ノン・寝取り
足早にギルドを出て、俺は途方に暮れていた。
「スキルなし、金もなし、知り合いもいない……始まる前に終わっちまった。ハードモード過ぎない?」
もしかして、前世でめちゃくちゃ悪いことをしたのか?
その償いのために、こんな地獄みたいな状況に?
「はぁ……考えてても仕方ないか。とりあえず仕事を探そう」
ゴミ拾いでもなんでも、とにかくがむしゃらに働くことにしよう。
そうして金を貯めて、現代知識で無双してやろう。
三日後。俺はぶっ倒れていた。
「…………め、……めひ…………」
この世界の奴らは、思ったより警戒心が強い。
冒険者登録もしてない――というよりも雑魚すぎてできないんだが――人間に回す仕事はないようで、皆一様にゴミを見るような目で見てくる。
最初の町人Aはなんだったんだよ。
この三日間、靴でも舐める勢いで仕事を探してきた俺だが、ついに限界を迎えてしまった。
街のはずれで力尽き、翌朝には死体の完成。
「……お、わっひ……ま……」
言葉も満足に喋れない。
この世界に来てから何度目の「終わっちまった」だろう。
まぁ、これで本当に終わりなんだ。
俺の器がせめて苦しませないようにと、空腹を感じさせなくしてくれる。
ありがたい。あとは目を閉じて眠るだけ。
……あ、逝ける感覚だ。
流れに身を任せる。
風に乗るように、地面に溶けていくように。
「――あ――――で――か?」
・
味噌汁だ。やっぱり味噌汁が良い。
俺は赤だし派だが白ももちろん美味い。
寿司は赤だしがいいな。
魚の油がくどくなってきた頃に味噌汁で流してもいいし、白身魚を食ってる途中に飲むのも最高だ。ペアリング的な。
……どうして味噌汁のことなんて考えているんだろう。
あぁ、匂いがするんだ。味噌汁の懐かしい匂いが――
「――――めひッ!?」
飛び起きた。
「………………」
視線を落とすと、俺にはまだ肉体があるようだった。
夜道で死んだはずだが。
遅れて、俺の身体を寒さから守ってくれているのが見慣れぬ服だということと、まだ空腹だということに気付く。
「あらあら、目を覚まされたんですね」
背後から女性の声がした。
野鳥のように澄み渡り、よく通る声だ。
「もしかして、あなたが俺を助けて――」
女性を視界に収めたとき、俺は言葉を失った。
「そうですよ。あなたが倒れているのを見つけて、私の家まで連れてきてしまいました。……どうされました?」
腰まで伸びる黒髪は、毛先まで一点の痛みもない。
上品な着物に、潰してなおデカすぎる胸。背も高い。
おっとりとした優しい顔つき。とてつもない美人である。
彼女はヒロインの一人――ナギだ。
「あっ……いや、その……空腹! 空腹で意識が遠くなって……」
「あらあら、そうでしたね。ごめんなさい、すぐ食べ物を持ってきますねぇ」
ナギはクスクスと笑いながら部屋を出ていく。
適当に口から吐いた言葉が功を奏した。
この時間で状況を整理しよう。
まず、俺を助けてくれたのがナギで、ここは彼女の家だろう。
部屋の広さといい家具の質といい、明らかに一般家庭のそれではない。
ミツキの領主はゴウラという男だが、ナギの家もそこそこデカい。
例えるなら王と貴族的な関係だ。
「……最後の最後で幸運を発揮したってわけか」
金持ち特有の余裕というやつだろう。
俺を発見したのが普通の町人だったら、間違いなく無視されていた。
身包みを剥がされて捨てられていてもおかしくない。
「――生きてますか? 良かった、遅れてしまったから心配で」
盆の上に料理を乗せてナギが戻ってくる。
それを俺が眠っていた布団の脇に置くと、彼女は手前に座った。
「どうぞ、食べてくださいね」
「……こ、こんなに……良いのか?」
「もちろんです。困った時はお互い様でしょう?」
「――ッ! あ、ありがとう……!」
白米に味噌汁、焼き魚、煮物。
この世界では珍しい食べ物だが、俺にとってこれ以上のご馳走はない。
箸を手に、料理へ伸ばす手が止まらない。
「あの、もしかしてこの辺りの出身なんですか?」
「……ひや、ほれは――俺は別の場所から来た」
口の中のものを急いで飲み込み、言い直す。
「ごめんなさい。今は食べたいですよね」
「俺の方こそ、みっともないところばかり見せて申し訳ない。これが使えるから驚いてるんだろ?」
箸を掲げて見せる。
この世界での俺は和の顔立ちではないから、疑問に思ったのだろう。
「俺の故郷は辺鄙な場所にあって、箸を使うんだよ」
「ふふ、それは珍しいですね」
いくぶん警戒心が解けたのか、ナギが笑顔を見せる頻度が上がる。
「どの辺りなんですか? いつか行ってみたいです」
「……俺の故郷は、その……」
「…………そういうことだったんですね。ごめんなさい、辛いことを聞いてしまって」
他の世界にあるから行きようがない、というのをどう説明しようか考えていたのだが、彼女は「俺の故郷は滅びた」と解釈したようだ。
ある意味ではそうなんだが、少し空気が重くなってしまう。
その静寂を切り裂いたのはナギの方だった。
「では、行くところがないんですか?」
「恥ずかしい話なんだけど、俺には冒険者の才能が全くないみたいでな。仕事を探そうとしてたんだけど……見ての通り行き倒れだ」
「……しばらくウチで面倒をみましょうか?」
「えっ?」
顔を上げると、ナギと目が合った。
彼女は俺のような見ず知らずの男にも心を痛めてくれるようで、言葉に嘘は無い。
「……いいのか?」
「大丈夫です。最近、ウチの使用人が何人か辞めてしまって……力仕事など、してくれると助かるのですが……」
「もちろん! 米俵でも薪割りでも何でもやるよ!」
「……ふふっ、おかしな人ですね。それでは、今日からよろしくお願いします。私の名前はナギ。あなたは――」
「俺は、ええと……」
なぜか、前世での名前が思い出せない。
すぐに自分の名前を考えなければ。
「俺は――リノンだ。よろしく、ナギさん」
「ナギで大丈夫ですよ、リノンさん」
そう言って微笑むナギに、俺はもう心を奪われていた。
これは恋ではない。
親切にする理由のない俺に、飯どころか仕事もくれた恩人に幸せになってほしいのだ。
本編での彼女の年齢は二十代、今はおそらく十八くらいだろう。
まだ猶予がある。彼女はジョンと心を通わせたあと――ゴウラに寝取られる事になる。
彼女だけは、彼女だけは絶対にそんな目に遭わせたくない。
俺が彼女をNTRから守ってみせる。
そして、ジョンでも誰でもいいが、彼女を幸せにしてくれる男とくっ付けてみせる。
これは決意だ。俺の役目だ。
だから俺は「ノン・寝取り」の意味を込めて「リノン」と名乗ることにした。
「……よろしく、ナギ」
俺が手を差し出すと、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
そして、そっと俺の手を握り返してくれる。
少しだけ冷たく、けれど柔らかい手だった。
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