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キララ  作者: さけみりん
1/2

(上)

 夏が来れば思い出す。

 十五年前、キララと初めて出会った日のことを。

 当時俺の通っていた小学校には、裏庭にボロボロになった机や椅子、古い掃除用具入れなどを置く、いわゆる粗大ごみ置き場があった。

 普段はあまり近づくことのない場所だが、その日はたまたま「いつもと違う道で帰ろう」と急に思いつき、裏庭から回って下校しようとした。

 いつもと風景の違う帰路をキョロキョロと見回しながら、ゆっくりと、まるで冒険でもしているかのような気分で歩いていた。

 その時だった。

 どん! どん! どん!

 急に何かを叩くような音が響いた。揚々としていた俺も、咄嗟のことに驚き、肩を震わせ飛び上がる。

「だっ……誰かいんのか!?」

 及び腰になりながら、必死に叫んだ。緊張して声が裏返る。返事は、聞こえない。

 粗大ゴミ置き場はそんなに広くない。誰かが近づいてきたなら、すぐに分かるはずだ。可能性があるとすれば、物陰に隠れているか、隠れていたか、だ。

 じりじりと陽炎が立ち上る中、恐る恐る、音のする方へにじり寄っていく。叩打音は絶えず聞こえていた。

 少しずつその音が大きく響いてくるにつれて、俺の鼓動もそれに応じるかのように五月蝿くなっていく。

 そして、とうとうその音源を前にして。

「……。なんだぁ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 それは、奥まったところに置かれている掃除用具入れの一つだった。

 しかし、その用具入れだけ他とは違い、何本もの縄跳びでぐるぐる巻きにされていた。そのいずれもが固結びできつく締められている。音は、用具入れの中から聞こえていた。

 これはもしや、どっかのバカが犬か猫でもこの中に閉じ込めて、放置していったんじゃないだろうか。俺は瞬時にそう思い、即座に巻きつけられた縄跳びを解きにかかった。

 顎から汗が滴るのも忘れて、必死になって縄跳びを解く。

 最後の縄跳びを解いた瞬間、用具入れの扉が勢いよく開く。中から出てきたのは犬でも猫でも、まして化物なんかでもなかった。

「もがぁ!」

 中から飛び出してきたのは、女の子だった。

 綺麗な子だった。整った顔の造形は一枚の絵画から抜け出してきたかのような端麗さを滲ませていたが、問題はそこではない。今の状況だった。

 女の子は両手足を縛られ、口には雑巾のようなものを噛まされていた。おかげで彼女はその端正な顔を精一杯に歪ませながら、芋虫のようにモゾモゾと蠢いていた。

 明らかに彼女は、監禁されていた。それも手足を縛るだけでなく、ご丁寧に用具入れの中へ厳重に閉じ込められて。

 不謹慎な話ではあるが、このとき俺は、不気味さや不可解さ、女の子を助けなければという思いよりも「これはもしや、非日常的な事件への第一歩では!?」といった高揚感の方を強く感じていた。男子は誰でもヒーローに憧れる。もちろん俺も、例外ではなかった。

 半分妄想の世界へ行っていた意識を女の子の方へ戻すと、彼女は般若のような顔でこちらを睨みつけていた。

 早く助けてよ。

 表情が、何より雄弁に物語っていた。慌てて彼女を縛る縄と雑巾を外す。

「っぷはぁ! あーもう、暑いし臭いし最悪!」

 自由を取り戻した途端、開口一番、彼女はヒステリックに叫んだ。

「だ、大丈夫か?」

 彼女の気迫に押され、躊躇いがちに訪ねてみる。射抜くような視線が、俺を捉えていた。

「大丈夫なわけないでしょ! とりあえず、水! 水!」

 そう言って彼女は、水飲み場の方へ一目散に駆けていった。

 確かにこの猛暑の中、金属製の狭い掃除用具入れに閉じ込められていては、脱水症状手前といっても過言ではないだろう。水飲み場から帰ってきた彼女は、歩くたびにタプタプと音がするくらい、水をしこたま飲んでいた。

「ありがと」

「え?」

 不意に彼女がお礼を言った。突然のことに、俺は思わず惚けた顔で聞き返す。

「用具入れから出してくれたお礼、言ってなかったから。だから。……あ、ありがと」

「お、おう」

 素直に礼を言われ、照れ臭さから妙に素っ気無い返事をしてしまった。彼女も気恥ずかしいのか、斜め下を向いて唇を尖らせていた。

「て、ていうかお前、誰? なんでこんなとこに入ってたの?」

 気まずい空気が流れ始めたので、俺は強引に話題を変えようとした。彼女は一瞬こちらを見て顔を強ばらせたが、すぐにまた俯いてしまった。そしてそのまま、ぼそぼそと喋り出す。

 彼女は『キララ』と名乗った。珍しい名前だ。学年は四年生。俺より一歳年下だった。

「で、なんでキララはあんなとこに閉じ込められていたの?」

「それは……」

 キララは、初対面の人間に話していいものか、相当迷っている様子だった。彼女が考えている間も、容赦なく太陽は照りつける。夏の日差しに我慢できなくなり、早く話せよ、と俺はイライラしながら彼女を急かした。子供特有の堪え性の無さだ。相手への配慮とかそういうのが欠けていたのは、許して欲しい。

 しばらく逡巡した後、キララは意を決したように話し始めた。

「……クラスの奴らに。私、変な名前してるし、皆に嫌われてるから」

 彼女はそう、きっぱりと言い切った。

「クラスの男子が二、三人くらいで私を押さえつけて、手足を縛ったの。助けを呼べないように雑巾を噛まされて、そのまま用具入れに放り込まれて。女子はみんなで私の悪口を言いながら笑ってた。……用具入れの中は信じられないくらい暑くて、ここに閉じ込められたら、私、死んじゃうんじゃないかって思った」

