6.
侯爵一行は恐怖に慄き空を見上げたまま腰を抜かし座り込む。折角連れて来た護衛兼コリーン捕縛要員もガタガタ震え大量の冷や汗をかきながら身を低くし蹲っている。
コリーンもあまりの風圧と恐怖でウィンダムにしがみ付いていた。
「さあ、小侯爵。俺からコリーンを奪い返せると言うのなら全力で勝負してやる」
ウィンダムが指先をパチンと弾くと雲の中からドラゴンがぬらっと体をくねらせズズズ…と徐々にバレリオ目掛け近付いて来る。
「わっぁ…ひっぃやめ…っく、来るな!ぁぁ~っ!」
ゴハァ~~と生臭い息を吐きながら迫り来るドラゴンに腰を抜かしたバレリオは唯々至る所から液体を垂れ流してブルブルと怯えるだけだった。
「なんだ降参か?ハッキリ言わねばこのまま鋭い牙に貫かれるぞ?」
「は…はひっ…はい、こうさんしまひゅ…っ」
「うむ、承諾した。これにより決闘の勝敗はバムダ王国第一王子であるウィンダムの勝利とする。二度とコリーンに近付くな。次は、無い」
そう言うと再び指先をパチンと鳴らすウィンダム。その途端渦巻く雲が動きを緩め一瞬にして風が止み、ドラゴンが静かに天に向かって霧散していく。厚い雲は徐々に白く流れ空は少し光を取り戻していた。そして後からふわりふわりと毛手毬になったミミルキーの抜け毛がピンクの雨のようにポフポフと落ちて転がる。
「コリーン。奴に言いたい事があるなら今言ってやれ」
そう言ってウィンダムはコリーンの腰から手を離した。
コリーンは一度ウィンダムの顔を見上げ、そしてバレリオがへたり込む方へ意を決して少しずつ歩み寄り彼の背後に辿り着いて一間空け静かにこう告げた。
「…バレリオ。私貴方が好きだったわ。貴方の優しさが心の支えだった。でも段々放って置かれて…疲れてしまったの。妻にもなれずお金を稼ぐだけの忙しい生活も貴方達からの扱いも全部嫌だった。結局貴方は私に夢見る事しか許してくれなかった。だからもう貴方の元には戻らない…貴方の愛は信用出来ない」
どこで間違ってしまったのか。
二人で過ごす時間が嬉しくて安らかでそれだけで幸せだった。決して短く無い年月を一緒に生きて来たのに頑張れば頑張る程いつの間にか辛くて苦しくて…あの日裏切られてからは命を落とした方がましだとまで思い詰めた。侯爵家から逃げる途中不発ではあったが船の上から身を投げようとした事もあった。でも大人に成りきれず無垢で淡い愛に縋って生きた十代の時間はもう捨てる。
「私はもう従わない。周りの大人では無く貴方でも無い。私の未来は私が選んで私が決めるわ。だから…さよなら、バレリオ」
へたったまま振り向きもせず無言で泣き続けるバレリオを残し、踵を返してウィンダムの方へ走るコリーン。
(あの日あの時逃げ出して本当に良かった。でなければ…)
「ウィンダム!」
(貴方の胸に辿り着けなかったから)
ウィンダムの胸の中に飛び込むコリーン。彼女はこの時初めて自分の意思で自分から彼に触れた。
「─っ! コリーン!やっぱり君は世界一可愛いなぁ~君から抱き付いてくれるなんて嬉しくてピンクの羽が生えそう!」
「…なんでピンクなんですか。あ、それで一つ思い出した事があります」
「え?ピンクのウエディングドレスにする?絶対似合うよ!フリフリにしよう!」
「ふふっ嫌です。どこまで頭お花畑なんですか。そうじゃなくて、私は四年間侯爵家で事業を受け持っていたのですが…その…以前の失敗した事業内容を調べていた事があって。その中に…おそらくミミルキーの事が書かれていたんです。だから私いつかこの島を訪れたいと思ってて…」
「…うん、それで?」
「書類には『ミミルキー』とは明言して書かれてなくてマサラヤマン島にて珍獣捕獲五十頭とありました。どんな動物なのか分からず、サッと読んだだけだったので気付かなかったのですが…確か…毛皮の事が書かれていました。保存の状態が悪く縮んでカビが生えて廃棄をしたとあり、かなりの損害を受けた旨が書かれていたと思います」
「……成る程。侯爵家が五年前の密猟に噛んでいたって事か。早速侯爵家に保存されている証拠を押さえる手筈をする。罪状が確定すれば奴らはこれで終わりだ。…まあ、物理でも良かったんだけど…」
「いや、王子の物理はダメでしょう。でももし本当なら…私も一発殴りたいくらいです。可愛いミミルキーが犠牲になったのだと思うと…悔しい」
ウィンダムの胸の中でグッと目を閉じる。こんな奴らに、そう思うと沸々と怒りが湧き起こった。懲らしめてやりたい。過去の自分とミミルキーの分を…
その時ハッと侯爵達が何故ここまで追い掛けて来たのか、その理由を思い出した。
首に掛けていた革紐を手繰り寄せ胸元から引き摺り出したのは小さな布で出来た巾着だ。コリーンがそれを開くと中から硬質の木で作られた小さな印章が顔を出した。
そう。コリーンの印章だ。
「これは?」
ウィンダムが不思議そうに覗き込む。
「…これは…私が手に入れた私の存在を知らしめる唯一の方法だったんです。決算の書類や事業提携確定時の書類なんかには必ず捺しました。小さくても五カ国語で”コリーン”と彫られています。いつもこうやって首から下げていたので持ってきていたんですが…」
