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ジニールの街




 空中に浮くのが怖いというアーユシをシドが背負い、スイスイと進んでいく。

 足に最強防具を身につけているリオンは、シドとルースの分の荷物を持つと、空中に足場を用意してもらいながらぴょんぴょんと跳ねていく。

 見えない足場を用意するシドを迷いなく信用するリオンに、「正気じゃない」とルースはドン引きしながら、荷物のない身軽な姿で吊り橋を進んだ。

 眼鏡を外してしまえば視界が狭まるので、足元を見てしまっても必要以上の恐怖心はないのだ。


「ねぇルース、俺の魔力なら心配ないよ?」

「いや、きちんと渡ることに意義がある。というか崩れる足場があったら、近くの街に報告せねばならんだろう。誰も答えられないとか不審にも程がある。シドの魔力量は異常で下手に色んな人に知られると危険があるとシュリグラで教わらなかったか?」


 少し厳しい言い方のルースの指摘にシドは黙り込む。

 確かに王都で魔法の使用を制限されていたことを思い出したからだ。旅をしている最中は何も言われないため、すっかり忘れてしまっていた。

 もう「別の国に来たのだ」という自覚をもっと持たないといけないと、シドは少し反省した。

 ぎゅっと目を閉じていたアーユシが、ルースの言葉を冷たく感じたのか「アタシはシドに感謝してもしきれないから」と、震える声で告げて、シドにしがみついた。


「へ、へえ」


 リリスやイヴなど滅多にいない美人を見慣れているシドではあったが、アーユシの距離の近さには少しドギマギとしてしまうのであった。

 ちょっと緊張した様子のシドを面白く感じて、リオンは声に出さずに笑った。「思春期にはまだ早いだろうか」と、年が離れている分、時折どうしても親目線になってしまうリオンだった。


「ふう」

 

 約十五メートルほどあった吊り橋を渡りきったルースは、安堵の息を吐く。

 リオンは真面目なことをするルースに苦笑しながら、少しだけ使える火魔法で沸かしたお茶を差し出した。ルースが慎重に橋を渡る間にお湯を沸かしていたのだ。

 シドも風魔法でよく乾燥させたフルーツを差し出す。

 白手袋を外したルースは、有り難く二人の好意を受け取った。


「待たせてすみません。日暮れ前には街に着くはずですので」

「ルースのような慎重さはあって悪いものではないさ。少し急ぎすぎているのも分かっている」


 一息ついてからリオンに謝罪するルースに対し、リオンは「気にしていない」と穏やかな表情を浮かべる。

 時間を見つけてはシドやリオンに対しルースが様々なことを講義をしているというのに、旅の進みはとても早い。

 シュリグラの王都から歩きの旅でイラード王国旧首都に辿り着くまで、約一ヶ月というのは、話を聞いた十人中十人が「人間には無理」と、冗談だと思うくらいの早さなのだ。

 それもこれも勇者の靴という伝説の防具を装備しているリオンの健脚と、魔王並の魔力を有するシドの風魔法があってこその速度である。今回みたいに道の確認の必要のない場合では何度かシドの風魔法で運ばれていたルースも口を閉ざす。

 改めて考えると勇者の旅は人外めいていた。常識を忘れないように気をつけなければならない。


「この先の街は、通ってきた砦への補給をするためにあるので、辺境なりに物資はあるほうの街かと」

「ということはゼリジアの街みたいなもの?」

「それよりも砦に近いから、ゼリジアより大きいかな」

「ふぅん。ならさ、なんで橋はこんななの?もっと安全な道を作った方が良くない?」

「アタシ知ってるよ。この橋はユージの際はロープを切って落とすんだって」


 思い切った橋の使い方を聞いて、シドは思わず橋のある方を振り返る。

 アーユシの言葉をルースも「そうだろうな」と冷静に受け止めていた。


「そんなことしたら、砦の人たちって」

「ユージのときは運だけが全て。民間人は守るもの」


 アーユシの言葉を聞いて、軍隊の覚悟の強さで言えば「端からシュリグラとイラードでは勝負になっていないかもしれないな」と、ルースは思った。そもそもシュリグラ王国は仲の悪いスページとの境の砦とイラードとの境の砦では、そもそも兵の練度が段違いなのだ。


