって言ったじゃねぇか!」

 リンダは神亜創につかみかかるようにして叫ぶ。それに対して神亜創はうつむいたまま何かを呟くように口を動かした。

 次の瞬間、どこからともなく現れた二体の白い化け物が両脇からリンダの腕をつかんで神亜創から引きはがし、そのまま神亜創から一定距離離れたところまでリンダを連れていき拘束した。

 リンダが必死にもがいているが白い化け物たちのほうが力は強いようで何ともなっていない。

「離せっ! おい神亜! どういうことなんだよ! だからさっきも俺を無理やり帰らせようとしたのか!」

 成程、先ほどの音はあの白い化け物が壁に叩きつけられた音か。きっとリンダを無理やり帰らせようと白い化け物を一体創ったがリンダがあのバットで吹っ飛ばしたのだろう。

 リンダを助けに行こうかとも思ったが、あかりをここに一人にしてリンダのほうに行くのもはばかられた。それに、恐らく今リンダを解放したところで話し合いにならないかもしれない。現状維持、それが一番のように思える。

 そして、黙って俯いていた神亜創が顔を上げ、口を開いた。上げた顔に覗くその瞳は、先ほどまでの怨嗟の瞳ではなく、ひどくうつろで、なんというか……壊れているみたいだった。

「なんでこうなったかな……。あ、すいません、嘘ついて……部長だけにはばれたくなかったんですよ……こんなことしたら、きっと部長怒るし悲しむだろうから……。でも、どうしようもなくて…………大体、部長はなんでそんなに平気そうなんですか? もう、野球できないんですよ?」

 神亜創の口から出てきた言葉は、いじめでもなんでもなく、野球だった……そのことに、その場にいた全員が驚く。白い化け物に拘束されたリンダも急に話が変わって困惑しているのか動きを止めている。

 神亜創は泣きそうな声で続ける。

「俺……部長のこと尊敬してて、中学のころから、この人とバッテリー組みたいって思ってて、だからこの高校に来たんですよ……だから、その夢がかなって……嬉しかったのに……部長となら全国一位も夢じゃないって思ったから、ほかの先輩のいじめにも耐えて……頑張ってきて……なのに……なのに! 何でこうなんだよ! 急に町がおかしくなって! 町だけじゃない! 世界中がおかしくなってるってどうしてだか分かって……しかももう二度と戻らないって確信してる自分がいる! ねぇ! 教えてくださいよ! これからどうなるんですか!? 野球は!? 大会は!? ……みんな気付いてるんですよね!? もう元には戻らないって! 誰か教えてくださいよ! なんでこうなったんだよ!!!!!!」

「…………」

 ……誰も、何も答えられない。いや、僕なら答えられるのかもしれない。しかし、それを今ここで告げることはできなかった。

 何も言えない僕たちに代わって、再び神亜創が口を開いた。恐らく、全部話して楽になりたいのだろう。それで、彼の悲しみが収まるとは到底思えないが。

「どうしようもなかったんですよ……こんな気持ち……どこにぶつければいいのか分からなくて、そしたら急に今まで俺のこといじめてたやつらの顔が頭に浮かんだんです。……八つ当りが入ってたのは認めます……でも、ぶつけるならそこしかないって……今までやられた分やりかえしても文句は言えないだろうって……まぁ当然、そんなんじゃ全然気がすみませんでしたけどね……でもやられっぱなしってのも嫌だったんでそこの白いのに全部任せて……。ねぇ、先輩方……先輩なら教えてくださいよ……俺、これからどうすればいいんですか?」

 酷い表情だった。口元は笑い、うつろな目からは涙がこぼれている。当然だ。憧れの先輩と一緒に大会で優勝する、その一心でいじめに耐え、練習を頑張ってきたのだ。いじめの件をリンダに相談しなかったのは問題になるのを恐れてか、チームの雰囲気を壊さないためか、それともただリンダに心配と迷惑を掛けたくなかったのか。それは分からないが、とにかくその夢は、あえなくついえた。それも彼には何の責任もないところで、何の関係もないところで、世界の崩壊というはたから見れば全く持って理不尽としかいようのない理由で。

 悲しんで当然だ。それを何かにぶつけようとして当然だ。

 では何が悪かった? いや何も悪くないのかもしれない。でももしここで神亜創があいの存在を知ったら恨むだろう。その感情のすべてを、あいに向けてもおかしくない。

 多分あいはこういうことが起きることを予想していた。それでも、世界を大きな範囲で見て、未来を見据えて、それこそ神のような視点で考えた結果実行したのだろう。

 それでも、いざそれによって悲しむ人間を見て、耐えられなかった。彼女は泣いていた。目の前の彼と同じく泣いていた。

 そんな彼女に、「お前のせいで悲しむ人がいる」と責め立てることができるだろうか?

