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神を食べた男/魔の森



 リリスは、絶望の表情を浮かべるヴォルフを抱きしめる。

 長い歴史のある、自慢の城の屋根が吹き飛んでいた。半壊しているのである。


「仕方ありません。魔王を倒せる勇者様が本気でこの国のために戦ってくれているのです」

「ああ、そうだな」


 ヴォルフは遠い目をして頷いた。二人で監禁された塔からは出ることができたので、ヴォルフはリリスと共に教会関係者など監禁されている人の解放に向かう。

 戦闘の邪魔にならないよう、できることをするしかないのだ。


 玉座のある謁見の間の扉は、魔術で厳重に守られていた。それに焦れたリオンは部屋という前提条件を崩すため屋根を吹き飛ばした。

 扉を固定する「部屋」という概念が崩れれば魔術は簡単に無効にできる。


「――血の匂い」


 謁見の間には魔物が蠢いていた。

 「助けて」「痛いよ」「怖いよ」と、直接脳に響くような声が聞こえる。玉座でだらけていた、二十代か三十代かといった年齢に見える青い髪色の男はニタリとした笑みを浮かべた。


「勇者サマ、か。封印をといてくれてありがとぉ」


 封印を解いたことに感謝される意味が分からずにリオンは聖剣に手を添える。


「勇者サマは殺さないよぉ、シリウスを殺して貰わなきゃいけないんだしぃ。あ、でも呪いのない大陸になったら魔物がいなくなるのかぁ、やっぱ殺そうかなぁ」


 粘着くような不快な話し方にリオンは眉を顰める。アメリアの話を思い出しながら違和感の正体と男の言う「封印」の意味を探る。


「あれぇ、もしかして僕が誰かわからない?オトウサマだよ、セレスティアのオトウサマぁ」

「――神殺し!」


 意味を察知したリオンはそのまま斬りかかる。男は蠢いていた魔物を盾にしてその後ニヤついた表情を浮かべる。


「勇者サマって酷いんだぁ。僕は話をしようとしたのになぁ。はは、魔物って便利だからなぁ。うん。シリウスと追っかけっこしてる方が楽しいかぁ」


 殺す。

 宣言した男の放つ水魔法にリオンは顔を顰める。リオンにとって相性の悪い相手だった。

 それでも勝機が無いわけではない。なにせスページは極寒の国なのだ。水魔法を使うには一番相性の悪い国だ。寒さにより動きの悪い魔法を避けてもう一度斬りかかる。

 「ここで殺す」そう決意したリオンも、本気で相手の弱点を探る。

 この男はシドの本当の家族の仇だ。殺されたことを知ってもそれを過ぎたことと処理したシドがいるのだ。

 大事な弟の感情を乱す要因は、今のうちにできる限り処理してしまいたかった。

 攻撃を避けられる度に城がどんどん破壊されていくが、構わずに男に近づいては刀を振る。


「僕こそがこの世界の王なワケ。分かるぅ?神より強い僕に勇者サマが敵うかよ」


 大量の魔物が一斉にリオンに襲いかかる。

 人の悲鳴を聞きながらリオンは魔物を斬り伏せる。


「あはっ、酷いねぇ、酷いねぇ。僕の命令を聞くように呪いになりきる前に魔物にしたんだから、もしかしたら人間に戻れたかもしれないのにぃ」

「――だとしても、お前を殺すのを優先する。その方が被害は少ない」


 シリウスがこの男を仕留めていなかった事実にリオンも疑問を抱いていたが、神の子と神を食べたこの男には底知れない何かがあった。


「わお、君ってシリウスと契約する前の勇者サマとはかなり人格が変わったねぇ」


 男は面白そうに笑ってリオンに魔物をさらにぶつける。

 それでもリオンは心のなかで謝罪しながら斬り伏せ、足蹴にし、男に迫る。

 ボトッと、男の右腕が落ちた。それでも男はニヤついた表情を崩さない。


「無駄ぁ」


 男の腕があっさり再生するのに眉を顰める。聖剣のくせにこういうところでは役に立たないのかと悪態をつきながらリオンは首を狙う。


「ひゅう、これでも動揺しないとか凄いすごぉい!」


 相手の煽りに乗せられるものかと思いつつも、いい加減視界が赤く染まっていく。