「ええと、国は違うが通貨の単位は大陸共通のガルで問題ないか?物価も基本的に大陸共通で良かったよな?」

「いえ、水関連はイラードはかなり高価です。ただ、今は浄化のできる僕と、神石に力を補充できる巫女がいるので、水をわざわざ買う必要はありません」


 リオンの買い物をする前にした質問に、ルースが自分の知識の中からアドバイスをする。それを聞いたリオンはルースにお礼を言いつつ、財布の中を確認した。

 ガルで一番使われるのは千硬貨だが、どうしても荷物になるため旅人は一万硬貨を持つことがある。それを教えられたリオンは出発前に大量に一万硬貨に両替していた。国から報奨金もあったのだが、基本的にお金を使わないリオンは、余るほどに持っていた。


「うん、心配ない。アーユシは必要なものはちゃんと言うように」

「あ、待ってください。ドマに旧教会の教えを守る人々が多くいるなら、アーユシの肩までの短い髪は歓迎されません。男装か、もしくは髪を隠すものを買うことをお勧めします」

「分かった」


 ルースのアドバイスを素直に受け入れたリオンは、アーユシに「どっちがいい?」と問いかけていた。

 自分のスカスカの胸をさすったアーユシは「男装で」と即答する。


「せっかくだし、おしゃれしないの?」

「それ、人を浮かせる人が言う?ズボンじゃないといろいろ丸見えなの」


 シドが少し残念そうに呟けば、アーユシはプイッとそっぽを向く。彼女に指摘されたことに気が付いたシドは少し気まずそうに頭をかく。

 シドに視線で助けを求められたリオンは「アクセサリーくらいならいいんじゃないか?」と、アーユシに声をかけた。


「リオンさん、シドに甘いよ。別にアタシは怒ってないんだから。機嫌取りなんていらないよ」

「そうなのか?」

「そうだったの?」


 女性の機嫌はいまいち分からないとリオンとシドはお互いの顔を見合わせた。

 道なりに進みながら、そういう無駄話をしているうちに遠くに街の影が見えてくる。

 やることは、情報収集と必要なものの買い出しである。

 砦の近くということもあるからか、防壁のある立派な街だ。

 四人共に「ベッドで休めそうだな」等、のんびりしたことを考えながらゆっくりとした足取りで進む。四人が門の前で暗い表情をしていた兵士らしき男に近づくと、人が来たことに気が付いた彼は顔をあげる。

 そして「司祭様!」と、ルースの服装を見て、暗い表情から一転してキラキラと顔を輝かせた。


「なにかありそうだね」


 シドが代表して全員が思った感想を呟いた。



 


「ああ、やはり神は我々を見捨てはしなかった!シリウス教の司祭様がきてくれるとは!ささ、街へどうぞ、早くお入りください」


 流れるように街へと歓迎されて「身分の確認はいいの?」とシドがツッコミを入れると「司祭様の連れに必要な訳あるか!」と、兵士は何故か怒りの表情を浮かべた。

 政治も宗教もやや適当なところのあるシュリグラで育ったシドには、この国におけるシリウス教の扱いがいまいち分からない。兵士の男はルースに対し笑顔で神への感謝を語る。


「魔物被害でシリウス教の新しい司祭達が来ることができないと聞いたときは絶望しましたが、旅の司祭様が来てくれるとは我々は運がいい!」

「そう言わてても、病気かなにかなら僕はあまり治癒が得意ではないんだが」


 あまりの歓迎ぶりに半歩下がったルースが少し渋ると、兵士は「心配ない」と、にこやかに笑う。


「お願いしたいのは水の浄化でございます」


 浄化は神石をもつ司祭なら誰でもできる仕事の一つだ。

 それを語るにこやかな兵士の姿は好意的にしか見えない。

 けれど。シドはなぜだか薄ら寒いものを感じて、言葉にできない不安を訴えるようにリオンの手を掴んだ。


「うん?どうした?」

「わかんない、けど、気持ち悪い」

「そうか、早く宿をとろう」


 顔色の悪いシドを見て、ひょいっと軽く抱き上げたリオンはシドの額にうっすらと紋章が浮かんでいることに驚き、不審に思われない程度の早さでシドのマントについたフードを被せる。


