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文字の練習と、窒息させる猪狩り

「前払いで銀貨五枚か」


依頼票を声を出して読んでいるのには理由がある。

俺は、この世界の言葉を前世の言語として理解している。

どうして理解できているか分からず、死ぬまで続くのか明日理解できなくなるのかも分からない。

だから、理解できているうちにこの世界の言葉をこの世界の言葉として理解できるよう努力しているわけだ。


「おいおい、依頼票を読むのに苦労してるのかよ!」


バトルアックスの冒険者が俺にからんでくる。

他人の揉め事を期待した他の冒険者がこっちを見てくる。

受付嬢は知らん顔だ。


なお、こいつに対する俺の好感度は高い。

他人を威圧するなら複数で囲んで、喧嘩や殺しになっても確実に勝てる状況で話をするのが基本だ。

なのにこいつは常に一対一だ。

馬鹿な乱暴者だが卑怯者ではない。


「ああ。違約金が金貨三枚。でかい足跡の目撃情報。どれも小さな字で分かりにくく書かれている」


高確率で大型モンスターの討伐依頼だ。

俺でも勝てない。

俺の絞め技も関節技も、大きすぎる相手には通用しないからだ。


「……うげ」


バトルアックスの冒険者は理解するのに数秒かかった。


「ひでぇ罠依頼じゃねーか!」


「声が大きい。受付嬢が睨んでるぞ」


まだ騒いでるバトルアックス男を放置し、俺は冒険者ギルドから抜け出す。

空は晴れていて、休みにするには惜しい一日に思えた。



  ☆



宿に戻ると、犬耳と犬尻尾がしおれていた。


「くぅん」


「あぅ」


シロとクロが、生気のない目でペンを握っている。

ペンといっても木の棒の先を尖らせただけのものだ。

コレットが書いた見本を左手で持って、右手でペンを動かして宿の中庭(洗濯物を干すための空間)の地面に延々文字を書き続けている。

紙はないし、羊皮紙は高いし、黒板などの便利アイテムを作る知識もコネも俺にはないので文字の練習はこうなるのだ。


「自分の名前は書けるようにならないとな。おいクロ、雑に書くな」


クロが判別不能な何かを書いていたので書き直させる。


「うー、あう!」


クロが涙目で抗議する。

何を言っているかは分からない。

文字なんか書けなくても戦えると主張しているのは、なんとなく分かる。


「仕事の半分は事前準備で残りの半分は戦闘後の換金だ。文字を覚えられないならずっと下っ端だぞ」


「あう! あう!」


クロが、妙に自信がある顔で言った。


「それでもいいだと? なら、シロが新入りの面倒を見るようになってもクロは下っ端のままだな」


俺だって事業拡大も考えている。

他人を使って不労所得というのは憧れだぜ。


「あいっ!?」


かろうじてシロと読める字を書いていたシロが驚愕する。

そして、俺にすがりついて「わうわう」鳴き始めた。

つられてクロも俺の足にしがみついて「くーんくーん」と鳴き始める。

新入りが入って来て群れの序列が脅かされる、とでも思ってるのかね?


「アリタさんお帰りなさ……えっと、何をされているのでしょうか」


俺とシロとクロの様子に気付いたコレットが、怯えたように後退りする。


「俺が知りたい」


「昼飯ができたよー! 騒いでないで食いにきな!」


おかみさんが大声で呼ぶまで、騒動は収まらなかった。



  ☆



「なるほどねえ」


麦粥の椀を配り終わったおかみさんが、自身の席について大きく息を吐いた。


「そりゃアリタが悪いよ。シロちゃんやクロちゃんをどう育ててどういう立場につけるか、これまで口で言って伝えたかい? 血の繋がりもないんだ。不安に思うのは当たり前さ」


いつの間にか呼び捨てになってるな。


「そんなもんですかね」


シロとクロを見る。

少し前まで騒いでいたのが嘘のように、洗面器じみた大きさの椀に顔をつけるようにして麦粥を食っている。


「あの」


コレットがおずおずと挙手する。

コレットの前にあるのは、シロとクロほどではないが大きな深皿だ。

麦だけでなく、モンスター肉の切り身や野菜くずが大量に入っていて湯気があがっている。


「なんだい、少なかったかい?」


「お、多すぎます。孤児院の一日分より多いです……」


「文句はアリタに言いな。ガキには腹いっぱい食べさせろって金払った奴が言ったら、あたしゃ言う通りにするだけさ」


おかみさんが食べているのは、コレットと同程度の量だ。

別におかみさんの食費を出しているわけじゃないんだが、まあ、シロとクロが獣人であることに目をつむってもらっているんだから、こっちも少々なら我慢するさ。


「あい!」


「あう!」


シロとクロが顔をあげ、口元をべったり汚したまま元気に催促した。


「はいはい、おかわりね。たんと食いな」


おかみさんは実に手際よく空の食器に麦粥を補充する。

再び食べ始めたシロとクロの食べる速度は変わらない。


「しかしアリタ。あんたたまにお上品になるね」


「そうですか? 言葉遣いは気をつけていますがね」


「そうじゃなくて、スプーンの使い方や姿勢とかだよ。お貴族様の妾の子だったりするのかい?」


俺は頭が痛くなった。

前世に目覚める前の記憶は相変わらず雑なままだが、貴族教育を一切受けていないのは間違いない。

もし上品だとしたら、それは前世で受けた教育や躾の結果だろう。


「おかみさん、そういうのは思っても口に出さないものだと思いますがね」


おかみさんは肩をすくめて食事に戻る。

シロとクロは食べる速度が徐々に落ち、コレットは一口も残すものかと、ときどき俺の様子というより食べ方を見ながら食べ続けている。

いいぞ、もっと食え。

美容を気にするのは肌や髪の色艶が良くなってからでいい。


「一応、今後の長期的予定も話しておくがな」


俺は肉体的全盛期をすぎる頃まで前に出て戦って、レベル上げと金稼ぎに集中する。

シロやクロが人間社会で冒険者になれるなら、銀札やそれ以上になったシロやクロを現場監督にして俺は社長業……クラン長業か?

