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新たな旅へ




 黄金の鎧の騎士団長の攻撃を避けていたリオンは、シドの叫び声が聞こえた気がして動きを止める。

 舞台の下手側、シドがいるはずの場所からブワッと黒い靄が舞台の上に溢れ出てきた。その靄の中からどろりとした黒い液体が滴り落ちる。粘性の水音に不快感を感じると同時に、いきなり夜になったようにリオンの頭上が暗くなった。

 何が起きたのか確認のためにリオンが上空を見上げると、そこに巨大なヘビ型の魔物がいた。コブラのような見た目の蛇はドロリとした粘性の黒い液体を身体から滴らせる。

 横幅四メートル、長さ十メートルは軽くあるだろうか。舞台に注目していた民衆から、つんざくような悲鳴が上がる。

 リオンは、蛇の牙に突き刺さっている緑の髪の人物に気がつく。

 蛇の現れた関係者席をよく見ようとするが、黒い靄に遮られてシドの姿は見つけることができない。


「リオン殿!」

「任せてくれ」


 シドの無事をいち早く確認したいリオンは、力を入れて地面を蹴る。

 伝説の防具の効果か、蛇の頭上まで簡単に飛び上がる。リオンは聖剣を構えると、光を走らせながら兜割りのように、ただ真っ二つに蛇を切り裂いた。

 左右にドスン、ドスンと大きな音を立てながら倒れ伏す。王都に大型の魔物が現れるという事件だったが、リオンの一人の手であっさりと死んでしまった魔物に、誰もが現実を理解できずに口を閉ざす。少しして、混乱していた広場の民衆は助かったことを理解して歓声をあげた。

 民衆に背を向けるリオンの背中と、ひらひらと揺れる緑のバンダナに「緑の長髪」という呟きや「勇者だ」という感極まった声が響く。


「おい、大丈夫か?」


 リオンは念のために声をかけたが、蛇の牙に刺さっていたレグルスはやはり息絶えていた。

 恐怖に彩られ、開ききった目を痛ましく感じ、そっと閉じる。

 それからリオンはシドの姿を探して歓声には目もくれずに舞台を降りた。

 騎士団長に守られていた第二王子ジエルノが舞台に慌てて戻ると混乱する民衆に向けて「本物の勇者は我が国に!」と、力強い声で宣言をした。

 その宣言を受けてさらに大きくなる歓声のなか、舞台から降りたリオンは関係者席を見回す。大蛇の現れた根元にあたそこは、未だ黒い靄で覆われていた。


「シドか?」

「いえ、神話研究の神官ルースと申します。ああ、歓声が聞こえます。魔物はもういないものと考えても?」

「ああ、もういない」


 人影に気が付いたリオンが声をかけると、振り返った眼鏡姿の少年が「ルース」と名乗る。

 本を大切そうに抱えながら、リオンをまっすぐに見つめた。「魔物がいない」という断言を聞いたルースは少しだけ下を向き、それからまたリオンをまっすぐに見つめる。


「勇者リオンのお弟子さんなら、魔障を払おうと風魔法を使っていましたが魔障に飲み込まれてしまいました。この先で先程から僕の師匠のドリエル様が治癒を」

「そうか、分かった」


 ルースの指差す先にリオンは迷わず走る。

 ほのかな光を見つけると、そこには地面に横たわっているシドと、先程まで舞台の上で儀式を執り行っていた白いひげの聖職者、ドリエルがシドに祈りを捧げていた。

 シドの額にはくっきりとした紋章が浮かび始めている。


「シド!」


 リオンは駆け寄ってシドの手を握る。まるで熱があるように手のひらがとても熱くなっている。しばらくするとドリエルの祈りの効果か、苦しそうだったシドの呼吸は少しずつ安定していく。