 少なくとも、僕にはできない。

 僕は歯を食いしばる。

 そして何のためにここに来たのかを思い出す。

 それは泣いていたあいと、目の前で泣いている神亜創を救うためだ。

 目の前の悲劇に圧倒されるな。

 彼はただ悲しむことしかできないのか?

 何をもってしても救うことなどできないのか?

 そんなことはない、と僕は言う。そう言うためにここに来たのだ。どう見ても悲劇でしかないこの出来事を、ハッピーエンドで終わらせるために。みんなが笑って終われるように。

 僕の理性が尋ねてくる。

 どうやって終わらせる?

 僕の心が答える。

 シンプルに考えよう。この世界を否定する者とこの世界を肯定する者。両立などあり得ない。であるならば――納得するまで争うのみだ。

 さぁ、目の前の、悲しみに荒れ狂う神に――――逆らおう。

 僕は自分の気持ちを奮い立たせ、行動を始める。

「君の悲しみは理解できる」

 突如言葉を放った僕に、驚いたその場の全員の視線が集中する。

「そのうえで言おう。もっと他に、解決策があったはずだ」

 神亜創の感情のなかった瞳が、明確に怒りという感情を灯して僕をとらえる。

「理解できるだと? 野球部員ですらないあんたが……俺の悲しみを理解できるだと? ふざけんじゃねぇぞ!!!! じゃあ答えろよ! どうすればよかったんだよ! どうすればいいんだよ!」

 単純に声が響いてきているだけじゃない、神亜創の悲痛な心が僕の体を震わせる。ぶつけられている感情の大きさに思わず圧倒されそうになる。しかしそれでも、僕はあえて挑発するように言う。

「知らねぇよ」

 ピキッ、と音がしたように感じた。

 今度こそ完全に、神亜創の中で何かが爆発した。

「てめぇぇぇぇぇーーーー!!!!!!」

 神亜創の周りに白い霧のようなものが立ち込めたかと思うと、何体もの白い化け物が一斉に姿を現した。

 とっさに近くにいたボロボロの野球部員とあかりを教室の外へ追い出し教室の扉を閉め内側から鍵をかける。

 そして僕が振り返る暇もなく、一斉に、白い化け物たちが飛び掛かってきた。

 今度は捕まえるなんて生易しいものじゃない。明確に敵意をむき出しにしている。

 が、そんなことは関係ない。なにせそれらは僕に触れるだけで壊れてしまうのだから。僕がそう念じて魔力を操作するだけで消える。常に体の表面に魔力の膜を張っておけばあの白い化け物たちは僕に触れることすらかなわないのだ。

 僕の無防備な背中に襲い掛かってきた白い化け物がすべて消えた後、僕はゆっくりと振り返る。

「へぇ、部長が言った通りですね……ほんとに、触れただけで消してしまえるんですか」

 少し落ち着いたのか、口調が丁寧になっていた。

 僕は黙って神亜創のほうへと走る。しかし走ると言っても教室の端から真ん中までだ。二三歩ですぐに神亜創のとこへとたどり着いた。そこからは、ただの子供の喧嘩だ。

 神亜創の方はどうか知らないが、僕は誰かと殴り合いの喧嘩なんてしたことがない。ずっと野球一筋で生きてきたという神亜創もきっとそうだろう。

 マンガみたいなかっこよさなんてない。ただただかっこ悪く泥沼の喧嘩だ。

 しかしそうはいってもやはり差は出てくる。ずっと野球で体を鍛えてきた神亜創と、多少運動神経がいいだけのただの帰宅部の僕じゃあ勝敗は見えている。

 ほんの数回の殴り合いののち、神亜創の蹴りが思いっきり僕のお腹にヒットした。足の裏が思いっきり腹部にめり込んでそのまま僕は後ろに蹴り飛ばされる。蹴った神亜創自身も作用反作用の法則によって後ろへと倒れる。

