わがままと切り捨てられたので、あなたの体質なんてもう配慮しません。
フリーデは頼みごとがあるからと呼び出されたのに、彼がぷかぷかと煙草を吸っているのを見てとても硬い表情をしていた。
応接室には、煙草の煙が充満している。
フリーデは布地が多くフリルの装飾もある私服のドレスに匂いがしみ込んでいっているような錯覚を覚える。
「っ……」
「だからお前には、森の中の魔力の強さや魔獣がどのくらいいるかを探知してもらいたい」
しかしフリーデがそんなふうに思って我慢ならないと思っていることを彼はまったく気が付いていないらしく言葉を続ける。
「お前の使う魔獣の中にはそういうことが得意なのがいるだろう? それで少し恩を売ってやればいい、そうすればあいつらも少しは融通を利かせるだろう。わかったか?」
問いかけてくるダミアンにフリーデはやっと話が終わったと小さくため息をついて、そしてすぐに切り返した。
「わかったか、ではなく煙草! やめてください!」
「は?」
「だから以前から言っているじゃないですか。ダメなんですって、どうして何度も説明しているのに私の前で吸うんですか」
勢いよくフリーデは言った。
すでに怒り心頭で、ダミアンにはまず手に持っているそれを消してほしくて睨みつける。
しかし彼はフリーデの言葉に、少し思案顔になってゆっくりと煙草を深く吸い込んだ。
ジリッと燃えるような音がして、先の火がジワリと燃え上がる。
そうして、顔も逸らさずフリーデにフゥーとはきかけた。
「!!」
「そんなわがままを、どうして俺がきいてやる必要がある」
「なんでこんなことするんですかっ」
煙をぱたぱたと払って、フリーデは彼を非難する。
フリーデのその必死な様子にまた彼はさらに煙を吹きかけつつ言った。
「自分が子供で吸えないからって他人にそんなふうに強制していいと思うなよ。それに騎士団にいる連中なんて吸っていない人間の方が珍しい」
「っ、ゴホっ」
「それに吸えない連中は自分たちが少数派だと理解してわきまえる。一服して話をして嗜好品のことで盛り上がるのは大人のたしなみだ」
正論を突きつけて、如何に自分が正しいかを語る。
「なのにお前は社交界に出ても全員に私の前で煙草は吸わないで欲しいというのか? そんなことをしていては誰もお前に近寄らないだろ。そんなこともわからない子供で、嗜好品の味も良さも知らない癖に、大人の領分に口出しするなってんだ」
そうしてイラついたダミアンは短くなった煙草を灰皿で消し潰して新しいものにすぐに火をつける。
なんだかその様子はたしなみで煙草を吸っているというふうには見えない神経質さをはらんでいたが、そんなことは今フリーデが気にすることではない。
大人の領分だということももちろんわかっているし、フリーデだって誰にでもこんなことを言っているわけではない。
それはダミアンだからであり、婚約者だからであり、同時に彼がフリーデの持つ力を信頼して仕事を頼むという側面も持っているからこそ言っている。
プロとして、主張をしているのだ。
「それは、そうかもしれませんが。機嫌が悪くなったり、嫌がる子たちがいるんです」
「……」
「私の魔獣たちを知っているでしょう。賢くて魔法よりも小さな芸が得意なんです、届け物をするとか、合図を送るのとか、それにあと魔獣の索敵も」
何度も口にした説明をフリーデはまた丁寧に話をする。
理解してもらえないこともたしかに多い。でも、彼だって騎士団に勤めていて矜持を持っている。
そういう些細なことにも気を遣う理由はわかってもらえるはずだとフリーデは思っていた。
「だからこそ繊細な仕事が要求されます。そんなときに強い匂いのものが近くにあったりしたら結果が狂う。今はそうではなくても常日頃からベストを尽くせるようにあの子たちの最大限の力を━━━━」
