ノールス大聖堂
大聖女のプライベート空間に案内されたリオンたちは、加齢ゆえにだろう落ちくぼんだ目をした老齢の女性に対面した。
「いらっしゃい、会える日を楽しみにしておりましたよ」
優しげな声音と、しわを深くして穏やかな笑みはまさに聖女の姿だった。リオンはバンダナを外すと丁寧に頭を下げる。生きてきた年月も人格もリオンよりはるかに上で、敬意を払って会話すべき人物なのはすぐに理解できたからだ。
「慈愛に満ちた表情」というのはまさに彼女の浮かべるものがそうなのだろうという印象をリオンに与えた。
「佐伯璃音と申します。リオンとお呼びください」
「シドです」
「ドリエルの弟子、ルースです」
「アーユシです」
リオンに倣って全員が自己紹介をしながら頭を下げると、聖女は微笑ましそうに笑みを浮かべる。
「ええ、あなた達のことも聞いていますよ。わたしはハルジオの大聖女アメリア。おばあちゃんと仲良くしてね」
シドとアーユシは言葉を素直に受け取って嬉しそうな笑みを浮かべる。
ルースは恐縮したように縮こまり、リオンもそんなに気安く接する気にはなれなかった。
「リオン、あなたが勇者として扱われる気がないのは理解していたので、わたしは黙っていました。ですが、あなたが勇者として名乗りをあげたというのならわたしはあなたに伝えなければならないことがあるのです」
リオンは自分が気遣われていたことを知り、アメリアに感謝を伝えるために頭を下げる。
「わたしは、セレスティアの友達だったのですよ」
「えっ」
「わたしを拾って育ててくれたのはセレスティアでした」
アメリアの意外な経歴にリオンは目を丸くする。
「そして、遺言を預かっていたのです。そこの机に聖剣を置いていただけますか?」
リオンはアメリアに言われるがままに机に聖剣を置く。それを見て頷いたアメリアはウィリアムに支えられてゆっくりと歩き、机の前まで進む。
聖剣に手をかざしたアメリアはすうっと息を吸い込んだ。
「では、約束を果たしましょう」
その言葉の後に、光が溢れ聖剣からホログラムのように女性の姿が浮かぶ。
実際の三分の一くらいのスケールではあったが、そこに浮かんでいたのはセレスティアの姿そのものだった。
「セレスティア!」
ホログラムに向かって叫ぶリオンの表情と彼女の額の「第三の目」を見てルースもシドも正しく状況を理解する。
『リオン、ありがとう。そして、ごめんなさい。あなたには辛い思いをさせたわ。でも、あなたなら未来に向かって歩いてくれると信じていたわ』
「セレス」
『そうよね、あなたは怒れるシリウスと契約して異世界を渡り歩いた「初代勇者」の魂の持ち主なのだから』
「……」
一方的に話すホログラムに、リオンは項垂れながらも話を聞く。
彼女の遺言はリオンにとって意味のあるものなのだろう。
『六度の死を経験してなお、あなたの魂が世界を呪わないなら。あなたは聖剣を引き抜き、シリウスの用意した防具を集め、落ちた星の泉に眠る、呪いとなった神を鎮めることができるのです』
三百年で六度の死を経験した勇者の魂。
自分の胸を抑えてリオンは瞬きをする。
『シリウスの試練は残酷な人生をあなたに与えたでしょう。それでもあなたは聖剣を引き抜いた。どれほど過酷な人生を歩もうと世界を呪わぬあなたの魂が嬉しかった』
以前自分を騙したのかと訝しんだ彼女の笑みの真相を意外なところで知る。
『あなたがいなければ、罰として呪いの肩代わりをして悠久の時を生きなければならなかった。呪いを解放するためのわたしの死は、あなたが聖剣を引き抜き、神を鎮めることが確信できたから選びました。この世界を呪いの大地とした贖罪のために。私には呪いのない世界を生きることなど許されてはいないから』
ホログラムのセレスティアは祈りを捧げる。