 ここまで存在が不快なものが存在するとは思わなかった。


「ゴキブリかよ」

「え、なぁになぁに?ゴキブリってなにか分かんないけど悪口でしょぉ」


 リオンは嬉しそうに笑う顔が不快で、兜割りを試みる。つい隙が多い大ぶりの行動をしてしまったことに気づいたときには、ニタついた笑みの男が迫っていた。


「グッ」


 脇腹に入った攻撃は防具によって致命傷を免れた。

 どうしたら殺すことができるのか分からない相手との戦闘は少しずつリオンの中に疲労として蓄積していく。

 一体一体はそれほど強くはなくとも人間としての感情のある魔物を斬り続ける精神的な疲労も同じように蓄積していた。

 城外に出たらさらに被害が増すだろうと考えると、リオンのほうが圧倒的に不利であるということに気がつく。


(シドがいたら)


 いつも協力していたせいでリオンはすっかりシドのサポートを戦いのとき思考に入れていたことに気がつく。

 「シドとこの男を遭遇させたくない」という決意はどこにいったのか、と、自分でツッコミを入れる暇もないまま無意識にシドのことを考えていた。


「リオンさん!」


 ないはずの声に驚いたリオンは上空を見る。そこには美女のような顔の男の腕に座っているシドの姿があった。

 思う存分驚きたいものの、それどころでない。

 リオンは慌てて刀を構え直した。




魔の森



 ウィリアムの部隊に同行して砦に向かうリオンを見送って三日ほど過ぎた頃、シドとアーユシは自分たちの保護者をするために残ってくれたオスカーの手を引く。

 リオンよりさらに年上の彼は父親に近い年代のため、シドもアーユシも距離感をまだ掴みそこねていた。


「オスカーさん、アタシたちも行こう」

「旅の最中は俺の魔法使うからそんなに心配はいらないよ」


 人外の魔力を持つシドは「どうやって運ぶんだ」とオスカーが突っ込みたくなる大量の物資を荷車に積み込む。越冬する可能性を考えて万全の備えをしたためだ。


「シド!」


 街の出入り口で追加の荷物を積み込んでいると、息を切らしたルースが走ってくる。


「ルース」

「良かった、間に合ったか」


 はぁはぁと荒い息をしつつ、口の端に笑みを浮かべたルースはメガネを掛け直すとシドに向き合う。


「お見送りじゃなさそうだね、どうしたの?」

「先に勇者伝説から神の子の記述を探したんだ、兄のことを知りたがっていただろう?」

「うん。え、何か分かった?」

「もしかしたら、どこかで生きてるぞ」


 ルースの言葉にシドは目を輝かせる。けれど、ルースの表情が明るいものではないことに気がついてシドも興奮しそうになった感情を落ち着かせる。


「でも、なんかありそうだね」

「お前の兄弟と母を食べた王族、神を食べた男、魔王の父、そいつ、死んでない」

「えっ」

「人間としての名は残されていない。今の名称は『カース』だ」

「カース」


 シドは「どうしてカースは生きているの?」と小さく問いかけた。


「肉体は骨までシリウスに溶かされた。だが、神の力をもつ男は往生際悪く、泥となったシリウスと混ざったんだ」

「ということは、封印を解いたらカースも自由になったってこと?」

「ああ。そして神の子は、神の試練に向かう勇者を送り出し、次こそはカースを完全に消し去るために勇者の再誕を待つことにしたらしい。だから、お前の兄はこの世界のどこかにいる」


 シドはルースの言葉を咀嚼しながら、自分のこめかみをぐりぐりと捏ねた。

 兄が生きているかもしれないのは喜ばしい。

 だが、カースとかいう何かが悪さをしているだろうことは悲報だ。


「ねぇルース、リオンさん大丈夫かな。スページの砦で良くない事が起きてるんだよね」

「うん。僕もカースがいるのはスページかもしれないとは思っている」

「森のセレスティアさんの家についてから、安全そうだったらリオンさんのとこに行ってみる。でも邪魔になるかな。ああ、それでカースを消し去る準備をしている兄さんを探したほうがいいんじゃないかってことなのか」