「あー、ハイハイ。もういい、わかったわかった」
「わ、わかっていないじゃないですか……」
「わかってるさ、言い訳だろ」
ある程度、聞いたところでダミアンは面倒くさがってフリーデの言葉を遮った。
そして言い訳だと決めつける。
「お前はわがままを通したいだけだ。自分が気にくわないことを一生懸命に主張してる子供と一緒だろ。なんでそんなのを真面目に聞いてやらなきゃいけない」
「だから━━━━」
「畜生がそんな繊細なわけないだろ。畜生のくせに人間様の嗜好品に文句つけるってのか?」
「っ……」
「ほら、黙った。どうせ嘘を言っていたんだろ。とにかく、当日はそれなりにやってくれればいい、そんな神経質にならずにな。ただの仕事なんだから」
そう言って彼は深く煙を吸い込む。
その様子にフリーデは返す言葉が見つからなくて黙り込んだ。
まさかそんなふうに言われるとは思っていなくて、きちんと聞いてもらえれば理解してもらえると思っていた。
それに今回はフリーデの力を使った仕事の依頼だ。まだ魔法学園所属の身ではあるがそれでも彼はこういうことをたまに言う。
だからこそ彼はフリーデの有用性を理解してお互いに仕事人としてわかりあえると思っていたのに、彼は認めてなどくれない。
「当日は遅れずに来てくれ、一応相手はあのランマース辺境伯家だ。下手を打てば、また煙草の価格が上がりかねない」
そう釘を刺して、ダミアンは最後に深く深く煙を吸い込んでから、ハァーとものすごい量の煙を吐き出して、席を立つ。
加えて仕事上の関係だけではなく、二人は婚約者だ。
だから特別に彼の無茶ぶりに答えているし、フリーデだって彼のために気を使っていることがある。
大人の領分だとしても、口出しされるのが嫌な分野でも、相手が困ることをしないようにしたいと考えるのは、婚約者には当たり前のことではないのか。
「帰っていいぞ。愛しのペットたちにわがままを聞いてもらえなかったんだって話して慰めてもらえよ」
そう彼は半笑いで言った。
その顔は心底馬鹿にしている様子で、フリーデは思った。
……もうダメです。もう我慢なりません。この人は私のことなどまったくもって考えてない。
そう思うと、彼に言葉を尽くそうという気持ちは消えて「わかりました」と短く言ってフリーデは早々に屋敷に戻ったのだった。
自室に戻る前に入浴してどうにかして匂いを消したがどこから感じているのか、部屋のソファーでくつろいでいた猫の魔獣の二匹はぱっと顔をあげる。
そして「シャー」と控えめに威嚇した。
一方犬の魔獣は尻尾を揺らしながら軽快に近づいて生きて、口を開けてフリーデのことを見上げている。
「ただいま帰りました。くさいですよね、すみません」
「ワンッ」
返事をするように吠える犬の魔獣ブラウンの頭をなでながら、耳を伏せている猫の魔獣キャリコとタビーの元へと向かう。
やっぱり機嫌が悪そうな二匹にフリーデは困りつつも杖を差し出してそれぞれに魔力を与えていく。
小さく唸りながら魔力を受け入れるその様子に申し訳なく思いながら、今日受けた依頼の話を切り出した。
「あのね、ところでまた仕事が入ったんですけど、キャリコとタビーに一緒に行ってもらおうと思っています」
「ミーオ」
「ンミャ」
「ワンッ」
「ブラウンはお留守番です」
不服そうにしながらも返事をする彼らに、混じってブラウンも声をあげた。
当たり前に一緒に行く気らしいが、今回ばかりは二匹にお願いしたいのだ。
仕事的にも適任であるしなにより、もう彼に気を使ってやるつもりはない。
あの人がそういうつもりならばフリーデにもフリーデの領分がある。そういう話である。
当日、フリーデはキャリコとタビーをそれぞれケージに入れて迎えに来たダミアンと向き合った。
彼はそれを見てあからさまに嫌そうな顔をした。