「宿はヤダ。一緒がいい」

「分かった分かった。アーユシもこっちに来い」


 一人にさせられそうなことに不安を抱えるシドを「大丈夫だ」とリオンは慰めて、シドと同じようになんだか落ち着かなさそうなアーユシを隣に呼び寄せた。

 ルースは立場上、兵士の依頼を拒否することもできないためか、とりあえず浄化が必要だという貯水池の場所を聞いている。

 「水の浄化をしなければゆっくり落ち着くこともできなさそうだ」と感じたルースは溜め息をついた。


「しかし、この街の規模ならそもそも街に司教や司祭たちがいるはずでは?」


 ルースのごく当たり前の疑問に、兵士の男は急に怒りの表情を浮かべ、拳を握りながら語気を荒げる。


「それが、浄化もできないような偽司祭がこの街には派遣されていたんですよ!」


 そうして「この街の人間は酷い扱いを受けたのだ」といいたげに、大袈裟な手振りでルースに訴える。

 ここまで感情的になった相手と話をしていても仕方がないと判断したルースは、眼鏡のフレームを触りながら、街の奥を見つめた。


「そうですか。ならばまずは教会に案内してください。連れの具合が悪そうですし、なにより僕も、浄化前に教会で祈りを行いたいです」

「はい!お任せください!」


 ルースが浄化作業を受け入れると告げると、兵士は上機嫌に先を進んだ。

 街の中央にある新教会の建物は立派な作りをしていた。この街の冠婚葬祭の全てを仕切っていることが分かる大きさだ。

 建物の中に入ってみると何故か規模の割にシリウス教の関係者が全くと言っていいほどいないことにルースは不信感を感じつつ、教会の司教がいるという部屋に案内される。兵士が踏み込んでいい場所ではない場所に平気で踏み込む様子にルースはさらに苦い表情を浮かべた。

 

「ひぃ!」


 ルースの師であるドリエルと似た年頃の髪のない男性は、声掛けもなしに開いた扉から現れた兵士を見て、小さく悲鳴をあげた。

 ルースは兵士の前に出て頭を下げる。


「ジニールにいらっしゃる司教ということは、アナント様でしょうか。僕はシュリグラにいる大司教ドリエルの弟子、神話と聖書研究をしているルースと申します」

「ほお、ドリエル様の!」


 ルースがアナントに対して優雅な出身が貴族と分かる優雅な礼をすると、兵士に対して震えていたアナントは、喜びの表情を浮かべる。言葉を発する機会を逸した兵士は不満そうにしているが、会話の邪魔をすることはない。


「旅に出る際に師より、挨拶の機会があればと話を伺っておりました」

「おお、おお!遠くシュリグラからよく来たね!」


 アナントが喜びの表情で白い手袋をしたルースの手を掴む。

 ルースはわざとらしく「案内ありがとう」と言い、張り付いた笑顔を浮かべて兵士を部屋から追い払った。

 ルースについてきていたリオンは、腕にぐったりとしたシドを抱きかかえながら、外套の裾にアーユシを隠していたが、兵士の姿がなくなったことを確認してからシドを立たせるようにおろした。


「おや?具合が悪いのかい、坊や」

「ううん。ありがとう司教様。違うの。なんか兵士の人が怖くて」


 シドの様子を見たアナントが神石を取り出したのを見て、シドは「大丈夫だ」と伝えるために慌てて首を横に振る。

 アーユシは街に入るまでの元気がなくなり、隠れるように入ったリオンの外套の中から出てこなかった。


「アナント様、この街で水の浄化が必要と聞きましたが、何が起きたのか伺っても?」


 眼鏡の縁を触りながらルースが質問すると、司教は部屋に備え付けられた長椅子に座るように促す。

 そして、褐色の肌のために分かり難いものの、明らかに顔色の悪い表情で自分の拳を握りしめて俯いた。


「あれは、五年前。魔霧がでなくなって以降でしょうか。貯水池の水質が悪くなり始めました」

「水質が?」

「一ヶ月に一度の浄化では間に合わなくなるほどに。そこで、この街の人間は」


 アナントは頭を抱えて震え始める。


「貧民たちの子どもを奪い、生贄としてシリウスに捧げました」

「な!それは旧教会では禁忌とされた大罪ではないですか!新教会の聖書でもわざわざ明記されていないが、生贄だなんてシリウス教の教えから程遠い!」


 ルースの怒りに同意するようにアナントは頷く。


「そのうえ、さらに水が濁り、今ではもはや水とは呼べないものに。そして、泥の浄化をしに貯水池に行った私の弟子たちは皆、その泥に飲み込まれてしまいました。被害者を増やさないようなんとか一人ずつ。けれど事態が好転することはなく、最後に浄化に行った子はまだ見習いだったのです。ですが、私を死なせまいと名乗りをあげ、死ぬことを覚悟して浄化に行かせてしまった。ああ、私のしたことは生贄を捧げた行為と何が違うのか」