「それどうするんだ?」
「海に捨てましょうか。これが無いと事業継続や報酬が受け取り出来ない事になってるんです。マルクドーさんの入れ知恵です。彼らはこれが欲しくて私を追って来たのだと思います」
「へぇ…成る程。じゃあ、俺が有効活用してやろう。ミロ、来い」
そう呼び掛けると何処からともなく一羽のカラスが飛んで来てウィンダムの肩に足を着く。
「コレを見せびらかしてあいつらを船着場まで誘導してくれ。浜辺に落としてレンジャーの前で奴に拾わせろ。出来るな?」
「カア!」
カラスのミロが一言鳴き、コリーンの印章を咥えるとウィンダムの肩から飛び立ち侯爵達の前で一度ポロッと口から落とす。足でコロコロと転がしたり掴んでは落としと繰り返ししていると、それに気付いた侯爵がハッとして急いで印章を掴んだ。
「こ、これは…コリーンの印章だ!間違いない!これがあれば金が入るぞ!!」
涙と鼻水でグシャグシャの男が小さな印章を掲げ歓喜している。だがその瞬間カラスの嘴が印章を持つ手にザクッとめり込んだ。
「ギャァ!」
痛みで思わず手を離してしまった隙にパクリと口で印章をキャッチしたミロはサッと羽をはためかせ飛び上がる。三回程侯爵の頭上を旋回した後ゆっくりと海岸の方に飛んで行った。
「な、な、何だあいつは~!印章は?私の印章…あのカラスが?おい!オモチャじゃ無いんだぞ返せ!!待てぇ待ってくれ~!」
そう大声で叫びながらもつれる足でカラスを追い掛ける侯爵と我に返ったバレリオ。そして護衛の二人は慌ててその後を追い掛ける。
「うちのレンジャー達に捕縛するよう伝えるよ。本島に回収しなきゃな。取り敢えず窃盗の罪で牢にぶち込んで拷…じゃなくて事情聴取だな。なんせコリーンの名前が入った次期王太子妃の印章を盗んだんだから」
そう言うと両手を前に掲げるウィンダム。開いた手の中に小さな白い鳥が二羽現れた。手のひらをツンツンと嘴で啄んだ小鳥はそれぞれ違う方向に飛び立つ。
「連絡はしておいた。さて、怯えたミミルキーの様子を見てから王宮に帰ろうか。やあ、驚かせてしまったなぁ」
事も無げにはははと笑うウィンダム。
そんなウィンダムを見上げコリーンはポカンとしていた。
(有効活用ってそう言う意味?確かに私の名前が彫られた印章だから私のなんだけど…けど…)
「ふっ…ふふふっ。あはははっ」
「わぁコリーンが笑った!初めて見たかも」
「王子の癖に悪知恵が過ぎるわよ」
「悪い奴はやり返されるもんだ。そして良い魔法使いにはご褒美をあげなきゃな、コリーン?」
そう言って自分の頬をツンツンと指で叩く。労いのキスの催促のようである。
「ふふ、ええそうね。ありがとうウィンダム王子。貴方に出逢えて本当に良かった。私の窮地を救ってくれた。文字通り貴方は私の王子様ね!」
そう言いながら彼女は頬ではなく彼の唇にそっとキスをした。
大人とは、自分で決めて自分で行動する。責任と覚悟も必要だ。
あの日侯爵家を逃げ出したコリーンはもう使われるだけの少女ではなく大人に成る可く飛び出した美しい鳥になった。辿り着いた先には憂いを払い受け止めてくれる番と可愛い姿の珍獣が迎えてくれた。この出会いも全て彼女が起こした奇跡。
彼女はもう立派な大人に成長したのだ。
**
それから間も無く侯爵一行は印章窃盗罪で捕まり牢獄へ。公国公妃の姪は公国へ帰国後にバレリオと離婚が成立。ミミルキー密猟の証拠文書発見により侯爵にバムダ王国から正式に損害賠償請求。芋づる式に関連した密売組織を摘発。また賓客及び王族に対しての暴言による名誉毀損罪で本国に送還された侯爵は爵位剥奪の上奴隷堕ち。バレリオは事業の後始末に追われるも能無しの為処理出来ず全ての事業を放り出し逃走。以後生死は分からない。結果領地領民共に大公家が引き継ぐ事になった。侯爵家は没落したのである。
そして半年後、無事婚姻式を挙げた二人。今日も変わらず可愛い珍獣ミミルキーと共に生態調査に勤しんでいる。
「ウィンダム!この子体毛がまだらですよ!」
「凄い!これは新種かも知れないっ調べるぞ!」
逃げ出した先は見た事のない珍獣や植物。船を乗り継げば会える獣人が暮らす不思議な国。
そして運命を変えた後、共に歩む愛する魔法使いと今日もコリーンは楽し気に声を上げて笑い合うのだった。
fin
〈後記〉
今回は極限までエピソードを削りました。
本当は王子の兄弟が三つ子だったり、ブラックマンバ獣人のララさんの体の構造やドラゴン関連の話とかミミルキーの雌を巡っての闘いの話などちょこちょこあったんですが、本筋に関係無いと泣く泣くガリガリと…。
極力暴力表現も書かない様に頑張ったし(←?)細かい心情もなるべく簡潔にして流れを切らない様にと考え…
結論、平川には短編は難しいって事です(力不足なだけとも言う)
因みに殿下ではなく『王子』にしたのは仕様です。
誤字報告頂きました〜間違えてるのにめちゃ嬉しい笑
ありがとうございます!
ではまたお会い致します。