03
次に目を覚ました時、肩まですっぽりとブランケットが掛けられていた。きっとどちらかの仕業だろう。姉か兄の優しさに思わず頬が緩んだ。
「ふぁああ」
一つ大きく伸びをして、ブランケットを畳み傍に置いた。一階からだろう、美味しそうな夕食の香りに<ぐぅっ>とお腹が鳴ったことに悲しくなる。
「色気より食い気とはこの事か。」
一人愚痴ると…
「色気なんかつけてどーすんだ?小学生!」
声を聞けば誰だかは顔を見ずとも分かる。パッと顔を上げれば、「正解」と言わんばかりの双葉兄ちゃんの笑顔があった。
「私のクラスの子はもう"カレシ"いるみたいだよ?私も出来ないとは言い切れない。」
「欲しいの?」
「うーん、分からない。今は夕ご飯が欲しい。」
「よしよし!それでこそ小学生だっ!木葉は食い気だけあればいいんだよ!」
そう言って双葉兄ちゃんは私よりもずいぶん大きい手で、グシャグシャと掻き回す様に私の頭を撫でた。
私の前を歩く双葉兄ちゃん。いつもは鬱陶しい程過保護だけど、それが全て優しさだと分かっているから大好きなんだ。
居間には家族の殆どが揃っていて夕ご飯の支度を進めていた。
食器とおかずをテーブルに並べながら、ふとした疑問が頭をよぎった。
「ねぇ、一姉と双葉にいちゃん。」
「何?」「なんだ?」
「…今日なんであんなに早かったの?部活は休み?」
そう聞いたところで、ばあばが小さく「ふふっ」っと笑うのが聞こえた。
「私は部室で歌ってる時に、ちょーど! 木葉がウチの高校の横を歩いてるのが見えたから早退したのよ!双葉もそんなところでしょ!」
あははっと笑ってみせたけど、そんなの全然…
「全然笑えませんっ!」
突然の大声に二人ともビクッと体を硬直させた。
「もう、二人の高校と中学の前は通らないから。」
「なっ!??」
「待て木葉!一葉は早退したかもしれないが、俺は既に部活は引退してるっ!」
「ちょっと双葉!!!何自分だけ言い逃れしようとしてるのよっ!」
二人が言い合ってるのはもう放っておこう。
チラッと前に目を向けると、テーブルの向かい側で弟の夏葉が箸を雑に並べていた。一瞬目が合った気がするけれど、彼はすぐに目を逸らした。夏葉はたぶん私が嫌いだ…
「(いや、間違いなくか……)」
弟に嫌われだしたのはここ最近の事ではない。
「(仕方が無いか…)」
すぐネガティブな思考に飲み込まれてしまうのは、私のダメな所。
「(反省反省!)ねぇ一姉!母さんから連絡あった?」
「えっ?!あ、うんあったよ!帰りに空ちゃんの所に寄ってくるって言ってたから、もうそろそろ帰ってくるんじゃない?」
その時、ガララと玄関の開く音が聞こえた。一姉の勘は凄くよく当たる。
「ただーいまー!!」
「ほーらね」と言わんばかりのドヤ顔で一姉がニヤッと笑った。「おかえりー」と台所や書斎からも声が聞こえる。
母さんは帰ってそのまま台所に向かった様で、ばあばの作った煮物を一足先に味見していた。
「おかえり母さん!」
駆け寄った勢いで母さんの背中に抱きついた。
「お、木葉ーただいまー!どうしたぁ甘えた虫になっちゃったのかー」
と笑いながら頭を撫でてくれる。大好きな母さん・千本松 海子は、女手一つで私達子供四人を育ててくれた。勿論いろんな人の助けもあってだけれど。本当に、大きな海の様な人だ。
「……娘が虫でもいいんだー」
「冗談だよー!ほらっ!夕ご飯の支度手伝わなきゃ!」
「……はーい」
時刻は18時40分。母さん帰宅。
夕食から寝るまでは時間がゆっくりと流れる。私はこの時間が大好きだ。
