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Riverbed Cafe  作者: hiro2001
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Rest 1 -Part.3-

「どう、そろそろここの仕事にも慣れてきたんじゃない?」

「うん、まあね。私、結構このバイト合ってるかも」

 その夜も僕は、客が来ないのをいいことに彼女……真美との会話にかなりの時間を費やしていた。三人の女の子の中でたまたま同じシフトに入ることが多かったからか、あるいは金井が放ったレベルダウンという言葉に同調してしまったことへの負い目からかわからなかったが、いずれにしても僕は、真美と最もフランクな付き合いができそうな印象を持った。僕自身の背もさほど高くなかったからか、今となっては彼女の背の低さも全く気にならなかった。勝手に地味だと決め付けた印象も実は全く間違っていて、都心にある短大に通う一年生の彼女は、短めの黒い髪に象徴されるスポーツ好きの、むしろボーイッシュな雰囲気を醸し出す子だった。地味に映ったのは、単にその時着ていた紺のツーピースのせいだったのだ。梅雨入りしたばかりで水気の多い陰鬱な店の外とは異なり、明るく照らされる厨房の中は異世界にいるかのような錯覚を覚える空間だった。

「そろそろ閉店だな。ちょっとレジの金をチェックしてくるよ」

 僕と真美が仕事もそっちのけで話をしている間も、マイペースで厨房を片付けていた島本がぼそっと呟いてカウンターに出て行った。すると、真美がすかさず僕の耳元でささやいた。

「私、どうも苦手なの。島本くん、何かとっつきにくいのよね」

「そうかな。いい奴だぜ、アイツ」

 そうは言ってみたものの、確かに真美の言い分にも一理あった。僕より二十センチは背が高くほっそりとした島本は、やや病的に見える端正な顔立ちのままに無口で愛想がなかった。必要なこと以外は一切話さず、特に女の子たちと口をきくことは皆無だった。僕自身も、彼が二つ下の大学二年生である事実以外は何も知らなかった。二人でシフトに入っていた時はただ黙々と、お互いに仕事をこなすだけだった。でも一方で、彼が十分過ぎるほどに優しい人間であることもまたわかっていた。押し付けがましくないさりげない気配りも随所に見受けられた。だから余計にもどかしかった。彼に一言言ってやりたかった。それじゃ、もったいないぜと。もっと面白く生きようと。どう考えても彼は、全体的に繊細に過ぎることで人生を損しているはずなのだ。余計なお世話かもしれなかったが、僕はそんな島本の心に触れ、その未知の部分に足を踏み入れたかった。そう、僕は単純に彼と友達になりたかったのだ。


 バイトが終わって裏口から店の外に出る瞬間が好きだった。季節がら今はじめじめとした空気が体にまとわりついてくるが、街路樹をほのかに揺らすさっぱりとした夜風が肌に触れる五月頃は、体と同時に心までもが開放される淡い喜びに満たされたものだった。

「雨、止んだみたいだな」

「日頃の行いがいいからね」

「誰の?」

「もちろん、私のよ」

 僕らは自転車を二つ並べて風を切っていた。確かに雨は上がっていたが、路上のアスファルトにはまだその跡が残っていて、車輪を水溜りに入れるたびにしぶきが踊った。隣を走る真美のノースリーブの青さだけが暗闇に浮かび上がっていた。

「何か、こういうのいいわね」

「えっ?」

「夜のサイクリング」

「じゃあ、このまま河原まで走るか?」

 二人の家とは方角が違うことを承知で、僕はいつも曲がる交差点を直進した。橋までは五分とかからなかった。僕らはその袂で川沿いのサイクリングロードに入ると、自動販売機の光が煌々とあたりを照らす場所で自転車を止めた。

「さて、ジュースでも飲むか?」

 真美の返事を聞くまでもなく、僕は販売機ではちみつレモンを二本買った。河原の斜面に並んで腰を下ろすと、瑞々しいふんわりとした感触に包まれた。

「まだ草が濡れてるな」

「いいじゃない、どうせ家に帰るだけなんだから」

 真美の首筋からは、ほのかに甘い香りがした。雨に濡れた草の匂いと相まって、それはむせぶほど生々しく僕の鼻をくすぐった。どこからか救急車のサイレンが聞こえてきた。

「ねえ、こうしていると、仲のいい二人連れに見えるかな?」

「さあ、どうかな。身寄りもなく彷徨う兄妹に見えるかもよ」

「どうしてそういうこと言うかな」

「半分は冗談だよ」

「じゃあ、残りの半分は本気?」

「冗談半分だっていうことだよ」

「全く、やっぱり俊介くんて変わってるわね」

「それはお互いさまだろ。だからこそ二人でこうしているんじゃないか」

 真美は、僕の放った言葉の意味を確かめるようにしばらくうつむいていたが、やがて諦めたように首をゆっくりと横に振ると、正面に漂っているはずの水面へと目を向けた。引き込まれそうな闇のはるか向こうに何かを探すように、彼女の視線は直線的に貫かれていた。

「時々、どうしようもなく不安になるの。たった一人で底なしの井戸に落ちたみたいに」

「誰にでもそういう時はあるよ」

「ううん、そういうのとは違うの。もっとこう、絶対的なものなの」

「何か嫌なことでもあったのか? だったら話してみなよ。力になれないかもしれないけど、外に吐き出しただけでも気分がよくなるぜ」

 でも、真美の言葉はそれ以上具体的にならなかった。軽い沈黙と草の上を這う風だけが流れていた。

「やっぱり、俊介くんていい人ね」

「やめてくれよ。男にとっていい人っていうのは、嫌いって言われるより傷つくんだぜ」

「そうなの? 私はそういう意味で言ったんじゃないけど」

 それきり、僕らの間には会話が成立しなかった。真美が心の奥底に大きな闇を抱えていることはわかったが、かといってそれが一体何なのかは結局わからなかった。と同時に僕は、彼女の想いから発せられたベクトルの存在にも気づいていた。ただそれが、どの程度の大きさとレベルをもってこちらに向けられているのかがわからなかった。だからそれ以上先に踏み込めなかった。いや、踏み込まなかったのだ。自分のベクトルがどこに向いているのかさえわからないのだから。

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