聖女とダブルベッドで一夜を過ごしたが、何も起きなかった結果 ~翌日、悪徳金貸しと手を組んで事業拡大することになった~
マリーが俺にしがみついて離れない。
高い体温と微かなにおいに理性を試されながら、俺は夜の闇に紛れて宿へ戻った。
「あらまあ、若いと展開が早いね」
おかみさんは訳知り顔で鍵を一つ持ってくる。
マリー基準でのダブルベッドが用意された部屋らしい。
おかみさんはシロから金貨で支払いを受けて『ほくほく』顔だ。
「マリーさん。真面目な話があるので離れて……そのままでいいから聞いて下さい」
しがみつく力が強くなったので諦めて話を続ける。
「人間と犬獣人の間に子供ができるかどうか分かりますか」
マリーの顔を中心に朱がさして湯気めいた熱気が生じたのが回答だ。
多分できるんだろうなとは思っていてはいたが、これで確定だ。
俺個人に問題がなければ、だが。
「マリーさんが今妊娠した場合の神殿の反応も……答えなくて結構です」
一瞬で現実に引き戻された顔を見れば、だいたい状況は分かる。
これだけ強ければ限界まで酷使したいという神殿の意図も分かる。
俺の場合は『活躍を見たい気持ち』と『戦闘者以外の幸せも追求して欲しい気持ち』が衝突してるが。
「神殿のメンツを潰さずに退職する方法を考えましょう」
「あの、聖女に退職は……」
俺はマリーの言葉を否定しない。
しっかり聞いて、聞いていることを態度で示し、マリーの発言が終わったのを確信してから次の言葉を口にする。
「名目ではなく実際ですよ。地位はあるけどその地位にふさわしい行動をしていない奴なんていくらでもいるでしょう」
マリーが『さすがにそれはちょっと』という顔になり、犬尻尾にも少し警戒感が現れる。
うん。冷静になってくれて嬉しいぞ。
「ですが、圧倒的な業績をあげた聖女が『周囲から熱烈に望まれて仕方なく籍を残す』場合はどうでしょうか」
前世の話になるが、レジェンド選手が特別な扱いを受けるのは珍しくなかった。
そもそも産休や育休が存在しない職ってのがいかれてるんだ。
神殿には結婚禁止なんて規則はないんだがら、聖女にだけ負担を集中するのは『聖女を奴隷あつかい』してるってことだろう。
「それは……」
マリーが小首をかしげる。
こうしているとずんぶんと若く……見ようによっては幼くすら見える。
……老婆心が刺激されて、性欲とかそいう欲が一気に冷えた気がする。
「マリーさんに求愛した以上、俺はどんどん貢いでいきますよ。マリーさんの獲物であるドラゴンを狩るための装備とかね」
「親分、今そっちの話をするお?」
「どらごん!」
これまで大人しく聞いていたシロとクロが口をはさむ。
おかみさんは、厨房から漂う匂いから判断すると、精がつく夕食を作り始めているようだ
「はい! でも、わたくし、アリタさまから贈られた品を……」
マリーは『くーん』という幻聴が聞こえそうなほど落ち込んだ表情と雰囲気になる。
象の牙サイズのダイヤの原石のことだ。
女性としての特別な魅力と、戦士としての特別の戦力と、聖女としての特別な癒やしの力まで持つマリーとお近づきになる対価と思えば、格安とは言わんがあの程度安いぞ。
「よく考えてみると、マリーさんも仕事が落ち着かないと宝飾品を身につけたり飾る機会も少なそうですしね。機会ができるまでにもっと良いものを用意しますよ」
シロとクロに『調子の良いこと言ってる』という目で見られた気がする。
多少の大言壮語は許して欲しい。
「まあ、詳しい話は明日にしましょう。お互い疲れていて興奮もしています。こういうときに難しい話をしても余計こんがらがってしまいます」
「興奮……」
マリーの体温が再び上昇する。
俺にしがみつく力が強くなり、俺が着たままの鎧が異音とともに歪んでいる。
「父さん……」
シロが呆れた目で俺を見て、クロは既に興味を失い、つまみ食いのために厨房へ向かっている。
まともな避妊手段があればと、俺は内心歯を食いしばって血涙を流していた。
☆
翌朝。
シロやクロの『噛みつき』や『蹴り』ではなく、夜着越しの柔らかな肌の感触で俺は目覚めた。
「理性に乾杯」
自分でも何を言っているか分からないが、耐え抜いたのは現実だ。
宥めてあやして楽しませて、しかしそういうことはしなかった。
前世で覚えた知識と我慢がなければ危なかった。
「親分、朝だおー!」
「におい、つよっ」
ノックと同時にドアを開けて入って来たシロとクロが、部屋の中に入らずそのまま数歩後退する。
犬獣人の高性能な鼻には色々感じ取れているのかもしれない。
「ふわ……。アリタさま、おはようございます」
緊張感が抜けているマリーもいいもんだ。
優れた肉体の維持には心身の休息も重要だからな。
前世の知識でチートでもなんでもして力になってやらないと!