 そして、僕が蹴り飛ばされた先には、白い化け物に捕まったリンダがいる。

 腹部の痛みを我慢しながら、二体の白い化け物に触れる。これでリンダは自由だ。

 とはいえリンダも突如始まった僕と神亜創の喧嘩に困惑している。それもそうだ。挑発された神亜創が僕に殴りかかる理由はあっても、僕が神亜創を挑発したうえで殴りかかる理由が見当たらない。

「ど、どうしたんだよちか……」

「ほら……漫画とかみたいに、なぐり合えばすっきりするかなって」

「……頭でもおかしくなったのか?」

「おかしくなったのは……心じゃないかな?」

「……ぷっ、あっはっはっは!」

「それで、リンダはどうするんだ?」

「そうだな……とりあえずは、俺と同じ悩みを抱えた後輩の目を覚まさせなきゃな。ただし、俺はあかりみたいにうまくはできねぇから、少々乱暴な方法になるが」

「だったら、僕も手伝うよ」

 僕は腹部の痛みを我慢しながらもリンダの手を借りて起きあがる。

 向こうのほうではすでに起きあがっていた神亜創が、何やらいつもより時間をかけて一体の白い化け物を創り出していた。

 その白い化け物が、片手で教室の椅子を軽々と持ち上げ、振りかぶっている。

「こうすれば、逆神先輩も防ぎようがないですよね!」

「ちか! 後ろに下がってうずくまってろ!」

 僕は何が何だか分からなかったが、とりあえずリンダの言葉に従って後ろに下がって頭を腕で覆うようにして身を守った。

 何かが空を切って飛んでくる音と、それに向かって何かが思いっきりスイングされる音が聞こえたかと思えば、次の瞬間に木の砕ける音と金属同士のぶつかる音が響き渡った。破片が僕の体にあたったが特にダメージはない。

 恐る恐る顔を上げてみると、バットを振り切った大勢のリンダがいた。そしてその向こうでは椅子を投げた白い化け物自身が、壊れた椅子と共に地面に倒れ伏している。そして白い化け物のほうはすぐに霧と化して消えた。

 恐らく、投げてきた椅子をリンダがピッチャー返しよろしくそのまま白い化け物に向かって打ち返したのだろう。バットで思いっきり打たれた椅子は木の部分が砕け散り、金属製のパイプの部分は折れ曲がっている。

「部長……邪魔しないでくださいよ……」

「邪魔なんてしてねぇよ」

「……じゃあ何してるっていうんですか」

 神亜創は憎々しげにリンダをにらんでいる。

 そんな後輩に対し、野球部部長であるリンダはこう答えた。

「あん? 野球に決まってんだろ」

 予想外の返答に対し、神亜創は吐き捨てるように笑った。

「はははっ……今更野球ですか……やっぱり野球バカですね、部長は」

「その通りだよ。俺は野球バカだ。お前もそうじゃねぇのか? 俺はてっきりお前も同類だと思ってたんだがな」

「俺も、そうだと思ってましたよ……でも、世界が崩壊してから、何もかもどうでもよくなっちゃいました……いや、どうしようもなくなっちゃいましたよ」

「嘘だな」

 神亜創の投げやりな言葉を、即座にリンダは否定した。きっぱりと。

「……何でそんなこと言えるんですか?」

 その問いに対し、リンダはバットで神亜創のほうを指しながら――もっと正確に言えば神亜創のズボンのポケットのほうを指しながら答える。

「だったら……何でそんなもん持ってるんだ? 分かるぜ、それ、野球ボールだろ。何年も見てきたんだ。ポケットに入ってる野球ボールなんて一目で分かる」

「ああ、これですか……そのバットと一緒ですよ。先輩方のいじめにボールを使ったものもあったんで、同じことしてやろうと思って持ってきただけです」

「なるほどな……それで、それはもうやったのか?」

 質問の意図が分からず、神亜創は怪訝そうな顔で答える。

「……やってませんが」

「やっぱりな。このバットもそうだが、お前はせっかく持ってきたのに最後まで野球道具をそんな風には使わなかった。ここまでしといて、それでも野球道具をそんな風に使うことはできなかったんだ。やっぱりお前、野球バカだよ」