 熱っぽい口から吐き出される息が黒い。シドから吐き出されるそれは魔霧と全く同じもので、リオンは身体を固くする。

 魔王になるのを止めることができなかったのかと、絶望のようなものを感じてしまう。


「第三の目の紋章、あれは神話に度々登場する神秘的なものです」

「魔王に関連しているとか?」


 リオンの疑問に、眼鏡のフレームを触りながらルースは落ち着いた声で語る。


「僕の聖書の原典の解読は少し視点を変えていまして。三百年前、魔王を倒した勇者により平和がもたらされたとされていますが、倒したのではなく「封印された」というのが正しいのではと思っています」

「封印?」

「そして、神話では何度も第三の目の紋章が登場します。この世界を、この大陸を救うために必要な要素の一つとして。なので第三の目の紋章は僕の見立てでは、魔王とは違うものかと。いえ、研究者によってはこれを魔王の証と呼ぶ人もいるかも知れませんが」


 魔王の証という説を否定する言葉に、リオンの脳裏に、自分の額を撫でて「魔王の証」と寂しそうに微笑んだ魔王の姿が浮かんだ。

 果たして、魔王の語ったことは全てが真実だったのだろうか。


「そうなのか」


 ならば「自分が倒したものは一体何だったのか」そんな疑問がリオンの胸をざわつかせる。この世界にはリオンの知らない謎が沢山あるようで、何を信じるべきだったのか揺らいだままにシドを見つめる。

 熱が引いたのか、ゆっくりと瞼を持ち上げたシドが、リオンを探すように視線を彷徨わせた。


「リオンさん、ミーシャさんが魔物になっちゃった」


 リオンの姿を見つけたシドの目に涙が溜まる。

 そして告げられた言葉は、リオンが今しがた無感情に斬り捨てたものが何だったのかを教えるものだった。


「ああ」

「黒い靄が、人を飲み込んで、旧教会のあの壁画の最後は、人が魔物になっちゃうっていう教えだったんだ」


 涙をこぼしてリオンに必死に伝えるシドに、リオンは頷いてきちんと話を聞く。

 シドの話をうまく理解できなくて、けれどシドを安心させる為にリオンはシドの言葉をただ肯定する。


「魔王が倒された後に消えた病、魔障。代わりに新たな魔王が魔霧をばら撒くようになった。新魔王が倒され、魔霧が消えたのちに魔障が復活。これは、いよいよルースの新解釈を笑えなくなった」


 ドリエルが疲れ切った声で呟き、容態の安定したシドの額を優しく撫でる。すると、第三の目の紋章は消えシドの吐き出す息も透明なものに戻った。


「彼女は、勇者様のお知り合いでしたか」

「レグルスの幼馴染で、死ぬ前に会いたいと願っていましたので。親切心で同席させました」


 リオンの言葉にドリエルは悲しそうに目を閉じる。


「魔障が実在するとは。魔障が消えて三百年以上過ぎ「人が魔物になる」という教えは過激で古い思想だと民衆へ広めることをやめたのは、間違いだったのか」


 ドリエルの言葉にリオンはシドの手を握りながら無言を貫く。

 それは、考えることがあまりにも多すぎたからだ。


「勇者伝説の原典、神話時代の話、旧教会時代の宗教の教えは、どこで知ることができるのでしょうか」


 リオンの問いかけにドリエルは「うむ」と小さく呟く。


「旧教会を見られたのなら分かる通り、この国ではあまり古い記録は重視されない。この大陸一の発展をしているハルジオなら、もしかしたら。旧時代の本ならスページにもある可能性はありますが、なにせスページはこの国と仲が悪い。ハルジオから入国したほうが歓迎されるでしょう」


