キモオタの日常
「はい、これ。あ、お前もはい、どーぞ」
その日の休み時間、学校一のイケメンである川瀬はクラスの女子にホワイトデーのお返しを配って歩いていた。
「ありがとう川瀬くん!」
「きゃぁ、これ超可愛い!」
女子たちは川瀬の贈り物にご満悦の様子だ。それも無理はない。川瀬は学校一のイケメン。クラスの女子全員からバレンタインプレゼントを貰いこの日はホワイトデー。プレゼントお返しの日だ。
「川瀬はいいよなぁ。お返しできる相手がいっぱいいて」
と、部屋の隅に固まった三人組の一人がぼやいた。
「所詮リアルに恋愛を期待するほうが間違ってるのですよ」
と、三人組のもう一人が携帯ゲーム機を片手にしながらぼやいた。
「そうそう。俺たちはこれがあるじゃないか」
と、三人組みの最後の一人が携帯ゲーム機を二人に見せつけた。
「もう見た? ホワイトデーイベント、すっげぇいいぜ。あー萌えたわ。何ていっても……」
慌てて三人組みの残り二人がそう言った奴の口を塞いだ。
「もがもが」
「ちょっと言うなよ。学校終わるまで我慢してるんだからさ」
「そうそう、少しは自重すべきですよ」
「ちょ、苦しい! お前ら離せよ!」
口を塞がれた男子が苦しさのあまり大声を上げた。
「ちょっと、そこの男子、うるさい!」
途端に部屋の中央からクラス委員長の山下が三人組を見下すように叫んだ。
「今、川瀬くんがプレゼント配ってるんだから、あんたたちみたいな気持ち悪い奴らは気を使って静かにしなさいよ!」
三人組は途端に捨てられた子犬のようにうな垂れた。山下はとんでもないブサイクな女なのだ。そんな奴に気持ち悪いと言われる自分たちはどれほどブサイクだというのか。
「まぁまぁ、山下さん。今は休み時間なんだからいいじゃない」
「さっすが川瀬くん! 心が広いのね!」
山下は両目をハートマークにさせて川瀬を見つめた。
「ちっ、ブサイクのくせに」
三人組みの一人、藤野が舌打ちをした。
「ほっときなさいよ。山下委員長に何を言っても無駄ですよ」
眼鏡を直しながら滝川が藤野をなだめた。
「お前らが俺の口を押さえるからだろ」
先ほど口を塞がれた井川が二人に抗議する。
「いや、ホワイトデーイベントは今日の僕の最高の楽しみなんだ。その内容を口走ろうとした井川が悪い」
「うむ。我輩も同意見です」
「何だよ、藤野も滝川もまだイベント見てないのか。そりゃ悪かったな」
井川は肩をすくめた。
三人組が先ほどから話している内容は携帯ゲーム『プラスラブ』のことだ。現実時間にリンクしているこのゲームは、曜日や行事によってイベントが変わるというギャルゲーだ。リアルタイムの恋愛生活を送ることができるこのゲームは、ボイス機能を使ってゲームの女の子に話しかけたり、タッチパネルを使ってスキンシップをはかることも可能である。
ヒロインは年上のおっとり系、年下のツンデレ、同級生のお嬢様が用意されており、ゲームのプレイ内容によっては髪型や服装の好み、趣味の内容が変化するようになっている。奇しくも三人組みは同級生のお嬢様をヒロインとして選んでおり、イベント内容を話されることは自分の楽しみを暴露されてしまうことに近い。藤野と滝川が必死に井川の口をふさぐのは当たり前だ。
「でも俺の場合は日を跨いだら家まで持って行ったぜ。お前たちは違うシチュエーションが味わえるんだろうな」
「そうそう、僕は下校時間に渡そうと思うんだ」
と言って、藤野は気持ち悪い笑みを浮かべる。
「我輩はお昼休みに渡すつもりです。あぁー愛しの京野明日香ちゃん。もうすぐですよぉ」
と言って、滝川は携帯ゲーム機に頬ずりしている。全く救いようがない気持ち悪いキモオタ達だ。
携帯ギャルゲーの話に興じる三人組を、クラスの女子たちは気持ち悪そうにチラ見していた。三人組みは「キモオタトリオ」と影で呼ばれており、実際そのようにキモオタだった。説明するまでもないが、キモオタとは「見た目が気持ち悪くて、中身は救いようのないほどのオタク」の略である。
三人はそのように呼ばれているのを影で知っていたが、実際その通りなので改善する気もこれっぽちもなかった。
「おらぁ! 藤野!」
突然廊下から金髪の男、伊良部が怒鳴り込んで入ってきた。途端に三人組みはビシッと背を伸ばし、携帯ゲームを後ろ手に隠した。
「は、はい。何でしょう伊良部さん」
伊良部は同級生だから別に敬語を使う必要はない。なぜ敬語かと言えば伊良部は典型的なイジメっ子であり、藤野を含めたキモオタトリオは典型的なイジメられっ子だからだ。
「俺のミーちゃんが、お昼にコンビニのシーザーサラダが食べたいっていうんだよね。お前今すぐ買って来い。あと今週号のマガジンもな。釣りも忘れんなよ」
ミーちゃんというのは伊良部の彼女だ。これまた典型的な性格の悪い伊良部にお似合いの女だ。
「え、でも伊良部さん、もうすぐ4時間目始まりますよ…」
「だから言ってんだろうが! 昼休みまでに揃えておけってことだよ!」