 ルースの言いたいことをようやく理解したシドは、どうしたものかと再度悩む。

 魔障の広がりを抑えるためにはとにかく魔の森にいかないことには話が始まらない。

 けれど「今まで出会ったことのない兄にそう簡単に遭遇できるのか」と悩むシドはぐるぐるとルースとアーユシの間を歩いた。


「ええと、兄さんの名前って分かる?」

「ラク――だからラクアン、ラクランとかそんな感じだと思う」

「へぇ。どっちなのかな?ラク兄さんって呼べば間違いないか。ルース、ありがとう」


 シドの感謝を受けたルースは「早く会えるといいな」と笑みを浮かべた。


「アーユシ、これは必ず身につけてくれ」


 その後、ルースは指輪をネックレスにしたものをアーユシの首にかける。

 不思議そうに指輪を手にするアーユシに、ルースは「僕が保護者っていう印みたいなものだ」と伝えた。


「大事にするね!」


 指輪を守るように拳を握るアーユシに、ルースは苦笑してアーユシの頭を撫でる。


「魔物から逃げるときとか、何かに巻き込まれたときは捨ててもいい。取り戻すことも考えなくていい。大事なのはアーユシだから、それは忘れるな」

「う、うん」


 ルースの言葉にしおらしくなるアーユシがいた。

 言っていることはかなりキザな殺し文句であるのだが、ルースにそんな気が無いのだけは理解できてシドは呆れたようにジト目で見つめた。

 出発前にリオンにも伝えなければならない情報を得たシドは、オスカーとアーユシをぐいぐいと荷車に詰め込むと、まるごと風魔法で浮かせた。

 

「行ってくるね、ルース」


 ルースにそう挨拶をしたシドは上空に浮かぶ。

 そして、額に触れて自分の意思で第三の目を開眼させた。

 悲鳴をあげて抱き合うアーユシとオスカーに構わず「急ぐから」という理由で問答無用で空の旅を強行した。

 魔力切れの心配を感じることはなかったものの「休ませて!」というアーユシの懇願に負けたシドは三日ほどかけて魔の森まで進んだ。


「これ、俺いらなかったんじゃ?」

「でもほら、大人が誰もいないとリオンさん心配するし」


 さめざめと泣くオスカーをアーユシが慰める。空の旅の強行ですっかりアーユシとオスカーは仲良くなっていた。

 そして、アーユシのシドへの好感度はかなり下がっていた。


「ここからは、魔の森だけど」


 ハルジオ方面の魔の森の入口は辺境の村のものとは随分と違い岩場が多かった。

高低差も多く、リオンの示した道も魔法を使うこと前提だったと理解した。

 一人でかなり高いところまで飛んだシドは、目視で魔の森にある建物や落ちた星の泉らしきものを探す。リオンの教えてくれたセレスティアの家らしき建物を見つけたため、シドはそのまま降下した。


「あと一回だけ飛ぶよ」


 シドが提案すると、顔色を悪くしながらもオスカーとアーユシは頷いた。

 魔物の闊歩する森で一番安全な移動方法はシドの魔法であることは間違いないのだ。

 けれどその移動の途中で二羽の鳥型の魔物と遭遇したシドは、魔物の素早さに手を焼いた。リオンがいるならばもう終わっている戦闘だったが、シドが魔物二体を同時に自分一人で戦うのは初めてだったのだ。