とにかく、現場仕事から経営に軸足を移す。


俺がそこまで説明すると、コレットは驚きに目を見張り、おかみさんは聞き流し、シロとクロは腹を物理的に大きくしてうとうとし始める。

おい、お前らの今後の予定だぞ。


「シロとクロがどの程度成長するかと、街の中で、犬獣人がどういう職を許されるかで予定は変わる」


シロとクロが正規の冒険者になれないなら街の外で開拓したっていい。

この世界において、人類は霊長とはとてもいえない。

他種族やモンスターがデカイ顔をする地域で、親人類勢力ってツラをして城塞都市から支援を引き出しながら勢力を広げるって手もある。


「どういう展開になっても、シロとクロには最低限読み書きできるようになってもらわないと事業拡大なんて不可能だ。情報伝達に時間がかかりすぎるからな」


俺は長い説明を、そう言ってまとめた。

コレットは無学な冒険者ではなく教育を受けた人間を見る目になっているし、おかみさんは空になった皿を回収して厨房へ移動している。

シロとクロは、椅子に座ったまま完全に寝ていた。


「寝るなら部屋に戻って寝ろ。夕方になる前に狩り行くから、起きないなら叩き起こすからな」


俺はシロとクロを両脇に抱える。

犬耳は復活し、尻尾は機嫌良さげに振られて俺の尻に当たっている。

俺は息を吐いて、コレットを見た。


「シロとクロの勉強を見てくださってありがとうございます。確か今日の午後は金貸しのところで仕事ですよね? 護衛は必要ですか?」


「あ、大丈夫です。皆さんよくしてくださっていますし」


嘘とは思わない。

あの金貸しが、神殿の傘下にあるコレットを食い物にしようとするほどの馬鹿とは思えないからだ。


「じゃあ、金貸しの事務所の前まで着いていくってのはどうでしょうか。帰りは金貸しのところの護衛に送ってもらってください。……町中でも油断は駄目ですよ」


「はい……」


コレットは相変わらず流されやすい。

経験を積めば度胸もついて流されにくくなると思うんだが、それまで無事でいられるかね?

俺はシロとクロをベッドに転がして、大きくなったままの腹に毛布をかける。

そして、身支度を終えたコレットの護衛として、午後の街を歩くのだった。



  ☆



それから数時間後、俺たちは街の外へ狩りへ出た。

シロの腹は減っ込み、全力疾走しても口から逆流はしない。


「あい!」


シロは、モンスターではない野生の猪の脇を駆け抜ける。

ついでに攻撃しようなんてするなと口酸っぱく言った甲斐はあり、シロは振り返る猪を置き去りにして走り続ける。


「クロ!」


「あう!」


クロが回していた投石紐から石が発射される。

相変わらず狙いは雑だが威力はなかなかだ。

猪の足元の土を砕いて土煙を生じさせる。


「シロは周辺警戒! クロはあれ持って来い!」


俺は返事を待たずに猪へ襲いかかる。

加速中の猪に追いつくのも跳ね飛ばされずに組み付くのも高難度だが、シロとクロに注意を向けて俺に無警戒になったなら話は別だ。


「よそ見していてはなあ!」


毛の臭さを無視して両腕で組み付く。

毛の中に住んでいる虫が不快だが、その程度で俺のやる気は衰えない。


「おらっ」


全身を使って締め上げる。

猪の成獣の骨を折るような力は、俺にはない。

それでも、喉を締め上げて口を大きく開けさせる程度の力ならある。


「あうっ!」


そこへクロが汚れたボロキレを突っ込む。

俺の装備の手入れに使われたボロキレは自然のものとは異なる異臭を放ち、しかも中途半端に固くて猪の口へ押し込まれたまま抜けなくなる。


当然鼻呼吸をするよな。

そこに俺の指を突っ込む。

爪で鼻の粘膜がえぐれ、流れた血が俺の指で止まって鼻呼吸を邪魔する。


モンスターですらない猪が暴れても、俺の指は外れない。

酸欠で絶命し、体から完全に力が抜けるまで、俺は臭いと虫に耐えて待つ。


「ったく、ただの害獣相手にこの騒ぎとはな」


猪の死体を地面に横たえる。

引き取り予定価格は、運ぶ際に痛んだ状態で銀貨二枚。

ガキ共も戦闘訓練の教材にはなったが、俺が半日かけて仕留める相手としては安すぎる。


「肉は売らずにおかみさんに調理してもらうぞ」


「わおーん!」


「あおーん!」


歓喜の遠吠えをするガキ共を見ながら、俺は明日はなんとかしてモンスターを探して儲けようと決心していた。

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