「流石にそれは夢見すぎじゃないですか? 部長。……なんなら、今すぐにでもそこに座り込んでる先輩の顔面にでも投げつけてやりますよ」

 そう言うと神亜創は自分の隣に白い化け物を出現させ、それにポケットから取り出した白球を渡した。

「こいつ、一体までならオートじゃなくて随時俺の意のままに操れるんですよ」

 そう言うやいなや、ボールを受け取った白い化け物は僕たちと距離を取る形で教室の端っこのほうまで下がった。

 リンダがまたもや不敵に笑う。

「普通よりも近いが、ハンデにちょうどいいか」

 それに対し、神亜創も笑う。初めのうつろな目とも違う、その後の怒りに燃える目とも違う、この状況を楽しんでいるような、何かを吐き出しているかのような目で。

「言うじゃないですか」

 そして、この二人が何をしようとしているのか気付いたところで一番焦るのは僕である。

「ちょ……ちょっと待って……それ本気?」

 慌てる僕に対し、神亜創は今日一番凶悪な顔で言う。

「何言ってるんですか? 始めたのは先輩ですよ」

 いやいや確かにそうだけど流石にやりすぎじゃない? あんな軽々と椅子を片手で投げられる化け物が投げてくる硬球なんて顔面にくらったら流石に死ぬんじゃないの?

 おびえる僕に対してリンダが頼もしく言う。

「ちか、安心しろ。ぜってぇ打ち返す」

 おいおいやる気満々だよこの野球バカ! なにこれ馬鹿じゃないの!? 野球バカが投げる馬鹿みたいに早いボールをこれまた野球バカが馬鹿みたいに打ち返そうとするわけでしょ? そのすぐ後ろに友達がいるのに! いやなんていうかもう…………馬鹿じゃん! 

 混乱して訳の分からなくなっている僕をよそに、すでに白い化け物は投球フォームに入っていた。

 いつの間にかその白い化け物の隣に移動していた神亜創自身も同じ動きをしている。恐らくそちらの方がイメージ通りに白い化け物を動かしやすいのだろう。

 しかしなんとも……美しかった。

 僕は野球なんて興味がないからあまりよく分からないが、そんな僕でも美しいと思える投球フォームだった。何年も何年も投げ続けて磨かれ続けたのであろうその動きに、僕は思わず自分の身の危険も忘れて見とれてしまう。

 そして次の瞬間、先ほどまでゆっくりだった神亜創の動きが加速し、ものすごい速さでその腕が振りぬかれた。そしてそれに連動するように白い化け物の腕も振りぬかれる。僕が神亜創から白い化け物に視線を移した時、すでに勝負は決まっていた。

 カキーン! という気持ちのいい音が教室に鳴り響く。そのすぐあと、繰り出された打球が神亜創の隣にいた白い化け物に見事直撃し、そのまま白い化け物は白球だけを残して消えた。

 ホームランを打たれた時のピッチャーはこんな顔をするのだろうか? 野球の試合を見たことのない僕がそう思うような顔で神亜創が呆然としていると、フルスイングしたバットをそのまま投げ捨てて走り出したリンダが、魔法によって強化したその脚力で机を大きく飛び越え、

「とりあえず、鉄拳制裁だ!」

 そう叫んで神亜創を殴り飛ばした。

 殴り飛ばされた神亜創はそのまま後ろの扉にぶつかってバウンドし、地面に倒れ伏す。

 着地のことなど考えてなかったのか、空中で神亜創を殴ったリンダもそのまま扉に激突し、上半身を仰向けに床に着け下半身は扉によりかかるという何とも間抜けな姿になっていた。

 うつぶせに倒れていた神亜創が、ゴロンと仰向けになるように転がる。

 リンダは動きたくないのかそのままの姿勢で言った。

「どうだ……目ぇ覚めたか? ……ちょっとは、すっきり……したかよ?」

「まぁ……ちょっとは……でも、でもこんなので……納得しろっていうんですか……」

 神亜創は悔しそうに言った。

 まぁ、確かに納得はできないだろう。

「納得しろとは言わねぇよ……でも、こんなことするのはもうやめろ。これからはちゃんと俺に相談しろ。一人で悩んでんじゃねぇ。お前の尊敬する先輩は頼れる先輩だからよ……多分な。……そうだなぁ、あと、俺のことはこれから部長じゃなくてリンダ先輩と呼べ……部長はもう、こりごりだ……」

