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銀鎖の大罪

作者: MTL2


【ウェス国・ネルビン駅】


『緊急事態です。ホームにいらっしゃるお客様はぁー……』


間延びした駅員の放送が鳴り響く駅の中で、真っ黒なスーツを着たその男は口から白煙を吐き出していた。

指に挟んだ煙草は[BLOODwolf]。七百二年にしか発売されていない特別製だ。

スーッ、と口内に染みていく鉄のように鋭い味が嫌なことを全て忘れさせてくれる。

「ふぅーーーー…………」

大きなため息と共に、列車の吐き出す水蒸気の中に混じっていく白煙。

彼はそれを見ながら、つい数分前にあった出来事を思い出していた。


『列車ジャックされてるっぽいから解決してね。あ、列車はその駅で止まらず通り過ぎるから飛び移るように。じゃ、よろしく!!』


これである。

今、自分の目の前では数十分後には隣国のサウド国に出発するはずだった列車が撤去されている。

無理やり下ろされた男や女達は駅員に酷く文句を言い散らしているが、事情を知らないからそんな事が出来るのだ。

―――――今から煉瓦壁を突き破ってもそのまま激進するような暴走列車が来るのだ。

―――――そして、俺はそれに飛び移って中のハイジャック犯共をぶっ飛ばさなきゃならんのだ。

―――――ふざけるな、帰らせてくれ。

―――――と言うか何で仕事帰りにまた仕事を押しつけられるんだ。泣くぞ。

「お客様も、急いでご退避を……」

先程まで男女に言い寄られていた駅員がくたびれた様子で煙草を吸っている男に声を掛けてくる。

彼も悪くないのにクレーム対応に追われて大変だろう。

自分がここに居る理由も多く語る必要はない。

手短に済ませて彼の休憩時間を増やして上げるのが心遣いという物だ。

「ほら」

彼が見せたのは真っ黒な手帳だった。

その手帳には白銀の鎖と十字架が刻まれており、黒の中で燦々と輝いている。

「……え?」

駅員の表情はその手帳を見るなり凍り付く。

漆黒の中に浮かぶ銀色の鎖と十字架。

彼はその紋章の意味を理解した瞬間、呼吸を止めた。

「……ぎ、[銀鎖の大罪]」

彼の呟いた言葉は先程まで騒音に覆われていた駅内を静寂に沈め込む。

クレームを付けていた男女も、忙しそうに走り回っていた駅員も、列車に乗れず残念だと話していた老夫婦も。

誰もが皆、男の持っている漆黒の手帳に目を向けた。

「ぎ、銀差の大罪だぁああああああああああああああ!!!」

叫んだのはクレームを入れていた男か、それとも駅員の誰かか。

何にしろ男の目の前に居た駅員が叫んだのではない事は確かだ。

その男は今、腰を抜かしたまま這うように逃げ出していって居るのだから。

「……はぁ、またこれか」

男がため息と共にその言葉を吐いた頃にはもう駅の中に彼以外の人影はなかった。

それ程までに恐れる事はないだろう。個人的に少し傷付いてしまう。

「自業自得かなぁ……」

―――――思い出すのは過去の自分。

―――――完全な黒歴史だ。思い出すだけで自分を殴ってやりたくなってくる。

―――――その汚名が今でも着いてくると言うのだから嫌になってくる物だ。

―――――なるほど、正しく[傲慢]の名は自分に相応しい。

「さて、と。それはそうと好都合か」

過程はどうあれ、駅員さんの手間が省けた。

駅内にはもう誰も居ない。

先程の喧騒嵐から打って変わって静寂の海となっている。

「さぁてと、今回は協力者はナシ。一人の方が気楽だし、ササッと終わらせちまうか」

男はぐーっと背を伸ばして腕を天へと向けて突き出した。

列車到着予定時間まで計算上は後数分ほど。

今から道具等を用意して丁度だろう。

「さて、と。飛び移るにゃどの道具を使えば良い……」

男は腰に両手を添えて、気合いを入れるように深く息を吐く。

そんな彼の眼前を過ぎていく黒い影。

停止という言葉を忘れたそれは彼の吐息を連れ去って、そのまま何処かへと消し飛ばしていった。

「……かな?」

暴走列車の速度による単純な計算ミス。

それは、ほんの数分という小さな誤差を生み出した。

だが、その小さな誤差は油断しきっていた男の小さな決意をいとも容易く踏みにじったのである。

「…………あれー?」



【暴走列車内・車掌室】


「……何が、目的なんだ」

車掌帽子を被った老齢の男性は声を震わせながら、後ろを振り向くこと無くその言葉を述べる。

彼の後ろでは中年の、それも筋肉質な男が銃を肩に寄りかからせていた。

その男は得に何を応えるでもなく暫く瞼を閉じていたが、やがて何かを思いついたように言葉を述べ始めた。

「俺達はなァ、傭兵なんだ」

「傭兵? この国では別に傭兵は禁止されても居ないし、何も問題は……」

「前の戦場でちとやり過ぎちまってよォ……。それで逃げてんだよ」

「……何を、やったんだ」

「殺って、犯って、盗って、弄っただけだ」

「…………追われて当然だな」

「仕方ねェだろう? 雇い主連中が満足に金を払えねェからヤったんだ。向こうもそれで警察に指名手配依頼を出すなんざケチとは思わねェか?」

「貴様等が下衆なだけだろう……!」

「……随分と強気に出るじゃねェか、車掌」

男は車掌の後頭部に漆黒の銃口を当てる。

引き金を引けば列車の動力炉に紅色の液体が飛び散り、それを覆っていた白色の頭蓋も放り込まれる事だろう。

車掌は奥歯をかみ合わせ、震える指先を必死に抑える。

銃を突き付けていた男はそれを見て口元を歪めながら、ゆっくりと銃を引いた。

「冗談さ。アンタが居なきゃ列車は進まねェ」

「……だろうな」

「隣国まで行けばウェス国の手は伸びてこない。国際手配されようがそれまでには逃げ切れるからな」

「だからこの列車をハイジャックしたのか……!?」

「あぁ、そうさ。隣国まで通じてるのはこの路線だけだからなァ」

「……乗客は無事だろうな」

「あぁ、無事さ。口答えした奴以外はな」

「手を出したのか!?」

「アンタは列車を動かすのに必要だが、乗客は所詮、荷物だ。違うか?」

「違う! 乗客は……!!」

「アンタの戯れ言は聞いちゃいねぇ。黙ってコイツを動かせ。……そうだろう?」

「……ッ」

車掌は歯を食いしばり、その手に持ったスコップを握り締めた。

それは列車の動力になる石炭をすくい上げる為の物だが、凶器にもなるはずだ。

これを使えば、もしかしたらーーーーー……。

「止めとくんだな」

「……何を、だ」

「荷物の無くなった列車で駅に到着しても、意味はないだろう?」

その男の笑みは酷く歪んでおり、狂気を孕んでいる事が一目で解る。

彼の手に持った物体は引き金一つで命を奪う事が出来るのだ。

それをこの男が持っていると言うだけで恐怖を生み出すには充分過ぎるだろう。

「……解ったら黙って動かせ。誰かが助けに来るわけでもない。戦車を幾つ並べて壁を作ろうとも泊まらないような、こんな暴走列車に誰が乗り込める?」

「…………隣国の駅に着けば、皆を解放しろ。契約は守れ」

「あぁ……、無論だとも」

車掌の言葉を聞いて、男は銃を胸元へと手繰り寄せた。

目的地に着き次第、目撃者という名の荷物を消し去るために。



【特等車両】


「……おい、おい」

傭兵集団の男は銃口をある少女の頬に何度も突いていた。

と言うのも列車がハイジャックされたというのにその少女が図太く寝続けているからだ。

黒のショートヘアを持つ彼女は外見的にも十四歳か十五歳ほどだろう。まぁ、俯せで寝ているというのに胸は非常に平坦なのだが。

それはそうと、ハイジャック犯の彼等としては人質は一カ所に集めておきたいので、二列目の三等車辺りに放り込んでおきたい。

だが、この女性は何度叩いても揺すっても起きる気配がない。

もしかしたら、この女性は精巧な置物なのではないかと男が思い始めた頃、小さな破裂音が鳴り響いた。

男が振り返って視界に映したのはスナック菓子を開ける、肥満体型の仲間の姿だった。

「おい、ジョズ。車内販売から菓子を盗んだのか」

