08
翌朝。
「木葉ー私のストッキング知らない?見つからないのよー。」
「ああそれなら洗濯したから下の居間のカゴの中だよ。」
「木葉ぁああ!どうしよう!Yシャツがどれもしわくちゃだ!ヤバい!まずい!」
「貸してっ!すぐアイロンかけるから!」
「木葉ー!」
「何!?」
「んー呼んでみただけ♡」
ピクッと自分の米神が動くのが分かった。
「一姉、私今忙し「行ってきまーす!」あ、母さん言ってらっしゃい!」
現在、朝7時10分。
私の朝はだいたいこんな感じ。夜のゆっくりとした空気とは正反対で、バタバタと走り回る人が約二名。母さんと双葉兄ちゃんは毎朝あの調子で「何が無い」だの「アイロンをかけて欲しい」だのと持ちかけてくる。それに比べ一姉と夏葉はしっかり者で黙々と支度を進める。だけど一姉は忙しくしている私をからかっては楽しんでいるから困りものだ。
バタバタと駆け回る兄をよそに、洗い終わった洗濯物をカゴに取り、狭いベランダへと干してゆく。洗濯は、朝時間のある私の仕事。
干し終わった頃には時刻は7時40分。
「(学校まで歩いて30分だから、余裕もって行けるな。)よしっ!」
自分の部屋にあるランドセルの中身を確認して、一階に降りれば居間ではじいじとばあばがのんびり味噌汁をすすっていた。
「じいじばあば、行ってきます!」
「「いってらっしゃい。」天魔には充分気をつけなさい。」
「はーい!」
時間はあるけど、門を抜けて駆け足で下って行く。肩で風を切りながら景色が次々に変わってゆく。双葉兄ちゃんの様に速くは走れないけど、それでも走るのが好きで登校時はいつも駆け足だった。
途中、休憩をしつつ8時02分には校門をくぐった。学校の職員室前にさしかかった所で、突然後ろからバシッと強い衝撃を背中に感じた。振り返ってみるとそこには月曜日振りの顔がある。
「おはよう!千本松!」
「おはよう霧見くん。」
彼に学校で話しかけられるなんて、入学してから初めてかもしれない。駆け足で来たのか少し息の乱れた霧見くんは、息を整えてから同じ歩調で歩き始めた。
「月曜日、千本松が来た時から少し体が楽になって、昨日にはすっかり体調も良くなってたんだ。あれ、やっぱり千本松が何かしてくれたのか?」
たぶん彼は月曜日に「解決した後でも知りたかったら教える。」と言った、あの言葉を覚えていたのだろう。実に厄介だ。ふと、昔の事を思い出す。
『何言ってんだよ!気持ち悪いっ!!!』
「(言わない方が懸命かな…)まぁそんなとこ。」
「なんなのか教えてくれるんだろ?」
私は昇降口のすのこの上に上履きをだしながら、この状況をどう切り抜けようか考えていたが、そこに思わぬ助け舟が現れた。
「まーくーん!!!!!」
校舎の影から可愛らしい二つ縛りをピコピコ揺らしながら走ってくる桂木さん。彼女は霧見くんに好意を抱いているらしいから、彼の復帰が嬉しいのだろう。凄い大声だ…自然と周りの目がコチラに集まる。
「桂木さんおはよう。朝から元気だね。」
「あっ木葉ちゃんおはよう!まーくん元気になったんだね!私ずっとずーっと心配してたんだよ!まーくんがこのまま戻って来なかったらと思って(以下略)」
いつもだったら少々面倒な子だが、今回ばかりはナイスタイミングだ。マシンガントークで霧見くんに喋らせる隙を与えない。グッジョブと親指を静かに立てて、私は自分の教室に逃げ込んだ。とは言ってもあの二人も同じクラスな訳で、程なくして朝からハイテンションの桂木さんと、朝の元気が嘘の様にげんなりした様子の霧見くんが教室に現れた。
「木葉ちゃん!霧見くん元気になったし、私遊びに行こうと思うんだ!」
そう言って桂木さんはランドセルの中から、ピンクのフリフリが付いた筆箱を取り出し机の上に置いた。そして中からまたもやピンクのフリフリキラキラがついたボールペンと小さなメモ帳を取り出した。
「(…………………まぁ、良いか。)」
「それでね!何か手作りのお菓子でも作って、料理の出来る女の子アピールしようと思うの!どんな物を作ったらいいかなぁ?」
「そうだねぇ~(胃袋をねじ伏せる気かぁ…)」
「クッキーとかどうかな!あとぉチョコレートとか?ハートの形にしたら愛が伝わるかなぁ♡きゃっ!桃香なんだか恥ずかしいこと言っちゃったぁー!!」
「(きゃっ?)………うーん。クッキーも良いけど、料理できない子でも簡単に作れちゃうから"料理出来る子アピール"にはもう一押しかな。パウンドケーキとかはどう?ドライフルーツとか入れたら美味しいし、手間はあまりかからないけどケーキといえば印象良いだろうし、持っていくのにも形が崩れる事を気にしなくていいと思うよ。」