 神亜創は泣いているのか、かすれ声で言う。

「ははは……。じゃあ……リンダ先輩……相談しても……いいですか?」

「……何だ?」

 神亜創は、ずっと悩んでいて、ずっと分からなくて、ずっと分かるはずもなかった質問を自分の尊敬する先輩に投げかける。救いを求めるように。

「俺……どうすればいいですかね?」

 後輩のそんな質問に、僕とは違ってリンダは当たり前のように答える。部長というより、先輩というより、まるで仲の良い友達のように。

「あん? そんなの決まってんだろ――――野球、しようぜ」

 それを聞いて、神亜創は何かを吐き出すように思いっきり笑って言った、

「……ははは……それもそうですね」







 その後僕たちは、あかりと助け出した野球部員が呼んできた警察に保護された。正直かなり怒られると思っていたが、あの若い警官が現れて「説教も兼ねて話は僕が聞きますよ」といって助けてくれた。

 神亜創といじめに加担していた部員たちに関してはどうなったかあまりよく知らない。ただいじめていた部員も流石に反省したらしく、神亜創自身もちょっとやり過ぎたと反省していてとりあえずは仲直りしたらしい。

 そして今僕は例によってあの若い警官の運転するパトカーにリンダとあかりと共に乗っている。目的地はもちろん学生寮だ。

「それにしても……君たちはよくもやってくれたね」

「すみません……」

「すいません……」

「すいません……」

 三人同時に謝る。

「まぁそれはいいとして……どうだい? 何か収穫はあったのかい? これだけ大変な思いをしたんだ……何か得るものがなくちゃ割に合わないだろ?」

 変な質問をしてくる人だ、と内心思いながら考えてみる。

 ちらりと隣を見ると真ん中に座るあかりの向こうで、こういう時には大抵一番に答えるリンダが珍しく悩んでいた。

「うーん……なぁ、あかり」

「ん? なに?」

「付き合わねぇか?」

「え?」

「は?」

「え?」

 ちなみにこの間の抜けた声は右から僕、あかり、警官である。

 急に告白されたあかりが顔を真っ赤にして慌てふためく。

「え? ちょ? 付き合うって……あの付き合う!? え? ていうかそういうこと今ここで言う!?」

 僕が告白したときとは大違いのリアクションだ。これだけでもあかりがどれだけリンダのことを好きか――愛しているかが分かる。まぁ、リンダが心配だからという理由だけであそこまでやる時点でそんなことは分かりきっていたことだけど。

 ふとここで気付く。成程、これが愛か……

 だとすれば僕があいのために色々決心して今日のことをやった理由は……これ以上はなんとなく恥ずかしくて考えないようにした。でも今度あいがやってきたときは、思い切って伝えてみようかな――この思いを。

 戸惑うあかりにリンダがもっとわかりやすく言う。

「付き合うってのは……つまりそういうことだよ。……あと、何で今かってのは……今なら言えそうだと思ったからで……あと、ちかがいるところで言いたかった。なんか……ちかがいないとこで言うのは隠し事してるようで気分悪いんだわ」

「な……なるほど、ね」

「それで、どうなんだよ?」

 バックミラーには必死にニヤニヤを抑えている警官の顔が見えた。

 あかりはうつむいて真っ赤な顔を隠しながら、いつものはっきりとした声はどこに行ったのか小さな声でぼそぼそとリンダの告白に応えた。

「よ、よろしく……お願い、します」

 あかりが照れているせいでリンダも余計照れているようで「お、おう」と言ってそれっきり車内は静かになった。

 そんな甘ったるい沈黙の中、ようやく学生寮前についてパトカーから降りる僕たち三人に再度警官が問いかける。なぜだかいつもより乱暴な口調で。

「で、おめぇらはこの冒険で一体何を手に入れたんだ?」

 いつもの通り、リンダが一番最初に照れくさいことを堂々と――いや、今回ばかりはちょっと照れながら答える。

「……愛……ですかね?」

 言った後にさらに恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしてあかりを急かした。

「あ、あかりはどうなんだよ?」

「え!? わ、私は……えーっと……じゃ、じゃあ私も……愛かな?」

 そう言って顔を真っ赤にして俯く。

 何だこのバカップルは?