「仕方ねェだろ? 得に食うモンもないんだから。スナック菓子じゃ腹も膨れねぇよ……」

ジョズと呼ばれた肥満体型の男は不満そうにため息をつきながら、その袋からスナック菓子をつまみ上げて口へと運んだ。

その袋はウェス国でも親しまれている[ウェスナック・ピリ辛味]の物だ。

サクッ、と心地よい音が響いて少し辛めな味が彼の口内へと充満することだろう。

尤もジョズが感じたのは油染みた自分の指の味だったが。

「痛ぇっ!?」

「……何してんだ? 自分の指を食うほど腹が減ってんのか?」

「違ぇよ! 俺の持ってた袋が……」

彼等が言い合っていると、つい先程まで眠っていたはずの女性からポリポリという音が聞こえてきた。

二人が恐る恐るその方向を見ると、そこにはスナック菓子を頬張る少女の姿があった。

黒髪の彼女はポリポリとそれを無表情のまま頬張り、やがてケフリと小さく息を吐く。

彼女の持っていたスナック菓子はいつの間にか空になっており、軽くなった袋がジョズの手元に戻された。

「ごちそうさま」

彼女はそう言うと再び腕を組んで俯せの体勢となった。

唖然とした彼等の前で彼女は再び寝息を立てて夢の中へと旅立っていく。

「……リド。この女の子はどうにもかなりの大物か、それともかなりの馬鹿だぜ」

「そうだな、ジョズ。俺としてはお前が選ぶほどのスナック菓子を瞬きするほどの間に平らげた事の方が驚きだが」

「取り敢えずどうする? このまま放って置いたらボスにドヤされるぜ?」

「……コイツを三等車に放り込んどけば良いだろ」

「コイン。俺は表だ」

「……裏だ」

ジョズは懐からコインを取り出し、慣れた手付きで弾き飛ばした。

空中で回転したコインは彼の手の甲に落ち、ジョズはそれを掌で隠す。

彼は口元を緩めながらリドへと視線を向けて、ゆっくりと掌を退けた。

「……表。俺の勝ちだ」

「畜生! メタボで死んじまえ!!」

「はっはっはっは」




【三等車両】


「ったくよぉ」

リドと呼ばれた身長の低い、百六十センチほどの男。

彼は少女を肩に抱えて三等車両へと入ってきた。

通常の乗客や旅人が乗る車両だ。

先程の、金持ちやVIPが乗るような特等車両とはとても比べものにならない程に貧相なのは当然だろう。

そして、彼がそんな車両に入ってきて最も始めに視界に映したのは怯え恐れる乗客達の姿だった。

金持ちだろうがVIPだろうが一般の乗客だろうが旅人だろうが関係なく饅頭詰めとされた状態の車両は今にも押し潰れてしまいそうだった。

だが、そんな乗客達もリドが入って来るなり口を噤んで背筋を凍り付かせた。

ハイジャック犯がぐったりとした少女を肩に抱えて来れば当然そうなるだろう。

「……ふん」

リドは鼻を鳴らし、乗客達を一瞥する。

彼は恐怖に怯える彼等を、まるで檻の中の獣でも見るかのような表情となっていった。

その不機嫌そうな表情のまま少女を放り投げ、乗客達に背を向ける。

地面に転がった少女に何人かの女性や老人が駆け寄り、ただ寝ているだけだと解って安堵するようにため息をついた。

それと、ほぼ同時だった。

少女に駆け寄った者達の間から、筋肉質の若者が飛び出したのは。

その若者は後ろを向いたままのリドへと飛びかかって行く。

足音を立てないために靴は脱いでおり、彼の疾駆はほぼ無音だ。

他の乗客達も打ち合わせしていたのか、誰一人として騒ぐことはなかった。

「……あーあ」

だが、刹那にしてリドは軸足を反転させる。

瞬く間に飛び掛かってきた若人の顔面を掌握し、勢いを停止させた。

「荷物が、動くなよ」

銃声、続く銃声。

若者の足には二つの風穴が開き、透明の煙が浮き上がる。

そして、段々と浮かぶ上がる黒紅。

「ぎゃぁあああああああああああああああ!!!」

若者の叫び声が響き渡り、乗客達の悲鳴もそれに段々と混じり行く。

彼は床へと転がり落ち、藻掻き苦しんで絶叫し続ける。

紅色が溢れ出す右足を押さえて呻く彼へと、リドは真っ黒な円形を向けた。

「取り敢えず……、死ねや。な?」

若者の眉間に当てられた銃口は揺れることも迷うこともない。

まるで試射実験のように坦々と、物を撃つかのように。

そして、引き金は。

「……駄目ですよ」

吹き飛んだのは、若者の頭では無かった。

彼の頭は依然として恐怖という文字を貼り付けたような表情を保ったままである。

代わりに、今まで虫けらでも見下すような表情だったはずのリドの顔面が凍り付いているのだ。

何せ、引き金を引くはずの指が吹き飛んでいるのだから。

「…………が、あぁあああああああああ!?」

それは苦痛の絶叫と言うよりは狼狽の叫び。

自分の指が吹き飛んだことは解る。それの痛みも感じている。

だが何故、どうして指は吹き飛んだのか?

―――――乗客の中から誰かが撃った?

―――――馬鹿な。この男と自分の間を狙って撃ったとでも言うのか? この揺れる列車の中で?

―――――それに、俺の指は引き金に掛かっていた。

―――――指の第一関節しか吹き飛んでない事からしても真正面から撃たれたはずだ。

―――――引き金と指。その差は数ミリもないと言うのに。

「誰が……、撃った!? 誰が!!」

未だかつて、何十と超えてきた死線の中でも見た事の無い技術。

如何なる鍛練を積めばこの技術が手に入れられると言うのだろうか。

いや、それよりもこれ程の技術者だ。

放っておけば、間違いなく危因となる。

ならば殺すしかーーーーー……


「はい、何ですか」


可憐な、道端に咲く野花のように小さく無垢な声。

リドが血走った目で見たのは、肘を曲げたまま手を上げた、一人の少女だった。

先程、自分が肩に担いで運んできた少女。

艶やかな黒髪と無垢で可憐な顔つき。

そして、その手に持った髪と同じ黒色の物体。

「撃ったのは私ですが」

その言葉に耳を疑ったのはリドだけではない。

乗客達も、足を撃たれた若者も。

それでも可憐で無垢な少女が、白煙を吐き出す黒銃を持っている事は変わらない。

何事も無かったかのように無表情で、平然としている事も、また。

「……テメェみたいな、餓鬼がぁ!?」

困惑しながらも、リドは銃をもう片方の手へと持ち直す。

―――――狙いは雑になるが撃てない事はない。

―――――だが、誰を撃つ?

―――――まさかこの少女を? 馬鹿馬鹿しい。

―――――こんな少女が、血反吐を吐き出すような鍛練を積もうとも難しいような射撃が行えるはずか。

―――――いや、それ以前に銃を持っているはずがない。

―――――それに今の一撃が例え偶然であろうとも有り得るはずなどないのだ。

―――――そのような偶然が有り得るのならば疾うに自分は戦場で死んでいるはずである。

「あの、どうかしましたか?」

少女は相変わらず無表情なまま、何が何だか解らないように小首を傾げてみせる。

普通ならばその仕草は年相応の物に見えるだろう。

だが、今の乗客達からすれば何処か不気味な物にも見えた。

「本当に撃ったのは、誰だ!? 誰が俺を撃った!!」

―――――こんな餓鬼が撃てるはずがない。

―――――だが、この餓鬼を囮に撃ったのならば、まだ理解出来る。

―――――そうでもなければ有り得るはずがない。有り得て良いはずがない。

―――――こんな十五にも満たないような餓鬼が、これ程の技術を得て良いはずがないのだ。

「だから、私です」

彼の問いにやはり手を上げたのは少女だった。

無垢な瞳で、無表情なままで。

彼女はリドに対して視線を向けてくるのだ。

「テメェみたいな餓鬼が……!!」

否定しかけた彼の視界に飛び込んで来たのは、少女が突き出した一つの手帳。

漆黒の外面に刻まれた白銀の鎖と十字架。

それが意味するのは、ただ一つ。

「……銀鎖の大罪」

倒れ込んだ若者が呟いた言葉。

それは乗客達の悲鳴を、リドの指先に激痛を、彼の意識に理解を呼び起こさせる。

「銀鎖の大罪……、だと?」

その名を知らぬ物など、この世に居ないだろう。

国家お抱えの、特殊部隊。

しかしその特殊さは爆弾処理だの戦場治療班だの、そんな類いではない。


―――――[銀鎖の大罪]