 そして、前衛のはずのオスカーはシドのせいで高所恐怖症を発症しているため使い物にならない。


 バシュ、バシュ


 シドが困っていると、空から落ちてきた光に貫かれて魔物が消えた。

 魔物の脅威はなくなったものの、何が起きたか分からずにシドは警戒態勢をとって辺りを見回した。

 何が起こったのか理解できないまま、シドはレンガ造りの建物の目の前に荷車とオスカーとアーユシを先に着地させる。


「やあ、シド。リオンと一緒じゃないのかい?」


 周囲を見渡していると、どこからともなく声がしてシドは首に巻いたマフラーをすがるように握りしめる。


「だ、誰ですか」

「酷いな。セレスティアの墓で助けた僕が敵でないことくらい分かってくれるだろう?」


 相手の穏やかな口調にシドもできるだけ落ち着こうと記憶を遡る。

 そして墓の前、盗賊が徘徊していたはずなのに血溜まりだけがあったあの不気味な場面を思い出した。


「あの、血溜まり?」

「そう!さすが僕の弟!とても記憶力がいい」


 姿が見えない誰かと会話しているシドの目の前に風が渦巻いて、そして、美女のような美しい顔の「シドとお揃いの三つ目」をもつ男が現れた。

 明るい茶髪はシドととてもよく似ている。


「……えっと、兄さん?」

「そう、君の兄だ」


 穏やかに微笑んだ男は「リオンはどうした?」と再度問いかけてきた。


「僕はね、君がこのまま人として人生を終えてくれることを願っていたんだけど」

「アタシたち、魔障の被害を抑えようと思って来たんです」


 シドの背後に隠れ、神々しい美貌の男を直視しないようにしながらアーユシが伝える。


「……まいったな。僕はそのために封印が解かれた後は魔の森に住んでいたんだけど。あんまり効果がなかったのか。つまり、リオンとは別行動ってことだな」

「できることは急ごうって決めたので。一人で最後の防具の回収に行ってます」


 シドは彼とどう接したらいいのか分からず、少し他人行儀に答える。

 人と仲良くなるのが得意な自信がシドにはあったが「兄」らしき人にはどうすればいいのか分からなくなっていた。

 シドはオスカーの隣に移動して、その影から兄をじっくりと観察する。

 とても美しい顔立ちなので、正直自分の兄と言われてもシドはあんまり納得ができていなかった。


「おっと、警戒されてしまった」

「やっぱり何か良くないですか?カースとかいうのが自由になってるかもしれないって友達が教えてくれたんですけど」

「よし、とりあえず荷解きをしようか!」


 シドの言葉を無視して提案してくる男を、シドはムスッと頬を膨らませて見つめた。


「ほら、夜になると冷えるからね」


 シドをたしなめるようにうかべた男の穏やかな笑顔は、シドがシリウスの泉で見た「本当の母親」とそっくりで、少し勇気の出たシドはおずおずと男に近づく。


「俺、兄さんの名前知らない」

「ん、これは失礼。僕の名前はラクラン。人にはラクって呼ばせてるけどね」

「ラク兄さん。リオンさんのこと、知ってるんだね」

「ふふ、なにせリオンに言葉を教えてあげたのはこの僕さ」


 対話を試みたシドは、ラクランがシドの知らない「リオンをよく知っている」という空気を出すのが気に食わなくて、話を深堀りすることなくそこで会話を切り上げた。

 突然距離をとられ、扉を開く鍵を探すシドの背中を「あれ?」と不思議そうに見つめたラクランはポツンと立ち尽くす。


「シドってリオンさん大好きなので、嫉妬ってやつです」

「なるほど。嫉妬かぁ、可愛いなぁ」

「あれが可愛い……」


 一応フォローしようとしたアーユシは、ラクランの予想外の反応に呆れた。

 可愛いと言うなら「もういいか」とそれ以上シドをフォローする会話を諦めたアーユシは、鍵を見つけて扉を開いたシドの手伝いを始めた。

 そんなシドたちを手伝うことなく面白そうに眺めているラクランにオスカーが近づく。そして、膝をついて丁寧な挨拶をした。なにせラクランは伝説になった偉大な人物なのだ。


「オスカーと申します、ラクラン様」

「ああ、ラクでいいよ。ほら立って」

「では、ラク様」


 伝説の人物が生きて目の前にいることが信じられなくて、ラクランが吐き出す魔霧にも怯えずに立ち上がったオスカーは握手を求めた。

 その手のひらを見つめた後、ラクランはオスカーの態度に気を良くして握手に応じる。

 オスカーが怯えなかったのには実は理由がある。

 魔の森を覆っていた魔王の魔霧と、シドとラクランが吐き出す魔霧は濃度が違うのだろうことをオスカーは理解していたからだ。オスカーがそう理解できるのは、出発前に普通の人間であるオスカーの同行に問題がないか何度も検証したからである。


「それにしても、赤ん坊だったシドが大きくなったねぇ」


 とても嬉しそうに笑うラクランに、オスカーは思わず問いかけた。


「なぜ、ラク様がシドを育てなかったのでしょうか?」

「そりゃあ、人として生きて人として死んだほうがあの子の為だと思ったからだよ。何かを激しく憎んだり恨んだりしてシリウスの呪いと繋がることがない限り、あの子はただの人として生きて死ぬことができたはずなんだ」