「親分。人間にも分かるほどにおいが強いから、せめて体を拭いて」
シロがちょっと冷たい。
クロは無言で首を上下に振っている。
嗅覚で犬獣人と競っても勝ち目はないので、俺は素直に従うことにした。
「マリーさん。顔を洗いにいきましょう」
「はい」
微笑むマリーにぴたりと張り付かれながら、顔や体を拭くための布を持って井戸へ向かう。
そろそろ、風呂が欲しいと思った。
☆
「行ってまいります!」
神殿に専用の建物まで用意されているはずのマリーが、元気な挨拶を残して出発する。
機嫌も気合いも見たことがないほど充実し、比喩でなく黄金に輝いてまぶしいほどだ。
「食べたねえ」
「食べましたね」
おかみさんと俺が呆然としている。
マリーは、おかみさんが気を利かしてたっぷり用意していたシチューとパンを瞬く間に平らげてしまった。
体型が変わらないように見えたのは、体格相応に胃が大きいだけでなく、腹筋が発達しているからかもしれない。
「くーん」
「あうぅ」
シロとクロが情けない顔をする。
マリーに朝食を奪われたわけではない。
食事中のマナーを厳しくマリーに指導されて精神的に疲労しているのだ。
「お前ら、マリーに対しては従順だな」
「序列が上だお」
「なんばーつー、きびしい」
「犬獣人の文化か」
郷に入っては郷に従えという。
俺の価値観で許容できるなら、積極的に文化に従った方がいいかもしれん。
「おかみさん。コレットさんは今日も神殿で泊まりですか」
「あんだけ仕事を押し付けたあんたがそれを言うかい。マリーさまのことはアリタ、あんたから話すんだよ」
「そりゃ話しますが、そんなに深刻な顔で言うことですか?」
コレットには指一本手を出していないからな。
報酬も相場より少し多く払っているし、食事もしっかりとらせているから最近は白髪というより銀髪だ。
理想的な取引関係だと思うんだが。
「おやぶん」
クロが『こいつマジか』という顔で俺を見上げる。
シロは、本当に珍しいことに大きくため息を吐いてから俺に進言する。
「親分とあたしたち以外は、親分が手を出したと思ってるお。親分がコレットさんから距離をとったら、コレットさんは遊ばれて捨てられた扱いだお」
その発想はなかった。
エリートであるコレットに不名誉な噂はかなりまずい。
俺もコレットには世話になってるんだ。
なんとかする必要があるが……。
「あの、お取り込みのようですが、今いいですか」
少しだけ聞き覚えのある声が聞こえた。
シロもクロも驚いていないということは、敵意は皆無ということなんだろう。
「あんたは、金貸しのところの。……モンスター狩りに転職するなら歓迎するぞ」
脂肪が薄く、筋肉で引き締まった体は、レベルアップ未経験のようだが前途有望だ。
対人戦から対モンスターに鍛え直すなら、俺がつきあってやってもいいしな。
「違います。旦那がアリタさんに商談があるそうで、アリタさんが会える時間を聞いて来いと。旦那から出向くそうです」
「そりゃ構わんが、俺は借金の予定はないぞ」
「なんでも、融資についての提案だそうで」
「ほう」
俺は口笛を吹きそうになった。
前世の知識を持っている俺よりも現代人みたいな提案をしてくるとはな。
「今からなら俺が行ってもいいぞ。シロとクロも一緒になるが」
シロとクロが真面目な表情をつくって俺の左右に並ぶ。
「アリタさん。犬獣人というのは、こんなに成長が早いので?」
金貸しからの使いは、焦りで表情をひきつらせた。
戦っているのを見ていないのにシロとクロの強さを見抜くとは、かなりの眼力だ。
ますます引き抜きたくなってきたな。
「シロとクロとマリーさんは凄まじい才能の持ち主だぞ。他は知らん」
マリーの名を出した瞬間、使いの顔が完全にひきつった。
しまったな。
つい癖で『聖女』ではなく『マリー』と言ってしまった。
「……案内します」
聞かなかったことにした男に誘導され、俺は金貸しの事務所へ向かった。
☆
「金貨二百枚を用意しました」
丁寧に重ねられた金貨の塔が二十。
ひとつにつき十枚だ。
「事業拡大に使ってください。冒険者ギルドが妨害に動く前に体勢を固めれば、アリタさんの商売は安泰になるはずだ」
こいつ、抜群に頭が良いな。
経営能力や機会を見抜く能力は、明らかに俺より上だろう。
俺が神殿の権威を背景に、ぶっ壊れたままの門周辺で行われている商売を主導しているのを見抜いているしな。
「融資より、あんた自身が事業として武器防具を提供する気はないか?」
俺はにやりと笑って返答する。
俺がパワーレベリングした奴に武器防具を貸し出し、その結果モンスターの討伐数は増え、そこからの儲けの一部が金貸しの懐へ入るってやり方だ。
「当事者になれと?」
金貸しは、表情を変えずに眉を動かす。
冒険者ギルドから敵視されることのリスクを考えているのかもしれない。
「このまま拡大すれば俺ひとりじゃ管理しきれなくなるし、神殿も冒険者ギルドに似た組織の運営ノウハウなんてないだろう。儲けるチャンスだと思うぜ」
「簡単に言ってくれる。冒険者ギルド単独でも大きな勢力だが、冒険者ギルドと取り引きのあるギルドも動けばひどい展開になりかねん」
「神殿でも貴族でもない俺たちが儲けようとしたら、その程度のリスクは飲み込むしかないだろ。で、どうだ」
金貸しは無表情のまま考え込む。
そして、たっぷり数分考えてから決断を下した。
「借金が焦げ付きそうな職人どもに協力させる。私が表に出るのはなしだ」
「表に出ないなら儲けは『それなり』だぜ」
「私はあんたほど頑丈じゃない。明日中に武器防具の提供を開始させる」
双方合図もしていないのに、極自然に握手をする。
コボルトどもの大将として多くの金と情報とコネを得ることになるはずシロとクロは、自分たちの未来をまだ想像できていなかった。