その名が如く、部隊と言う名の銀鎖に繋がれた、大罪を背負う罪人共。

大罪の種は七つ。憤怒、嫉妬、傲慢、色欲、暴食、強欲、怠惰。

よって銀鎖の大罪の構成人数は七人とされている。

その銀鎖の大罪の仕組みは至極単純。

懲役百年以上の犯罪者が配属され、任務上の功績によって刑期を軽減されるという物だ。

だが、人々が恐れているのはそんな事の類いではない。

銀鎖の大罪には一つの制度が適用される。

「テメェが銃を持つのも納得だ……! 銀鎖の大罪は武器の所持を認められ、一切の傷害行為による罪を免除される……!!」

銀鎖の大罪は外的と認めた存在に対し如何なる傷害を与えようとも、それが罪となる事はない。

例え道行く老婆であろうとも、例え乳母車の中で無く赤子であろうとも。

その者が銀鎖の大罪である限り、如何なる傷害罪も成立する事はないのだ。

与えた傷が元で死に至ったとしても、同様に。

「テメェが、テメェみたいな餓鬼が銀鎖の大罪だと!?」

「えぇ、そうです」

「テメェみたいな餓鬼が、銀鎖の大罪!? 笑わせるな!!」

「いえ、私も普通に寝て凄そうかなぁと思ってたんですけど」

「黙れ!! 何であろうと関係ねぇ!! 邪魔立てするなら排除するだけだ!!」

リドは叫びながら震える左手で銃を構えた。

その照準に迷いは無く、真っ直ぐと少女に向けられている。

彼は少女に向ける気など無かった。だが銀鎖の大罪となれば別だ。

血反吐を吐くような訓練を行っても得られないような技術を、こんな齢で得ている理由。

簡単だ。[動き、反撃する的]で練習すれば良い。

それも何百、何千、何万と。

即ちそれは手を抜けば自らの死を呼び込む事を意味するはずだ。

「私は、別に」

「黙れ!!」

「いや、あの」

「そうか、テメェ……! このハイジャックを止めに来たのか!!」

「いや、だから、あの」

「俺達も伊達に傭兵なんざやってねぇ!! やるなら首の一つ覚悟して……!!」

「それをやるのは私じゃないのですが」

彼女の言葉が言い終わるかどうかという瞬間に、三等車両の硝子は粉砕された。

硝子の破砕音と乗客の悲鳴が重なり合って三等車両に響き渡る。

その破砕音と悲鳴の中、三等車両に降り立ったのは真っ黒なスーツを来た男だった。

「……全く、スーツも買い換えだな」

その男は懐から煙草を取り出し、それを口に咥えた。

[BLOODwolf]という、七百二年にしか発売されなかった特別製。

鉄のように鋭い味は口内の渇きと共に彼の不機嫌さをサッパリと消し去ってくれる。

「こりゃ本部に請求書ブチ込むか……」

呟く彼の視界に映ったのは、銃を持ったまま唖然とした一人の男だった。

指から血を流しては居るが、その風貌は明らかに一般人のそれではない。

「ハイジャック犯か?」

リドは男の質問に答えるよりも前に衣服の袖元を千切り、撃ち抜かれた指に巻き付けた。

血管を圧迫して止血する応急包帯は彼の指を麻痺させるかのように痛みを奪っていく。

彼はその手を何度か閉じたり開いたりと感覚を確認し、不機嫌そうに眉を細める。

「そうだ」

「目的は?」

「国外逃亡」

「人数は?」

「言う義理はねェな」

「乗客に危害は?」

「抵抗者以外は、だ」

「覚悟は?」

「死ぬ覚悟は決めている」

「決意は?」

「得にねェよ」

「信念は?」

「死に場所は戦場で、だ!!」

リドは銃を構え、血塗れの指で引き金を二回引く。

重なった発砲音の先には黒スーツの男。

弾丸は乗客も若者も少女も狙わずに、ただ男の眉間へと。

「え、早」

眼球と、眉間。

弾丸は直撃し、男の頭部からは脳漿と血液が噴出する。

彼はそのまま車両の地面に大の字に倒れ込み、紅色の海を広げだした。

「ひ、ひやぁああああああああ!」

若者は叫び、足の痛みなど忘れたかのように乗客達の群れの中へと這いずり込んでいった。

そんな彼の事など関係ないかのように乗客達は各々に絶叫し、三等車両内を震撼させるほどの悲鳴を撒き散らす。

ただ一人、銃を持った少女ですらも呆然と立ち尽くし、男の死体に目を向けていた。

「……フン」

リドは鼻を鳴らし、銃を懐へとしまう。

見せしめにはもう充分だと判断したのか、彼は踵を返して二等車へと歩みを勧めていく。

「今回の荷物処分は一つで許してやる。……だが、駅に着くまでに荷物が全部無くなるような事にならないよう、気を付けるんだな」

彼は扉に手を掛けて、外へと繋がる豪風の中へ足を踏み出した。

リドが出て行った後、二等車へと続く扉はカチンという金属音と共に鍵が閉められる。

残された三等車両の中に広がるのはただ、静寂だけだった。



【特等車両】


「おー、お疲れ。随分と時間が掛かったなぁ」

リドを迎えたジョズの手にはスナック菓子の油がべっとりと付着していた。

もう何袋も開けたのだろう。彼の周囲には喰い散らかした菓子が散乱している。

「おいおい、どうしたんだ? その指」

「……あの小娘、かなりの技術者だぜ」

リドは不機嫌そうに呟くと、ジョズの隣を過ぎ去っていった。

特等車両の先は車掌室だ。

そして、そこに居るのはたった二人しか居ない。

「ボスに報告か? あんな子供に指を撃たれましたーって」

「[銀鎖の大罪]のな」

彼の言葉を聞き、ジョズは口からスナック菓子の粉を吐き出しながら爆笑する。

脂ぎった指で膝を叩きながら、背を仰け反らせて豊満な腹を揺らす。

「[銀鎖の大罪]ぃ!? あの殺戮集団がこんな所に来るはずねぇだろう!!」

「だがあの小娘が掲げたのは間違いなく銀鎖の大罪の証である黒手帳だった。闇の中で銀の鎖に縛られた罪の証、十字架。間違いねェよ」

「だとすれば、だ。今すぐに突っ込んできてもおかしくないぜ? 銀鎖の大罪には化け物しか居ねェらしいしな!」

「二等車両と一等車両の連中に注意を喚起してきた。警戒だけはさせてある。……もしもの時は俺達が出るぞ」

「まさか、そのまま放り出してきたのか?」

「一人。小娘の仲間らしき奴を殺してきた」

「……銀鎖の大罪の?」

「さぁな。アレほど簡単に殺せるなら苦労しないさ」

刹那、彼等の居る特等車両は激震した。

何かに衝突しただとか、そんな揺れではない。

後頭部車両から一直線に衝撃が突き抜けたかのような。

そう、言うなれば車両丸々一つを破壊でもしたかのようなーーーーー……

「……確認だ」

「は?」

「確認しろ! まだ三等車両は繋がってんのかって聞いてんだ!!」

「ロックは車掌室からでなきゃ解除出来ねぇ。向こうで外すにゃ連結部分を素手で千切り落とすぐらいしか出来ないぜ? 鉄骨を指で捻り千切るようなモンだ」

「相手は[銀鎖の大罪]だぞ!!」

リドの必死の形相に、ジョズは呆れながら特等車両の端、職務域のデータを確認した。

其所に映っているのは特等車両、一等車両、二等車両、三等車両の文字。

そして、三等車両の上に[LOST]の文字だった。

「……来るぞ、来るぞ、来るぞ!! 大罪人共が!!」



【二等車両】


「撃て撃て撃て撃て撃て!!」

二等車両の向かい合った椅子に隠れた、傭兵集団の男達。

