エピローグ -Part.1-
三十歳をはるかに超えた僕は、床屋での安らかなひと時を終えて河原に来ていた。今までの憂さを晴らすかのように、思い切り刈り上げた後頭部を撫でる風が心地よかった。薄く雲がかかりだしたせいで、太陽の光もやや間接的になっていた。僕は土手に敷き詰められた雑草の上に腰を下ろすと、キャッチボールをする一組の親子の彼方で、悠久の時を刻むかのように流れる川面を見ていた。もちろん、かつてカフェがあった河原とは場所も時間も違っていたが、久しぶりにそんな景色を眺めていると、あの頃の自分と一体化するような不思議な気分だった。物憂げな夏の思い出が蘇ってくるようだった。
あの夏の小さな花火から程なくして、潤子とは別れた。恋人ごっこは僅か一ヶ月であっけなくその幕を下ろした。僕はその後も、真美への悶々とした想いを抱えながらバイト生活を続けた。秋の深まりに比例して、真美と島本との仲も深まっていった。それを否応なく見続けるのも辛かったが、冬の寒さとともに耐えることが自分に課せられた天命だと頑なに信じ続けることによって何とか数ヶ月をやり過ごした。春になって間もなく、大学を卒業した僕は店を離れ、仲間との連絡も次第になくなり、やがて途絶えた。
その後の三年という時の流れは、新しい社会生活という荒波にもまれたことで、光陰矢の如しの言葉そのままに過ぎ去っていったが、そんな秋にかかってきた一本の電話が僕を立ち止まらせ、一瞬にして過去の自分に引き戻らせた。金田からの、バイト仲間で久しぶりに会おうというその企画を契機として、僕は真美と再会した。既に島本と別れていた彼女は、もちろんそのせいだけではなかったが、やがて僕と付き合うようになった。僕らは、いや少なくとも僕は、空白の三年を埋めるように激しくお互いを求め合った。全てが夢のように幻想的で、おぞましいくらいにリアルだった。彼女の全てを知ることはもとより望むところだったが、深く分け入ればそれだけ息苦しさも増した。でも、わかっていても留まることはできなかった。自分ではどうしようもない引力が働いていて、彼女から離れることなどできなかった。後戻りは不可能だった。
気がつくと、真美の体を通り過ぎていた。ちょうど皆既日食のように、真美の太陽と僕の地球はほんの一瞬しかひとつになれなかった。離れてしまうと、もはや相手を真正面から見られなくなっていた。猜疑心が日増しに心を覆い尽くし、やがてそれは虚しさを伴った諦念へと変わっていった。真美に会っても、突き動かされるような切ない衝動を感じなくなった。彼女が何を言っても、その瞳の奥に隠された想いを把握できなくなった。そう、全ては既に終わっていたのだ。僕は、真美のことを知り、その心を疑う苦しみから解放されると同時に、彼女と想いを共有するかけがえのない時間を永久に失った。