落ち着く時間とは
優子は落ち着く時間というものがよくわかっていない。由紀江はそう思っていた。
もちろん、優子が由紀江という目上の人間に対しての気遣いの過剰さでこうなっているということもあるのだろうが、それ以外にも、心が落ち着く時間、安らぐ時間、癒される時間というものを知らないのではないかと、そう由紀江は思っていたのだ。
そしてそれはどういったものなのか。人によって変わってくる。優子にとっての安らぎの時間はいったいどういうものなのか。由紀江はまずそれを知る必要があると思った。安らぎの時間を知らなければ、何が優子にとっての安らぎになるのかも想像すらできない。
優子は由紀江に「ソファーに座ってて」と言われた通りに、ソファーに座っていた。それが優子にとってくつろいでいるのかというと、そうとも言えないように見える。
「テレビ見てればいいよ。」
と、由紀江は優子に言って、くつろがせようとした。
優子に必要なものとは何なのか。それはわからないが、とにかく、優子のそばにいようと思った。今までの様子を見る限りでは、由紀江自身は嫌われてはいないはずだとも思っていたからだ。
「横座るね。」
「はい。」
優子は相変わらず表情を変えず返事をした。
「寒くない?」
「大丈夫です。」
優子は返事をするたびに目を見る。本当に気を張り続けているのだろう。
「あの…。私、本当にこんな…。何もせずにテレビを見て、どうすれば…。」
由紀江がテレビをつけて、見たいのに変えればいいと預けたリモコンもそのままに、チャンネルも変えずにそれを見ていて、優子が楽しんでみている様子もないが、それは由紀江に言われたから見ていたのだろう。そしてその状況は優子にとっては不自然だったようだ。でもテレビは見ていた。内容も頭に入っていた。それは由紀江に何かを聞かれたとき用なのかもしれないが。もちろん由紀江は、そんなことは考えず、ただ単に優子に気楽に見たいものを見てほしいだけである。
「また何か気を使ってる?」
由紀江は聞いた。
「…。私は、迷惑かけていないでしょうか。由紀江さん…。由紀江さんこそ、私にすごく気を遣ってくれているのではないですか…?私がいるから…。」
由紀江は、ハッとした。そうか、自分自身も無意識に気を遣いすぎていて、それが優子にも伝わっていたのだと。
優子は続けた。
「私、やっぱり人と一緒にいると、何か…。こう、その人をどんな形であれ不幸にしてしまうので、あまり誰かと一緒にいるということがよくない気がして…。それなのに今までいつも誰かにお世話になって、誰かと一緒にいて…。だけど、なるべく希薄なままでいようと…。」
優子は性格でそうなっているのではない。自分で理解したうえで、たとえ人と一緒に過ごしていても、人とのつながりを薄くしようとしているのだと。それは理解した上であるが、意識的ではなく、きっと無意識にそうなっていて、優子自身もコントロールがおかしくなっているのだろう。それはあまりにも人に気を遣いすぎて、考えすぎて、それが普通になっていて、広い意味で人に触れようとしないようにしていたのだ。
由紀江はわかった。優子は温もりを知らない。人肌を知らない。きっと、触れてこようとしなかった。それは物理的な意味だけでなく、心という意味でも。
由紀江は、優子に近づいて、優子の手に自分の手を添えて、体を寄せてくっつけた。
「⁉え、あの…。」
優子は珍しくあからさまに驚いた。それでも表情だけは変わらなかったが。
「大丈夫大丈夫。なんにも考えないで、ここにいるだけでいいんだよ。私に優子ちゃんの体預けてみて。力入れずに、寄りかかってみて。なーんにも考えなくていいから。」
由紀江はやさしく、ささやくように言った。
優子は、何もわからず、訳もわからず、でも何も考えなくてもいいと言われたので、考えようとすることをやめた。いきなり触れた感覚。少し混乱している。だからか、希薄な関係を築いてきた優子でも、ただ純粋にいうことを聞くしかできなかった。
言われた通り、体を預けて寄りかかった。
いい匂いがする。由紀江の柔らかい匂い。そして由紀江の優しい声。優子はそれらを実感した。実感したことが大きかった。余計なことを考えないから、感覚だけが鋭くなって、由紀江の包容が優子に実感としてわいてくる。じんわりと。優子は、少し懐かしい気分にもなったが、でもそれとは少し違う気もして、どんどんと心が鎮まり、しばらく経って、それはいつしか落ち着く時間となっていた。
優子にとっては、この出来事があまりにも大きな出来事であった。優子はしばらくの間、この出来事をたまに思い出しながら、由紀江の温かさや、匂いや、手が触れていた肌の感触などを思い出し、ぼーっとすることがあった。