 ドリエルの言葉にリオンは頷く。シドを救うには「魔王と勇者はどういう存在だったのか」を、正しい神話を知るしかない。


「あの、ドリエル様。勇者リオン。その旅に僕も同行しても?」


 本を両手で抱きしめるルースが、目を輝かせて質問してきた。





 リオンは、王城のベッドで横になるシドのために、先程メイドから貰ったりんごでウサギをつくる。

 リオンの手の動きを面白そうに見ていたシドは「うさぎリンゴ!」と、嬉しそうに笑って起き上がった。


「村で病気になったらリオンさんが作ってくれたやつ!」


 八等分したうちの一つをパクっと口にして嬉しそうに笑う。知人が魔物になる姿を見るなんて、子どもには苦痛だっただろう。

 リオンはシドの心を心配して、色々と助けてほしいと言われたことを「防具集めに旅をするので」と断った。

 新教会の司祭ドリエルが勇者リオンの旅の必要性を説いたため、嘘ではない。

 ただ、旅支度よりも優先しているのがシドなだけなのだ。


「なぁ、シド。ルースも一緒に旅をすることになったが、仲良くやれそうか?」

「眼鏡の人だよね。仲良くなれたらいいな。でもあの人、貴族出身っぽいし仲良くなれるかな?」

「まぁ、性格が悪そうには見えなかったし、そう拗れることもないとは思うが」


 まだ熱っぽい表情のシドの額をリオンは何度も撫でる。

 濡れたタオルで汗を拭い、りんごをまだ食べるかと問いかけた。それにもう一つりんごを食べながらシドは嬉しそうに笑う。


「リオンさん、ありがとう」

「別に。シドは俺にとって大切な弟子で、家族みたいなものだから」

「うん」


 リオンの言葉にシドは嬉しそうに笑う。

 その笑い方が生を諦めたリオンの愛した彼女ととてもよく似ていて、リオンは俯く。


「シド、お前の額には第三の目の紋章というものが浮かぼうとしている」

「第三の目?」

「ルースは神秘の紋章と呼び、別の誰かは魔王の紋章と呼んだ」


 リオンの説明にシドは両手で額を抑えると、眉を寄せ、悩ましそうな表情を浮かべた。


「つまり、俺は魔王になろうとしてるの?だから普通の魔術師とは比較にならないくらいに魔力が増えたの?」

「わからない。これからは、それを知るための旅をする。シドを魔王にしないために」


 ポツポツとリオンはシドに誠実に説明する。

 ルースの旅への同行は、彼の「神話を正しく読み解きたい」という欲求があるからだ。リオンにとっては神話を読み解くことでシドを救うきっかけになる「何か」を見つけることにある。

 この世界の言葉と文字を覚えるのに必死だったリオンに、解読には研究職が必要なほど特殊な古い文献など理解できるはずもない。


「魔王って、魔霧を生み出す以外はどんなことをするの?」

「……魔の森で、三百年孤独に生きたのだと聞いた」

「なら魔王ってもしかして、魔霧を生み出す以外、悪いことはしてない?」

「ああ。俺の知る限り。元は人間だったという魔王は、孤独に生きることに耐えきれなくなった。だから魔王自ら、俺という自分を殺せる異世界の人間を呼び寄せたんだ」

「あ、リオンさんに防具が必要なかったのってそういう」


 リオンの説明に納得したのか、シドはポスンと横になる。


「ねぇリオンさん。もしかして、その魔王がリオンさんの大切な彼女?」


 聡いシドに、リオンは微笑みだけを返した。

 魔王セレスティア。彼女がリオンに教えたことは全て真実だったのか。

 自分は本当に彼女を殺すべきだったのか。リオンは、この旅で答えを得るような気がした。

 残ったりんごをシャクシャクと自分で食べて処理しながら、疲れていたのか目を閉じてすぐに眠るシドを、リオンはなんとも言えない気持ちで見つめた。

 