「木葉ー先にお風呂入っちゃいなさい!あんたすーぐ寝ちゃうんだから!」
「ふぁ…い……」
「木葉!俺と入ろう!寝呆けて風呂入ったら危ないからなっ!」
「双葉なんかと入る方が危ないわよっ!木葉お姉ちゃんと入ろう??」
「何言ってるの一葉、あんたさっき入ってたでしょう?ほらっ!木葉、今日は母さんと入ろう。」
小学6年生にもなって親とお風呂なんて、友達には言えない。だけど、母さんがモコモコに泡だてたシャンプーで頭を洗ってくれるのが、たまらなく好きだった。
「ほらー目ぇ閉じてないと泡入っちゃうよー」
「はーい!」
ザーっと頭からシャワーの水をかけられて、顔に張り付いた髪を掻き上げた。
「今度は私が母さんの髪洗ってあげるよ!」
「うーんじゃあ、体洗ってもらおっかなぁー」
「了解ですっ!」
ボディタオルをまっふまふに泡だてて、母さんの背中を優しくこすりだした。
「今日、学校で何かあったの?」
「?」
「じいじとばあばに聞いた」
「あー、うん。でも平気そうだったよ!川の瀬先生だし!」
「そうねぇ……木葉が大丈夫って言ってるなら大丈夫でしょうね!」
「へへっ」
「くくっなんか笑っちゃうなぁ。あの先生優しいもんねぇ」
「そうなのっ」
母さんの背中一面が泡だらけになった頃には、二人で川の瀬先生を思い出して笑っていた。
お風呂を出たらすぐに、双葉兄ちゃんに捕まって髪を乾かしてもらった。とにかく夜に弱い私が、髪を乾かさず寝てしまうのを双葉兄ちゃんが黙っているはずがなかった。
「ふあぁぁ」
「もう寝るか?明日は休みなんだし、"お兄ちゃんと夜更かし"とゆう手もあるが?」
「むぅー…寝る。」
「海ちゃーん!木葉もう寝るってさー」
ドライヤーの音に負けじと、双葉兄ちゃんは声を張った。
「はいよー!あんたもいつまでも起きてないで早く寝ちゃいなさいよー」
「おやすみなさぁい」
「おやすみー」
居間を出ると、木でできた床が少しだけ冷たく感じた。
「ほら、足元気をつけろ。」
「うん、大丈夫だから…双葉兄ちゃんまだお風呂入ってないでしょ…」
「いや、だけど木葉が階段で転んだら大変だし」
「邪魔なんだけど」
眠い頭でもすぐに理解出来る程棘のあるセリフを吐くのは、家族の中で彼ぐらいしかいない…
「う、ごめん…」
「夏葉!もっとオブラートに包んだ言い方をしろよな!」
「ふんっ」と面倒臭そうにそっぽを向いて階段をあがる夏葉。双葉兄ちゃんの手をすり抜けて、彼の後ろに着いて行く。別に追いかけている訳ではない。
「(部屋が隣なだけだし…追いかけてるわけじゃないし…)」
夏葉が部屋に入る前に「おやすみ」と声をかけたけど、すぐには返事はかえってこない。部屋に入ってから大分小さく「おやすみ」と聞こえるだけ。
二階にある自分の部屋、そこはかなり大きい。母さん曰く、「女の子は物が増えるからっ!」らしい。現時点ではそんな気は全くしないのだが。
部屋にはベッドがないので、寝る時に一々布団を敷かなければならない。
「木葉布団敷くぞー」
先ほど風呂に入ると言っていたヤツが何故ここに。
「お風呂は?」
「入ってきた。ほら、そっち持ってー」
「あれ、双葉あんたも木葉の部屋で寝るの?」
「へ?なんで双葉兄ちゃんが…って布団が二組も!てゆーか一姉も一緒に寝るつもりなの!?」
「当たり前!」
「そりゃー金曜日だしなっ!」
「(意味が分からない)…なんでも良いからもう寝よぉ」
自然と自分は三つ並んでる真ん中の布団に入った。
「(ここに夏葉も居ればなぁ……)おやすみ」