「もう春めいてきていることですし、旅路は危険ですから私たちの馬車に同乗させます。構いませんね」
開口一番フリーデが宣言すると彼は、口をへの字に曲げて眉間にしわを寄せる。
「別に俺もいるし大丈夫だろう」
「いいえ、仕事は出発する時から始まっています。もしなにかあって二匹が失われるようなことがあれば仕事に取りかかれません。わかっていただけますね」
「……いつもは犬を連れてくるじゃないかどうして、今回に限って……」
ぶつぶつとつぶやく彼を無視して馬車に乗り込む。
もちろんフリーデはおかしなことなど何も言っていない。
これは仕事を頼まれたフリーデに許された権利であり、依頼主である彼が文句をいうことなどできない問題だ。
そんなこんなで準備は整い、フリーデたちは同じ馬車に乗り込んで、早速ランマース辺境伯邸へと出発した。
ガタゴトと揺れる馬車の中、彼は二匹の猫と一緒に乗り込んで数分もたたないうちに、しきりに鼻を擦り始めた。
「……っ、……」
イライラした様子で、持っていた煙草に火をつけようとマッチをこする彼に、フリーデは杖を取り出して持ち前の水の魔法を使って彼のマッチの炎をジュッと音を立てて消した。
「な、なにするんだ!」
「以前から言っているはずです、この子たちは煙草の匂いが一番苦手です。先日はこの子たちもいない状況でしたから、ああいったのだと思いますが、きらいなんです、暴れ出したりしたら手が付けられません」
「……そのくらいお前が何とかすればいいだろっ」
「何とかできないこともありませんが、ストレスになりますその結果、起こる問題について例えばあなたが傷を負うなど問題が起こった場合、責任は取れません」
魔法使いが止めたにも関わらず、使い魔の前でわざと嫌がる行動をとってなにか損害があれば彼の責任だ。
ダミアンだってわざわざフリーデに頼むぐらいなのだ。仕事が中止されるようなことは避けたいだろう。
「……」
足をしきりにゆすって、イラつきをあらわにするダミアンのことも無視して続ける。
「しばらくすれば休憩を取れるはずです。その時に外で吸ってきてください。残り香程度ならキャリコもタビーも我慢してくれると思うので」
なにも完全に一緒にいる間はやめろと言っているのではない。最低限、フリーデと二匹に迷惑がかからない範疇でやってくれればいい。
大人の嗜好品を楽しむ貴族だってそのぐらいの配慮は見せる。
それにそもそもその煙草という物はそんなに年がら年中吸い続ける物ではないはずだ。
「……」
「……」
しかし彼はフリーデのことを睨みつける。フリーデも負けじと目線を逸らさず、杖を握っていた。
しばらくのにらみ合いが続いた後、彼はふんと鼻を鳴らしてそれから煙草をぐしゃりと潰してポケットの中にしまう。
そして次第に彼の小さな足の揺れは大きくなっていって、今度は目をこすり始める。
ぐしぐしと擦って目元が赤くなっていく、鼻をすすってなんとか大きく呼吸をして落ち着かせようとするが、盛大にくしゃみをして鼻をかんだ。
「っ、ヘックシュッ! ……っ、くそ」
「……」
「スビッ、……っ、クシュンッ、あー……」
苛立ったような声を出しながらもなんとか彼は耐える。
しかしやはりこらえきれずに目を掻きむしり次第に充血していった。
止まらないくしゃみにも煙草を吸えない環境にもイラついてどんと窓枠を叩いて、また鼻をぬぐう。
その様子は傍から見れば不憫であり、正常ではないことはわかるがフリーデは一切触れなかった。
窓の外の景色は流れていくが王都からまだいかほども離れていない。まだまだ移動は始まったばかりで、これからの方がずっと長いのだ。
しかし彼は「おい!」とフリーデに呼びかける。
すでに限界を突破したのだろうことは想像に容易かった。
「なんでしょうか」