彼等は腕だけを出して後方へ発砲を繰り返していた。

目標など見る意味はない。

いや、見ることが出来ないのだ。

顔を出した物達は等しく額に弾丸を撃ち込まれた。

それも実弾ではない、暴徒弾圧に使われるゴム弾だ。

それでも威力は相応。鍛えられた男の意識でさえ簡単に撃ち抜いてしまう。

「畜生! 何なんだ奴等は!!」

「駄弁ってる暇があるなら撃て! 蜂の巣にしちまえば何だろうと関係ねぇ!!」

既に発砲を始めてから、いや。

彼等が発砲している対象が三等車両を引き離してから数分が経過している。

先程の激震は、どうやったのかは解らないが三等車両を引き離した物だ。

そして、それとほぼ同時に[奴等]は現れた。

「糞が! 人間かよ!? 連中は!!」

「人間がこんな蜂の巣撃ちに耐えれるなら苦労しねぇよ!!」

幾ら撃っても撃っても撃っても撃っても。

蜂の巣などという表現では足りない程に穴だらけになっているはずなのに。

未だ、相手の様子を見た仲間達の額にはゴム弾が撃ち込まれていく。

自分達が戦っているのは何なのか。

幽霊か、亡霊か、幻想か。

否、化け物共だ。

「何がどうなって……!!」

叫び掛けた傭兵集団の男の隣で、先程まで叫いていた男がふらりと立ち上がった。

何をしていると叫び掛けた男だったが直後にその言葉の為に吸った息は喉奥に詰まる。

「ハロー」

いつの間にか銃声は消えていた。

その代わりに耳に届くのは、真っ黒なスーツを紅色に染めた男の挨拶。

「じゃ、お休み」

そして、闇だった。



【一等車両】


「二等車両の連中と通話が途切れた!! 来るぞ!!」

一等車両に待機していた傭兵集団は、二等車両から続く入り口に銃口を向ける。

幾十の銃口はその扉が開くと同時に幾百の弾丸を吐き出す事になるだろう。

静寂は連鎖し、鳴り響くは列車の線路を打ち付ける音だけとなった。

それらを打ち破るのは銃音か、それとも。

「あ、すいませーん。ハイジャックとか止めて」

「撃てぇえええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」

扉を開けて入ってきた黒スーツの男に対して放たれる幾百、いや幾千の銃弾。

それは飴よりも細かな粒となって彼に襲い掛かる。

血肉が爆ぜ、筋は切れ、臓物は飛散していく。

数秒もしない内に、原型という言葉が面白く聞こえるほどに惨たらしい死体の出来上がりだ。

「……あれ? 案外、すんなり」

直後、彼等の背後で硝子のは破砕音が鳴り響いた。

地面に硝子の破片が落ち、彼等が振り返り、外から飛び込んで来た少女が銃を抜き。

双方は発砲する。

「……な」

傭兵集団と少女の射撃戦は時間にして五秒未満。

いや、傭兵集団からすれば一秒にも満たなかっただろう。

何故なら、決着に要した時間の大半は彼等が銃を落とすまでの時間だったのだから。

「弾丸は……、何処に消えた?」

傭兵集団が抱いた疑問は、まずそれだった。

自分達は間違いなく少女へと発砲した。

だが、その弾丸は初めから存在していなかったかのように消え失せたのだ。

彼女の背後には、勿論、彼女自身にも弾痕はない。

煙のように、幻のように、霧のように。

弾丸は消え去ったのだ。

「簡単な話だ。撃ち落としただけだよ、弾丸をな」

唖然とする彼等の背後から忍び寄る声。

彼等が振り返った瞬間に見たのは全身を紅色に染めた一人の男だった。

「何で……ッ!!」

驚愕が早いか一撃が早いか。

彼等は叫ぶと同時に銃を乱射し、再び男に幾千の鉛玉を埋め込んでいく。

男は糸の切れた操り人形のように震え、鉛玉の雨の中に沈んでいった。

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

全身から血を溢れ出させ、地面の紅色に沈んだ男。

傭兵集団はそのまま踵を返して後方の少女へと視線を向けた。

「後は、テメェだけ……!!」

銃の引き金に指を掛け、照準を定めようとした男の頭部に添えられる掌。

五つの指は彼の頭部を掌握し、圧迫していく。

「が、がががぁああああ…………!?」

その握力は人間のそれではない。

骨が悲鳴を上げ、脳が圧迫される。

彼の後方では幾人もの傭兵達がその光景を恐怖に染まった双眸で見ていた。

それも当然だ。何せ、つい先程、自分達が撃ち殺した相手が立ち上がり、男の頭部を掌握しているのだから。

「潰れ……、るっ……!!」

「潰しはしないさ。ただ、寝ててくれ」

男はその傭兵の頭を持ったまま、腕を一気に振り回した。

それこそ棒きれを振り回すように軽々と、だ。

男に頭を掌握された傭兵は回転に仲間を巻き込んで雪崩が如く薙ぎ倒していく。

人間が出し得るはずもない怪力を出したというのに、男は息一つ切らすこと無く自らのスーツに付着した血を払っていた。

「はぁ、今月だけでスーツ四着目だぜ? 多過ぎじゃね?」

「それは貴方が無茶苦茶な戦い方をするからではないですか」

「いやいや、普通に仕方ねぇって。だって俺、化け物だし」

ごく平然と会話する男と少女。

喫茶店で、小高い丘で、町中で会話するように。

この死地の中、言葉を交わし合っている。

「テメェ等は……!」

極寒の中で発したかのように怯え、凍える言葉。

恐怖と絶望に満ちた表情の中で傭兵集団の男は叫びを上げた。

「テメェ等は一体、何者なんだ!!」

「俺達か?」

「そうですね、答えるとするなら」



―――――…………大罪人、ですかね。




「と言うか[暴食]。何でお前がここに居るんだよ? 今回のは一人だって聞いたぞ」

「私は完全にオフです。ウェス国食べ歩きをしてたら遭遇しました」

「……遭遇したなら自分で解決するとか、本部に連絡するとかしろよ」

「だって面倒ですし。お腹も減ってましたから」

「お前なぁ…………」

気絶して、縄で縛られた傭兵達の山。

その上には血に染まった黒スーツの男と十四、五歳ほどの可憐な少女が座っていた。

男は懐から[BLOODwolf]という煙草を取り出して、それを歯で挟み込んだ。

「まだ、そんな物を吸っているんですか? 体に悪いだけでしょう」

「仕方ねェだろ? こンなのでしか空腹満たせねぇんだから」

「難儀な物ですね、[傲慢]」

「全くだなぁ。俺も普通の人間に生まれたかったぜ」

「普通の人間なら間違いなく死んでますがね」

「……否定できねぇな、全く」

煙草に火を灯した[傲慢]は、口内に染み渡る鉄の味にも似た鋭さを噛み締める。

全身に染み渡る爽快感は彼の意識をより鮮明に、そして透明にしていく。

そんな彼の様子を見ていた[暴食]は何かに気付いたように視線を特等車両の扉へと向けた。

「次は特等車両ですね。恐らく私を運び、貴方を撃った人が居るかと」

「スーツ弁償してくれるかな」

「馬鹿な事を言っている暇があるなら急いでください。三等車両を貴方が切り離した事は向こうも承知の上ですよ? いつ捨て身の特攻掛けられるか解りませんから」

「そうなりゃ厄介だが……。もう大多数縛り上げたぞ? このまま放って置いたら問題なしなんじゃないか? 人質も居ないしさ。終点までのんびり過ごそうぜ」

