第零話
「貴女様の御名前をお聞かせ願えますか?」
膝まずき、私に問いかけてくる。
その澄んだ声は聞くものの耳を、心さえも魅了してしまうような声。
「…えっと、あなたは?」
「私とした事が申し訳ありません。私は貴方様に呼び出されました悪魔でございます。」
そう言うと彼は真っ直ぐに私を見つめる。まるで血の様な真紅の瞳。整った顔立ち。その銀髪は悪魔というよりむしろ天使のようだった。
「悪魔…?私が…?呼び出した?」
「はい、先程貴方様の心の声をお聞きしました。それはとてもとても悲しみに、苦しみに満ちたお声でございました。私はその悲しみ、苦しみを喰らい、貴方様の願いを一つだけ叶えさせていただきます。」
「感情を食べるって…どういう事…?」
「何、簡単なことでございます。生きているからその様なモノに傷付いてしまうのです。生きているという事は傷付くということ。つまりは…そういう事です。」
「それは…私を殺して食べるっていうこと…?」
「おっしゃる通りでございます。私の口からその様な野蛮なことを主様に申しますのは無礼で御座いましたので。察して頂いて光栄です。でも今すぐにと言うわけではありません。最長でも一年後。せっかく願いを叶えさせていただくのですから。満足いくまでお楽しみください。」
「一年を越えてしまったら…どうなるの?」
「私の身体が朽ちてしまいます。それは私としても困りますので。」
そうか…私の命は後一年という事なのか。
まあ、こんな人生に意味はない。
生きていても何の意味もない。今更…願もない。何もないのだ。
「さあ、主様。願いはございますか?」
「願いなんて…無いわ。」
「ほう、それはまた。」
珍しいものを見た、そんな表情だった。
「私共を呼び出す者は必ずとして心を病み、闇を抱えております。その反動なのか…皆最後の願いというものはとても魅力的なようで。復讐から豪遊まで…。」
「そんなモノに興味はないわ。?」
そう…そんなモノに興味はない。
死ぬ時まで復讐等で自分を落としたくはない。静かに…消えていきたい。
「死ぬ時って…苦しいの?」
「いえ、一瞬の事なので何も感じることはないと思いますよ。まあ、私は食べられた事が無いので分かりません。」
とても悪魔とは思えない爽やかな笑顔で彼はそう言った。
「まだ御名前をお聞きしていませんでしたね。」
「咲良遥乃…」
「咲良…遥乃様ですね。」
彼は立ち上がり私に近付いてくる。目の前まで来るとまた膝を付き、私の頬に手を当てた。
「では、願いは無いという事で良いのですね。私としましては食事だけ頂くようで心苦しいのですが。」
「ええ…いいわ。」
「そうですか…。それでは。」
彼の手が禍々しい光に包まれて…熱くなる。
頬に添えられていた手は胸元へ移る。
少しずつ…少しずつ私の中に…入っていく。
これで終わるのか。
ろくな人生では無かった。
未練はない…未練など…ない…。
心臓が熱くなる。
彼の手が心臓まで届いたのだろうか。
少しずつ遠のいていく意識の中、声が聞こえた。
「これから私の言う事を少しだけ聞いてくれるかな。そして、忘れないでいてくれると嬉しい。」
懐かしい…先輩の声。
「あなたは一人ではないわ。」
「あなたは必ず幸せになれるわ。大丈夫。」
「先輩…。」
本当ですか?
私も幸せになれるんですか?なれたんですか?
私は変われるんですか?変われたんですか?
私は生きていて良いんですか?生きていけるんですか?
先輩がいなくなって…一人で…。
そう、一人は嫌だ…嫌なんです。
私は弱くなりました。弱くなってしまったんです。
友達も…そばにいてくれる人すらもう居ない。居なくなってしまった。先輩は居なくなってしまった。ミハルさえも。
誰か…誰かに傍にいて欲しい。いて欲しかった。
「誰か…。」
不意にこぼれた言葉。
次の瞬間、心臓まで届いていたと思われる手は引き抜かれ、彼はそっと私を抱きかかえた。
「何か願い事でもありましたか?」
悪魔は優しく語りかける。
「願いなんて程のものでは…。」
「お聞かせいただけますか?」
心の弱さか…その澄んだ声のせいか…。
虚ろ気な意識の中、私は答えた。
第零話
「私の願いは…」