「その、それ、その生きものを何とかしてくれ! ああクソ、最近は良くなったと思ってたのに、クソっ」
「その生きものとは?」
「猫だよ、猫!! 魔獣だろうとなんだろうと俺は猫も、猫を飼っている人間もそばにいるだけで体調がおかしくなるんだ!」
フリーデの言葉にさらに腹をたてて彼は、怒鳴りつけるように言う。キャリコがシャーッと威嚇するような声をあげた。
すると途端に、ダミアンはびくりと驚き馬車の背もたれに背中をくっつけて、様子をうかがう。
「とにかく、ダメなんだ。もう耐えられないクソッ、お前知ってただろ!」
「ええ、知っていましたよ」
「それならなんで━━━━」
「私の領分だからです。口出しご無用です。ダミアン」
「は?」
フリーデは瞳を鋭くして彼に言う。
彼は目をぐりぐりとこすりながら疑問の声をあげた。
「依頼を受けた魔法使いが、魔獣を連れて仕事に向かうのなんて至極当然のことですし、当たり前です。それについてあなたのわがままで、ただ単に少しくしゃみが出て、少しかゆみがあるだけで口をだされては困ります」
「なんだと」
「それに加えて、そんなあなたの体質なんて少数派の意見です。それなのに依頼する魔法使い全員に俺の前に猫を連れてくるななんて言いますか? それでは世間でやっていけませんよ」
「それとこれ……フアックシュン!」
フリーデの言葉に彼はどうにか反論を返そうとするが、体はいうことをきかずにくしゃみを繰り出す。
「さらにいえば、こんなことは予測できていたでしょう。馬車を二台用意するなり、あなたが嫌だと思うならあなたが配慮をすればいい。私は間違ったことを言っていますか?」
「っ……」
彼がフリーデに言った正論をフリーデも彼にぶつけていく。
以前はその正論にフリーデが異論を唱えていて、まるで自分のことを否定しているみたいに聞こえるだろうがそうではない。
フリーデはもう考え方を変えたのだ。
正論で押しつぶして彼がどんなふうに思うかなど考えずに振る舞うことにした。
「あ、あの時か……」
フリーデの言葉に、ダミアンは自分の言ったことを思い出す。
煙草の件についてフリーデが触れた時、彼が言ったことと同じことを返している。それに彼も気がついたらしい。
「あの、あの時のことがそんなに腹が立ってるのかよ、それでこんな当てつけ……ズビッ、でもそれとこれとは話がっ、違うだろ! 俺のは本当にっ、そういう体質で」
「……」
「でもその生きものはただ機嫌が悪くなるだけなんだろ、それでどうして俺が配慮してやらなきゃいけない! 違い過ぎるこんな子供っぽいことまでしやがって!!」
腹を立てて話が違うと言ってくる彼に、フリーデはやっぱりわからないのかと呆れたような気持ちになった。
程度には差があるのはたしかだ。
使い魔が嫌いだというだけの煙草と、彼がこんなになってしまう猫では比べることはできない。
しかし本質はそこではない。
「たしかに違うかもしれません。でも、程度は違っても、私はずっとあなたに配慮していましたよ」
「なんの、話だよ!」
彼に対する思いがあったから、彼の言葉をよく聞いて彼のためにやっていたことがいくつかある。
「ですから、あなたに会いに行く前には必ず服を着替えていましたし入浴もして侍女たちにも毛のついた服を着替えるようにもしてもらっていました」
「はぁ?」
「依頼はできるだけ犬の魔獣でこなすようにしていましたし、使い魔を操る魔法使いだとしても、あなたのためにたくさんのことを替えて努力して、あなたのために配慮をしてきました」
「……ベックシュ」
彼の猫に対する忌避感も、彼の体質もかんがみて、不快にならないように彼が嫌な思いをしなくていいようにフリーデは行動していた。
それを、自分の魔法使いの領分だから口出しさせないなんて言わなかったし、彼が少数派だからと言ってわがままを言っているとも思わなかったし、あんなふうに馬鹿にしたりもしなかった。