『これからリオンに願うことは、全て私の我儘だと分かっているけれど。どうか、呪われていない大地であなたには幸せな第二の人生を歩んでほしい。ああ、言ってはいけないと自分を戒めていましたが。でも、やっぱり言わせてください」
花飾りを手にして優しく微笑んだ。
『リオン、あなたのこと愛しています。魔王となった人生で最後にあなたと過ごした数年が一番、輝かしく、楽しいものでした。あなたと出会えたから、私は幸せな人生を送れたと断言できます。だから、ありがとう、リオン』
その言葉を告げたのち、聖剣から光が消える。
セレスティアの遺した言葉には多くの疑問の答えがあったけれど、同時に多くの疑問が残った。光の消えた聖剣をただ抱きしめるリオンは、それどころではなかった。
空気を読んだ一同がそれぞれ頷き合ってしばらくは「リオンを一人にしよう」と出ていく。
リオンを見上げたシドは「行こう」というルースの言葉に、首を横に振った。
「リオンさん」
リオンが反応するまでシドは何度でもリオンを呼び続けた。
続けてではなく、間をおいて五回目くらいに呼びかけたときにリオンは顔をあげる。
「シド」
どこか情けない声で応えるリオンにシドは笑顔を浮かべた。
「俺もね、リオンさんのこと大好きだよ。リオンさんが好きになった人が悪い人じゃなくて良かった」
シドの言葉を受けて、リオンは涙を流さないように顔を上にあげて、言葉を何度も反芻して「うん」と、どこか幼く頷いた。
「なぜ魔王になったのか分からなかったが『贖罪』というからには、セレスティアにはいろんな事情があったんだろう」
呟いてからリオンはなんとなくシドを見る。答えが出ないと分かっていながら問いかけた。
「なぜ、はじめから全てを話してはくれなかったんだろう」
「……わからないけど、今のリオンさんと昔のリオンさんはやっぱりなんだか違ったのかも」
聖剣一つで得た強大な力に万能感を得ていたかつてを思い出す。そしてセレスティアの死で自分の無力を悟った今のリオンは確かにかつてとは別人ではあるのかもしれない。リオンはそう考えて納得する。
もしも当時のリオンが勇者の防具を全部集めて今のような巨大な力を得ていたら「セレスティアを殺すなど絶対に出来なかった」と思う。
自分が未熟だったことをどうしようもなく理解して、リオンは乾いた笑みを浮かべた。
俯いていた顔をあげたリオンは、切り替えるようにパンっと顔を手のひらで叩いてシドを見る。
「もう大丈夫だ。詳しいことをアメリア様に聞かなければならないな」
「うん」
シドはリオンの言葉をうけると扉を開いて「もう大丈夫」と部屋の外に待機していた面々を呼ぶ。歩くのが辛そうなアメリアを見てシドは魔法を使おうとして、ウィリアムに睨むような視線を受けて諦める。
攻撃するようなものではなくても護衛に睨まれたら使うものではない。
「さて、何を話そうかしらねぇ」
ゆっくりと椅子に座ったアメリアは、目を閉じて悩むように頬に手を添える。
それにリオンは確認するように質問した。
「勇者のすべきことは伝説の防具を集めて、神の怒りを鎮めること、ということでよろしいですか」
「そうね。世間に公表するには文献でそういった記述を探す必要があるけれど、セレスティアが言うならば、それが貴方の役目なのだと思います」
「なら、疑問は残るものの俺の優先することは伝説の防具を集めることでしょう」
リオンは短期目標を決めて頷く。
そんなアメリアとリオンの会話に割り込むようにアーユシが手をあげて「大聖女様!」と声をあげた。かなり無礼な行いではあったが、プライベート空間ということとアーユシがまだ幼いということもあり、聖女の護衛であるウィリアムとオスカーが目を瞑ったため、アーユシのちょっとした問題行動は許された。
「アタシ、占いで 『落ちた星の泉に行きなさい』って出たんです!私の役目は何なのでしょうか」
「アーユシは聖女でしたね。ああ、イラードでは巫女と呼ぶんでしたか」
