格上の熊を素手で絞め殺して戻ったら
城塞都市の門には夜でも篝火がたかれ、重武装の兵士が閉じられた門を守っている。
都市の住民にとっては頼りになる存在なんだろうが、槍をつきつけられている俺にとっては厳しい相手だ。
「止まれ!」
「はい」
俺の両腕は疲労で感覚がなくなっている。
腕力や耐久力が強化されても、台車も背負子もなしで引きずって歩くには、アイアンベアの死体は大きく重すぎた。
レベルアップ直後はテンションがおかしかったな、うん。
「何を引きずって……これはっ!」
「熊、いやアイアンベア? 冒険者一人で倒せる相手じゃないぞ!」
兵士が騒ぎ出す。
銀札の上の近札冒険者なら普通に勝てるはずだぞ。
いわゆる英雄か英雄候補しかなれない階級だから、前世を思い出す前の俺も見たことがないがな。
「倒すまではよかったんですが、討伐証明部位を切り取れなかったんですよ」
これが何かの策なら格好がついたんだろうが、全部本当の話だ。
剣も、先端がちょっと欠けたナイフも、アイアンベアの剛毛に全く刃が立たなかった。
「本当か?」
「ひょっとして、お前、アリタか?」
俺の顔を知っているらしい兵士が、警戒から侮蔑の表情に変わる。
都市といっても物理的には広くない。
昨日以前の俺を知っているのだろう。
「アイアンベアの死体を盗んだのか」
「おいよせ。お前の知っているアリタがどんな奴かは知らないが、この冒険者は本物だ」
もうひとりの兵士が厳しく制止する。
俺に向けられたままの槍が、緊張で微かに震えている。
「けどよ、アリタってのは」
「馬鹿野郎! 夜の森からここまで無傷で来れるって時点で金札級だろうが! この辺境で! モンスターを狩れる本物の冒険者にケチをつけて無事で済むと思っているのか!」
冷たい夜に、裂帛の気合いじみた言葉が響く。
城塞都市の中に入れず、兵士の目の届く距離で仮眠をとっていた難民たちが、音量というより切迫感に反応して目を覚ます。
俺の思考に、隙間風じみた冷たい予想が吹き込む。
借金返済に失敗すれば、俺も難民かそれ以下の立場になる。
レベルアップに浮かれるなんて、俺はガキかよ。
「熱心に仕事をされている兵士さん方を悪く思うなんてしませんよ」
笑顔を兵士へ向ける。
ただし、舐めたら殺すと目に力を込める。
俺を舐めていた兵士が怯えて、槍の穂先が地面を叩いた。
「お疲れのようで」
礼儀正しく皮肉を言う。
当たっても傷にならないのが分かっているから気楽なものだ。
だが気楽なのが悪かった。
起きてから休みなく動いていたので、疲れが一気に来た。
「火に当たらせてもらっていいですかね?」
「構わん」
兵士の許可を得て、俺はアイアンベアを引きずり篝火へ近付く。
アイアンベアを狙っていたのかどうかは分からないが、いつの間にか近付いていた難民が逃げていった。
「明日は我が身か」
「同情するなとは言わん。施すな。つきまとわれるぞ」
兵士の発言は、難民に対する悪意ゆえの発言ではないはずだ。
厳しくも苦々しい表情で、兵士は実用一辺倒の槍を待機状態にしている。
「ご助言感謝します」
できればアイアンベアを見張って欲しいが、そこまで期待するのは無茶ってもんだ。
俺が無双小説の主人公なら、難民を雇ってうまいことできたのかね?
「んなっ」
そんなことをどうでもいい考えは一瞬で吹き飛んだ。
篝火が微かに照らす難民たちの、最も篝火から近い場所に、子供にしか見えない人影を二つも見つけたからだ。
善人とはとても言えない俺でも、児童が危険に晒されるのだけは許容できない。
その一線を踏み越えれば、後は堕ちるところまで堕ちる。
俺は本質は乱暴者の考えなしなんだ。
「よせ。獣人の子だ。施したのがバレるとまずいことになるもしれんぞ」
だがそんな俺を、兵士の冷静な声が押し止めた。
小声で、俺にだけ聞こえるよう言ったのは俺に対する気遣いだろう。
俺の前世の良心と、なんとなくしか思い出せない今世の常識が衝突して、すっかり眠気が覚めてしまった。
「文化とか宗教とかで?」
「俺は何も言っていない」
それだけ言って口を固く閉ざした兵士に、俺は本心からの感謝を込めて頭を下げた。
まあ、それはそれ、これはこれだ。
レベルアップで強化された俺の目が、離れているのに篝火の光を反射している目を捉えている。
ポケットから干し肉を取り出す。
これが最後の携帯食料で、俺の汗を吸って酷い臭いになっている。
それなのに、獣人の子の耳が……あれは犬耳か? とにかく耳がぴくりと動いた。
「都市の外で、一時的に、臨時雇いです!」
俺に話していた兵士だけでなく、他の兵士も露骨に目を逸らして聞いていないふりをした。
いけそうだな。
「そこのちっこいの。俺の言葉が分かるなら右手をあげろ。……お前らには言ってない」
俺の干し肉に気付いた難民が近づこうとしたので追い払う。
遠くにいる推定犬耳児童は、おそるおそる、ふたりそろってひっそりと手をあげた。
「一晩それの見張りをするならメシをやる。前払いだ」
干し肉を引きちぎ……ろうとしたが切れないので、先端が欠けたナイフで真っ二つにする。
一応食えるか?
