誰かのいってらっしゃいは、どうやら嬉しいようで
「……ふぅ。よしっ、それじゃ行ってくるね」
ルリアを自分の家で匿う事に決めた凛音。
まだまだ彼女と話したい事は残っているものの、如何せんこの後大学で講義がある為、お気に入りの電子タバコを一本吸って玄関に向かう。
靴ベラを使って靴を履いていると、彼を追い掛けてとてとて走って来たルリアが、まるでラメを塗ったんじゃないかと思わせる程輝いた瞳で、
「凛音さん。えっと、今から向かわれる大学という場所……私、非常に興味があるのですっ!」
「興味……?」
「はいっ!そうです!何という興味のそそられる響きでしょう……大学!ぜひぜひ!私も連れて行ってくださいませっ!!」
好奇心が抑えられないといった様子で、興奮気味にそう言ったルリア。
それを聞いた凛音は、戸惑いながら苦笑いを浮かべて、
「それは……ちょっと厳しいかなぁ……」
「何故ですか!?私はこの溢れ出る興味が抑えられ……こほんっ。いえ!凛音さんに拾って頂いた者として!行動を共にする責務があると思うのです!それに、その……」
「……?」
溌剌とした態度から転じて、急にしおらしい表情を見せたルリア。
何故か少し頬を赤らめて、伏し目がちに口を開く。
「凛音さんと……もっと一緒にいたいです、し……」
「……ッ!」
突拍子も無く放たれた、思春期継続中男子の心臓を貫くその一言。
美人な王女から真っ向にそんな事を言われてしまっては、一般的な男性であれば決めた判断も簡単に鈍ってしまうというもの。
しかし、喉元から出かけた「一緒に行く?」という言葉をすぐに呑み込んで、勢い良く頭を横に振りながら、
「や、やっぱりダメだって!!こっちの世界に来たばっかで、あんな人の多いとこに行くなんて!」
「む。強情です凛音さん!……せっかく、愛らしい小動物のような表情でお願いしましたのに……」
頬をぷくっと膨らませて、唇を尖らせるルリア。
それを見た凛音は、小さく溜息を吐いて、
「はぁ……ルリアってさ、天然っぽく見えるけど、意外と計算高いよね……」
「当然です!一国の王女なのですから!あどけない生娘なだけでは、国を背負えません!」
「まぁ……それもそっか。とにかく、大学には連れて行けないよ……ルリアの着てるドレスも目立ち過ぎるし……」
「それは、仕方無いではありませんかぁ……これしか持っておりませんので……」
着用している真っ白なドレスの襟元を軽く引っ張って、しゅんと肩を落としたルリア。
そんな彼女の様子を見て、少し気の毒に感じてしまった凛音は、どうにかルリアのテンションを戻せないかと、二日酔いで疲弊した頭を回してみる。そして、浮かび上がった妙案に表情を明るくさせて、
「……分かった!じゃあ、しっかり家で留守番してくれてたら、帰ってきた後ルリアの洋服買いに行こ!最近バイト代入ったし!」
「宜しいのですか!?お洋服!!」
「うん、良いよ。そのドレスだけだと、何かと不便だろうしね」
「わああ!!嬉しいですっ!新しいお洋服!!この世界のお洋服は、どのような物なのでしょうか!」
「えっと、普通だと思うけど……?」
凛音は、きゃっきゃとはしゃぐ彼女に、少し驚いたような顔でそう言った。
物珍しそうに自分を見つめてくる彼に、ルリアはきょとんと小首を傾げて、
「……?どうしました凛音さん?」
「え、あ、いや。ルリアも、年頃の女の子みたいな事で、そんな喜び方するんだなと思って……」
「当たり前です!どんな身分であれ女の子は、新しいお洋服っていうだけで喜ばしく感じるものなのですっ!」
「ふーん……そういうもん?」
「はいっ!そういうものですっ!」
元気良く頷いて答えたルリア。
流れでそれとなく納得した凛音は、携帯の電源を点けて、画面に映った現在時刻を確認した。
「うわっ!やっばい!!これちょっと遅刻かも!!そろそろ行ってくるわ!」
「かしこまりました!早いご帰宅を期待しておりますねっ!」
「了解!じゃあ行ってくる!」
「はいっ!いってらっしゃいませっ!」
ルリアは、そう言いながらゆっくりと腰を折り畳み、深々とお辞儀して見せる。
その美しい一礼に感心しつつ、独りで家を出ていた今までと違い、誰かが「いってらっしゃい」と言ってくれる幸福感を噛み締めながら、慌て気味で玄関を開いた凛音。
そして、そのまま家を出ようとした時、彼の鼓膜をルリアの声が掠めた。いや、正確には、掠めたような《《気がした》》。
「……ん?ルリア何か言った?」
「いえ?何も言っておりませんよ?」
「あれ?そう?……まぁいっか。いってくる!」
何か聞こえた気がするが、自分の気のせいと結論付けて、凛音はそのまま玄関を開けて外に出た。
そして、扉が閉まった音を最後に静まり返る彼の家。
その空間で、一人ぽつんと取り残されたルリアは、凛音が出て行った中と外を明確に隔てるその玄関を見つめて、誰に聞かせるでもない独り言を呟いた。
「先程の……私が計算高いというお話。確かに、表情は作りましたが……」
そのまま、言葉を続けたルリア。そんな彼女の表情は、とても無邪気な笑顔であり、
「もっと一緒にいたいという気持ちは本当ですよっ!凛音さんっ!」
そう言って、踵を返しながらリビングへと歩き出した。