「セレスティア、もしかしたら俺は、君を救えたのだろうか」


 突然手に入れた勇者の力が万能のように思えて、まだ十代だったリオンは自分でも「そうだった」と振り返るほど調子に乗っていた。

 けれど、現実にはリオンは万能の力など持ってはおらず、まるで無力だったことを思い知る。

 誰より救いたい人を救うことなどできず、彼女に請われるがまま「それしかない」と思ったから彼女を殺した。

 そして、その結果として「魔障」という古い病が再び現れた。

 愛する人を殺した自分が、勇者として人々に称賛されるのが嫌だった。だからセレスティアと旅をしたハルジオを避け、リオンはシュリグラに隠れ住んだ。

 それを、勇者が現れないことを各国が都合よく利用して、その結果として、多くの人が傷ついた。


「まるで、俺のほうが魔王のようだ」


 行いの結果を考えれば、多くの不幸を振りまいた自分が死神とか疫病神のように感じてしまう。リオンは拳を握りしめて、ただ俯くしかできなかった。

 しばらくそうしていると、ドア越しにひかえ目に声をかけられたことに反応してリオンは席を立つ。

 ドアの前には騎士団に復職したというトーマスがいた。


「リオン殿、シドの様子はどうかな。ショコーラを気に入っていたというから街の人気店で買ってきたんだが」

「ああ、ありがとう。シドなら寝ている」


 お見舞いらしきショコーラ、リオンにとってはショコラだとかチョコレートであるそれを受け取る。

 ドアを大きめに開けると、室内を覗き込んだトーマスは静かに寝ているシドを見て微笑んだ。


「これからレグルス邸の女性を解放に行くが、どうする?」


 リオンはトーマスの言葉を受けて頷く。何かをしたかったし、それが人助けに繋がることなら自分の心を守るためにも積極的に取り組みたかった。リオンとしては政治的な云々より単純な人助けがいいのだ。

 受け取ったショコーラの箱を机の上に置き、近くにいたメイドに伝言を残してから、リオンはトーマスと共に王城の廊下を並んで歩く。


「俺が、勇者として表舞台にいれば、傷つかなくて良かった人が沢山いたのかな」


 疲れていたリオンは、深く考えないように思考をそらしていたことを思わず呟いてしまう。

 それを聞いたトーマスは、単純なことだとリオンを笑った。


「貴賤問わず、悪いのは悪いことをするやつだよ。そもそも女狩りをしたあと、レグルス邸に連れて行く前に第一王子が「選別」してたんだ。それがどういうことか、分かるだろう?」


 レグルスの言葉を咀嚼して、リオンは前を向いた。


「この国、大丈夫なのか」

「ジエルノ様がいるうちはまだ、大丈夫だろ」


 リオンの心配に、トーマスは乾いた笑みを浮かべた。





 偽勇者レグルス邸は王都の貴族街の一角にあった。

 あまり派手ではなく、それでもそれなりの広さはありそうな、青い屋根の家だ。

 その邸の玄関前では、シドと同じような年頃の少女たちと、豊かな胸の紺色の髪の女性たちがお互いを守るように身を寄せ合っていた。

 怯えたような不安そうな表情が遠目からでも分かる。

 目立つ存在である大男のトーマスの姿に気が付いたのか、先に現場を指揮していたらしい騎士団長が手をあげる。リオンはそれに応えるようにペコリと小さくお辞儀をした。

 誘われたからには自分の役目は何かあるはずと感じたリオンはどうすればいいのか分からず、騎士団長の隣にとりあえず並ぶ。


「勇者殿、彼女たちはどうも我々に苦手意識があるようで。どうにか彼女たちにもう安全で解放された事を分かりやすく伝えてくれないだろうか」


 国が指揮する女狩りにあった女性たちが、国所属の騎士団や兵士に怯えるのは当たり前だろう。

 騎士団長に相談されたものの、果たしてどんな言葉をかければ彼女たちを安心させられるのだろうかとリオンは頭を悩ませる。


「レグルスは不慮の事故で亡くなってしまった。第一王子は幽閉されている。だから、あなた達はもう自由だ」


 まず膝をついたリオンは、彼女たちと視線を合わせて「もう自由なのだ」ということを伝えた。

 公にレグルスの死因は「事故死」ということになっている。魔障という人が「魔物」になる病については公表を控えることになったのだ。

 伝承では「何かを憎むこと」が魔障の引き金になるという言葉はあるものの、具体的な何かを示せるわけではない。そのためジエルノは今の段階で「王都に現れた魔物は人が病にかかり、そうなったもの」とは公表しないことを決めたのだ。