伊良部は前蹴りで藤野の股間を蹴ると、悶絶してうずくまる藤野に10円玉を投げつけた。
「あと井川」
「は、はい」
井川はビクビク怯えながら藤野に目をやる。藤野は股間を蹴られて床の上で悶絶している。伊良部は遠慮なく暴力を奮うのだ。
「久々にバッティングゲームがやりたい気分だ。お前、昼休みまでに金属バットとボール用意しとけ」
「は、はい。かしこまりました」
井川は心の中で深くため息をついた。バッティングゲームとはキモオタ三人を椅子に縛り一列に並べると、一定の距離からノックを打ち放ち、何回キモオタに命中したかを競う大変楽しいゲームだ。顔面に当ると2点。体に当ると1点と計算される。説明するまでもないがキモオタにとっては地獄のような苦行だ。
「あと滝川」
「ひゃい」
今日は難を逃れられると安心していた滝川はビックリして返事を返す。
「お前、この間教えた一発芸やってみろ」
「ふぇ、こ、ここでですか」
「ここ以外どこがあんだ。早くやれ」
「ひゃ、ひゃい……」
滝川はちらりと教室を見回す。皆チラチラ伊良部の様子を見ているが、当然ながら誰も助けに入ろうとはしない。いつもの光景だ。滝川は覚悟を決めてズボンとブリーフを膝まで降ろすと、伊良部に尻を向けてふりふり振りながら、
「オナラで空まで超特急!」と叫んだ。
「あっはっはっは。超つまんねー」
伊良部は手を叩きながら笑った。滝川は黙ってズボンとブリーフを元に戻した。遠くから女子の「超キモーい」という声が聞こえた。
「おい藤野、いつまで寝てんだ。ダッシュ」
伊良部は藤野に一発蹴りを入れると教室を去って行った。
「ふ、藤野、大丈夫……?」
「う、うん、何とか」
「俺、野球部行ってくるからさ、お前も急いだほうがいいぜ」
そう言うと井川は金属バットとボールを求めて教室を飛び出した。4時間目が始まると教室を抜け出すのが困難になる。藤野も股間を抑えながら教室を飛び出した。
滝川はゆっくり自分の席に戻った。教室は先ほどの伊良部のイジメがまるでなかったかのように元の平穏な状態に戻っている。
「ううう……我輩は昼休みにホワイトデープレゼントを渡すのを楽しみにしていたのに……」
滝川のゲーム機にキモオタ色の涙が落ちた。それを待っていたかのように4時間目の始業ベルがなった。
キーンコーンカーンコーーン、と昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
「お、もう昼休み終わっちまったぜ」
「じゃあ、俺が9点でトップだな」
「また伊良部の勝ちかよ。ほい100円」
「お前の2枚抜きが決めてだったな。ほら100円」
伊良部を始めとしたイジメっ子4人組は意気揚々と去っていった。残されたキモオタ3人は互いに協力しながら、椅子に縛られていた縄をほどいた。
「うっうっうっ……」
「泣くなよ藤野、お前6発しか当ってなかったじゃないか。俺なんて10発だぞ」
「我輩なんて12発ですよ……視界の右側が良く見えませぬ…」
「うっ、ひっく、何で僕たちがこんな目に合わなくちゃいけないんだ…」
藤野は泣きながら呻いた。まだ今日はいいほうだ。大抵一人は意識を失くす。神がキモオタに与える試練は過酷だ。特にこの3人に与えた試練は過酷を極めたと言っても良かった。
「また昼食えなかったなぁ…ああ、腹減った」
「我輩、昼のホワイトデーイベントが楽しみでしたのに…」
キモオタトリオは互いに支えあいながら教室へ戻った。これほどボロボロにされていても、教室のクラスメイトは声をかけようとしない。キモオタトリオには他に口を聞いてくれるような友達はいないのだ。たまに男子女子から「うるせぇ」「黙れ」と言われるのが関の山だった。
放課後、いつものように3人は帰り道の川原の土手にしゃがみこみ、携帯ゲーム機を開いて『プラスラブ』を始めた。
「おおおお! これがホワイトデーイベント! うひゃあ、お返しのチュウかぁ! 明日香ちゃあああん!!!」
藤野が気色悪い唇をタッチパネルに押し付ける。
「あぁ、明日香ちゃんはやはりお優しい…我輩がリアルで生きていけるのは明日香ちゃんのお陰と言っても過言ではないです」
滝川が画面をうっとりしながら見つめている。視線が果てしなく気持ち悪い。
「明日香ちゃん今日は髪をおろしてきたんだなぁ…。あぁ…。なんて可愛いんだ。ふぅふぅ」
井川がゲームの中の明日香の耳に息を吹きかけるため、ゲーム機の音声ボイスに向かって臭い息を吹いている。
「今日も嫌なことばかりだったけど、もうすぐ3学期も終わる。そうすればイジメもないし、毎日明日香ちゃんと遊べるね」
「そうですなぁ。藤野殿の言うとおりです。もう少々の我慢ですな」
「そうするとあと3日か。明日も頑張ってイジメに耐えようぜ!」
キモオタトリオは互いに拳を突き上げ、明日への活力を漲らせた。だが、神様は残酷だ。更なる過酷な運命が待ち受けていることを、この時の3人は知る由もなかった。