〈番外編〉悪夢を解いて
和風の皇国も中華風の華夏も、実在した国家に似た部分もありますが、あくまでも異世界の国家ですので、ご了承ください。猫型妖精が国家元勲という国が現実世界には存在しないのと同じです。
聖騎士団本部の器楽練習室の隣りには、守護者のための休憩室がある。簡易的なキッチンが設置されていて、本格的な料理は無理だが、茶を淹れるための湯を沸かしたり、使った食器を洗ったりすることは出来る。
想いが通じ合って以来、メグは昼にリューとここで互いの手料理を持ち寄って食事を摂ることが増えた。ドアは開けてあるので、時々トミーとミッキー、ハワード卿とモリー、ドミニクとタレイアが差し入れ持参で様子を見に来ることもある。
「今日は茉莉花茶を淹れてみました」
馥郁たる花の香りの中で、リューがメグに微笑みかけた。
メグはふと、いつか見た夢を思い出した。
茉莉花に似た香りと可憐な花に惹かれて迂闊に京極葛に近付き、絡み付かれて囚われてしまう夢。
……あの、妄執に取り憑かれた京極中納言のように一方的に絡み付きながら、泣いて許しと愛を乞うてくる京極葛の声は、やはりリューの声だった、と。
メグは、自分が心の底では、リューのことをそういう人間だと思っていたのだろうかと、少し後ろめたい気持ちになった。
「どうかなさいましたか?」
リューにそう尋ねられたメグは、微笑んでごまかそうとしたのだが、そうはいかなかった。
「私には、メグさんがそうやって笑ってごまかそうとしても、すぐに分かるんですからね?」
リューに顔を覗き込まれて、メグは慌てた。その秀麗な顔を急に近付けられると顔と耳が熱くなるのだ。
「……リュー君、お顔が、近過ぎます」
メグがそう言うと、リューも真っ赤になって身を引いた。
「……すみません」
二人はそれぞれの椅子に座ってしばらく無言で茉莉花茶を飲んでいたが、やがて、メグは意を決して打ち明けることにした。
「……それは、夢の中の私が、メグさんに怖い思いをさせて申し訳ありませんでした」
メグの夢の話を聞いたリューが萎れた花のように俯いたので、メグは現実のリューは何も悪くないのだから、謝る必要はない、と首を振った。
「私が、勝手にそういう夢を見てしまっただけですから」
しかし、リューは少し思案顔だった。
「メグさんがそういう夢をご覧になったのには、理由があるからです。確かに、お休みになる前にご覧になった本の影響もあるのだとは思いますが、メグさんの夢の中の私がそうなってしまった理由には心当たりがあります。……メグさんは鋭くていらっしゃるから」
私もごまかさずにお話しますね、とリューは言った。
リューはアーケイディア単科大学で初めてメグに会った時から、ずっとメグのことが好きだ。それは嘘ではない。
しかしその恋心は、つい最近までは随分と子どもっぽいものだったと、今の彼は自覚していた。
「幼い子どもが、手の届かない所に何か綺麗な物を見つけて、あれがほしいと駄々をこねているような、そんな恋心だったんです。」
ただ、メグが自分に笑いかけ、話しかけてくれればそれだけで舞い上がっていた。メグが自分の気持ちに気付いて、好きになってくれないかとずっと思っていたし、なかなか気付いてもらえなくて焦れてもいた。
その一方でメグの気持ちや事情について、充分に深く考えているとは言えなかったのだ。
そんな時、リューはオシアンから助言を受けることになる。
「オシアン公が仰ったんです。『単なるのぼせ上がりではないのなら、自分をしっかり見つめ直してから、それを証明してご覧』と」
それからリューが自分の心や状況、そしてメグのことを見つめ直すのには何日もかかった。
「……その結果、これでは、いけないと思ったんです。貴女に対して、こんなお粗末な想いを向けるのは失礼だ、と。ですから私は、きちんと貴女のことを愛していると、胸を張って言えるようになりたい、と思うようになりました」
けれども、そうなりたいと思ってすぐに変われる訳ではない。だから、メグがリューの自分本位なところを無意識に感じ取って怖いと思い、悪夢を見たとしても仕方がないのだ、と。
リューは少し自分を厳しく見過ぎているのではないか、とメグは思った。自分を見直す前から、彼はメグのことを注意してよく見ていたと思う。もしそうでなかったら、メグは実の父母の言葉に縛られ、今も「姫御子」と「愛子」に分裂したままだったに違いない。
それに「これではいけない、改めてきちんと愛したい」と思ったのなら、きっと元から「のぼせ上がり」ではなくて、もう既に彼の中に愛の萌芽はあったのだ。
――そうだと分かっていたの。だからこそ、ずっと苦しかった。何も返せないのに、リュー君の側にいたいと思ってしまうから。もし、リュー君が本当にもっと自分本位だったら、私だってそんなふうに悩んだりしないもの。
「リュー君のせいばかりではないと思います。私も、とても臆病だったから」
メグは皇帝の娘として生まれたが、古来より皇帝の娘には、皇国の主神に仕える巫女として生きるか、仏門に入るか、主神の血を絶やさぬように皇族に嫁ぐか、政治の実権を握る者に権威を付与するお飾りの妻となるかの、いずれかの道しかなかった。皇国の歴史の中には、違う道を歩もうとして、自分か相手か、或いはその両方が悲惨な運命を辿った内親王も少なからずいるのだ。
「その上、私は自分が何者かさえ忘れてしまっていたから、尚更怖かったのです。でも今は、怖くないですよ。もし私たちに襲いかかって来る誰かがいたら、私だってリュー君と一緒に戦いますからね」
そう言って胸を張ったメグを見たリューは真っ赤になると、自分の前の茶碗や食器をさっと静かに脇に避け、徐ろにテーブルに突っ伏した。
「……今のは、いけません。完全に不意打ちです」
突っ伏したまま、リューは言った。今のメグはこれまでになく勇ましくて眩しくて、可愛いらしくて愛おしい、と。
「……ですから、こうでもしていないと、メグさんを抱きしめたくなってしまいます。結婚のお約束はしましたけれど、それなら尚のこと、節度を忘れる訳にはいきませんから……」
そう呟くように言うリューは、やはり、あの悪夢の中のリューとは違う。
それが嬉しくて、メグは鈴を転がすような声で笑った。
リューもメグと同じく料理は得意ですし、母親に習ってお茶を淹れる作法もきちんと身に付けています。リューの母親は深い教養を身に付けた、気品ある女性なのです。