 彼女が語った言葉は、聞くだけで気分が悪くなるものだった。

 完全に悪ふざけのラインを超えている。

 それは、陰惨ないじめそのものだった。

 彼女の言葉を聞いていくうちに、少しづつ、自分の中に何かが沸々と湧き上がってくるのを感じた。

「……いいのかよ」

「えっ?」

「それでいいのか、って聞いてんだよ。馬鹿にされて、いじめられて。それでも黙ってるなんてこと、出来んのかよ」

「出来るよ」

 意外にも、彼女は即答した。目の端が少しつり上がった勝気そうな瞳で、じっと俺を見てくる。俺も負けじと、彼女を見返した。

「私、もうすぐ転校するんだ」

「転校?」

 彼女を見つめたまま、聞き返した。キララも俺から目を逸らさずに、小さく頷く。

「そ。言っておくけど、いじめとは関係ないから。お父さんの仕事の都合。それで、少し遠くの街に引っ越すの。そこで私は新しい学校に通って、新しく友達を作って、それで。……っ……それでっ」

 後半、キララはしゃくりあげながら、それでも懸命に話そうとしていた。声が震えると同時に、勝気な瞳から次々と涙が溢れてきていた。俺はといえば、目の前でいきなり女子が泣き出すという事態に対応できず、ただ情けなく視線を彷徨わせる事しか出来なかった。

 そんな風に俺がオロオロする様子を見て、彼女は少しだけ表情を和らげ、言葉を続けた。

「それで、私は向こうで楽しく過ごして、いっぱい笑って、こっちであった嫌なことは全部忘れるの。そうするって、決めたの」

 涙の跡を服の裾で乱暴に拭い、確かな意志を目の奥に宿らせながら、キララは力強く言い切った。

「……そーかよ」

 彼女がそう決めたのなら、それでいいんだろう。横から文句をつけるなんて彼女に失礼だ。ましてや俺はついさっき知りあったばかりで、むしろ首を突っ込む方がどうかしているというものだ。

「はあ、なーんか疲れちゃった。今日はもう帰って寝ちゃおっと」

 キララはまるで繕うように、ぎこちない笑顔で明るく振舞っていた。

 その姿を見て、何故か俺は胸が締め付けられるような感覚に囚われた。

 彼女を一人にしてはいけない。理屈を超えて、そう、思った。

 気がつけば、家に帰ろうと踵を返すキララの腕を、咄嗟に掴んでいた。

「何?」

「あ、いや、えーっと……」

 思いがけず掴んでしまったが、特別、何があるわけでもない。だけど、このまま彼女を放っておくのが正解とは、どうしても思えなかった。

「あ…………明日!」

「明日?」

 彼女は愛らしく首を傾げながら訪ねてきた。その挙動に、思わず『可愛い』と思ってしまったが、それを本人に悟られるのはこの上なく恥ずかしい。俺は努めてなんでもない風を装った。

「明日から、な、夏休みじゃん!?」

「う、うん」

 恥ずかしさを隠すために声のボリュームを大きくしたら、思った以上に大きくなってしまった。キララも俺の声量に驚いたのか、一歩後ずさっていた。

「そ、それでさぁ。俺、特になにも予定ないんだよね」

「へえ……。そ、そうなんだ」

「だ、だからさぁ……」

 ああもう!

 彼女に自分の意図を察してもらえないもどかしさに、地団駄を踏みたくなったが、ぐっと堪えて話を続けた。

「だから、その。……夏休みのあいだ、暇で暇でしょうがないから、仕方なく、お前と遊んでやってもいいぜ!」

 俺は腕を組みながら鼻を鳴らして、何故か上から目線で言い放った。

 自分で振り返ってみても、あの時の自分には顔を覆いたくなる。今あの瞬間に戻れるならば、『お前はツンデレか!』と幼少の俺に突っ込んでやりたいくらいだ。

 しばらく彼女は目を丸くして驚いていたが、だんだんと頬が緩んでいき、最終的にはとうとう吹き出してしまった。

「わ、笑うなよ!」

「あっはは、ごめんごめん! でもさ、フフフッ」

「……帰る!」

 今度は俺の方が耐えられなくなって、踵を返した。

「あー、ごめんって」

 彼女も引き際を察したのか、俺を慌てて引き止めた。年下のくせに何故かお姉さんぶった振る舞いを見せる彼女に、なんだか釈然とせず、不貞腐れたように頬を膨らませた。

「あー、じゃあ、まあ。お言葉に甘えて」

 彼女はそう言って、にっかりと、眩しそうに笑った。

「仕方ないから、遊んでもらっちゃおうかな」


 それから夏休み中、俺は毎日のようにキララと粗大ゴミ置き場で待ち合わせて、日が暮れるまで遊び倒した。

 楽しかった。彼女と過ごす時間は毎日が輝いて、あまりにも尊く、素晴らし過ぎた。俺も彼女も、毎日笑って過ごした。いつまでも今が続いて欲しいと、生まれて初めて、俺は心から願った。

 だけど、こんなにも楽しい時間も、いつか必ず、終わりが来る。

 キララがいなくなる、その前に。

 彼女のために、やらなければならないことがある。

 密かに決意を固めて、それに合わせるように拳を硬く握りしめ。

 俺は闘志の炎を、メラメラと燃え上がらせていた。

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