アーユシを手招きで呼び寄せたアメリアは、アーユシの頭上に手のひらをゆっくりとかざして何かを占う。
「貴方には呪いの拡散を防ぐ力がありますね」
「えっ」
「じゃあもしかして俺とアーユシは、リオンさんより先に『落ちた星の泉』にいた方がいい?」
神秘の紋章を覚醒させて魔王のように呪いの肩代わりをし、アーユシが呪いの拡散を防ぐ。それが魔王が死んだ後、勇者が神を鎮めるまで「もう一人の神様」がこの大陸の人々のために残した対策なのではないか。
そんなことを考えたシドの発言に、リオンは渋い表情を浮かべる。
「でもねリオンさん。俺はきっと『魔王』じゃないよ」
そう告げたシドは、自分の意思で額の紋様を浮かび上がらせる。
「シド!」
「俺のことを大聖女様に質問しないでどうするの。アメリア様、俺の額のものはセレスティアさんとは違うものですよね」
「……ええ。あなたの額にある目はなんて優しいのかしら。縦に裂けていたセレスティアのものと、あなたの横に開く目は確かに違うわ。そもそも、怒るシリウス神に呪われて魔王になるというのなら、聖女や巫女でないとセレスティアの話と整合性がとれないわ」
アメリアの肯定を受けてシドは確信したように頷く。
「あなたの額の紋様をどこでみたんだったかしら」と、アメリアだけはのんびりと思い出すように首をかしげる。
「俺、シリウスの泉でアーユシに本当の両親のことを占ってもらいました」
「うん、確かにそうだったね」
アーユシもシドの言葉に頷く。
「俺の本当の母親は人間ではありません」
ルースはその意味を察して目を見開く。
その言葉はルースの読み解いた「神の子」を肯定するものだ。けれどそれを誇張表現だと思っていたルースにとって、真実「神の子」であるとは予想外にも程がある。
(ああでも、その話題のときに「神の子なの?」と問いかけるアーユシにシドは否定しなかった)
そう、ルースは気がついてしまう。
「俺は、女神と人間の男の混血児です」
シドの宣言は、そこに渦巻く魔力と、その神秘的な紋章がそれを証明する。
そんな宣言に耐えきれないように場を沈黙が支配した。
そんな中でもなお、何かを悩むようにしていたアメリアは、思い出したように顔をあげた。
「ああ、シド、そうだわ、シド。教会の前に捨てられていた子。私に仕えていた聖女ジュリアが怪我で引退する騎士と結婚するから「故郷に連れ帰って子育てする」といって連れて行った子」
まさか母親に大聖女と繋がりがあるとは思っていなかったシドは、少しして両親の「子どもができないからシドを引き取った」という嘘に気づき目を見開く。
シドをどうやって引き取ったのか告げなかったのは、きっと嘘を貫き通すためだ。
「そう、だったんですね。ともかく、俺は『魔王』じゃない。なら、俺の役目はリオンさんの準備ができるまで呪いを防ぐことだと思う。だからリオンさん、俺はアーユシと先に『落ちた星の泉』に向かうよ」
「それは」
「ミーシャさんみたいなこと、もう嫌だから。何かやらせて」
懇願するようなシドの言葉に、なにも返せなくなってリオンは沈黙した。
その沈黙に納得してもらえたと感じたシドは額の目にある瞼を閉じる。すると紋様が額から消えた。
「僕の仕事は、セレスティアさんの遺言の裏取りと、魔障への治療と対策の文献を探すことでしょうか」
ルースは眼鏡をあげてリオンに確認をとる。それにリオンは「頼む」と頷いた。
「勇者」の活躍で世界から「呪い」が消える。
ウィリアムは目を輝かせて「勇者」の仲間たちを見た。子どもだと侮るには全員に覚悟があることが分かり、つい胸が高鳴ってしまう。
それをオスカーに冷めた目で見られてウィリアムは誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた。
・
ノールス大聖堂の一角に、旧教会時代の聖堂がそのまま再現された場所がある。