 おいおいと悲しみの涙を流すアナントに、シドはアナントの手を握り「泣かないで」と励ましの声を出す。言葉にできないような悪寒をアナントから感じることはなかったし、彼の涙はシドには本物に見えたのだ。だから、不敬な行いかもしれなくてもその手を握った。

 アナントが「生きてほしい」と望まれる人なのは確かなのだろう。具合の悪そうなシドを真っ先に治療しようとした優しさがあるのだから。


「アナント様、始まったのは魔王の死後で間違いないでしょうか」

「間違いないよ」


 シドの優しさに応えるためになんとか好々爺とした笑みを返していたアナントは、ルースの真剣な表情に驚きつつ素直に答える。


「ならば、濁った色は黒。ドロリとした粘性のある液体?」

「なにか心当たりが!?」


 確認するような問いかけがその通りだったからか、アナントはルースに掴みかかるように問いかける。そして覚えのある表現のその言葉の意味を察したリオンは、聖剣に手を添えて小さな溜め息をついた。


(悪いのは、悪いことをする人。勇者は救世主じゃない)


 トーマスの言葉を心で念じてから、リオンはルースを見つめた。


「旧教会の教義には魔障を防ぐ教えが多く書かれていたのでしょう」

「魔障というと、あの人間が魔物になるという荒唐無稽な病かい?」

「いえ、僕はこの目で魔障にかかった人間が魔物に転じる様を目撃しました。そして魔障は、魔王の死と何らかの関係があります。何より僕の旅は魔障の対策か解決策を模索するためのものです」


 魔障の存在を断言したルースに、怯えたアーユシはリオンの腰にしがみついた。シドもミーシャを思い出し、少し顔色を悪くさせる。そこで子どもたちが怯えていることにようやく気が付いたルースは、少しバツが悪そうに視線を壁の方へ逸らす。


「そんな」


 呆然とするアナントに、ルースは「解決策はあります」と伝えた。


「そこにいるのは、大司教が認めた勇者。聖剣と伝説の防具を一つ持つ、本物の勇者です」

「聖剣で魔物を斬った後なら、水の浄化もできるでしょう」


 今から自分が斬るものがなにか分かっているため、リオンは苦々しい表情で呟いた。



 急いで準備を終わらせた一行は、アナントと共に貯水池を訪れた。

 貯水池の周囲にはまるで見世物を見るかのように住人が集まってきていた。ニヤついた笑みは、門の前にいた兵士と同種のものだった。

 そこには、貯水池と表現するのも無理があるほど、どろりと濁った黒い泥の塊があった。もとは、生贄にされた子どもたちだったものなのだろう。

 それを考えたリオンは数秒目を閉じる。


「いつからか、浄化に来た司祭たちが泥に飲み込まれて死ぬのを、住人は娯楽のように楽しみだした。彼らにとって、もはやシリウス教の人間は生贄にも等しいんだ。だから私はこの現状を伝え、本部にこの街に神官を送ることのないように願った。私もろとも、この街を終わらせるのつもりで」