彼は指で目をほじくり出せるぐらいぐりぐりと食い込ませて目をかきむしる。
彼の顔はとてもひどいことになっている。
「なのにあなたはどうですか。私のことに一切理解を示さずに、横暴な態度を取って、私の主張をわがままだと笑って、ほとほと愛想がつきたんですよ。私」
「ズビッ……」
「だから、無駄な配慮はやめることにしたんです。私があなたと同じようにしたらどうなるか、わかったでしょう!」
そうしてフリーデは言い切って、熱くなっていた気持ちを吐き出すように、ふうっと息を吐きだす。
ここまで言えば彼から何かしらの感情を引き出せるとだろうと思って、目をこすっている彼のことを見つめた。
しかし、ダミアンは「知るかってんだ……」と呟いてそれから、ドンドンドンッと御者の方をノックして、大声で馬車を止めろと指示をした。
窓の外の景色がゆっくりになっていき、ある程度速度が落ちたところで彼は扉を開けて、まだ完全に止まり切っていない状況で馬車の外へと飛び出した。
「!」
駆けだして地面に倒れこむ彼に驚いて、フリーデはキャリコとタビーに「すぐに戻ります」と声をかけて、同じく馬車を降りた。
「あ~、痒い痒い痒い痒い痒いぃ! クソックソ、このっ、あー!!」
「……」
芝生に転がって、もだえ苦しむその様子は陸に打ち上げられた魚のようになんだか少しおかしくてフリーダは乾いた笑いが出そうだった。
「クソクソクソッ、水の魔法具、持って来ればっ、クソ、油断した! クソッ」
ぐりぐりと目を掻きながら、自分のポケットをまさぐる彼に、フリーデは杖を持ったままそばによる。
一頻りかきむしって、満足したのか、地面に座って彼はフリーデのことをみあげた。
「ベクシッ、謝ればいいんだろ! 謝れば! 悪かったよ、悪かった! だから水の魔法の癒しを掛けてくれ! もう死ぬ! 本当に死にそうなんだって!!」
彼は投げやりに謝って、フリーデの魔法を要求する。
「頼む、もうお前のいうことを全部聞く、それでいいんだろ!! そうしたいんだろ!!」
「……」
「早くしろよ!!」
「……嫌です。許しません」
のたうち回っていた時点では、癒しをかけようと思っていたフリーデだったが、とても冷めた気持ちになって彼にそう言った。
ダミアンはぽかんとして、鼻をズビッと啜る。
「それに、あなたとはもうやっていけません。今結論が出ました。自分でどうにかしてください。私の配慮を知らずに、うかつなことをしたのはあなたなんですから」
「ふざけるんじゃ━━━━」
「ふざけてません。それに、ここでごねても構いませんが、それではあのランマース辺境伯家との約束をすっぽかすことになりますね」
「! ……」
「あなたがここで、婚約解消を約束して送り出してくれるのなら私はあなたの名前で受けたこの仕事を完遂しますよ」
「……」
「如何しますか」
地面に足を放り出す形で座っている彼に、フリーデは冷静に問いかけた。
彼は、腫れぼったい目でフリーデのことを見上げて、ぐっと体に力を入れる。
拳を握って勢いのままに言葉を吐こうとした。
しかし、目をまたかきむしりながら屈辱に満ち溢れた声で言った。
「それだけは……た、頼む」
「誠意が足りませんね」
「っ……お、願いします。婚約解消をする、ので、あの仕事だけは……」
絞り出した声に満足してフリーデは馬車に戻った。
使用人や荷物を運ぶための馬車が後ろにはついてきている、ここでフリーデが魔力を消費して水の癒しを使ってやらなくても、彼の体質を加味した使用人が応急的な処置をするためにその道具を所持しているはずだ。
慣れない作業で時間がかかるかもしれないが、苦痛は長く続いても、これで命を落とすということはないはずだ。