そこに入ったリオンはまず聖堂の天井にあるフレスコ画を見た。そこには「火の海」と表現できる光景が描かれていた。
赤。一面の禍々しい黒みをおびた赤である。
「これはシリウスの大火。大陸にあった神話時代の全てを焼き尽くした、怒れるシリウスの炎」
アメリアは全員の視線が壁画にあることを察してその画の意味を解説する。
同行していたウィリアムとオスカーもこの旧教会時代の建物自体は初めてだったのか興奮したように観察していた。
リオンは一度アメリアを見てから頷いて、今までの聖堂と同じように祭壇に飾られている「ガントレット」を手に取る。
光った後にそれはブレスレットへと変化した。
リオンがそれを腕にはめたと同時に魔力が増強した。
リオンは、内側にこもる熱を感じながらもう一度天井を見上げる。
(全てを焼き尽くす)
フレスコ画の時系列で行けば、ハルジオが始まりだろう。次にイラード、そしてシュリグラ。
焼き尽くし、呪いとなり、勇者と戦う。やはりシュリグラでみたあの画は、魔王と勇者の戦いを描いているわけではなかった。
「終わりました」
「ええ、とても奇跡的な光景をみさせて頂いたわ」
腕輪をはめてから振り返ったリオンに、アメリアはにこやかな笑みを浮かべる。そして備え付けのベンチに座るように全員を促した。
一つのベンチにアメリアとアーユシ。隣のベンチにリオンとシド、そしてルース。アメリアの後ろにウィリアムとオスカーが座った。
全員が座ったことを確認してアメリアはゆっくりと語りだした。
「わたし達、聖女の奇跡の力はどこから来ていると思いますか」
「聖女の力は、神話時代に王国を築いていた人間の血筋だと聞きましたが」
「ええ、そう。聖女や巫女は本来なら「魔女」と呼ばれるべき人間なのです。この奇跡の力こそ、神の怒りの発端なのです」
アーユシを隣に座らせたアメリアはルースの言葉に頷きながら、よしよしとアーユシの頭を撫でる。アーユシは気持ちよさそうにその手を受け入れた。
その隣のベンチでリオンは腕輪をさすりながらアメリアの言葉に耳を澄ませる。
「シドのような神と人間の混血児は、神話時代の人間にとってとても魅力的で、そして嫉妬の対象だったそうです。見た目はほとんど人間でありながら、人間が望む何もかもを手に入れた神の子。女神の寵愛、神に選ばれた人間の父親、シリウスの加護、健康な身体と潤沢な魔力。それを神話時代の王族は羨み妬んだ。どれほど自分たちが特別だと喧伝しようとも、神の子という正真正銘の特別が存在していたのだから」
一人目の子は勇者とともに怒れるシリウスと戦った。
二人目の子は人間に殺された。
三人目の子は女神がどこかへ隠した。
「なら、シュリグラの画に描かれていたあの人って、俺の兄ちゃんなんだ」
シドの呑気な感想にリオンは少し気を緩める。この話に一番関連がありそうなシドがこの態度だからである。
「二人目の子を殺した人間の王族は、その血を啜り、その肉を喰らった」
そうして絶大な魔力を得た男は女神の住む神殿を襲撃した。女神の伴侶の男を殺し、三人目の子を人質に女神までも殺した。
そうして、女神の血を一族で分け合った。
神を食べた王族は、一族を率いて、さらに強大な力を求めてシリウスをも襲った。
「そうして、妹神、もしくは姉神。己の対となる性を殺されたことを知ったシリウスは世界を焼き尽くした」
天井を見上げたアメリアは、その炎により世界から多くのものが失われたのだと語った。
「セレスティアはその王族の娘。女神の血を飲んだ一人。最後に残った神話時代の王族だったのだと聞きました」
そして、女神を食べた人間の中に、魔力とは違う、奇跡の力を使う「聖女」が現れた。
聖女は女神の死後、唯一残った「女神の心臓」を神石にするために砕き、形だけ残っていたシリウス教を「贖罪」と教義の根幹を変えて再興した。
「神が怒っているのは我々が罪人だからだ」と。
その罪を大陸に生きる全員に押し付けた。