「人として」

「そう。でも、そうはならなかったけど」


 少しだけ寂しそうに笑った後、ラクランはシドに向かって歩き出した。


「さてシド、兄さんも手伝おうか?」

「じゃあ煙突の掃除して」

「おっと、これは容赦ない」


 初対面、出会ってまだ一時間もしないというのになかなか手厳しいシドの言葉にラクランは楽しくなって笑った。楽しくなくても笑顔を浮かべることが常であるラクランにとって、予想外の反応をみせる弟は刺激に満ちていた。

 上機嫌に掃除道具を取りに行くラクランを見てシドは「失敗したかな」と不安そうに眉尻を下げる。

 そんなどうすればいいか分かっていないシドの様子にアーユシはため息をついた。


「寝るところどうする?アタシがセレスティアさんのベッド使っていいんだよね」

「うん。俺がリオンさんが使ってた部屋使えばいいって」

「でね、シド。あの人、あんたが何しても可愛いって言うだろうから覚悟しといた方が良いよ」

「あの人が兄っていうのは分かるし、話をするにもリオンさんのところに向かうにも落ち着かないといけないってのはそうなんだけど。せめてあの話し方どうにかならないのかな」

「うさんくさいもんね」


 シドの言いたいことを理解したアーユシは深く頷いた。

 いかんせん、ラクランの話し方はとても胡散臭いのである。





 荷物の整理を終えた一行は日暮れ前に落ちた星の泉まで徒歩で向かった。

 というのもラクランが「シドとリオンを追いかける」からと言ったためだ。

 泉の周辺はセレスティアが死んだ後、ラクランが何年も見回っていたため強力な魔物はいない。だから「少しの間なら護衛はオスカー一人で大丈夫だ」と三人を安心させるように告げた。

 セレスティアの家からそう遠くはない位置にあった泉に、いざ辿りつく。

 おどろおどろしい見た目にゴクリと息を呑み込んだ後、アーユシはアメリアに直接教えられた祝詞を唱えた。

 そして、落ちた星の泉に手を翳すと、泉全体に大きな結界が張られる。

 泉というよりは底なし沼と呼びたくなるおどろおどろしい見た目ではあるけれど「自分にしか出来ないこと」を果たそうとアーユシはしっかりと役目を果たした。


「よくできました。これなら三日に一回結界の張り直しをすれば呪いの拡散は防げるはずだ」

「えへへ」


 ラクランに褒められたアーユシは照れくさそうに笑う。


「これで大丈夫なの?」

「ああ」


 少し不安そうなシドにラクランは自信に満ちた表情で頷く。

 それに安堵したシドは「凄いねアーユシ」と微笑んだ。


「さて、カースね。まぁちょうどいい名称かな」


 シドがルースから聞いた「カース」について告げるとラクランは深く頷く。

 そして、透明な玉を空中に浮かべた。


「これは?」

「うん、名前なんて呼びたくないから僕もカースと呼ばせてもらおう。これはね、カースに心臓をつくる道具」

「心臓をつくる?」

「そう。神の心臓は鉱物のような見た目なことは理解しているよね?今のシリウス教が使うのは母様の心臓だろう?」


 ラクランの言葉にシドは口をつぐむ。なんと言えばいいのか分からなかったからだ。


「ああ、母様の心臓がいいように使われているのは母様自身の意思だから気にしないで良い。優しいね、シド」


 シドの表情の変化に気づき、頭を撫でられたことでシドは素直に頷く。

 

「とにかく、こうやって疑似心臓さえ作ってしまえば概念のような実態がない存在でも殺せるんだよ。母様もそう、僕たちを生むために肉体と心臓を得た。だから死んでしまった」