「そうですね。私はもれなく死にますが」

「何でだよ?」

「人質も居らず仲間は捕まり面子は丸潰れ。待っている未来は牢獄の中での生活。ならば最後ぐらい美しく散ってやろう、と」

「……いやいや、有り得ないでしょ? そんな馬鹿な」

「先程から列車の速度がぐんぐん上昇していますね。残り、もれなく三十分程で貴方以外は瓦礫の下でミンチです」

「…………流石にそれはないだろ」

「追い詰められた鼠が猫を噛むなど、ごく普通のことですよ。まぁ、今回噛まれるのは大罪人ですが」

「そりゃ、ここには長く滞在できねぇな。たいざいだけに!」

「………………」

「………………」

「……取り敢えず、早く車掌室を奪取しましょう。時間との勝負です」

「…………何で俺がこんな事に巻き込まれてんだ。絶対、割りに合わねぇ。太陽の下まで出たんだから特別手当ぐらい請求できるよな?」

「どうでも良いですから早くしてください。そんな不良品吸ってないで」

「俺のお気に入りなんだけどなぁ……。だってコレ一年間だけしか販売されてないんだぜ?」

「それを今でも裏ツールから買い込んでるのは誰ですか。……まぁ、良いでしょう。さっさと車掌室に向かいますよ」

「へいへい」



【特等車両】


「……これはこれは。随分と丁寧なお出迎えで」

特等車両に入った二人を待っていたのはリドとジョズだった。

リドは刀剣を構え、ジョズは双銃を構えている。

自分達の仲間を軽々と倒してきた侵入者に対しては至極真っ当な反応だろう。

ただ異変があるとするならば彼等の方が元々の侵入者、ハイジャック犯だったことだが。

「銀鎖の大罪……、まさか国家お抱えの殺戮集団がこんなバスジャックに関与するとは思わなかったぜ」

「まぁ、俺は仕事帰りで[暴食]は乗り合わせただけだから名。強いて言うなればお前等の運が悪かったとしか言いようがねぇよ」

「何にしてもハイジャックなど馬鹿な事は止めて、素直に投降した方が良いと思います」

「出来ないね。牢獄暮らしなんて死んでも御免だ」

「リドに同じく。牢獄でのご飯なんて美味くないし」

「交渉決裂?」

「見事なまでに」

[傲慢]は拳を構え、[暴食]は銃を抜く。

それぞれ四人が対峙した特等車両の空気は凍り付き、静寂という名の凍土に姿を変える。

肌に刺さり、喉を渇かせるほどに痛々しい静寂。

そんな中、ジョズの積み上げたスナック菓子の袋がふとした震動で崩れ落ちた。

そして、それが開始の幕を上げる合図となった。

「シッ!!」

リドの振り切った刀剣は[暴食]の髪先を掠め、空を切り裂いていく。

彼女はそれを回避しきった後、リドに対しゴム弾を発砲する、が。

「狙い通りだねぇ」

ジョズは腕でリドを庇い、即座に[暴食]へと弾丸を放つ。

彼女の眉間に向けられたその弾丸は容赦なく迫り行く。

「……そういう事ですか」

[暴食]は弾丸を回避する事無く、盾を全面へ展開した。

具体的には[傲慢]という肉壁なのだが。

「おま……、せめて確認してください……」

「これと怪力ぐらいしか役に立たないんですから。……それより、少しばかり厄介な事になりましたね」

「ゴム弾しか使ってないってバレたか」

「えぇ、そのようで」

「ゴム弾だけなら回避の必要性なんざねェからな。ジョズの腕はそんなモンを弾き返す脂肪がある」

「ただのデブじゃないんだぜ!」

「そして、そっちの黒スーツの野郎は不死だ。……どういうトリックかは知らねぇがな」

「だったら女さえ無効化すりゃ、後はテメェだけだ」

「不死でも列車の外に放り出しゃどうとでもなる……、違うか?」

「思いの外、馬鹿じゃねぇみたいだな」

「そのようですね。……しかし、貴方達の計画には唯一にして絶対の欠点がある」

「……何?」

「相手が悪かった。……それだけです」

「抜かせ」

ジョズの放った弾丸は[傲慢]の眉間、眼孔、鼻、口腔へと撃ち込まれる。

顔面を一瞬で見るも耐えない肉塊に変えられた[傲慢]はそのまま膝から地面へ崩れ落ちていく。

彼が膝を突いた瞬間、リドは刀剣を[暴食]の首元へと振り抜いた。

白銀の尾を引いて彼女の首元に迫り来る一撃を、[暴食]は寸前、薄皮一枚を斬らせて回避。

そのままバク転に近い要領で後方へと下がっていった。

だが、退避した彼女を狙う銃口が二つ。

「仲間を肉壁にしたのは拙かったなぁ、お嬢ちゃん?」

「……!」

ジョズの持つ双銃から容赦なく放たれる弾丸。

それはろくに照準を定めていない弾丸だが、[暴食]を撃ち抜く嵐としては充分だろう。

「……仕方、ありませんね」

[暴食]はそう呟くと、自らの持っていた銃を放り投げた。

その銃に衝突して弾かれた弾丸は明後日の方向へと逸れたが、それでも[暴食]を狙う弾丸は未だ健在だ。

しかし刹那。残りの弾丸は全て空中で霧散する事となる。

彼女の片腕を撃ち抜くはずだった弾丸も、彼女の片足を撃ち抜くはずだった弾丸も。

全て、等しくだ。

「……銀の鎖に、銀の十字架」

[暴食]が持っていたのは、漆黒の銃身に銀の鎖で縛られた十字架が刻まれた銃。

彼女が持つ[銀鎖の大罪]の手帳と同じ闇夜に浮かぶ銀の鎖と罪の証。

「やはり実弾はこちらの方がしっくり来ますね」

その銃を手内で何度か回転させ、彼女は満足そうに頷いた。

とは言え表情は相変わらず無表情のままだったのだが。

「弾丸を撃ち落としやがった……!」

「言っただろ、連中は化け物だ。人間と考えるな」

「……ヘッ、笑えねぇなぁ」

ジョズはリドと話しながらも弾丸を装填し直し、リドは[傲慢]と[暴食]から決して注意を離さなかった。

一方、[傲慢]は既に再生を終えており、体中の機能を確認するように首を何度か鳴らしていた。

[暴食]もまた、銃の動作を確認して弾丸を装填している。

「……何だ、[暴食]。それ使うのか」

「ゴム弾で相手するには難しいですから」

「殺すなよ。黒歴史なんて思い出したくもねぇ」

「…………えぇ、全くですね」

[傲慢]は拳を鳴らし、静寂を喰い殺すような眼光を呻らせた。

彼の踏み出す一歩はリドとジョズの警戒心を一層尖らせる。

嵐の前の静けさが生まれ、皆がそれを感じ取った。

「……あ、ウェスナック・ピリ辛味だ。俺もこれ結構好きなん」

リドの放った一閃は[傲慢]の片腕を弾き飛ばし、特等車両の席を血潮で真っ赤に染め上げる。

直後、刀剣を振り上げた彼の腕を一発の弾丸が貫いた。

骨を掠めず、肉先だけを切り裂くような銃撃。

リドは苦痛に声を曇らせるが、それを塗り潰すようなジョズによる銃声が鳴り響く。

それは[暴食]を狙った物だったが彼女には届かず、その代わり首ナシの腕に埋め込まれることとなった。

「痛ぇなァっ!!」

隻腕となった[傲慢]は弾丸が埋め込まれた腕で懐を漁り、一本のナイフを取り出した。

何と言う事はないごく普通の形状だが、その材質は全て鋼鉄で形成されている。

一般的なナイフの数十倍の重量はあるであろうそれを彼は軽々と持ち上げ、窓際に居たジョズへと投擲した。

いや、それは投擲などという言葉では生優しいだろう。

正しく砲撃。一等車両の硝子を枠組みごと破壊したのだ。