そうきちんと判断して、後ろの馬車が止まり彼の使用人が出てくるところを見てから扉を閉めて、戸惑う御者に声をかけて、またランマース辺境伯領への道のりを進み始めた。
王都を出発した時よりも気持ちはずっとはれていて、爽快なものであった。
数日後に到着すると、出迎えたのはランマース辺境伯家の跡取りであるオスカーという男性だった。
ダミアンがいないことについては急用でと伝えて早速応接室に案内される。するとケージに入ったキャリコとタビーを見て彼は言った。
「あの問題なければなんだけれど、だしてあげて。つかれてるだろうし」
「いいんですか」
「うん。いろいろと領地の森について説明することもあるし時間がかかるからね」
「ありがとうございます」
ありがたい気遣いに、フリーデがケージを開けるとなんだなんだと二匹はでてきて、くたびれた様子で面倒くさそうに前足を伸ばして伸びをして早速ソファーから降りた。
「お水でいいかな。どんな子が来るかわからなかったから特に食べ物は用意してないんだけれど、なにか好物とかはある?」
「……」
「もしかして使い魔って普通の食事は口にしない?」
彼の配慮にフリーデが驚いて、言葉に詰まると彼は違う意味でとらえたのか少し恥ずかしそうにフリーデに言った。
けれどもまったくそんなことはない。
すぐに頭を振って「いえ」と否定した。
「とても丁寧に二匹に接してくださるので驚いてしまいました。食事は火を通したお肉とかお魚も食べますよ」
「! 本当? 普通の猫みたいだね」
「はい、穏やかないい子たちなんです」
フリーデはとても嬉しくなって彼にそう返す。本当は、ダミアンともこんなふうに会話をしたかった。
「そうなんだ。改めて、こうして来てくれてありがとう、早速仕事の説明をするね」
話題を切り替えてそうして仕事のことに移る。
そもそもこの仕事をダミアンが受けたのには、理由がある。
港から王都までをつなぐ街道を持つこのランマース辺境伯家の森。それが不安定な性質をしており毎年春になると魔獣が大量に出たり出なかったりする。
そのせいで輸入している煙草を運ぶことにいらないコストをかけてしまっていて煙草の値段はどんどんと吊りあがっていく一方だった。
その情報を知ったダミアンはなんとしても自分の喫煙事情を守るために、ランマース辺境伯に魔獣の索敵が得意な魔法学園の生徒がいると声をかけた。
魔獣の探知によって目算を立てて少しでも市場に出回る煙草の価格を抑えたかったのだ。
ランマース辺境伯家もそれがうまく行けば、街道の整備も容易になるということで今回の依頼をもらった。
だからこそダミアンは今回の仕事を絶対に成功させたかった。
オスカーから、普段魔獣が出る位置や規模を聞いて、遭遇する地点やその頻度をどのように算出して今年の魔獣の出現を予測するかという予定を立てる。
彼はとても話しやすく、順調に仕事は進んでいった。
仕事は終盤に差し掛かり、キャリコとタビーを休憩がてら庭園で遊ばせているとオスカーが顔を出した。
「調子はどうかな」
「悪くないですよ」
「キャリコさんもタビーさんも元気そうだね」
「そうですね」
低木の中に出て入ってを繰り返して興奮しているキャリコはこちらに目もくれなかったが、タビーはこちらに寄ってきて「ミーオ」と鳴いた。
とても天気のいい日で、春の季節はもうすぐそこだった。
「……そういえば、初めて会った時には踏み込んで聞かなかったけれど一ついい?」
「はい、なんですか」
しゃがんでタビーの頭を撫でているとオスカーは少し戸惑いつつも問いかける。その言葉にすぐにフリーデは返す。
「一緒に来るはずだった婚約者の人とは、なにかあったのかなってね」
「……そうですね」
「本当に急用ができてなにもないっていうなら、全然気にしないでただ、少し気になってしまって」