 アナントの周囲に黒い靄がまとわり付いているのに気が付いたシドは、魔法で小さな風をおこしてそれを吹き飛ばす。


「では、浄化作業中に泥に変化がある?」

「ああ、そうだね。浄化の光が強まると泥が……」


 弟子の姿を思い出したのか、手のひらで顔を覆って泣き出したアナントをシドとアーユシが両側から支える。

 ルースは、アナントから話が聞けそうにないことを理解すると、首から下げていた神石を外し、空に掲げた。

 すると、黒い泥が白く光る。ルースが無言のままなのでどうなっているのか把握し辛いが、一見すると貯水池が浄化されたように見えた。

 貯水池から出ていたまばゆい光が収まると、やはりそこには黒くもなく、どろりともしていない正常な水があった。

 完全な浄化が行われた事実に生贄ショーを見に来ていた人々から歓声が上がる直前、黒い泥がルースに向かって落下してくる。

 八本の触手のようなものを動かすヘドロのようなそれは、ルースを標的にしていた。

 そしてそれがルースを飲み込む寸前、飛び出たリオンは聖剣でその泥を斬った。


「ちっ!」


 斬ったものの、蛇や猪などの動物の形をとっていた魔物とは違い、明確な手応えがない。悪態を付きながら迫る触手を全て斬る。

 しかしうねうねとした泥は集合するとまた八本の触手を動かすヘドロに戻った。

 ルースに向かって次々と襲いかかる泥を、リオンは条件反射で払う。

 払っても払っても、泥が集合するともとの形に戻る。いくら同じ行為を繰り返しても触手の数が減ることはなく、膠着状態が続いた。


「アーユシ!浄化を続ける!」


 ルースは今回の魔物が戦い難い相手であることを理解する。それでもリオンの守りで自分には攻撃が届かない事を確認すると、輝きの弱まった神石を握りしめながらアーユシを呼び寄せる。

 それが聞こえたシドは、人目が多いことが気になったものの、アーユシの安全を優先して、風魔法を使ってリオンの邪魔にならないようにルースの隣に送り届けた。

 そして、八本の触手のような泥の一つをリオンが斬った後、べチャリと地面に落ちたそれを確認する。

 住人の目は激しく動き回るリオンの戦いに集中していたので、シドはその切り離した部分の泥を、自分でドライフルーツを作るときに使う風魔法の要領で乾燥させた。

 魔法の効果か、パリパリと砕けて砂になった泥の触手は、復活する様子がない。触手の数は減った七本のままだ。


「リオンさん!切り離してくれたら俺が砂にする!」

「頼む!」


 戦いながらでもチラリと視線をやってシドのやっていることを把握していたリオンは、シドの試みが成功したことに気がつくと、望むままに弟子の目の前に泥の触手を一つ落とす。

 シドの背後にいたアナントには彼らがしていることがどういったものか理解できなかったものの、目の前の少年が並の魔術師ではないことだけは察することができた。

 師弟の共同作業の成果で、泥の触手が残すところ三本になったところで、泥は貯水池の中に逃げるように飛び込んだ。


「はぁ、はぁ」


 動き回っていたリオンはだらりと腕は垂らしているものの、警戒する視線を怠らず貯水池を睨みつける。荒い息を落ち着けるように呼吸のリズムを整えた。

 そしてアーユシに神石に力を注いでもらったルースは、飛び込むようにして貯水池の中に直接入って、浄化を再び行った。

 ルースの掲げた神石をから、先程より強い光が広がる。


「あああ!」

「やめろ、やめて!」


 貯水池の全体が先程より強く光ると、見学に来ていた住民から悲鳴があがった。

 「なぜ」と思うものの、本能的に嫌な予感がしたリオンは連れの三人に「目を閉じろ!」と叫びたいのをそれでも堪えた。

 何が起こるか分からないいま、目を閉じては逃げられないこともある。

 ――だから。


 どろり、と、黒い液体が住人の目や口から溢れても、どろりどろりと住人の身体が溶けるように泥になっても。

 リオンは「目を閉じろ」という願いとは違う指示を飛ばす。


「アーユシ、泥に触れないように逃げろ!」

「ルース!浄化を続けろ!」

「シド、火種を大きくしろ!」


 聖剣に自分の得意な火おこしのまじないで火をつけたものを、シドが風魔法で火種を、いつもの旅で薪に火付けを行うときの感覚で大きく育てる。

 ルースが続ける浄化に耐えきれず、逃げるように貯水池の外に出てきたその泥を、リオンは火を纏った聖剣で三等分に斬る。火を使って斬ったことで、切り口が乾燥して泥のときのように直ぐに再生できない。予想通りではあったものの、再生の遅さを確認したリオンはシドを振り返る。