「あ、危ねぇ…………」

地面にずり落ちるようにしてそれを回避していたジョズは思わず腰を抜かしてしまう。

その肥満体型故に俊敏ではない彼からすれば、先程のナイフを避けられたのは足が本能的に下がったからでしか無い。

もし、そうでなければ今頃自分の首から上は列車の外で転がっていただろう。

「……[傲慢]」

「片腕がないからバランスが取りにくいんだよ! 殺す気はねぇからな!!」

「貴方のうっかりで私達の誓いを破らせないでください」

「当たり前だ!」

[傲慢]の吹き飛ばされた片腕は再生し、復活する。

彼の片腕を包んでた黒い布地までは再生せず、肌色が外気の元に露わになった。

既にボロ布同然となった上着を鬱陶しいと思ったのか、[傲慢]はそれを引き裂くようにして脱ぎ捨てた。

各部に穴が空き、血液のこびり付いた上着はいとも簡単に破り捨てられる事となる。

上半身全てが外気に晒された[傲慢]の表情は、今までとは比べものにならない程に殺気を含んでいた。

「……な」

その肌を見たリドとジョズは思わず言葉を失い、絶句する。

[傲慢]の上半身を縦断するように刻まれた銀鎖と十字架。

銀鎖の大罪人であるその証は彼の身体を縛り付けるように心臓を中心として広がっているのだ。

「この肌は余り見せたくねェんだけどなァ……」

彼は内懐から煙草を取り出し、その中から一本だけを取りだして口へ咥え込む。

[BLOODwolf]というそれに火を付け、彼は深く吸い込んだ。

「……あの煙草」

呆然としたジョズはその煙草の箱を見て、さらに表情を凍り付かせる。

それもそのはずだろう。それは本来、あるはずの無い物なのだから。

「七百二年に、ある研究家が作り出した煙草だ……!」

「……ただの、煙草だろう?」

「材質は……、言葉通り獣の血を乾燥させた物を固めて煙草の葉に混ぜたモンだ」

「何でそんな物を……!?」

「その研究家が研究してたのは、吸血鬼についてだよ……!」

「……吸血鬼だと?」

リドとジョズの会話は[傲慢]の表情をさらに曇らせる。

彼は牙を剥き出しにし、爪を尖らせ、眼光を紅色に変えていく。

その姿は正しく血を吸い尽くす鬼。吸血鬼が如く。

「不死と怪力……! そうか、それなら納得出来る……!!」

「その通りですよ」

弾丸はリドの四肢を撃ち抜き、彼から自由を奪い切る。

地面に崩れるようにして沈んだリドにジョズは駆け寄ろうとするが、刹那にして強靱なる拳が腹部に叩き込まれる。

彼は先程まで食べていたスナック菓子を嘔吐し、そのまま両足を支える力を失って地面に崩れ落ちた。

「彼は既に数百年以上を生きている吸血鬼です。いえ、正しくは人間との混血ですが」

「……俺がこの煙草を吸ってるのは吸血本能を抑えるためだ。変人奇人の考えも思わぬ所で役立つモンだ」

「化け物が……! 人間ですらないのか……!!」

「ああ、化け物だとも。別に珍しくもねぇさ」

「それに、私達は化け物である前に人間です。いえ、人間である前に罪人です」

「……解るか、ハイジャック犯共」

[傲慢]の大罪を背負った化け物は牙を剥き、紅色の眼光を呻らせる。

[暴食]の大罪を背負った少女は銃を構え、艶やかな黒髪を揺らす。

「テメェ等が敵に回したのは戦士でも警察でも軍兵でも……、化け物でもない」



―――――大罪人だ。




【車掌室】


「……来たか、銀鎖の大罪」

車掌室に居たのは、返り血を浴びた一人の男と顔面を失った一つの屍だった。

男の手には銃が持たれており、つい先程撃ったのか未だ硝煙が吹き出ている。

彼の足下に転がっている頭無しの屍もまた新鮮な紅色を周囲に撒き散らし、男の足下も濡らしていた。

「…………こりゃ、酷いな」

「貴方が殺したのですか」

「あぁ、そうだとも。俺が殺した。テメェ等がここに来たって事はリドとジョズは負けたんだろう? 他の連中も」

「……何故、殺したのですか」

「もう列車を運転する必要もねぇ。後はロック外してひたすら加速だ。……これなら俺でも出来る」

「正気を疑うな。牢獄に入ることはそんなに屈辱か? 傭兵風情」

「あぁ、屈辱だとも。貴様のように気楽じゃ無いんだよ、化け物風情」

「……フン、抜かせ。貴様は猫を噛む鼠ではなく、虫けらだな」

「良く言う。国一つ滅ぼして孤独に逃げ惑う貴様は、猫か?」

刹那、傭兵集団の隊長の首元を鋼のような腕が掴み上げる。

その力は怪力などと言う物を遙かに超えていて、壁に叩き付けられた隊長の臓物が激震するほどだった。

「何処で、それを知った?」

殺意という言葉では余りに甘い、全身を切り裂き血肉を喰らうかのような憎悪。

幾千の死線を潜り抜けてきたでさえも、その憎悪以上の物を味わった事は無かった。

手足が意識とは関係なく震え、奥歯は怯え鳴り、肌からは汗が噴き出していく。

「傭兵……、家業ってのはなァ……! 色んな人間と関わりを持つ……!! その中で耳にしたのさ……!」

息を切らしながらも下卑た笑みを絶やさずに、隊長は薄汚い言葉を吐き出していく。

そんな彼の言動に[傲慢]は腕の力を強め、さらに首を締め上げていった。

「魔女狩りを行っていた国はそんなに恨めしいか……! 化け物……!!」

「……これ以上、その薄汚い口を開けるな」

「当然だろうなぁ……! 魔女狩りとは名ばかりで……! 狩られてたのはテメェの一ぞぐぅうおおっぁああああッッッッ!!」


メキメキメキッッッ!!


骨が軋む、ではなく亀裂が走り粉砕しかける音。

隊長の口からは鮮血が吹き出し、首元は青黒く染まっていく。

憤怒に満ちた双眸を紅色に染めた[傲慢]は殺意を吐き出すように鋭利な牙を剥き出しにした。

「そこまでです」

最早、化け物と呼ぶに相応しい風貌となった[傲慢]に突き付けられる銃口。

銀の鎖と罪の証が刻まれた銃を持つ少女は、静かに、落ち着いた口調でそう述べる。

「私達の誓いを忘れましたか?」

彼女の銃口から放たれた弾丸は[傲慢]の腕を貫いて鮮血を飛散させる。

筋肉が爆ぜ、骨が砕けた彼の腕。

その先に囚われていた隊長は地面に沈むようにして解放された。

隊長は何度も噎せ返り、喉に手を添えて飛びそうな意識を戻させる。

一方、腕を撃たれた[傲慢]はそれを確認するかのように眼前でぶらつかせていた。

「……止め方、酷くね?」

「貴方が殺そうとするからです。不殺の誓いを忘れたとは言わせませんよ」

「別に忘れちゃいねぇさ。……ただ、人の過去を無闇に詮索するから半殺しにしてやろうと思っただけだ」

「それにしたってやり過ぎです」

「……へいへい、反省してますよ」

面倒くさそうに髪を掻き分ける[傲慢]は隊長から視線を外し、呆れ気味のため息を吐き出す。

[暴食]もまた、彼のそんな様子を見て無表情ながらにため息をついていた。

「……化け物がァ」

隊長は自分から視線を外した[暴食]に対し、懐から取り出した小型の銃を向ける。

発砲音も装填音も殆どしない暗殺用の銃だ。

引き金を引けば、目の前の不死身の化け物とは違って少女の頭は簡単に紅色を吹き出して地面に崩れ落ちるだろう。

「死ッ……!」


ゴギィンッッ!!!