 ラクランの説明はシドには少し分かりにくかった。

 噛み砕いて説明すると「玉にカースを封印して砕けば、人格を消失できる」とラクランはシドに伝えた。その言葉を聞いて、シドは必死にルースの説明を思い出す。


「今って呪いの中にシリウス様とカースが混ざっていて、その玉にカースを封印したら呪いとはつまりシリウス様になるってこと?」

「うん。そう理解していれば分かりやすい」


 ラクランが頷いたことに納得する。

 そうしてラクランは泉を見ながら話を続けた。


「シリウス様は人間を憎んでいるけど人間を愛してもいるんだよ」

「そうなの?」

「そうさ。だからわざわざ自分を殺すための勇者の防具や聖剣を用意した」

「あ、そっか」


 そこでシドは聖剣や伝説の防具が都合よく用意されていた意味を理解する。


「でもね、僕らは人間がどんなに好きでも一緒に生きるべきではなかったんだ。いいかいシド、君はもう人間としては生きられない。リオンがシリウス様を浄化したら、兄さんと一緒に隠れて生きることになる」


 真剣な表情で告げられた言葉をシドはなんとか飲み込もうとする。


「リオンさん、とも?」

「――リオンは」


 すっかり肩を落としてしょげるシドに、ラクランはもっと残酷なことを告げなければならないと察して拳を強く握った。


「リオンは、死んでいるんだ」

「――え」


 言葉の意味が分からないシドは呆然とラクランを見つめる。


「リオンの身体は、シリウス様が作ったもの。泥で出来ている」

「うそ」

「勇者の肉体は三百年前に滅んでいる。だが、神の課した魂の試練に勇者の魂が耐えきったとき、はじめの契約を果たせるように魂の情報に沿った肉体を用意したんだ。だからあれは、佐伯璃音という少年の記憶を正しく持った泥男だ。シリウス様が浄化されれば泥が消える。つまりシリウス様の泥でできたリオンは死ぬ」


 シドの頭の中にジニールの街での事が思い出されて、震えだす。

 砂になって消えたあの残酷な出来事が、自分たちにも降りかかるのだ。

 あまりの恐怖でどうにかなりそうだった。

 なにより、勇者として役目を果たした先に待っていることが、そんなに救いがないなんて「あんまりじゃないか」とシドは膝から崩れ落ちる。


「リオンさん、僕たちの未来のために勇者になるって言ってくれたんだ」

「そうなんだね」

「でも俺は」

「そうだよ。神から生まれたことを自覚したのだから、人として生きることはもうできないんだ」


 手のひらで顔を覆ってシドはどうしたらいいか分からずに首を横に振る。


「なんで、こんなこと話したの」

「それはね、旅の終わりが近いのに、覚悟ができてないから」


 ラクランの容赦のない言葉にシドは耐えきれなくて涙をあふれさせた。


「リオンさんには言うなってこと?」

「リオンに未来を信じさせてやることが君にできることだよ、シド」


 ラクランに涙を拭われて、シドはさらに涙を流した。

 どうしたらいいか分かっていてもすぐに決断できるほど、シドは大人ではないから。

 辺境の村での穏やかな日常に帰りたくて。

 大義のために大切な人が失われるのが納得いかなくて。

 大声で「嫌だ」って我儘を言うことも出来ずに、ただラクランにしがみついた。





 毛布に包まれてぼんやりとしていたシドは、自室にしている部屋のドアが開いたことで顔をあげた。

 森全体の巡回に行くと風になって消えたラクランではないことが分かったのでむくりと素直に起き上がる。


「アーユシ?」

「うん」


 小さなシルエットに誰が来たのか理解したシドは小さく声をかける。

 返事が返ってきたかと思えば、遠慮なくベッドにのりあげたアーユシはシドの毛布のなかに潜り込む。


「へ、へぇっ!?」


 顔を真っ赤にしてカチカチに固まるシドを見て、アーユシはニヤリと笑う。


「シドってば意識してる?」

「してるから離れて!」


 正直者のシドから離れると、二人は並んでベッドに座る。同じ毛布を肩からかけた。


「あのね、シド。リオンさんに言っちゃっていいと思うよ、ワガママ」

「でも」

「アタシたちのことリオンさんって『子どもたち』っていうじゃん。ルースも一括りにして」

「うん」

「だからね、正直に話すのが一番だと思う。ラク様って何年生きているか分からないけど、三百年前にはいたんでしょ?だったらシドはこのままだと、これから何百年も後悔しながら生きることになるよ」


