復讐―その後―
このお話は『復讐』を読んでから、お読みください。
「亜妃を殺したから、戻って来なさい」
そう、お母様から連絡が入ったのは、宮木亜希として私が帰宅した時だった。
電話口のお母様の声は、まるで他人事のように淡々としていて、彼女が自分の娘ではないと確信している気がした。
でも…恐らく。
彼女が本当は亜依であっても、お母様は殺していただろう。
亜依の記憶を引き継いだ、地獄の中を生きた亜紀。
自分を亜妃だと思い込んで居る、狂った亜依。
どちらにせよ、不要と判断され処理された筈。
何故なら『私』と言う、代わりが居るから。
「分かりました」
私の心は何一つとして動揺しなかった。
早鐘の様に打つ事も無く。
確定していた事項が、実行されたとただ知らせを受けた様にいつも通り。
しかし、返事をしながらも、早急に帰ろうとは思えず、のろのろと準備をした。
私は人を待って居た。
ある人が帰宅するのを、待って居たのだ。
亜希の両親ではない。
最後にでも、あの人達を見たいとは思わない。
私が待つのは亜希の姉、一華だ。
話によれば彼女の目の前で、亜希は間島に殺された。
間島は良くも悪くも、一族に従順だ。
しかも、直系の血が流れるお母様に。
今の分家が権力を貪る体制に、反旗を翻さないのは、単にお母様の意向の所為だ。
もしも、お母様の意志が変われば、間島は引退間近の老体を鞭打って、叔祖父の血を滅ぼしに掛かるだろう。
優秀な黒子として、彼女の手足となり、血を浴びる。
だから、亜妃も殺された。
状況や三年間の彼女の行動を思えば、私を嵌めようとしたのかも知れない。
お母様は私を守る為に、亜妃を利用し捨てた。
「私の代わりに亜希は死んだのね…」
鞄に数少ない私物を入れながら、窓もないただの物置を改造しただけの部屋を見渡した。
狭く暗い亜希の部屋。
自分の家の、自室の何分の一だろうか。
三年間、ここでの時間は長かったが、居心地がいいとは一度も思えなかった。
ただ、ここの家の人達と関わらない為だけのスペース。
机の中で、透明なガラス玉がコツンと音を立てた。
もう一つ奥から転がって来て、当たった一個は横に転がって行った。
それが私達の様に見えた。
同じ様なガラス玉。
当たった方も当たられた方も、どちらがその場に残って居るのか、一瞬の瞬きで分からなくなる。
本来なら当たられた方が転がって、当たった方がその場に留まる。
けれど、箱の角なら…当たった方がはじき返されて転がって行くのだ。
亜希に当たったのは、亜依だろうか。それとも私だろうか。
…案外、当たって来たのは亜希かも知れない。
それとも全てが同時に…なのだろうか。
神様の盤上も同じかもしれない。
なんて事が頭に浮かんだ。
神様の盤上で、人間も差異のないガラス玉なら、そこに在るのはどれでも良い。
私にも二人の記憶が残されていた。
それを私は誰にも言わなかっただけ。
だから、今ここに居る。
半身と親友だったはずの二人を亡くして。
…妹と友人二人の命が消えた世界に生きている。
ビー玉を眺めながら随分と待ったが、一華の帰る気配がしない。
これ以上待てないと思った時、玄関が開く音がして、両親でなければ良いな。なんて思いながら、鞄を手に下へ降りた。
一階のリビングに立っていたのは、ボロボロで所々煙の所為か黒く汚れ、手当された包帯だけが白い。
そんな姿の一華だった。
私はそこで『良かった、会えた』と喜んだ。
その喜びは、ただの『姉』に会えたと言う喜びではない。
『最後に対峙』出来たと言う喜びだ。
「あんた…誰」
彼女は降りてきた私を見上げ、目を見開いていた。
その奥に驚きと怒りが見えた。
「亜希じゃないわ…だって…」
テーブルについている彼女の手が、握りしめられて震えている。
悔しいのかしら、それとも悲しいのかしら。
そんな事を考えながら、彼女の隣まで何も言わずに歩いた。
「あんた誰よ!!」
いきなり胸倉を掴んでくる彼女の顔を、私はマジマジと見た。
汚れた顔に幾筋も涙の跡が残っていた。
「あんたね!?あんたの代わりに…亜希は…亜希は…殺され…」
胸倉を掴む手が、服を引っ張る所為で首が絞められる。
少し苦しいけれど、私は彼女の両手にそっと手を添えた。
「確かに…私の代わりにあの子は死んだわ…」
彼女の目が潤んで、顔が赤くなっていた。
それでも私は言う。
「体を殺したのは間島かも知れないけれど、精神を…あの子の心を殺したのは貴女よ」
そう、これが言いたかった。
亜希の姉である一華に、貴女が亜希をとっくの昔に殺していたの。と。
「貴女があの子をレイプした時に、あの子は死んでるの」
一華が怯んだのが分かったから、私は両手で彼女の手首を掴んだ。
逃がしはしない。
「生まれて来なければ、本当は良かったのに」
生前の亜希の口癖を彼女に伝える。
「ねぇ、貴女は知ってる?亜希が目を開けたまま瞬きもせずに、涙を流す事が有るのを」
一華に話す私は、どんな顔をしているのだろう。
「泣いて…叫んで…飛び起きる事を?」
あぁ、この人に通じれば良いんだけれど…。
「オレンジ色で過呼吸になる程、怯えて苦しんで謝り続ける事を?」
たじろぎ後退りする彼女を、私はぐっと引き寄せた。
逃がしはしない。
「離して…止めて…」
か弱い声が一華の口から漏れ出て、頭にカッと血が上った。
なんで、貴女が被害者の様に、弱い子の様な態度なの?
