7.
空が半分雲に覆われていたその日、伯爵家の美しい薔薇園で、同じテーブルに座らせられた2人が微妙な表情をしていました。
「ほ、本日はご機嫌麗しく……」
あまり華美になり過ぎてはいない程度に着飾ったルーシーが、少し困った表情でドレスの裾を気にしていました。明らかに緊張しています。
「……。兄上、これは一体何の真似です?私は何も聞いておりませんよ」
ルーシーの斜めの位置の椅子に、兄命令で腰掛けさせられたライノーは、まるで極寒の地を思わせるほど険しい表情で公爵に一瞥を寄越しました。
「まあまあ。あれからどうなったかライノーは聞いていないでしょう?それに、まさか女性からの贈り物にお礼の手紙もしなかったとは思いませんでしたよ」
ライノーは少し考えて、軽く頷きました。
「……。ああ、そういえば。あれは随分と見事な立体刺繍でしたね。あまりにも見事で、今でも部屋の隅に飾っておりますよ。どちらで購入されたのですか?制作工房には少し興味があります」
それを聞いて、近くに立っていた公爵も、伯爵家の者たちも微妙な顔をしました。
「あれは……私が刺繍いたしましたの。学園の授業で……」
ライノーは少しだけ目を見開きました。
「あなたが作ったものだったのですか?購入品ではなく?」
「ええ」
「……今時の学園は刺繍の教育に力を入れているのですか?7歳であれは……確かにすごいですが……あまりにも将来に活かされませんし、実用的では……」
「……。ライノー、お礼はどこにいったのです?それは全然お礼になっていませんが。それはあなたなりのお礼ですか?」
「確かに。これは失礼いたしました。あまりにも驚いたものですから。見事な刺繍をありがとうございました。縁起物だと思って重宝しております」
「喜んでいただけたのであれば嬉しいですわ……!」
ルーシーはようやく、少しだけホッとした顔をしました。
「喜ぶ……?まあ、部屋に飾る程度の価値はありましたね。販売なさったらいい値段になるかもしれませんよ」
公爵や元伯爵夫妻、伯爵夫妻はますます微妙な顔をしました。
「本当ですか!?他におすすめの図案はありまして?」
「同じ鳥類を刺繍されるなら、鶴が良いでしょうね。縁起物ですから」
「まあ……!では、次は鶴を刺繍してみますわ!久々ですけれど、完成しましたらライノー様に差し上げてもよろしいですか!?」
「……。いえ、私ではなく、販売を……」
「……ライノー、学園で今ルーシー様がどう行動されているか気になりませんか?」
「……。兄上も伯爵家の方々も、そろそろ座られても良いのでは?」
「いえいえ!私たちのことなどお構いなく!」
「ええ!本当に!気になさらないで!」
「ただの壁だと思って!」
「だいぶお喋りな壁ですね……」
「が、学園では出来るだけきちんと1人で行動しておりますわ!」
「……ほう。今も?」
「はい!私、伯爵令嬢ですもの!」
ライノーは訝しげな顔をしました。
「本当ですか?」
「ええ!」
「……ライノー、あなたは本当に疑り深いですね。伯爵家の侍女の報告書や、ルーシー様の手紙による会話記録から考えても、おそらく本当のことでしょう」
「……ルーシー様自身は学園で何もなされていませんか?」
「ええ、今のところは」
「護身の魔道具が時々作動したとの記録は残っているそうですよ」
「……やはり被害を受けているではありませんか。何故私の手紙なんかの言う通りにしたのです?自分を大事にしなければ立派な貴族とは言えませんよ?」
「……!そ、そうなのですか?それでしたら、私はまだきちんとした伯爵令嬢になれていないのかもしれませんわ……」
「ライノー、いつもと言っていることが違いますよ。自分で分かりませんか?」
「……。しかし、きちんと行動しているルーシー様まで被害を受けたのであれば、やはり殆どの貴族令嬢には問題がありますよ」
「ルーシー様の護身の魔道具が発動したのは、すべて貴族子息の方々に対してだそうですよ」
「……尚更危険ではありませんか?やはり貴族たる者、学園に行くべきではありませんね」
「そ、そうなのですか?ですが、この国では学園を卒業しなければ正式な貴族として認められておりませんわ……」
「まあそれはそうですが……」
少し困った顔をしたライノーを見て、ルーシーは少し可笑しくなりました。