 シドはリオンの指示がなくとも「承知した」とばかりに泥を乾燥させ、全てを砂に変えた。

 そして、貯水池から出ていた光が弱まる。光の消えたそこには、透明な普通の水があった。


「ルース、厚着で水に飛び込むと危ないんだよ」

「う、そうだな」


 眼鏡と神石を大切そうに抱えるルースをシドは魔法で引き上げる。

 アーユシはアナントに守られながら、周囲の状況に呆然としていた。

 ここに残っているものは、リオンとシドとルースとアーユシ、そしてアナント。

 見学に来ていたはずの大量の住人は、水の浄化と一緒に、服だけを残して消えていた。


「……ああ、そうか」


 アナントは魂が抜けたように呟く。


「この水はこの街の住民にとって生命線。しかし長く浄化はできず。魔物の住処となっていた。だから、ここの水を飲めば、それは魔物の一部。ならばこの街の住人は、とっくの昔に」


 アナントがたどり着いた真実は、あまりに救いのないものだった。

 水を浄化したら。そして魔物を倒したら街の住民が死ぬ、などと誰に想像できようか。とっくの昔に街が滅んでいたに等しいなどと。

 それでも、アナントの他にも生き残りはいるようで、遠くから悲鳴のようなものがリオンの耳に入ってくる。


「まだ生きている人がいるようです。街の人間を、教会に集めましょう」

「そうですね、アナント様の助けが必要な人々です」


 シドに乾かして貰ったルースは、座り込むアナントに手を差し出した。

 その手を取ったアナントは、司教というこの街の責任者の顔を思い出したように凛々しい表情を浮かべた。


「勇者様、ルース、そして小さな魔術師と小さな巫女。彼らを魔物の呪いから解放しくださり、ありがとうございます」


 感謝を告げたその人はもう、悲しみに暮れていた老人ではなく、己の仕事を理解した司教だった。





 新教会の敷地内にある鐘塔の鐘を鳴らして、音を街中に響かせる。

 そして生き残っている人が教会に集まるように誘導する。

 そんな鐘の鳴り響き続けるジニールの街は、教会以外の場所は不気味なほどの静けさだった。街の人間の多くが泥となって消えたのを、教会までの道中でリオン達は確認していた。

 鐘塔の屋根に座り、風魔法で鐘を鳴らしていたシドは、やがて夜になってすっかり暗くなったため、風をとめる。街は、不気味な静寂さに包まれた。

 シドの足元にある教会内のざわめきが遠くに聞こえた。


「シド」


 伝説の防具の力か、魔法でなければ説明ができないような跳躍力でシドの目の前に現れたリオンは、ためらいなくシドの隣に腰を下ろす。


「何人くらい集まったかな」

「ああ、百人くらいはいたと思う」

「その人たちには、ルース達はなんて説明するの?」

「そのままだ。貯水池に魔物が住み着いていて、そこにあった水は知っての通り浄化しきれていなかった。そして、その水を飲んだものは魔物に殺されていた、と。巫女を連れた旅の神官が魔物ごと貯水池を浄化したことで魔物が消滅し、魔物に殺されていた住人も姿を消した、と」


 コクリと小さく頷いたシドは、足をプラプラと揺らす。


「嘘じゃないよね、全部。本当のことを話してる。でも、でもね」

「そうだな。俺たちが何もしなければこの街の日常はもう何日か続いたかもしれない」


 リオンもシドの言葉を肯定する。


「でも、それだと今助かった人たちも死んでいたかもしれない」

「うん」


 正しい答えなんてない問題で頭を悩ませるシドを励ましたくても、リオンも、全てを飲み込んで語れるほど大人ではない。

 リオンは、星が輝き出した空を見つめた。


「シド、俺は勇者なのに誰も救えない。俺の持つ勇者らしいものといえば武力しかないのに、今回はシドに頼らないと勝てなかった。そんな俺に幻滅したか?お前にも罪を背負わせた俺が嫌になっただろうか?」


 リオンの言葉に慌てて顔をあげたシドは「そんなことない!」と叫んだ。


「リオンさんは俺を救ってくれたよ!リオンさんの力になれるのも嬉しい。だから、そんなこと、言わないで!」


 自分の無力さを痛感しているリオンの言葉を、シドが大声で否定する。

 感情が高ぶったのか、目に涙を溜めながらシドはリオンの言葉を否定した。


「村が焼かれたあの日、リオンさんが迎えに来てくれなかったら、俺はとっくに魔王になってた」


 シドはリオンの手を両手で包むように握る。


「たとえ俺が魔王とかじゃなくても。リオンさんが勇者でもそうじゃなくても。貰われっ子のシドは、優しい両親がいなくなった後も、俺のことを家族って思ってくれる優しい師匠が、兄ちゃんがいることに救われてるよ」