「………………すごーい!木葉ちゃんお料理出来るの!?意外ー!」
「(意外ってゆーな。)まぁ好きでやってるってゆーのもあるけど、やらなきゃいけないってのもあるからね。」
そこまで話して、教室に川の瀬先生が来た。目が合った途端、爽やかスマイル。川の瀬スマイルとでも名付けようか。いや、やめよう。
「はい!皆おはようございます!」
「「おはようございまーす」」
「今日の日直は順堂ヶ丘 泉だな。よろしく!」
「はい。きりーつ、れーい、ちゃくせーき。」
この後先生が必要な連絡事項を伝えたが、その間、先生の後ろでは"観察池"が嬉しそうにゆらゆら揺れていた。そしてこの日一日、私と霧見くんの攻防が繰り広げられることになる。
一時間目が終わった休み時間。私の席の横には彼が立っていた。
「今朝の話の続き。聞かせてくれるんだろ?」
休み時間の喧騒の中でも、あんな話はしたくない。
「あっ、ごめんトイレ。」
「あっ!おい待てよ!」
バッと掴まれた手首を見てから霧見くんの顔を見返す。
「問題は解決した。この話は終わり!ここで私がオシッコ漏らしても良いなら"手首"掴んだままでいてもかまわないけど。」
「なっ!女子がそういう事言うもんじゃねーだろ普通!」
またしてもバッと乱暴に離された手に「どうも。」と残してその場を去った。
「(うまくはぐらかせたかな。だけど休み時間に毎回これじゃ疲れるな。)」
適当にトイレの横の洗面所で時間を潰して始業ギリギリに教室に戻れば、誰のものかはすぐに分かる視線を感じた。が、無視して自分の席にすわる。
「まぁなんとかなるだろう。えーと、とりあえず次は国語が。)」
昼休み、私は図書室で"図鑑"を立ち読みしていた。棚と棚の間で大きめの「植物図鑑」に心を奪われていた。図書室には本を読んだり勉強したりするためのテーブルと椅子があるのだが、そこは図書室に入った所から丸見えだった。霧見くんがもし私を探して来た時に、あそこにいては直ぐにバレてしまうだろう。あれから休み時間の度にあの手この手で霧見くんをかわした。ほとんどが桂木さん召喚という手段だったけれど。
「(ここならまぁ、騒ぐ事も出来ないだろうし。「植物図鑑」面白いし。)」
「千本松!」
大分小声ではあったけれど、突然の事にビクっと大きく体が跳ねた。振り返れば朝から私を追いかけ回している彼が居て、逃がすまい!と手首をしっかり掴まれた。
「ストーカー。」
ボソッと言えば、彼の顔は熟れたトマトの様に赤くなったが、手を離そうとはしなかった。
「ストーカーじゃない!約束は約束だろ!」
霧見くんが少し声を張れば、丸い瓶底眼鏡をかけた図書委員がすかさず「シーっ!」と注意に来た。
「すみません。行こう霧見くん。」
「う、あ……悪い。」
少々気まずそうな彼を連れて図書室を出た。連れ出した方の私が手首を掴まれているという姿は、自分でも滑稽に思えた。私が前を歩く間も、彼は手を離そうとはしない。行くアテもないので仕方なく教室を目指し、歩きながら話し始めた。
「前にも言ったと思うけど、霧見くんに起こった事は信じられない様な事ばかりなんだ。だから………本当はあまり話したくないの。あの時は話を進めるために「教える。」って言っちゃったけど、出来ればこれ以上聞かないで欲しい。」
足下は見ずに廊下の先を見て歩いた。人に自分の話をするのは好きじゃない。話して良かったと思えることなんてそうそう無いから。
「………俺、あの時凄く辛かったんだ。どうしようもなくて、本当に死ぬんじゃ無いかと思った。それをどうやったのかは分からないけど、千本松が来て「なんとかする」って言って、本当に解決してくれた!だから!本当に信じられない様なことでも、俺信じるよ!………………無理に話せとは言わない、だけど…だけど……えっとなんかごめん。あのありがとうって言いたかっただけなんだ…」
そこまで一気に話して、霧見くんはやっと手を話してくれた。
自分のことを話すのは簡単じゃない。 ほとんどの場合与えられるのは、あの眼差しだ。哀れな者を見る目。それは子供心に酷く冷たい。
「(だけど…。)」
教室へと向かい歩を進める彼の後ろ姿。
「…霧見くん。放課後、観察池に来て。」
「信じる。」その言葉はあまりにも軽々しく、あまりにも嬉しかった。
木葉は人嫌いではありませんね。本当は凄くこわがりで、嫌われるのが怖いから人に関わらない。だけど困っている人を放っておくことも出来ない。
第一話もそろそろ終幕の時!
本編として書こうか番外編にしようか迷っている話もあります。