Rest 1 -Part.1-
一九九三年の僕は、少なくとも外見上は今とほとんど変わらなかった。でも、一皮向けばその中身はどうしようもないまでに大学四年生だった。今のように心を分厚く覆う硬い殻もなく、意に反した言葉の数々を発することもなかった。良かれ悪しかれ何もかもがありのままの自然体だった。
僕の人生の転機ともなったその夏を語るには、でもさらに数ヶ月前の二月に遡って話さなければならないだろう。大学生に特有のひたすらに無味乾燥な春休みに突入したばかりの僕は、その退屈さと金欠状態を解消すべくバイトの口を探していた。都心から少し離れた地元のこの町では、何よりも新聞に折込まれている求人広告が役立つはずだったが、意外にもフロムAから「オープニング・スタッフ募集」の文字を見つけた僕は、その店が経験したことのない弁当屋であったことよりも、新しい店で人間関係の煩わしさがないことを理由に面接を受けることにした。
三日後に店を訪れた僕は、新装開店の準備で足の踏み場もない厨房で店長と初めて顔を合わせた。自分よりいくつかだけ年上に見えるその男は、ぼさぼさの茶髪を無造作にいじりながら履歴書をちらっと見ただけで採用を決定してしまった。あまりのあっけなさに拍子抜けしたが、考えてみればいつ辞めてもおかしくない学生のバイトを選ぶのに特段の基準があるわけもないのだろうと妙に納得しながら、とにかく一週間後のオープン当日には遅れないようにとの言葉を背に、痺れるほど寒い風の舞う舗道に出た。
そうして、わけもわからないままにオープン当日の午前十時から店のレジの前に立ったが、最初の一時間半とその後の二時間とでは客足に極端の差があった。店長から簡単にレジ打ちを教わってしばらくは客もほとんどなく、これなら楽勝だろうと昼飯にどの弁当を食べようかと頭を巡らせているうちに悲劇は訪れた。正午へのカウントダウンが始まるにつれて次第にフロアを埋め尽くしていく人の群れは、程なくバーゲン会場の様相を呈し始めた。厨房から厳しい口調で檄を飛ばす店長の声も理解できず、僕を含めた三人のバイトはただやみくもにレジを打ち温かい弁当をビニール袋に詰めた。それはまさに、戦場と呼ぶに相応しい光景だった。何も考えられずに頭の中が真っ白になり、反射神経で手足だけが動いている状況だった。だから、ようやく昼の弁当にありついた頃には脱力感が体全体を覆い、一刻も早く家で横になりたい衝動に駆られた。
でも、人間の体は不思議なもので、行動が習慣となって日常生活に組み込まれていくにつれて、疲労の度合いも次第に少なくなっていった。三月を過ぎて四月に入った頃には、厨房での弁当作りもすっかりマスターし、手の抜きどころもわかるようになっていた。
店のシフトは、開店から夕方までと、夕方から夜の十時までの二つに大別され、僕は昼のシフトに入っていたのだが、パートのおばさんたちの世間話や仲間同士の確執にうんざりしたこともあって、程なく夜のシフトに移ることにした。女子高生や女子大生のバイトが多いこの時間帯は僕にとって望むところだったが、あまりに出入りが激しかったこともあって、しばらくは誰が誰だかよくわからないような状況が続いた。
そんな中にあって僕は、二人の男と仕事を共にすることが多かった。二人とも大学生で年下だったが、僕はそのうちの一人と話が合い、やがて友達のように打ち解けた間柄になった。彼はこの四月から大学生になったばかりで、店からバイクで十分ほどのアパートで一人暮らしをしていた。建築を専攻していた彼は、また大学のゴルフ部にも所属し、忙しい毎日を送っていたが、同じく就職活動で身の回りが忙しくなり始めていた僕にとって、何より彼との会話がとても楽しみになっていた。取り立てて面白い話題で盛り上がっているわけではないのだが、体育会系でさっぱりとした性格から発せられる歯切れのいい言葉の数々が、文科系の仲間だけに囲まれた僕にとって新鮮に映ったのかもしれなかった。また、話の中に垣間見える彼の意外にも大人びた考え方に触れていくにつれて、年下にもかかわらず僕は彼に対して友情のような感情すら抱き始めていった。