「ねぇ。止めてと言われて貴女は止めた?」
止めてない。止めていなかったのよ。貴女は。
亜希を傷だらけのボロボロにして…。
「…でも…追い打ちをかけたのは私達…」
あの地獄に放り込んだのは…私達。
「あなた達が…ヒビを入れて、割ったのは私達…」
そうだ。
私は、この人に亜希の死の…辛さを突き付けたかった。
けれど、同時に『妹を亡くした』同じ思いを…。
共感を欲していたのだ。
「さようなら…お姉ちゃん」
亜希と同じ声で、私は彼女に別れを告げる。
昔の亜依を思い浮かべ、亜希を思い浮かべ、その顔に似ている一華に向かって、微笑みを渡す。
手を離した彼女の腕と体は、床に落ちて行ったけれど、私はそれを置き去りに鞄を持ち、家を出た。
玄関を開けると、いつもの車が目の前に止まっている。
近所の主婦がこぞって見に来ていた。
その視線を受けながら、私が車に乗り込むと、運転手がいつもと違う事に気が付いた。
隣には昀が暗い顔で座っている。
亜希を殺しかけたヤツが、のうのうと生きていた。
「なぁ」
気安く声をかけないで欲しかった。
「亜依は…死んだのか?」
「そうね。良い様に使われて、良い様に殺されたのよ」
私の言葉に泣いている彼をみて、コイツは知らなかったんだな。なんて、同情心が芽生えた。
運転手の男がミラー越しにちらっと後ろを見たのを、私は気が付いた。
見た事のある顔だった。
「哥哥」
私の中で皓と言うハトコの兄は、一族…曾祖父に忠誠を誓った男だと思っていた。
だから、叔祖父が亜妃を認めた事で守ると思っていたのに…。
今回の件を止めずにいたと言う事は、叔祖父側でも無く直系よりなのかと、認識を改めていた。
「昀…泣くのは止しなさい。殺されるわよ」
目の前の哥哥から、反逆の意を伝えられたら…娘ではない昀は処分対象になる。
「哥哥は…大丈夫」
鼻水をズズッとすすると、昀は涙を拭った。
「哥哥は味方」だと。
「亜妃を見殺しにしたのに?」
「知らなかったんだ」
前から哥哥の、悔しさをにじませた声がする。
銃を持って行くのを止めた間島に違和感を感じて、ナイフを持たせたのは哥哥だった。
そのナイフが亜妃の命を奪う事になるとは、思いもせずに。
「でも、ナイフが無くても間島は殺すわ」
「そうだな」
車を路肩に止め、ハンドルに突っ伏している。
彼も彼で亜妃を愛していた。
私が共感を得られるのは、この二人だったかも知れない。
「どうするの?」
私の心は決まっている。
後は彼らだ。
「…お前の…親だが…復讐する」
「そう。昀、貴方は?」
「俺も…参加する」
同じ思いだった。
「でも、私は一族ごと潰すわよ?」
そうだ。これ以上、あの船を…あの地獄を放っては置けない。
罪なき子供達や女性、男性が食い物にされ続けるあの船を、潰したい。
地位や金がある者が、無い者を虐げ続けるあの場所。
叔祖父だけが作り上げた場所ではない。
お母様もお父様も、お爺様も分かっている上で、手を貸している筈だ。
なのに…私の代わりに亜希を送り、地獄を見せた。
「良いの?」
私の言葉に、二人が頷くのを見た。
今から、私達の『復讐』が始まる。
『復讐』を書いた後、その後を…悠衣側を書きたくて溜まらなくなり、蛇足になるかも知れないと思いながらも、書きました。
ただの心情の吐露です。
神様の盤上にあるガラス玉は傷付きボロボロになり、大切な何かが欠けました。
しかし、その周囲には優しく転がって来たガラス玉達が数を増やし、神の指先ではじかれたガラス玉から守るかの様に…集合体へと変貌し、欠けた部分にハマり合い、ある種の足枷の様にお互いを繋ぎ…。
今現在、時が停止した檻の中で幸せに、ボロボロのガラス玉は止まっています。
しかし、皆を通して見える秩序の崩壊。
神様からすれば何のことは無いモノでしょうが。
人の痛みに鈍感な世界に、物語の亜希の様に嘆き、無力さを痛感しています。
お互いを縛るガラス玉達が、消えていく事が無い様に自分は祈るしかありません。
だって、欠けたガラス玉の体が動ける間に枷が外れたなら…亜妃の様に「全て壊れろ」と嘆くかも知れません。
多くの命が消えても。
どうでも良いと思う彼女が、また彼女のような人が…。
現れないとは限らないのです。
これ以上、復讐の連鎖が続かない事を、切に祈っています。
(人種、国、戦争、性差、広がる貧困…当分無理そうですが…)