腹は壊さない、と思うんだが。
推定犬耳児童が、よたよたと近付いてくる。
篝火が、ほこりと泥が張り付いた、やせ細った顔を浮かび上がらせる。
「今すぐ食え」
手渡しではなく、唇に当てる。
犬耳のガキたちは無意識の動作で口を開き、無意識のまま干し肉に食らいついた。
「おい!」
兵士が槍をガキへ向ける。
俺の指を食いちぎろうとしたとでも思ったか?
今回のは相手の食欲を見誤った俺の失敗だし、俺の指よりガキどもの歯が折れないか心配だ。
「俺の指はメシじゃないぞ。ったく」
うっかり爪でひっかくと舌を引きちぎりそうな気がしたので、慎重にガキどもの口から両方の指を引き抜く。
色気のある美女相手なら、こういうのも楽しいのかね。
「ここまで何かが近付いたら俺を起こせ。いいな?」
アイアンベアを囲む形で地面に円を描いてから、俺はガキどもに命令する。
「あい!」
「あう!」
人間の言葉を喋れないのか喋る気がないのかは分からないが、ガキどもは残った体力を振り絞るようにして返事をした。
汚れきった灰色の犬耳と黒い犬耳が、緊張してぴんと立っている。
「それじゃ俺は寝ますんで」
兵士に挨拶してから毛布を地面に敷いて寝転がる。
眠りに落ちるまで、秒もかからなかった。
☆
目覚めは突然だった。
俺の顔に何かが触れた瞬間、意識がまだ覚醒しきっていないまま手で跳ね除けながら鞘から剣を抜く。
気付いたときには、びっくり顔のガキの顔に剣先を突きつけてしまっていた。
「っと危ない」
焦った。
アイアンベアの奇襲を受けたときよりよほど怖かったぞ!
まだ弱い朝日を浴びながら、俺はうっかり斬ってしまわないよう慎重に剣を引いて鞘に収める。
「アイアンベアは無事か。よし、これで契約完了だ。これで俺とお前らは無関係。いいな?」
灰犬耳と黒犬耳が、何を考えているか分からない表情でこくりと頷いた。
「じゃあな」
アイアンベアを引きずり、火が消えかかった篝火の横を通り、門が開いたばかりの都市へ向かう。
俺とアイアンベアに気付いた街の人間が騒ぐが、俺の頭には、俺に助けを求めることもできないふたりの姿が繰り返し再生される。
嫌なもんだ。
レベルアップを繰り返せば、俺は好きに人助けできるんだろうか。
「アリタさん! 何考えているんです! 討伐証明部位だけ持ってきてください!」
冒険者ギルドで俺を出迎えたのは、愛想のない受付嬢の金切り声だ。
実力を証明した後でもこの扱いってことは、昨日以前の俺は予想以上に酷い奴だったのかもしれない。
「そんな規則はあったか? いいから依頼報酬をくれよ」
わざと荒っぽく言う。
拳も刃物も使う気はないが、職権乱用に対してはそれ以外のあらゆる手段をとるつもりなことを暗に伝える。
「モンスターの死体処理にもお金がかかるんです! 処理費用を報酬から引きますよ!」
「おやあ? 熊の内臓には加工して良い薬になるのもあったと聞いた覚えがあるんだがなあ」
熊の胆嚢のことだ。
アイアンベアがそもそも熊なのかどうか、俺が引きずってきたベアの胆嚢が無事かどうかも分からない。
ただ、受付嬢がいきなり表情を消したのを見る限りでは、似たようなものはあるらしい。
「俺は討伐依頼の完了が認められて報酬が支払われたらそれでいいんだ」
さんざん渋られたが、小さな金貨が一枚と、やや大きな銀貨が三枚が支払われた。
確かこれが相場のはず。
もっと記憶を思い出すべきかとも思うが、昨日までの人格に戻ると今度こそ破滅しそうだからな……。
「ようアリタ! また下手な剣を振ってるのかよ!」
ひときわデカイ体の戦士が、俺を見下ろす位置から大声をかけてくる。
親しみが一割、マウント取りが九割ってとこか。
「アイアンベアに剣は通用しなかったな。剣は」
俺はアイアンベアを一人で仕留めた。
お前はどうだ。
できるのか?
「……てめぇ」
背中にかついでいた馬鹿でかい斧を構えようとする。
やる気か?
勘になるが、一対一なら勝てはするだろうが無傷は難しいかもしれない。
「ったく、あんたと違ってこっちは貧乏人なんだ。いい武器使ってるな、えぇ!?」
俺の本音だ。
戦闘用の斧は、良質の金属が大量に必要だ。
少なくとも装備の面では、この大男は俺より上だ。
「あぁ?」
戸惑ってるな。
実力では俺が勝ってる。
装備でマウントを取らせてやってるのが分からないらしい。
「こっちは稼いだ分だけツケの支払いに消えてんだよ」
人間を殺してレベルアップするかどうかは知らない。
だが、人殺しとモンスター殺しでは社会的地位はまったく違う。
「悪いが急いでるんだ。じゃあな」
真新しい依頼表を一枚とって受付に向かう。
今度は牛みたいにでかいビッグボアだ。
これの報酬で、借金は利子つけて全額返す。
レベルアップも生活をまともにするのも、それからだ。
「お、おいっ」
俺を止めようとする大男を無視して、俺は冒険者ギルドを出て外へ繋がる門を目指し、たんだが。
「きゅーん」
聞き覚えのある鳴き声に、俺の足が勝手に止まった。