「神話から現在までたかだか三百年。ですが、一度この大陸が徹底的に焼かれたのなら、伝わるものが少ないことも理解できます」
ルースは先祖にあたる人々の行いに他に何も言えなくて、己の胸にある神石を握りしめながら呟いた。
聖女は「魔女」と呼ばれるべきという、アメリアの主張を誰もが納得してしまっていた。
「これは、セレスティアに教えられた歴史です」
アメリアが心苦しそうに胸を抑えるので、アーユシは優しくその背をさする。
「セレスティアはいつも言っていました。試練を乗り越えた勇者様が、いつか魔女の王たる私を殺し、世界を呪いから解放してくれるのだ、と」
リオンは目を閉じて、自分の前世の記憶などないからなんとも言えずになんとなく首を擦る。日本にいた頃の人生が一つの試練だというなら、それはどこか納得してしまったが。
リオンの隣に座るシドは、自分の本当の母と兄弟がどういう死を迎えたか、それを知っても誰かを恨む気にはならなかった。
なぜなら全ては三百年前のことで、生きている罪人はもうどこにもいない。
巫女や聖女に継承された力があったとしても、神石を使うルースも、巫女の占いをするアーユシも、シドにとっては友人であり、家族の仇ではない。
「そういえば、勇者と行動したっていう俺の一人目の兄ちゃんは、どうなったの?」
「ごめんなさい、その顛末は分からないわ」
シドの質問にアメリアは申し訳なさそうに謝罪する。
なんでも答えてくれた(アメリアでも分からないのか)と、気落ちしているシドにルースが声をかけた。
シドの疑問を解決してきたルースが「僕がいるだろう」といいたげにシドを見る。
「シド、調べることは減ったから僕が時間を見て神の子の記述も見ておく」
「うん、ありがとう!」
(シドを愛情深く育てたあの夫婦は、もしかしたら世界を救ったのかもしれない)
微笑ましいルースとシドを見ながら、リオンはそんなことを考えた。
シドは、あの両親の教育によって賢く優しい子に育ったのだから。
そして、シドが年齢のわりに成長が遅かった理由もなんとなく理解する。結局のところ魔王ではなくともシドは「長い人生を生きることになるのかもしれない」と、それを察してしまったが為に、リオンはシドのこれからの人生が心配になった。
・
研究のために「資料室に行く」というルースとは別行動ということで、リオンとシドとアーユシはノールス大聖堂の外にでた。隣にはウィリアムもいる。
宿泊先を探そうと話し合っていると、ウィリアムが部屋を提供してくれるということで、ハルジオでの宿泊先の確保はできたためだ。
階段を降りていると、ヒュウと冷たい風が吹いた。肌寒さを感じたリオンは思わず腕を擦る。
子どもたちは「大丈夫だろうか」と様子を見たリオンは、シドとアーユシが震えているのを見て「そろそろ本格的な防寒具が必要だ」と思いウィリアムに問いかける。
「すまないが、子どもたちが薄着だ。どこか古着を扱っている店を知っているか」
「ああ、そう言えばもうすぐ年越しですもんね。どうりで寒いはずだ」
ウィリアムはシドとアーユシの服装を見て「年越しするには寒いな」と、納得したように頷く。
「雪が降り始める今からは、もっと寒くて旅に適していない季節になるんだが」
ウィリアムが心配そうにシドに問いかけると、シドは「でも魔の森に早く行けば魔障の犠牲者は減るよ」と不思議そうに答えた。
「アタシも。シドと一緒なら大丈夫。アタシにしかできないことがあるなら頑張るよ」
アーユシもシドの腕にしがみつきながらリオンよりも先に「魔の森」に行くことを宣言する。シドの独断のように見えたがアーユシにも不満はなかったらしいことに気づいたリオンは安堵する。
(まあ、アーユシは文句があればちゃんと言える子だ)
普通の人にとって、魔の森は基本的に凶悪な魔物の住む死の森だ。
