オリオン座-4
今までと変わらない調子で日々は過ぎていった。行き交う人々の服はまだ夏の色をしていて、足下を見てもサンダルが多く、季節が変わりつつあることに誰も気づいてないみたいだった。何かしら死の兆候みたいなものがあるかもしれないと思ってひーくんを注意深く観察してみたところでなにも変わったところはないし、そうするとひとり緊張している自分がばかみたいに思えてくる。季節にもひーくんにもちっとも変化はなくて、そうにも関わらず怯えている自分。何に? なににだろう。自分にだって分からないのだ。ほんと――ばっかみたい。
泉との電話から一週間とちょっとの間に雨が二回降った。しとしとと止む気配を見せないそれと、落ち込んだ様子で夜、ベランダの淡い緑のカーテンを引くひーくん、この二つは、変化といえば変化かもしれない。つい最近までは雨は夕立のような激しいものばかりだったし、死ぬなんて言い出す前の彼は雨がとっても好きで、夜に雨が降ったりなんかすると、大喜びでそれが奏でる音楽に耳を傾けていたのだ。雨は芸術なんだよ、なんて言って――今の彼にとってそれは、ただ彼の死を邪魔する障害物でしかない。それはなんだかすごくかなしいことで、だからわたしはひーくんの代わりに雨を聴く。ざあ、とか、ぽたん、とか、時にはぼとん、とか、こうして聴いてみるとそれはずいぶんいろんな音を出している。窓を開けて聴いていると、ひーくんがすぐ後ろにやってきたことが分かった。ねえ、ほんと、雨って芸術だね――振り向いて言おうとした言葉は、後ろからひーくんに肩を抱かれて口のなかで消える。雨の匂いがすごいよ。彼は小さく笑い、右手を伸ばして窓を閉めてしまった。降り込んできたらいろいろ大変じゃない。ほら、もう寝よう。――別に濡れて困るものなんてない。この窓際にあるのはフローリングの床と観葉植物の木、たったそれだけ。電話機やテレビや、お気に入りのクリーム色の夏のじゅうたん、それにわたしたちふたり専用のテーブル、よっぽどの雨じゃなけりゃあそこまで届くはずがない。そう抗議したくなるけど、わたしはぐ、と口をつぐむ。なぜだかどうしようもなく涙がこぼれて、ぽたりぽたり、足元を濡らす。歩から雨が降り出したあ、おどけたように言うひーくんの声すらちゃんと耳に入らない。彼はしばらくそうやってふざけるようにわたしを泣き止ませようとしていたけど、無駄なことが分かると、先寝ちゃうねと寝室にこもってしまった。彼が離れて自由になった手を伸ばしてまた窓を開ける。さっきよりも静かに、けれど雨は降り続いている。何もできないわたしの代わりに神さまは雨を降らせてくれている。そのことに無性にほっとする。ふと気付くと涙のあとはしっかり乾いて、ただわたしの顔に貼りついている。窓を閉め、カーテンも閉めて、ひーくんのとなりに滑り込みわたしは眠ることにする。ひーくんの眠りはきっと浅いから、そのぶんしっかり、わたしが眠ってあげることにする。
朝になれば雨は止み、気温は真夏並みでひーくんは今までとなんら変わりなく、わたしはまた無駄な不安を抱えて一日を送ることになる。
書きだめはこれでおしまいです。
次の更新まではたぶんだいぶ時間空いちゃうかと…ううう、頑張ります