「ふふふ、ライノー様も案外完璧ではありませんのね。私、安心しましたわ」
「私が完璧だと思っていたのですか?」
「ええ。だって私がライノー様に初めてお会いした時は、公爵様そっくりで、子どもを守ってくれるほど優しくて、おまけに賢くてハンカチまでくださる素敵な執事に見えましたもの!」
「優しい……?それは誰です?」
「勿論、ライノー様ですわ!」
「……」
ライノーの少し後ろに立っていた公爵が、少しニヤニヤしながら勿体ぶって話し始めました。勿論、その表情に気付いたのは元伯爵夫妻だけでしたが。
「伯爵様。殆ど完璧な私の弟ですが、少々欠点があります。特に、今でも結婚していないところなど。流石にそろそろ婚約の1つもなければ、貴族社会からは変わり者扱いされてしまいますからね。それで、一度婚約だけでもしてみてはどうかと相手を探しているのですが……」
「公爵様……。私の娘はこの通り、まだ12歳ですが、どなたかのお手紙の言いつけを守ったせいか、学園で孤立してしまっているようです。このままでは婚約も難しいかもしれません。やはりここは手紙の主を探して責任を取っていただくのが筋かと思っておりますが、ルーシーが成人するのはあと6年後……。その方が今生きていらっしゃるかも分かりませんが、まだご存命であれば、是非婚約だけでもしていただきたいものです」
「……とんだ茶番ではないですか」
「おや、ライノー、一体どうしました?」
「きちんとルーシー様の希望を聞かなければならないでしょう?子どもだからと意思を聞かないのはよろしくないですよ?それに、子どもの意思など成人までの間にころころと変わるものです」
「ふむ。ルーシー、どうですか?」
「わ、私はライノー様と婚約できるのでしたら、喜んで婚約をお受けいたしますわ!」
「ほら、ルーシー様は完全に受け身ではないですか。兄上、いくらこちらの身分が上だからと、強制したら迷惑ですよ」
「ライノー……、おまえは……」
「私、ライノー様が受けてくださるのであれば婚約を申し込みますわ!……あら?いえ、そうではありませんわね?ら、ライノー様、私から婚約を申し込んでもよろしいですか?」
「おお!ライノー、ルーシー様の方が大人ではないですか」
「……?私はもう50手前ですが?」
「勿論、お嫌でしたら断っていただいても構いませんわ……」
「……。なるほど、こう言われるとなかなか直接は断りにくいもの。兄上、早く種明かしをしてください」
「これがライノーをいじめるための策だとでも?」
「そうでしょう?子どもまで使って。どれだけ極悪な罠ですか?」
「いえいえ、罠ではありませんよ。どうせ、あなたのことですから、小児性愛者に間違われたくないとか色々余計なことを考えているのでしょう?」
「それはそうでしょう。一体誰に何と言われるか……」
「それでは、近いうちに婚約だけしてしまって、今まで通り会わずに手紙のやり取りだけするのはどうですか?そうすればライノーが疑惑の目を向けられることもありません」
「私はもう寿命も残り幾許かですが」
「そんな元気なのに何を言っているのです?それに、6年後のことまでは分かりませんが、ルーシー様はきちんと5年間、ライノーの言うことを真面目に守っていらっしゃったのですよ?あなたはルーシー様ほど我慢強くないということですか?」
「……どう考えても寿命は短いでしょう?」
「本当にあなたは頑固ですね……。とにかく結婚しろと言っているのではないのですから、婚約だけでもしてみるのはどうです?そうすれば、ルーシー様の経歴やあなたの言いつけを守っていた証拠も伯爵家から提出されるでしょう」
「……ルーシー様が大人になるための保護者としての機能という意味でなら受けましょう」
「はあ……、もうそれでいいですよ。タクマロ様、ということですので、近いうちに書類を用意いたしますね」
「ええ。ライノー様なら変なこともなさらないでしょうし、保護者が増えるようで安心です」
「ライノー様……!ありがとうございます」
ルーシー以外は微妙な顔をしていましたが、こうして奇妙な婚約は成立したのでした。
6年後?さあ、どうなったのでしょう。
なにせ、とある国の公爵家に産まれたわがままな末の弟が、結末をどうしても書くなと言うものですから。




