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第三話 「ヤポニアという国の病」

とある大国の大統領が、世界の人々を戦争に巻き込み、政治ゲームを続けている。


その全部の起点に「俺がディールしてやる」という一人相撲じみた思想があって、その煽りで日本のスーパーの棚は空になるかもしれない。


80年前の戦後統治による呪縛が、ガソリンスタンドの価格表示によって解けるとしたら——歴史の皮肉としてできすぎているが、十分ありえる話だ。


考える頭はある。動機が生まれた。あとは怒りが正しい方向に向かうかどうか。



本作はイラン戦争に関してのsonnet4.6と筆者とのやり取りの中でたどり着いた現代資本主義の本質と、それを超えていく新たな思想を、小説という媒体に落とし込んでみたものです。sonnet4.6と筆者の合作、初投稿ですので構えずに気楽に一読くださると幸いです。

転生から一ヶ月。

ガソリンスタンドの価格表示が、また変わっていた。

先月百七十二円だったレギュラーが、百八十五円になっていた。先週は百九十円になり、今日通りかかったら百九十七円になっていた。来週には二百円を超えるだろう。

スーパーで買い物をしていると、カゴに入れた洗剤の値段が先月より三十円上がっていることに気づいた。食用油も上がっていた。冷凍食品も上がっていた。電気代の請求書は、去年の同じ月と比べると一・四倍になっていた。

「なんでこんなに高いのかしら」

レジに並んでいた老婦人が独り言を言った。五郎は振り返りかけて、止めた。

説明できる。でも今はまだ、誰も聞く準備ができていない。


職場の上司、山田部長が言った。「アメリアが正しいに決まってる。イスラニアは核を持とうとしてたんだから。そういう危険な国は叩いておかないといけない」

「でも核合意を最初に壊したのはアメリアじゃないですか」と五郎が言うと、山田は眉をひそめた。

「そういう見方もあるかもしれないけど……まあアメリアが言うんだから、何か理由があるんじゃないか。同盟国だし」

五郎は何も言わなかった。

山田は悪い人間じゃない。むしろ善意の人間だ。ただ「アメリアが言うんだから正しい」という回路が、思考の前に動いている。その回路がどこから来たのかを、山田は知らない。知る機会もなかっただろう。


◆ ◆ ◆


その夜、五郎は歴史を調べた。

ヤポニアが戦争に負けた後の話だ。アメリアがヤポニアを占領した時代——GHKと呼ばれる組織が、ヤポニアの教育、メディア、法律、経済を再設計した。

不思議なのは、その設計が「強制」ではなく「解放」の形をしていたことだ。

戦前の軍国主義を否定すること。農地改革。財閥解体。女性参政権。これらは本当に良い変化だった。だから人々は素直に受け入れた。

しかしその「良い変化」とセットで、別のものも入り込んでいた。

アメリアへの依存を制度として固定する仕掛けだ。軍を持てない憲法。アメリア軍の駐留を「合意」の形にした安保条約。蝶鮮戦争の特需でアメリアと組めば豊かになると刷り込まれた経済の記憶。

五郎はノートに書いた。


「押しつけを解放に見せることで、自発的に依存させた。強制よりずっと巧妙な支配。八十年経っても抜けだせない理由は、外から壊す壁がないからだ。内側から信じているから」


さらに調べると、楼和三十一年——前世の五郎が幸子と結ばれた頃——の話が出てきた。

当時の鳩沢首相は、ロシニア連邦との間で平和条約を結ぼうとしていた。北の島々を返してもらう交渉だ。大筋で合意に近づいたとき、アメリアのガレスという国務長官が電話してきて言った。「もし独自に条約を結ぶなら、南の島を永久に占領し続ける」

アメリア政府からの脅迫を受けて、鳩沢は交渉を断念せざるを得なかった。

五郎はその記事を読んで、しばらく動けなかった。

楼和三十一年。自分が結婚した——他者を受け容れる喜びを知った——まさにその年だ。その年に、ヤポニアが隣国と和解するチャンスが潰された。アメリアからの一本の電話で。

あの「北の島々問題」が今もヤポニアとロシニアの間に横たわり続けているのは、ガレスの恫喝が原点だったのか。


翌日、チャンにその話をすると、チャンは静かに頷いた。

「それだけじゃないよ。マナカという首相が、アメリアの頭越しにシンワと国交を結んだことがあった。独自外交だ。その後、マナカは汚職事件で失脚した。偶然かもしれない。でも俺の国ではそれを偶然とは思っていない人が多い」

「証拠はあるの?」

「文書は一部出てきてる。全部ではないけどね。でもパターンとして繰り返されてる。ヤポニアがアメリアの外側で動こうとすると、必ず何かが起きる」

五郎は窓の外を見た。

港にタンカーが入ってくるところだった。中東から来た船だろうか。あの船が運んでくる石油が、この国を動かしている。その出発点が、今燃えている。

「チャン、ヤポニアはどうすればいいと思う?」

チャンは海の方に顔を向けて、しばらく考えてから答えた。

「インゴを見ろよ。インゴはどの陣営にも靡かない。アメリアとも付き合うし、ロシニアとも、シンワとも付き合う。怒られながらも、国益を最優先で動く。ヤポニアにそれができないのは、能力がないからじゃなくて、やっていいと思っていないからだと思う」

「怖いんじゃないか。自分で決めることが」

「そりゃそうだろ。八十年間、誰かに決めてもらってきた国が、突然自分で決めろと言われても——」

チャンは笑った。少し悲しそうな笑い声は、風の音と海鳥の鳴き声にかき消された。


◆ ◆ ◆


その週の金曜日、ニュースが流れた。

「ヤポニア共和国政府、アメリアとイスロンの軍事作戦『支持』を表明。ヤマモト首相、記者会見で『同盟国との連携を最重視する』と述べた」

五郎はテレビを見ながら、ため息をついた。

支持、か。

スペリアのサンチェ首相は基地の使用を拒否してトランペットに脅された。それでも曲げなかった。

ヤポニアのヤマモト首相は、訊かれる前に支持を表明した。

今後どちらが同盟国として「格上」と扱われるだろうか、五郎には分からない。ただひとつ、どちらが自国民に対して誠実かに関しては、五郎の中ではっきりした答えが出ていた。

翌朝、ガソリンスタンドの前を通ると、レギュラーが二百一円になっていた。

五郎はスマートフォンで写真を撮った。

いつか、これが証拠になる日が来ると思った。


この話はフィクションです。ヤポニアはヤポニアで、アメリアはアメリアです。イスラニアはイスラニアです。現実とは一切関係ありません。

ただ、ガソリンスタンドの価格だけは、現実と同じかもしれません。

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