お風呂上がりの王女様を、どうやら覗いてしまったようで
「うぅ……食べ過ぎた……気持ち悪い……」
ゆっくりとお腹を擦りながら、苦悶の声を漏らす凛音。
前日にお酒を爆飲みした次の日というのは、何故か脂っこいものが食べたくなるのはこの世の真理だが、二日酔いで荒んだ胃袋に大量の油をつぎ込めば、更に気持ち悪さが増すのもこの世の道理と言える。
講義をサボった帰り道に入店したラーメン屋で頼んだ、MAXラーメン+中盛ライス。そのせいで胃もたれしたお腹を抱えながら、凛音は住んでいるアパートの階段を上っていた。
そして、やっとの思いで辿り着いた自室前の扉。
鍵で錠を開いて、いつも通り扉を開こうとドアノブに手を掛けた時、彼はふとその一連の動きをピタリと止めた。
──そうだ。今までと違って今日は……おかえりを言ってくれる人がいるんだ。
そんな事を考えて、手を掛けたドアノブから一度手を離した。
一年以上独り暮らしをしている為忘れていたが、これまでの人生で何度も口にしてきた《《この言葉》》。ただ、実家住みの時に惰性で言っていたのと違って、今はそれを誰かに向かって言える事が何だか喜ばしい。
軽く深呼吸して呼吸を整えると、ゆっくり玄関を開きながら、噛み締めるようにその言葉を声にした。
「ただいま。ルリア」
静かな部屋の中で、凛音の声が木霊する。
しかし、しばらく待っても、期待していたルリアからの「おかえり」は返ってこない。
「……あれ、ルリア?いない?」
玄関の内鍵を閉めた凛音は、そう言いながらリビングに顔を覗かせる。
だが、やはりそこにも彼女の姿は見当たらない。
家を出る前に、しっかり留守番して待っていると約束した為、それを反故にして勝手に外出したとは彼女の性格上考えづらい。いや、昨日知り合ったばかりでルリアについてほとんど知らないが、それでも一度した約束を簡単に破るタイプだとは思えない。
しかし、こんな狭い空間で、見える限り彼女の姿が無いのもまた事実であり……
不思議に思いながら周囲をきょろきょろ見回していると、ふと彼の鼓膜を物音が掠めた。その物音は、お風呂場の方から発せられており──
「……家の中を探検でもしてるのかな?」
そう呟いて、お風呂場に向かって歩き出す凛音。
これが仮に、普通の人──そして女性だったら、こんな考え方には至らなかっただろう。しかし、ルリアは異世界人であり好奇心旺盛な王女。知らない世界の知らない場所にある物は、興味を抱いて散策していてもおかしくないと、この時はそう思ってしまったのだ。
凛音は、呑気に廊下とお風呂場を隔てる扉を開きながら、
「ルリア~、ただいm…………あ」
扉の先にいたルリアと目が合う。そのまま、帰宅の旨を伝えようとしたが、途中でその口を噤んでしまった。
彼の視界いっぱいに映る、一糸纏わぬ異世界王女の美しい裸体。
すらっと伸びた四肢に、零れそうな程豊かな双山。そして、その山の頂上に君臨している、血色の良い桃色の突起。金色の髪から、ぽつぽつと水滴がその胸に滴り落ちている事で、一目で彼女がお風呂上りという事が分かる。
本当なら、すぐにでもこの場を出て行かなければならないが、突然の出来事で頭が真っ白になった凛音は、ただ呆然とする事しか出来ない。
初めて、男性に自身の裸を見られてしまったルリアは、持っていたバスタオルですぐに体を隠して、
「り、凛音さん……!?」
顔を真っ赤に染め上げながら、目尻に涙を浮かべてそう言った。
その声で、真っ白になっていた凛音の脳内が意識を取り戻す。
「ご、ごめんっ!!!風呂入ってるとは思わなくて!!!」
「いや、えっと、あの……は、恥ずかしいので、その……一旦外に出て貰えると……」
「そ、そうだよね!!ごめん!すぐ出るから!!」
何故、ルリアが風呂の入り方を知っていたのかは気になったものの、逃げ出すようにお風呂場から出て扉を閉めた凛音。
そして、扉越しにルリアへ全力の謝罪を並べた。
「ほんっとうにごめん!!わざとじゃなくって、ルリアを探してたら何も考えず風呂場に入っちゃって!配慮が足りて無かった!謝って許される事じゃ無いかもしれないけど、本当にごめん!」
「…………」
しかし、中にいる彼女からの返答は無い。
その様子に、本気で怒らせてしまったなと溜息を吐いて落ち込んでいると、
「……──したか?」
はっきりと聞き取れない、か細い声音で何かを言うルリア。
凛音は、ドアに耳を付けてもう一度聞き返す。
「ごめん……何て言った?」
「み、見ましたか……?私の、その……裸」
「み、見て無いよ!!ビックリし過ぎてそれどころじゃなかった!」
「……本当に?」
「本当!本当だから!!」
実際は、一点の曇りも無くしっかりバッチリハッキリ彼女の裸体を記憶に収めた訳だが、嘘も方便という古からの有難いお言葉を信じて、誰にも見られていないのに全力で首を横に振りながらそう口にした凛音。
すると、二人を隔てていたドアがほんの少しだけ開いた。
そして、バスタオルを体に巻いたルリアが、その隙間から未だに熱を帯びた顔を覗かせて、
「……も、もし見ていたのだとしたら、その……すぐ忘れてくださいね……」
「う、うん……」
「……お、おかえりなさいませ、凛音さん」
「た、ただいま……」