轟音が隊長の鼓膜を劈き、顔面を覆っていた汗を外気の元に裂き潰す。

厚さ八十センチは超えるであろう鉄壁を貫いたその拳は、ゆっくりとそこから引き抜かれて隊長の持つ銃へと添えられた。

「確かに俺達は罪を償うために銀鎖の大罪に入り、罪をあがなうために不殺の誓いを立ててる。……が、だ」

メキリと音がして、銃だった物は一瞬で鉄塊へと変化する。

数十トンの重量を支える列車の連結部をいとも簡単に引き裂いた男の指先は銃など溶けた飴のように簡単にねじ曲げるのだ。

「手足もいでも案外、人間死なないモンだぜ?」

その男は口元を歪め、笑みのような表情を見せる。

だが、それは決して笑みなどではない。

獲物を前に獣が舌舐りをするように、鋭利な爪を獲物の皮を突き破って血肉にくい込ませるように。

化け物の、悦楽。

「ひっ…………!」

びくりと肩を震わせた隊長はそのまま、恐怖の余り意識を断ち切った。

その様子を見て[傲慢]は酷く呆れたため息をつき、頭を掻きむしる。

「[傲慢]、馬鹿みたいな事をしてる暇はありませんんよ」

「は? 何で?」

「もう終点が見えてきてます」

「……えっ」

窓から顔を出した[傲慢]の視界に映ったのは、段々と大きくなってくる終点駅の姿だった。

国家間故にか連絡はまだ入って居ないようで、駅には多くの人々が待ち構えている。

このまま、この暴走列車が突っ込めばもれなく明日の新聞一面所か歴史に名を刻む事件が起こる事となるだろう。

「ブレーキ! ブレーキ何処だ!?」

「無理ですよ。今からじゃ間に合いません」

「どーすんだコレ! 上から大目玉じゃ済まないぞ!!」

「止めるのは不可能ですね。諦めてください」

「ふっざけんな! 不殺の誓いは何処行ったよ!? 視界に映る命は見捨てねぇのが誓いだろうが!!」

「誰も見捨てるとは言ってないでしょう」

「いや、だって止められないって……!」

「逸らせば良いんですよ。横に」

「……は?」

「だから、駅に突っ込ませないために横に逸らすんです。この列車の勢いを殺すわけじゃないので難しくはありません」

「ここから真っ直ぐ伸びてる線路でどう逸らせと!?」

「……これはあくまで例え話です」

「何が!?」

「線路の進路上に石が置いてあるだけで、そこを走っている列車は脱線してしまうんだとか」

「脱線して横転でもすれば俺達が無事じゃ済まねぇよ! 列車内の傭兵集団共も、だ!!」

「えぇ、そうでしょうね。しかもこんな暴走列車の前に石ころ一つ置いただけでは砕き割られてしまうでしょう」

「だったら、どうすりゃ……!」

「石ころ、だったらです」

「……つまり?」

「列車の重圧にも耐え切れて、尚且つそれを逸らせる怪力の持ち主。つまりは貴方ですよ、[傲慢]」

「……この列車を真正面から受け止めて進路を逸らせ、と?」

「それしか助かる方法はありません。自分一人助かりたいなら話は別ですが」

「…………煙草じゃ足りねぇぞ」

「特別に吸わせて上げます。感謝してください」

「良いのか?」

[傲慢]の確認に[暴食]は得に何を言うでもなく頷いた。

列車は未だ加速を続けており、駅からでもこの列車の音が聞こえている頃だろう。

もう暫くすればその音源が駅に突っ込むことになるだろう。

「……まぁ、お前なら死なねぇだろ」

彼女の首肯に対し、[傲慢]は髪の毛を掻き毟りながら何かを納得するように瞼を閉じる。

そのまま彼の腕は少女の首元へと伸びていき、繊細な硝子細工を扱うように小さな肩を掴んだ。

「じゃ、喰らうぞ」

血のように輝く赤が少女の首筋を舐め、鋭利な白牙が差し込まれる。

可憐な薄肌に食い込んだ牙元からは紅色が溢れ出して赤色の上を伝って[傲慢]の喉奥に流し込まれていった。

「んっ…………」

少女はびくりと体を震わせ、頬を薄桜色に染める。

微かに紅潮した彼女の表情を気にすることもなく、[傲慢]は彼女の血を吸い続けていく。

[傲慢]の喉元が何度か揺れた後、[暴食]の小ぶりな腰元はゆっくりと崩れ出す。

「おっと」

彼はその腰を支え、全身の筋肉を緩めたかのように表情を緩めて両頬を薄紅色に染めた少女を抱き抱えた。

少女の眼は虚ろで何処を見ているかは解らない。

例えるならば湯船で上せてしまったような、意識が曇ったような状態だった。

「おーい、生きてるかー?」

「ふにゃ……」

「吸い過ぎたかな……」

「どうでも良いれひゅから……、ひゃっひゃと止めてくだひゃい……」

「呂律が回ってないぞ。ったく、座ってろ」

[傲慢]は少女の肩を押し下げ、そのまま壁に背をもたれさせて座らせる。

彼女の首筋にあったはずの傷は既に塞がっており、そこには紅色の二つの点があるだけだった。

彼はその様子を確認した後、背筋を大きく伸ばして首を鳴らす。

「さて、と」

[傲慢]は指先と掌の骨を鳴らし、筋肉を隆起させる。

それに押し上げられた血管が彼の腕に浮かび上がり、鎧のような紅蓮が彼の腕に纏われた。

その姿は紅蓮の手鎧を持ちて戦場へ赴く狩人が如く。

「じゃぁ、止めるか」

煌々と輝く眼光は、正しく闇夜を駆る吸血鬼の物だった。



【サウド国・国境駅】


「……おい、何だ? あれ」

まずそれに気付いたのはサウド国の国境駅に勤める駅員だった。

遙か遠方から見えてくる、黒い固まり。

普通に考えればそれは隣国であるウェス国から来た列車だ。

だが、異変はその音。

地鳴りにも近いような轟音が駅に響き渡り、その列車は一目で解るほど速度限界を超えて迫ってきているのだ。

「ひ、避難だ! 避難しろ!! あの列車、暴走してるぞ!!」

駅員の一人が叫び、また別の駅員が息を荒くして駅内に大音声の緊急放送を流す。

駅内は一瞬で阿鼻叫喚となり、慌てふためいた男は荷物を落とし、女は金属音のような悲鳴を上げ、子供は耳障りな程に泣き叫び、老人は震える手足で出口へと藻掻き出て行く。

駅員達はそんな客員達が詰まった出入り口で必死に彼等を先導し、外へと逃がしていく。

だがパニック状態に陥った人間ほど人の言うことを聞かない物はない。

人々は駅員の誘導も聞かずに我先に、と出口へと殺到していくのだ。

このままでは駅内から人影が無くなるのは日が暮れてからとなるだろう。

「非常口も裏口も何でも良い! とにかく外に出すんだ!!」

「で、ですが! 数が多い上にパニック状態で……!!」

「あの列車はもう数分もしない内に突っ込んでくるぞ!! パニックだろうが何だろうがどうにかしろ!!」

暴走列車が目の前まで迫ってきているという状況に、最早、駅員達もパニックに陥っていた。

暴走列車による地鳴りのような轟音すら掻き消す叫び声と騒音が駅内を覆い尽くし、静寂という言葉はこの空間から完全に消え去っている。

そんな中、一人の子供が静かに呟いた。

「ママ、あれ」

その言葉を聞いたのは子供の手を引いていた母親と、その隣で転けていた一人の中年男だった。

彼等は子供が列車を指して言っていた事から暴走列車の事を言っているのだろうと思ったが、そうではない。

その子供が指差していたのは暴走列車の上に立つ一人の男だった。

「黒い人が立ってる」

真っ黒な列車の上に立つ人影は、子供の小さな目には列車と同じ色に見えたのだろう。

銀の鎖と罪の証を刻んだ上半身を外気に晒し、紅蓮の双瞳と対腕を持つその男の姿が。

「…………ふーーーーー」

男は両腕を交差させ、深く、静かに息を吐く。

彼の吐息は豪風に連れ去られ、呼吸音すらも轟音に掻き消される。

だが、それでも彼の心境は明鏡止水が如く澄み渡っていた。

―――――やる事は一つ。至極、単純。

爆風の中、男は一歩を踏み出す。

その先は虚空を切り裂く線路。落ちればどうなるかなど赤子でも解るだろう。

そう、人間の赤子ならば。

「宛ら、黒の棺か」

男は列車という鋼鉄の足下を蹴り飛ばして遙か前方の線路へ跳躍する。

その衝撃をもろに受けた列車は激震し、線路との間に緋蒼の火花を散らした。

「化け物に棺は必要ねぇ」

降り立った瞬間、彼の足下の線路は崩壊し、鉄骨は天を向くように跳ね上がる。

常人ならばそのまま全身を血肉の塊にするだろうが、それは化け物。

化け物は鉄骨を踏み砕き、全身を縦貫した衝撃にも耐えうる。

「必要なのは」

そのまま化け物は身を反転させ、漆黒の鉄塊を視界に映し出す。

暴走列車は進路上の小さな化け物など気にも留めず、ただ爆進し続ける。

先程の衝撃など無かったかのように、進路上の小石など粉砕するように。

風圧という壁も線路という道も全く関係なく。

「罪を縛る銀の鎖だ」

暴走列車は[傲慢]に激突し、衝撃音を滝水が如く弾け飛ばす。

彼はたった二本の腕で列車の力を相殺し、たった二本の脚で衝撃を受け続ける。

爆音、激音、轟音、破砕音、衝突音、金属音、大騒音、豪風音。

暴走列車という超弩級の衝撃を持つ鉄塊を真正面から受けた[傲慢]の全身は線路上を一気に引き摺られていく。

受け止めたとは言え、その衝撃が一瞬で収まるはずはない。

徐々に、徐々に、徐々に。

駅一つを破壊しきるほどの衝撃は[傲慢]によって相殺されていく。

だが、その衝撃は簡単には止まらない。

彼の足が何本もの線路を弾き飛ばし、彼の絶叫が世界を劈く程に響き渡る。

「オォォオオオオォオオオオオォォオオオオアアアアアアアッッッッッッ!!!!!」

刹那、彼の対腕は真正面ではなく右方へと振り切られる。

その圧倒的な、超弩級の衝撃を超えるほどの衝撃は列車を線路という絶対の道から外し飛ばした。

国境駅までの距離は最早、目と鼻の先。

だが列車の進路はそこではなく、外れた場所の岩壁へと。


ガァアアアアアアアアアアアンッッッッッッッッッ!!!