 真っ直ぐに目を見つめて、迷わず言い切ったシドをリオンも同じように見つめ返す。

 そして、リオンは小さく口の端をあげることでシドの言葉を受け入れたという返事をする。


「そう言われても。俺の方がシドに救われているから、あんまり分からないな」


 眉をハの字にした苦笑のようなリオンの笑みに、シドは涙を拭って笑う。


「お互い様だ」


(――本当に。シドには分からないだろう。したくもないことを彼女のためだと受け入れて、彼女の願いだからと殺した俺は。それでも自分で決めて剣を振るったくせに、塞ぎ込んで。やったことの結果から逃げていた。旅をしてようやく自分の行いが世界に混乱をもたらしていることを知って。俺がしたことが多くの悲劇のきっかけであることを理解して)


 リオンは、聖剣を夜空に翳す。

 星のひかりに照らされた刀は、聖剣自体が薄く輝いているため、三日月のように見える。

 勇者の証であるこの剣は、魔の森にあった。

 セレスティアが嬉しそうに台座にリオンを案内して、それを抜くことを願ったのだ。

 抜いた瞬間、確かに、何かの栓が抜けたような感覚があった。


『リオン、貴方が私を殺してくれるなら、私は少しだけ救われる気がするの』


 彼女の言葉を、リオンは忘れていない。


(でも、もしも。彼女が世界に混乱をもたらそうと企んでいて、ただ俺を利用していただけだったのなら。俺は都合よく恋心まで利用されたというのならば)


 愛した人の願いを疑う自分が嫌になって、リオンは考えを振り払うように首を左右に振る。慣れた動作で鞘に刀を戻したのち「そろそろ戻ろう」と告げてリオンはシドに手を差し出した。


「うん」


 先程の暗い表情よりは落ち着いたシドに安堵して、リオンはシドを抱えると魔法の補助なしに飛び降りた。


「うひゃあ」


 魔法を使っていないシドは、自由落下の速度に驚いてリオンにしがみつく。ドンっと地面に着地したリオンは、全く衝撃のないことに驚く。

 やはり、勇者の装備は異常な性能をしている。

 リオンは凡庸な見た目に化けたブーツで足踏みをしてから「もう一回しない!?」と、目をキラキラとさせてなんだかハイになっているシドを腕から降ろし「しない」と答えた。


「あ!シド、リオンさん!探したんだよ!」


 騒がしさに気が付いたのか、ブカブカではあるものの女性用のローブのようなものを着たアーユシがリオンたちに少し怒った表情を向ける。ヴェール越しではあるもの、アーユシの感情表現はとても分かりやすかった。


「アーユシ、その服かわいいね」


 アーユシに気が付いたシドは笑顔で服装を褒める。その言葉になんのてらいもないことに気が付いたアーユシは、口をモゴモゴとさせて、続く言葉をなくしたようだった。


「これは、昔この街にいた巫女の服装なんだって」

「なんだか、占い師っぽいな」


 顔を隠す白のヴェールを見て、リオンは「視界は大丈夫か?」そこなのだろうかという気遣いをみせる。それを聞いたアーユシは、自慢するようにリオンとシドの前で一回転して「大丈夫!」と元気よく宣言した。

 から元気なことを理解したリオンは迷いながら口を開く。

 

「アーユシ、俺たちの旅はこんな事が続くかもしれない。もし辛いならアナント司教のもとに残ってもいいと思うが」

「ううん、リオンさんたちと行く」

「だが」


 リオンの気遣いを、アーユシは首を横に振って否定する仕草をする。


「アタシ、役に立つよ。役に立ったでしょ?アタシは、落ちた星の泉に絶対に行かなきゃいけないと思うの」


 そして、出会ったときよりも遥かに強い意志が宿った瞳で、リオンを見据えた。

 そんな眩い彼女を見て、リオンは「分かった」と頷く。


「力を貸してくれると嬉しい。巫女様」

「任せて!」


 司教に認められたこともあり、自信に満ちた表情でアーユシは頷いた。






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