Rest 2 -Part.2-
「まあ、カラオケも盛り上がってよかったよな」
「全く、途中から寝てたくせによくもそんなことが言えるわね」
その時、僕と真美はいつもの河原で新しい一日の始まりを待っていた。明け方まで続いたカラオケの後はどことなく物憂げだった。一ヶ月前に初めて来て以来、僕らはバイトから帰る道すがら、よくこの場所に立ち寄ってはあてもなくジュースやコーヒーを飲み続けた。ある時彼女が、「まるで天然のオープン・カフェみたい」と言ったことがきっかけとなって、僕らは缶のドリンクしかメニューのない「河原のカフェ」と呼んでいた。
「でも、この時間にここにいるのって初めてだな」
「確かにそうね。何だか新鮮な感じ」
東の空から太陽が昇る気配がした。まだ使われていない新鮮な一日の到来に、無性に胸躍る自分がいた。
「金井のやつ、うまくやったかな」
「何それ、一体何のこと?」
真美は知っているはずだと思いながらも、そう聞かれて答えないわけにいかなかった。どちらにしてもこの時間には、金井は玲奈に想いを伝えているはずなのだから。
「そう。何となくそんな感じはしたんだけど……。でも、うまくいくといいわね」
そこにどれだけの気持ちが入っているかは疑問だったが、少なくとも真美が二人の結びつきを嫌っているようには思えなかった。ただ、善意の第三者として考えているに過ぎないようだった。
「ねえ、実は、相談したいことがあるんだけど」
でもその言葉を放った途端、うつむき加減にこちらを見る真美の表情が微妙に曇った。彼女の目の奥から訴えかけられる何かを見たような気がして僕は戸惑った。
「何だよ、言ってみなよ」
「こんなことを、俊介くんに言うのは変かもしれないけど……でも、俊介くんだから言うの」
言い方が実に遠回りだと思った。同時に、言いにくいことなんだと想像するのも容易だった。僕は辛抱強く次の言葉を待った。
「私、島本さんのことが好きなの」
ハンマーで叩かれたような衝撃が頭の中を駆けめぐり、次の瞬間、マグマのように噴出する疑問の渦に呑み込まれた。真美は僕のことを好きではなかったのか。何故、苦手だと言っていた島本を好きになったのか。どれくらいの時間が過ぎたのかわからなかったが、気がつくと脱力感と虚しさに覆われている自分がいた。そう、この時僕は初めて、自分が誰を好きなのかを理解したのだ。打ちひしがれるように思い知ったのだ。
「でも、何だかうまく言い出しにくくて」
「まあ、そうだよな」
それが精一杯だった。自分がどうしようもなくちっぽけな存在に思えた。全てを否定されたような気がした。始まったばかりの一日さえ恨めしかった。
「ごめんね、こんな話して。誰かに相談したかったの。俊介くんならわかってもらえると思って」
わかるわけもなかったし、わかりたくもなかった。今までの時間の流れは一体何だったのかと尋ねたかった。でも、おそらく既に遅かったのだろう。たとえ僕ががむしゃらに叫んだところで、何もかもはもう決まってしまっているのだから。
その夜も、僕は金井と店であてのない時間を過ごしていた。と言っても、彼の様子がいつもと違うことで二人の間に会話はほとんどなかった。彼はただ黙々と厨房を行き来し、レジを打ちながら客の応対をした。その痛々しい表情から何があったのかは容易に想像がついたので、僕はよほど励ましの言葉のひとつでもかけようかと思ったが、早朝の出来事から自分自身の心境も穏やかではなかったのでそのまま時間をやり過ごした。端的に言って、人のことを気にかけている余裕などなかったのだ。
「見事にKOされました」
金井がようやく放った言葉は、午後十時を廻った店内に奇妙なトーンで響いた。既にシャッターは下ろされ、僕はレジの金を、彼はショーケースのサラダの数をチェックしていた。僕はかすかな罪悪感を抱きながらも気の利いた言葉をかけることができなかった。
「そうか、残念だったな」
「まあ、なかなかうまくいかないもんですね」
無理な笑顔を浮かべる金井に、僕はどうしても何かを言わなければいけないような気がしていた。少し頼りないバイトの、いや人生の先輩からの慰めの言葉を。でも、次の瞬間に口から出たのは、それとは正反対のフレーズだった。
「諦められるのか?」
「えっ」
「本当にそれでいいのか? これからも同じバイト仲間として、今までと同じにやっていけるのか?」
まるで自分に言っているようだと思った。それは、今日一日僕自身が自問自答してきたことだった。これからも同じバイト仲間として、真美とうまくやっていけるのか。島本への想いを理解しながら、いやむしろそれを後押しするようなよき相談相手を演じていくのか。自分自身が壊れていくのを承知で。
「いいも悪いもないですよ。諦められるわけないじゃないですか。今が駄目だからって、これからも無理だって決めつけるほうがどうかしてますよ。毎日のように会ってるんだから、今にきっとチャンスはあります。たとえ男がいたってね。ほら、よく言うじゃないですか。人生一寸先は闇だって」
目から鱗が落ちた思いだった。ことわざの使い方はともかく、金井の言っていることはもっともだった。前向きで光のある考え方だった。僕は後輩から教えられたようなその言葉に圧倒されながらも、失敗を積み重ねてきた果てに行き着いた自分の後ろ向きな考え方を見透かされたような気がして恥ずかしかった。そう、これから先のことなんて誰にもわからないのだ。人の気持ちだって一寸先にはどうなるかわからない。真美の想いだって、気がついた時には自分に向けられているかもしれないのだ。
でも、僕のその考えは単なる妄想に過ぎなかった。目の前の現実は、圧倒的な力をもって僕と周囲を否応なく支配していった。何もかもが出来レースのようだった。あるいは、安っぽい筋書きのドラマのようでもあった。結局のところ、僕はそこで主役ではなくしがない脇役として、ただシナリオ通りに演じ続けるしかなかった。