「じゃあ、少年、おめぇはどうなんだよ?」

 本当にさっきまでとは違う乱雑な口調で警官が僕にもきいてくる。

 なんというか、いきなり口調が変わったというのにむしろ今までの口調がおかしかったと感じるくらい違和感がなかった。もしかしたら警官としてていねいな言葉遣いを心掛けていただけでこちらがいつものしゃべり方なのかもしれない。

「おい、ちかもなんか言えよ」

「そうだよ、なんか私たちだけ恥ずかしいじゃん」

 いやいや、それは自業自得でしょ、と思わなくもないがやはりここは答えておくべきだろう。

 しかしそうなると……一体何だろうか? 今回の件で僕が手に入れたもの……魔法の使い方? いやいや全く持ってナンセンスだ。では友情? それはそれでいいかもしれない……でもこの流れだとやはりここはあれしかないだろう。

「じゃあ僕も……愛、かな?」

 それを聞いてリンダとあかりはちょっと驚いたような顔をし、警官は分かっていたばかりにニヤニヤしている。

 ちょっとの間をおいてリンダとあかりが吹き出し、そして笑い始めた。それにつられて警官も笑い出す。

 おいおい、僕は案外真面目に答えたつもりだったんだけどな。

 まぁそういう僕も笑っているのだが。

 雲一つない夜の空に、僕たちの笑い声が吸い込まれていった。僕たちはこれからもいっぱい笑うのだろう。いつ空のほうに限界が来るのかが楽しみだ。

 ひとしきり笑い終えた後、いつも通りあかりを女子寮前まで送り、リンダと二人で男子寮へと帰る。

「なぁリンダはさ、いつからあかりのこと好きだったんだ?」

「んなっ!? ……め、珍しいな、ちかがそんなこときくなんて」

 僕自身もそう思うが、なんとなく気になったので聞いてみただけだ。

「そうだな……よく分かんねぇけど……気が付いたのは、この世界が崩壊して、どうしてだかそれが分かって、野球ができなくなるかもって思った時だな……そんで、どうしようって思ったときにまず初めに浮かんだのがあかりだった……あかりがいなかったら、俺も神亜みたいにどうしていいか分かんなくなってただろうな」

 本当にリンダとあかりは愛し合っているんだな、と思わされる。ちょっとうらやましい。

 それともう一つ、一番重要なことをきかなければいけない。ぶっちゃけた話さっきの質問なんてただの前置きみたいなものだ。

「それとリンダ、もう一つ聞きたいことがあるんだ」

「なんだ?」

 正直な話この質問をするのはちょっと怖かったりもするけど、それでもきかなければいけなかった。

「世界の崩壊について、リンダはどう思う?」

 少しの間をおいて、リンダは答える。

「……そうだな、正直な話、前の世界に大切なものが置き去りにされたっていうか……そういう意味では悲しいこともあったけど……でもおかげであかりの大切さに気付けたし、自分がどんだけ野球が好きかってことにも気付けた。後輩の悩みに気付けなかった自分の愚かさにもな……そんでその後輩ともっと近づけた。それに……ちかとキャッチボールもできたしな……ま、悪い事ばかりじゃねぇよ」

 リンダの言葉を聞いて、僕は安心した。ひとまずは及第点といったところか。それに何より、最後の言葉が嬉しかった。

「お前、ほんとに最近幸せそうな顔するようになったな」

「そう? 前からだよ」

「はっはっは、嘘つけよ」

 そんな冗談を言っているうちに部屋の前へと着いた。

 お互いに「じゃあ」と言って部屋へと入っていく。

 あいは来ているだろうか?

 部屋に入ってベッドの中を確認したが残念なことにあいはいないようだ。どうやら僕の告白は延期されるらしい。

 僕はシャワーを浴びて軽く晩御飯を食べ、疲れ切った体をベッドに横たえる。

 そしてベッドの中で考える。今度あいに会ったら何から話そうか? 今まではずっとあいの話を聞いているだけだったから一回くらいは僕が一方的に話してもいいだろう。

 そういえば、多分知っているだろうとはいえ僕のほうからリンダとあかりを紹介したことはなかった気がする。そうだな、いい機会だしそこから話すこととしよう。

 僕の数少ない友人のうち二人。

 いつかあいに会わせたいものだ。

 僕は心の中であの二人を思い浮かべ、あいに紹介するときのシミュレーションをする。

 そうだな、こんな感じがいいかもしれない。

 あい、突然だけど僕の友達を紹介しよう。

 隣田寮――野球バカ。住んでいるところは、寮の隣だ。

 向明――向かいに住む明かりのような女の子。

 僕はこの二人を見て――――愛を知った。


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