 むしろ「魔物を用意したのは第一王子」だと、責任を第一王子に押し付け幽閉塔に問答無用で閉じ込めたあたり、兄弟に容赦のない王族らしさをリオンは感じた。

 そもそも「ミーシャを嫁に」と願ったレグルスに対し、自分たちのした見せしめの火傷が原因でミーシャに逃げられたというのに「緑の髪の男がいると国に売ったのはミーシャ」で、レグルスはお金のために「売られた」と教え込んで、レグルスから脱走の気力を奪っていたことが証言でわかったのだ。

 ミーシャが魔物化した原因、そしてレグルスが拒絶した原因、それらを考えると第一王子に責任がないとはとても言えない。


「自由って言われても」

「この屋敷の外に君たちを襲う不届き者はもういない」


 そこにいるほとんどの者が、唐突に自由を与えられてもどうして良いのか分からないのか、どこか困惑が多そうな表情を浮かべてる。


「故郷に戻りたいものは国が馬車を出す。王都に留まるというのなら就職支援なり結婚支援なり国が必ず責任を持とう」


 騎士団長のこれからを保証する言葉にようやく「これからどうしよう」という空気が流れ出す。リオンはふと、一番落ち着いた表情をしている女性に問いかけた。


「君から見た、レグルスのことを教えてくれ」

「私、ですか?」


 リオンの質問に、腰までの長さの紺色の髪の女性は「そうですねぇ」と悩むように眉を寄せた。


「あの人、これだけ女を囲っておきながら、誰にも手を出していないんですよ」


 女性は頬に手を添えてどうしようもない人を思い出すかのように、困ったような、仕方のない人だったと言いたげな、かすかな笑みを浮かべていた。


「兵士が開放した女性に乱暴していることを知ってから、あの人は少女たちも囲うようになって。成人女性でも紺色の髪の女は引き止めて。でも屋敷に軟禁しても何もしてこないあの人に、誰よりも大切な想い人がいるのを皆、知っていましたよ」

「そう、か」


 リオンは、彼女の言葉を受け止めてかすれる声でお礼を言う。

 悲しい結末を迎えた幼馴染は、リオンが不幸にした二人なのだろう。

 二人がこんな事になったのは、村が焼かれたのは、誰のせいでもなくやっぱり自分のせいなのだろうか。そんなことを考えたリオンは唇を強く噛む。


「あの人が偽物の勇者だってことは皆が分かっていました。でも少なくとも屋敷に囲われた私達にとって、あの人は確かに善意の人でした。彼を国に売ったっていう、ミーシャという女性には憎しみがあったかも」


 それが誤解だったとレグルスは知ることはなかったし、死の近かったミーシャはレグルスに誤解だというのに強く拒絶された絶望で魔物になってしまった。

 そして、そんなミーシャをなにも知らないまま無感情に真っ二つにしたのはリオンだ。


「リオン殿、貴方は勇者であって救世主ではないのです」


 リオンの表情を見たトーマスは、少しは「年上らしいところをみせよう」と考えて励ますようにリオンの肩を叩いた。

 そしてトーマスの言ったその言葉は、トーマスが思うよりもずっとリオンに染みた。


「そうか。そうだな。俺は、救世主じゃない。救えるわけじゃないんだ」


 救世主ではないから救えないものも沢山あるのだとなんだか腑に落ちてしまった。

 ならば、勇者とは何なのだろう。

 リオンは素朴な疑問を胸に抱くことになる。

 とりあえず今するべき仕事は「女性たちに安心感を与えること」だと考え直して、リオンはいわゆる営業スマイルのような穏やかな笑みを浮かべることを心がけた。

 少ししてボランティアの貴族女性たちで作る婦人会が到着したことでリオンはお役御免となった。

 第一王子の悪だくみの証拠探しのために屋敷内の捜索を続行するという騎士団と別れたリオンは、旅に出る前にルースともう少し話をしようかと新教会を訪ねた。しかし「ルースは不在」と告げられたため、大人しくシドのところに帰ることにした。