待っていればそのうちリオンが呪いをどうにかできることが分かっているはずなのに、それでもなお、リオンの準備ができるまでの間に「できることがあるから」「犠牲者が増えないように」と、そんな尊い気持ちで魔物の巣に飛び込む覚悟をみせる子どもたちに、ウィリアムは感動と同時に、子どもに負担を強いることを複雑に思って二人を同時に抱きしめた。
「君たちは本当に優しいな。リオン様、シド君たちに副官のオスカーを護衛につけましょうか。あの男は常識もありますし、強さも信用できます」
「そうしてくれると有り難い。シド、どうだ?魔霧を発生させると近くにいる人に害がでそうか?」
「長期間でなければ大丈夫だと思う」
「アーユシは?シドとオスカーと旅をすることに不安はあるか?」
「ううん、ないよ。アタシにはもう巫女っていうちゃんとした身分があるんだもん。それに、シドが一緒だから大丈夫。守ってくれるよね?」
アーユシよりも身長の低いシドは抱きつかれて恥ずかしさがないまぜになったように複雑そうにしていたが、同じ年のアーユシの全幅の信頼を寄せる発言には嬉しそうに微笑んだ。
そんな様子を「随分と仲良くなったな」とリオンも微笑ましく見守った。
「じゃあ、念入りに防寒着を用意しなければな。冬支度だ。別行動になれば俺の火魔法もなくなるし、少し不便になるだろう」
リオンの提案にシドは頷く。
少し恥ずかしそうにシドとアーユシに「どうせならリオンさんとお揃いのものがあると嬉しい」と言われたリオンは、マフラーに色違いのものがあるといいなとぼんやりと考えた。
「そうか、俺の準備も必要だな」
先行する子どもたちに負担がないように準備が出来次第、もう雪の降っているスページに急いで向かうことにしているリオンは、冷たい風に肌寒さを感じながら曇天の空を見上げた。
そう、雪が降っていようと出発はできる限り早くだ。伝説の防具の効果で単独行動なら問題なく進むことができるだろう。
といっても正直リオンは目的地のスページのことを「シュリグラと仲が険悪」で「寒い国」で「銀髪の多い国」ということくらいしか知らない。
そこでふと銀髪を思い浮かべたことで、セレスティアの姿を思い出して無意識に聖剣に触れる。
(ああ、そうだ。ラクは今どこにいるのだろう)
リオンはハルジオにいることで、当時一緒に旅をした男を思い出す。
ラクは、美女のような顔をした迫力のある男だ。
召喚されたばかりのリオンは崖から落ちて川に流され、そして流れ着いたのはハルジオでもとくに治安の悪いところだった。そこで死にかけたうえにやさぐれたリオンを保護したのがラクだった。
その後リオンを探しに来たセレスティアと合流して、リオンはその間に二人に言葉を学びながら、三人で少しの間ハルジオを旅したのだ。
(言葉を覚えた頃に「探し人がいるから違う国に行く」というラクと別れたが、果たして探し人は見つかったのだろうか)
「リオンさん、ぼんやりしてどうしたの?今日は休む?」
「いや、大丈夫。心配かけたな」
シドに答えてから、リオンはウィリアムについて行った。
とりあえずウィリアムが街の人に店の情報を聞き込みをすれば、次々と自慢の店を紹介された。
まさに「ハルジオの勇者」さまさまだと感じたリオンは、案内された店で「勇者様の連れ割引」をしてくれるという言葉に甘え、金額を気にせずに防寒具を中心に買い揃えた。
マフラーは色違いのものがあったし、シドとアーユシには手袋を買い、二人が気に入っているコートはそのままに中に着る服は厚手のものを見繕う。
いくつか旅に不必要なかさばる毛布類も、魔の森にある「セレスティアの家で落ち着く際に使用するように」と、もたせた。
それからセレスティアの家の鍵をシドにもたせたリオンは、シドに魔の森に入ってからの簡単な道順を教えた。
近道をするには崖を登らなければならないが「シドの魔法があるならば問題ないだろう」と普通なら使えない道を示すリオンの言葉を、ウィリアムは少し不思議そうに見つめていた。