列車は地割れかと思うほどの轟音と共に、側面を岩壁へと激突させた。

衝撃は岩壁の天辺まで突き抜けて亀裂を走らせる。

轟音と爆音が入り交じり、国境駅からは絶叫と悲鳴が入り交じった。

やがて数分もしない内にその地鳴りのような音と耳障りな声は鳴り止んで、静寂が訪れる。

しん、と痛々しいまでの静寂を打ち破ったのは、上半身を外気に晒した一人の男だった。

「……修理費の請求とか、どうなるんだろうか」




サウド国の国境駅近くの、小さな喫茶店。

オープンカフェであるそこに彼等の姿はあった。

「……はぁ」

[傲慢]は大きくため息をつき、目の前に広がる灰色の新聞に視線を落とす。

そんな彼の耳には携帯電話が当てられており、先程から説教臭い言葉が垂れ流されている。

「ただのハイジャックだったはずなのに……」

今回の結末的に説明するならば、彼の持つ新聞記事を見るのが最も手っ取り早いだろう。

『列車事故! ハイジャック犯も真っ青の大脱線!!』

とまぁ。翌日の新聞には大々的にこんな見出しの記事が載った訳だ。

事故の概要としてはハイジャックされた列車が点検不備により大脱線したという物である。

無論、事実としてはそんな事は決してない。

だがウェス国とサウド国の両国は今回の件を秘密裏に処理することに決定したのだ。

と、いうのも当然だろう。

『あのさぁ、列車止めるために線路破壊して列車も破壊するとか馬鹿じゃない? 誰が修理費払うの? 誰が後処理すると思ってんの?』

「いや……、何と言うか……、スミマセン……」

『両国には情報隠すよう根回ししてるけど、疾うに噂は出回ってんのよ? で、それを処理するのにもお金が要るわけ』

「はい……、その通りで…………」

『つまり、今回の報酬はナシ』

「えっ」

『何か文句が? どうせ、また報酬で煙草とスーツしか買わないでしょうが!』

「いや、それで文句出るのは俺じゃなくて[暴食]かと……」

『あの子はあの子で何してるのよ! もう帰ってきても良い頃でしょ!!』

「……隣で飯ぃ食ってます」

新聞を折って視界を開けさせた[傲慢]の視界に映るのは、さらに視界を塞ぐ白色の壁だった。

それと言うのも店に入って数十分で机の上とその下を埋め尽くす程の空皿が出来たからである。

主に、というか全て[暴食]によって、だ。

「おかわりお願いします」

「おい止めろ、店員が涙目になってんぞ」

この馬鹿女はこの店を食料困難に陥らせるつもりか、と[傲慢]が呆れていると、彼の耳には劈くような罵声が飛び込んできた。

未だ彼等の上司からの説教は続いており、それを受けるのはやはり[傲慢]なのである。

『ともかく! さっさと帰ってくること!! 仕事はまだまだ溜まってんだからね!!』

「へいへい……。……そう言えば傭兵集団、基、ハイジャック犯共はどうなったんだ?」

『普通に刑務所行き。ま、出てくるには二十年近く掛かるでしょうねー。正しく自業自得! 情状酌量の余地なし!』

「だろうなぁ。……ま、傭兵がハイジャックするご時世はどうかと思うがね」

『そういう馬鹿な輩を捕まえる為に私達、銀鎖の大罪が居るのよ』

「世も末だぜ、全く。化け物が人を裁くようになっちゃ本当に……」

そんな[傲慢]の愚痴を押し潰すように爆音が鳴り響き、[暴食]の積み上げていた皿の山は地面に叩き付けられて破片の海と化した。

無論、彼女が幸せそうに食べていたサウド国名物の海鮮料理も、だ。

「……司令部、応答せよ、司令部。マジで何があった?」

『……あー、何かアンタ達が抑えてたはずの傭兵集団が脱走したみたいだわ。殺しときゃ良かったわね』

「不殺の誓いを立てさせたのは誰だったか言ってみろよ、オイ」

『冗談よ、冗談。……じゃ、こっちは得に問題起こさなきゃ給料払うからよろしくね?』

「……[暴食]、仕事だ。いくぞ」

「海鮮料理の怨みは地の果てまでです」

[暴食]は既に銃を構えており、[傲慢]よりも遙かに凄まじい殺気を放っていた。

そんな彼女の様子を見て[傲慢]は酷く呆れ返ったため息をついて首を鳴らす。

「それじゃ、行くか」

「えぇ、彼等に教えてあげないといけませんね」



―――――誰を敵に回したのか、を。




読んでいただきありがとうございました。


ってな訳で短編三作目、銀鎖の大罪でしたー。

今回は割と短めですね。と言うのも色々と理由があるわけなんですが。

まぁ、編集君がリアルで忙しいって事もあったんですけど。受験生だし。

実はコレには深い深い訳がありましてね……。

それを的確に記した、毎度恒例の作者と編集君の会話をどうぞ!


編集「……今回、短いね。いや楽で良いんだけども」

作者「実はさぁ、ちょっと理由があってね?」

編集「何? どうせしょーもない理由なんだろ?」

作者「残酷描写書きたかったから……」

編集「良い精神病院を紹介してやる。行け」

作者「酷い!!」

編集「何でお前は毎回毎回、主人公を殺される側にするんだよ!」

作者「だって主人公ってさぁ、声かけただけで惚れられるんだろ?」

編集「それは転んだだけで威勢の胸を揉む特殊能力者だけだ!!」

作者「いや、もう主人公とか滅びろよ」

編集「嫉妬かよ!!」

作者「それはそうと、実はコレが短いのには本当の理由があるのだよ」

編集「……一応、聞こう。何?」

作者「実はコレ、連載用でね。既に物語の構想はあるんだよね」

編集「馬ッッッ鹿じゃねぇのォオオ!?」

作者「え? 何で?」

編集「おかしいと思ったんだよ! 設定が妙に込んでるし!!」

作者「序でに言うと主人公は吸血鬼の血が四分の三、人間が四分の一だぜ」

編集「だから日光に当たっても平気だったんですねェ!!」

作者「さらに言うと怠惰と強欲、憤怒のキャラ設定もあるよ」

編集「……馬ッッ鹿じゃねぇのォオオオオオ!?」

作者「思ったより乗っちゃって☆」

鬼神「……あ?」

作者「スイマセンでした」

編集「……ともかく、なんでこれを短編に?」

作者「正直言うと、残酷描写したいだけでした。ストレス発散で」

編集「お前、いよいよ危ねェからな」


はい、てな訳なんですよね。

テスト終わり&リアルが忙しい編集君が死にかけでやってくれた編集作品でしたー! お疲れ!!

まぁ、何にしてもこれが連載に行くかどうかと言われると、気分次第としか……。

実際の所、物語の大筋もキャラ設定も決めてるんですけどね? やっぱ編集君の受験が終わらないことには何とも……。

ま、それを言っちゃうと『央真が時に』も『School&Magic』も連載候補なんですけどね。

でも、今作は好き勝手書けたのでストレス発散には良かったです! うん!!

何はともあれ、今回も読んでいただきありがとうございました。

暫くは休憩ですね。編集君にも休暇をあげましょう! 良かったね編集君!!

それでは最後に恒例の編集君の一言でさようならー!!


『作者の言う休暇は一日か二日ですので、実質ないです』by編集

※秋鋼連載終了時の休暇は一日でした。

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[一言] 初めまして。 何気なく新着活動報告一覧を見ていたら、とっても面白い活動報告を書く方を見つけ、やってきた作者様のページの多くの作品からどれを読もうかと迷い、“獣人の姫”を何気なく見てみたら連載…
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