 「ただいま、シド」


 リオンが寝ていたときのことを考えてそっと扉を開いてシドの様子を伺うと、ルースがシドの休むベッド脇の椅子に座っていた。

 起き上がってルースと会話していたらしいシドがリオンに気がつくと「おかえりなさいリオンさん」と返事を返した。


「お邪魔しています」


 眼鏡を触りながらルースがお辞儀くらい浅くリオンに頭を下げたため、リオンも同じように軽く返した。


「ちょうど良かった。イラード経由でハルジオに向かうという長旅になるんだ。お互いに自己紹介をしようと思っていたんだ」


 リオンはベッドに座るシドの隣に腰掛けて、ルースと向かい合う。それを受けてルースは姿勢を正した。

 

「では改めて俺から。俺の名は璃音、佐伯璃音。リオンと呼んでくれ。異世界より召喚された人間で、五年前に魔王を殺した。この世界に来たのは十七歳のときで、しばらくは文字と言葉の学習に費やしていた。だからルースに頼みたい方面のことは本当に苦手だ。基本的なことは理解しているはずだが、どこかでこの世界の常識に対する知識不足があったら教えてほしい」

「じゃあ次は俺。名前はシド。魔術師の卵だけど、リオンさんの一番弟子。村で色々あって師匠のリオンさんと旅に出た。あ、俺幼く見えるみたいだけど十二歳だからあんまり子ども扱いはしないで欲しい」


 リオンはこの世界の常識が分からないことがあることを相手に理解してもらうため、正直に身元を、いや、この世界において身元という身元がないことを明かした。

 旅立ち前に村で用意してもらった証明書があるため、シドと同じ村出身の男というのが正しい身分なのかもしれない。

 イラードを旅してハルジオへ向かうため、教会からさらに追加で証明書を貰えるため、入国審査においては問題が起きることはそうそうないだろう。

 なによりルースが同行するため、教会の証明書が偽造扱いされる心配もない。


「では、僕はルース、十五歳。古文字の解読技術を見込まれ教会に拾われました。教会における役目は原典の聖書の現代語訳。研究職のため、神官の仕事である治癒はあまり得意ではありません。でも、解読の分野なら誰よりも秀でている自信があります」


 ルースは眼鏡を触りながら生真面目に返答する。

 「自信がある」と自ら告げたように、ルースの瞳には強い光が満ちていた。


「イラード経由になることは伺っていたので、イラードに関する文献をいくつか漁ってきました。シドが回復するまであと数日あるのでもう少し資料を見てきますが。現時点で、イラードに保管されている勇者の「ヘルメット」も回収すべき、と、提案します」


 膝の上に置いていた本をめくり、リオンにはさっぱり読めない文字を指しながらルースは目を輝かせる。


「実は、原典の聖書に『この世界は、呪われている』と記されているんです」

「それはまた、不思議な聖書だな」


 神の祝福ではなく「呪い」を記すなどリオンの適当な宗教知識でもなかなか挑戦的な一言ではないかと思う。

 新教会、旧教会どちらも「シリウス教」という宗教で旧教会は厳しい教義で民衆の支持が衰退した頃に新教会が「新解釈聖書」を発行し、人々の生活に馴染む教義になると、広く信じられるようになった。

 リオンにとって基礎的な知識とはここまでだ。原典の聖書に厳しい教義が書かれていることは想像がついたが、まさか「世界が呪われている」という言葉があるとは予想できなかった。


「文献の中では魔障が蔓延っていた昔は隣人が魔物になることも多々ありましたし、それが誇張でも何でもなくまさしく人が魔物になるのをこの目で見たので、僕はむしろこの一文に納得したのです」


 そういったルースは続けて別の部分を示す。


「勇者はどうも、魔障を解決するために動いていた人物みたいなのです。そして、わざわざ各国に置かれた制作者不明の伝説の防具には何か仕掛けがあるはずです。なにより防具が保管されている旧教会の聖堂には、原典を読み解く助けになる壁画があるはずなので」