 アーユシの言葉にシドは目を瞬かせる。それから、自分の手のひらを見つめた。


「そっか、そうなんだ……でもリオンさんが苦しいのは嫌だ」


 助言を受けて尚、悩むシドにアーユシは「じゃあ占いをしよう」と提案した。


「占い?」

「うん、水筒にシリウスの泉の水を入れてたんだ。それで、コレ。ルースのくれた指輪。キレイな石がある。多分宝石、石より効果がありそう。だからこれを使おう」


 オスカーが居間のソファで寝ているので起こさないように移動しながら桶に水を張ってからアーユシはネックレスから指輪を取り出す。


「宝石が割れたらワガママを言う。割れなかったら言わない。どう?アタシの占いは信じられない?」

「ううん。でもそれじゃ、アーユシの大事な指輪が駄目になるかも」

「いいよ、宝石が割れるだけだもん。指輪はなくならないから」


 水の中にチャプンと指輪を入れていしまったアーユシに戸惑いながら、シドはアーユシに促されるまま、一緒に手を翳した。

 一度水面が強く光った後、粉々になった宝石が桶の底に沈んでいた。


「ほらね、言ったほうがいいよ」


 結果を見たアーユシは自信満々にシドの背中を叩く。それにシドも「うん」と頷く。


「ふぅん。まぁ、それならそれでいいよ。兄さんはシドの決めたこと応援しようじゃないか」

「ラク兄さん」


 いつの間にいたのか、背後から桶を覗き込むラクランの姿にシドは目を丸くする。


「さて、ハルジオとスページの境の魔の森をリオンが通過した。どうする」

「じゃあ、できるだけ早くスページに行こう」

「ちょっと待ってね」


 色のついた石を水に投げ入れた後、アーユシは顔をあげる。


「首都のレーヴィレ、時間は夜。占いを参考にしてね」

「ほう、君は次の大聖女になれそうだ」

「ほんとう!?」


 アーユシの占い結果を見たラクランの言葉にアーユシは笑顔を浮かべる。

 自分の占いを神様のごとき力をもつ人に評価されて嬉しかったからだ。


「じゃあ、明日の夜に間に合うように朝には出発しようか、シド」


 ラクランの提案にシドは「うん」と覚悟を決めて頷いた。





 刀を構え直したリオンを見て、ラクランの腕から飛び降りたシドはリオンにまとわり付こうと迫ってくる魔物を吹き飛ばす。


「リオンさん、ラク兄さんが疑似心臓を作るからそれを聖剣で斬って!それまで俺と時間稼ぎ」

「分かった」


 ラクランの額とシドの額に同じものが浮かんでいることが答えである。

 リオンはシドに守られながら、偽勇者が逃げられないように炎で囲う。水魔法を使う相手では相性が悪くてもシドがいるならば話は別だ。


「シド、火を大きくしてくれ」

「任せて!」


 天に向かって昇る炎の柱の中から悲痛な悲鳴が聞こえたものの、そんなことには動じずリオンはシドの助けを借りながら火魔法の温度を上げていく。

 周囲が高温になり酸素が減ったことで息苦しくなった頃、ラクランによってポーイと軽い仕草で透明な玉が投げ込まれた。

 炎ごと吸い込んだためか、内部で炎が揺らめく玉がコロンと転がる。

 聖剣を構えたリオンは、その玉を一刀両断した。

 光った後に玉は崩れるように消えていく。


 ドロリ


 玉が完全に消え去ったのち、周囲に倒れていた魔物が泥となっていくのをリオンは「やっぱり助からなかったか」と思い、虚しい気持ちで見つめた。

 辺りを確認すれば、破壊され尽くした謁見の間がある。さらには炎の柱を作った影響で城壁の一部が高温で溶け、赤く光っている。さらに、敷地内は魔物の残骸である泥だらけである。


「やべ」


 いくら許可を得たとはいえ、あまりの惨状である。遠慮なくやりすぎた気がしたリオンはヴォルフに「いかにこれは仕方がなかった」かを伝えなければならないと考えて、こめかみをグリグリとする。

 いい感じの表現がすぐには思いつきそうになかったため、リオンは窮地を助けてくれたシドとラクランに「助かった」と改めて言葉にして感謝を伝えた。

 神殺しという予想もしていなかった敵だったことから、ラクランの準備がなければ倒すことができなかったのだと理解していた。




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