控えめに聞かれてフリーデは特に隠すようなことでも無かったので、タビーを撫でながら事情を説明することにした。
できる限り簡潔に、話してみると案外くだらないことで別れたような気さえした。
しかし、がっくり来た気持ちは事実だし今回の件で、キャリコとタビーだけでなくフリーデだって煙草嫌いになってしまった。
きっと煙草のにおいを嗅いだらダミアンのことを思いだしてしまうだろう。
「そっか。婚約解消することにしたんだね」
話を聞いてオスカーはフリーデのことを気遣うように言ったが、そこまで心配されるほど落ち込んでいるというわけではないので、フリーデはしゃがんだまま彼を見上げて笑みを浮かべた。
「ええ、でも悲観的には思っていません嫌なことではありましたが、それでも一歩前に進めたと思うので、気にしないでください」
「……そうなんだ。君は強いね。……仕事にも真面目に取り組んでくれるし」
「ありがとうございます」
素直に褒めてくれる彼に、フリーデは当たり前にお礼を返す。
「それに、すごい技能を持っているし。ダミアンさんに対しても思いやりを持って接していたみたいだし、とても素敵な人だと思う」
「あ、ありがとうございます……」
「もっと、その、君のことを大切にしたいって思う人ってたくさんいると思うんだよね」
彼はなぜか、とても真剣な様子でフリーデに言った。
「は、はい……?」
「でも、こうして会ったのも何かの縁だし、私は煙草も吸わないしこれからも吸う予定はないし、ここは自然も豊かで、魔獣は出るけど仕入れたものを一番に見ることができるから王都の流行にもいち早く乗れる」
「……」
「ミーオ」
「だからそのとてもいい場所で、案外、住み心地もいいんだよ。それにそうだ、君が望むなら煙草の価格だけ、父と相談して下げないように交渉するよ。あまり安価で流通させてもいいことないだろうしね。そうしたら少しは溜飲も下がるかな、それに……えっと……」
必死になって言葉を紡ぐ彼だったが、タビーが彼の足にまとわりついて体をこすりつけた。
仕事のために滞在している間にいつの間にか懐いていたのだ。
そんなタビーをオスカーは無視せずにしゃがんで背中を撫でる。それから続きの言葉を探して「それに……」と言い淀む。
その頬が少し紅潮しているのをみてフリーデはやっと察して問いかけた。
「……もしかして口説いていますか」
「……うん」
「それほど私の技能は魅力的ですかね」
「ここでたんに帰すのは惜しいと思うぐらいには。もちろん君自身も、いい人だと思うよ。素敵な人だなって思う」
「……」
「どう、かな」
彼の告白に、あまりロマンスは無かった。多少の好意はあるだろうけれど、フリーデではなくその技能に惚れてスカウトしている。
けれど、それでも認められるということは嬉しくて、それに彼は最初からたくさんの配慮をしてくれた。
応接室でケージから出してもいいと言ってくれた事、二匹用の食事を考えてくれた事、部屋まで用意して彼らのことを慮って、フリーデの言葉を聞いてくれた。
それはフリーデにとってとても魅力的に移る行動であり、フリーデ自身が美しく完璧な女だから惚れたんだと言われるよりも素敵に思えた。
それに現金かもしれないが、自分をいいと思ってくれてまっすぐに口説いてくれた相手というだけで、なんだか好意的に想えてしまって、小さく胸が高鳴る。
案外、自分は単純で、けれどもそれを隠し立てするつもりもない、そして勇気を出してしてくれた行動に報いたいと思った。
少し間が開いたけれどフリーデは「嬉しいです」と言ってほほ笑んだのだった。それから二人は交流を深めるところから始めることにしたのだった。
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