「でもルース、イラードは身分差が大きくて奴隷の多い国で、危険だって聞くよ」


 シドが心配そうにルースに問いかけると、ルースはシドの心配が分からなかったのか不思議そうに目を瞬かせた。


「言ってなかった。僕は一応、継承権はないけど第四王子だし、リオンさんは勇者だし大丈夫かなって。なんならシドはリオンさんの息子……いや、弟ってことにしとく?」


 シドが予想した貴族家の子息どころか王族という意外な素性をルースは明かし、シドはその場で思いついたような提案を受ける。

 隣で聞いていたリオンが「そうしてくれ」と即答したので、リオンとシドは便宜上兄弟になってしまった。シドとしても父ではなく「兄」なら、もとからそういう家族のような距離感だったこともあり抵抗はない。


「でも、王族って国を出て大丈夫なの?」

「ジエルノ兄様が大丈夫って言ったから、大丈夫」


 シドの疑問にルースは適当な返事を返す。

 許可の部分で「父王」が出てこないあたり、この国の実権は反乱が起こることなく穏便にジエルノの手に渡ったらしい。

 リオンはそんなところに気が付いて「これならリリスとイヴも、さらには辺境の村への支援も心配なさそうだ」と、心に引っかかっていた問題がどうにかなりそうで刺さっていた小骨がとれたかのような気分になった。


「分かった。解読の助けになるなら行くしかないだろう」


 少し悩んだものの、最初にイラードの旧教会の聖堂を目標にすることに同意した。用意していたらしいリオンが買ったものより少し詳細な地図を開き、シュリグラ王国と違って首都ではなく辺境近くにある旧首都に旧教会の聖堂はあるので、あまり騒ぎになることもないだろうとルースは告げた。


「僕は古いものを解読することを仕事にしている教会の人間なので、聖堂に行くことにそう不審点もないでしょうし」

「そっか、ルースの仕事なら不思議じゃないんだ」


 ようやく納得がいったのか、シドは深く頷いていた。

 どうやらシド的には「旧教会に行く変人」と不審がられてトラブルが起こることを心配していたのかもしれない。

 けれど、ルースはそもそもそういう場所に行くこと、そういうものに関わることを仕事をしている人間だ。それに気が付いたからかシドの中で何かが納得できたらしい。


「決まったからには、もう少し色々と調べ物をします。出立は一週間後でいいでしょうか」

「ああ、分かった。ルース、これからよろしく頼む」

「はい。僕としても資料の少ないこの国の外で研究できるのはとても魅力的ですから。お互い様です」


 リオンの言葉にルースは本人なりの気遣いの言葉を発する。

 そして、本を大切に抱えながら立ち上がったルースが部屋を出ようとしたところで、机の上にあるショコーラの箱を抱えたシドがドアの前まで走ってルースにそれを押し付けた。


「あのね、俺はもうショコーラ食べられそうにないけど、美味しいものだから」

「……そっか」


 シドの言葉になにかに納得したようにルースは頷いてから箱を受け取る。

 ルースと別れの挨拶をして戻ってきたシドを見てリオンは問いかける。


「良かったのか?」

「うん。ちょっとショコーラは駄目なの」


 気に入っていたはずのお菓子なのに、つらい記憶と結びついてしまったのかと察して、リオンはなんとかシドを励まそうと言葉を探す。

 

「明日、シドが元気になったらのんびり王都を見学しよう」

「うん!」


 リオンの言葉に食いつくように、少し無理をしているのは分かるもののシドは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 新しい旅が始まるまでの時間で、シドに楽しい思い出を作りたい。


「そういえばシド、身長が伸びたな?靴はきつくないか?」

「うん!靴は詰め物とったら大丈夫。ねぇ、身長はどのくらい伸びた!?」


 リオンは、百七十五センチという身長を基準にシドの高さを測って、どのくらい伸びたかという質問に指で三センチくらいの隙間を作ってシドに見せた。


「百三十四センチくらいだろう」


 リオンのいうセンチという単位は分からないものの、指の隙間を見て「それだけかぁ」と、シドは少しつまらなそうに唇を尖らせて不満を訴えた。


「いつかリオンさんより大きくなれるかな」


 未来を楽しそうに待つシドの笑みを見て、リオンも「楽しみだな」と、控えめな笑顔を浮かべた。




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