3
青年と向かい合って座っていた。
彼に着いていった先にあったのは木造の建物で、扉の上に『BAR』と書かれていた。えっ本当にナンパなの?と思ったのが伝わったのか、青年は嫌そうに顔を歪めている。それに気がつかないフリをしているとさっさと入っていき、適当な席についてしまったのでその向かいにソッと座った。
まだ明るいからだろう。客は無く、なんなら店員もいなかった。勝手に入ってきてしまってよかったのだろうか。
「で?聞きたいこと、どうぞ。」
青年は何ら気にすることなく私に話を促す。目はずっと面倒そうだが私の話をおざなりに聞こうという態度ではない。
「この場所は日本ですか。」
「ニホンではないよ。ここはギフトフという名の国だ。」
「ぎふとふ……、さっきいた場所で話をしていた男性は誰……。」
「さっき、あああれは国王。このギフトフを長年治世している賢王。」
「おうさま……だから王城か。今は西暦何年……。」
「せーれき?何年ってことは暦のこと?えっと何年だったっけ。確か今は天底歴74年くらいだったはず。」
「おえっ吐きそう。」
「ええ?大丈夫?」
何もかもが分からない。場所も人も空気も時間すら、もう聞かなくても分かる。これ以上聞いたところで私の知っている何かは出てこないということが。
「すいません。大丈夫です。」
「そう?なら今度は僕から質問してもいい?」
「貴方が?どうぞ。」
心配する言葉を吐くがどこか白々しさを感じるのは私が絶望感を感じていることからくる被害妄想によるものだろう。
「君の名前は?」
「私、は葵色です。」
「アオイシキ。これは全部名前?」
「?いえ、葵が苗字で色が名前、ですけど。」
「ふうん。じゃあ、次。君の敬愛する王は誰?」
「王様は日本には存在しない決まりなので敬愛もなにも……。天皇陛下は、まあ私は健康に生きていてくださればと思うくらい。」
「なるほど。じゃあ最後、神はいる?」
「神?宗教観の話?見たことは無いです。」
「分かった。」
私と同じかそれ以上に矢継ぎ早にされる質問。それらを聞き終わると彼は目を瞑り顎に手を当てて背をイスの背もたれにつけた。どんなことを考えているのだろう。ただでさえ静かだった店内に完全な静寂が訪れる。相対的に外のガヤガヤとした人の声が聞こえてきた。
「いらっしゃいらっしゃい!安いよ安いよ!」
「ちょっとあんた!旅人なんだって?そんなぼろっちい装備で次の街なんて行けっこないって!ほらこれ、持っていきな!」
「あっ失敗した。上薬草切らしてたんだった。あーあ。」
「今日もカンタラ狩ってくるかァ!」
「そういえば苦しみ平原で悪魔軍総督が現れたらしいぜ。」
「えー使い魔ァー使い魔はいらんかねェー。」
過去最大級に気分が悪い。
人は完全に知らない言語に長時間晒されると強い不快感を感じるらしい。私は誰に聞いたか忘れたそれを今身にしみて感じている。これは、ひどく気持ちがわるい。空の胃がブワブワに揺れているようだ。
考えがまとまったのか、青年は顔を上げて先ほどよりもゆっくりとした口調で話し始めた。
「おそらくなんだけど。」
「……うん。」
「……。君が他の星からやってきた可能性がある。」
「星……。」
きっと目に見えて顔色の悪いだろう私に配慮するように視線を左右に揺らしながら言葉を選んでいる。声量の落ちた声色はそのまま続けた。
「君が元いた所ではどういう認識だったは分からないけれど、世界っていうのは丸くて人の手の届かない消し炭の中に突っ込まれているんだ。」
「うん。…うん?」
「大いなる神、もしくはそれに近しい何かが球体になった世界を大事に守るためにあたたかい消し炭の一番柔くなった所にいくつか保管している。」
「へ、へえ。」
「球体同士は干渉しない。というのは崩されない一定真理だけれど、もしかしたら干渉できないのを逆手に取った逆神が君をこの世界球体に持ってきたのかもしれない。」
「暗い所にある世界が球体っていう所しか同意できないんだけど……。」
ふざけているようにも、変な宗教に熱心になっているようには見えない。ただ淡々と常識を説いているだけのようだ。私の冷や汗まじりの言葉にも否定することなく頷いてくれた。
「ああ。言っただろう。君のいた世界球体では認識が違うかも知れないって。そんな認識のすり合わせはこの際どうでもいい。君、ここに来る前に逆神に会ったんじゃないか?」
「ここに来る前……。確か、」
王宮にいたときは頭のなかに靄がかかったようにぼやっとしていたが、ここに来て少し頭が冷えてきた。確か、流絵と喫茶店で話し込んでいたまでははっきりしていた。それで、流絵がこのマフラーを貸してくれて。その後飲みにいったのであればマフラーを貸しっぱなしにするのは少し変だ。だから、
「マフラー。貸してくれて、別れたんだ。それで、流絵と話して。願いを聞いてくれる神社のこと、聞いて。」
「行った?」
「行った、というかよく覚えてないけど、行かされた?」
「十中八九それだな。そこで君は逆神に会って此処に飛ばされたのか。」
深呼吸する。するが、肺いっぱいに空気が吸えていない。むしろ呼吸がし辛くなった気がする。
「どうしようかな。僕に勇者になったから魔王討伐に魔王城に行かないといけないんだけど。」
「行きます。」
深呼吸する。肺が倍の大きさになっているみたいにめちゃくちゃ息がしやすい。これまで生きてきた中で一番息がしやすい。
勇者だって?彼が勇者?ならばこのチャンス。逃すものか。
「ええ?行きますって僕と一緒にってこと?」
無意識に立ち上がり前のめりになっていたようで、彼は後ろにのけぞっている。先ほどまでの気分の悪さや不快感は完全に反転しており、年齢とほぼ同じ期間憧れてきた存在を目にしている感動で涙が出そうだ。
「貴方様のお供に付けてください。」
「お供って。僕一人でいくつもりだったからなあ。正直いらないんだよね。」
「道中死んだとしても構いません。迷惑であればずっと後ろから着いていくのでもよろしいのです。どっちにしろ私が此処で生きていくには至難でございます。どうか勇者である貴方様の旅路に同行させてください。」
テーブルの上に置かれた血色の良い手を取ってお願いをする。何故手を握っているのか。是とするまで離さないつもりだからだ。
「勇者が珍しいの?」
「珍しいと言えば珍しいですが。私は取り分け勇者という存在のファンなんです。そんな憧れの存在と行動を共にできるとあれば死んでも悔いはありません。むしろ勇者の旅路に積まれた屍に加われるのは喜びであるとも。」
「おっもいな君!あのね、知らないんだろうけど、勇者っていうのはこの世界では普通の一般職なの。殊更に珍しい、人間じゃないんだ。」
「そうなんですか?」
「そうだよ。だから手、離そうか。力強すぎ。」
勇者というのが一般職だなんてなんて素敵な世界なんだろうか。どんどんと興奮がみなぎってくる。血が逆流しているみたいだ。じわっと手を抜こうとする勇者様の両肩を勢いよく両手で鷲掴む。私の勢いのよさに彼の身体がちょっと跳ねた。
「これは運命です。」
「ハ?」
「ここで勇者職をスタートなさる貴方様の栄光ある征行を王への謁見から拝見できるだなんて。なんて光栄なことでしょうか。お願いします!邪魔には!もしかしたらなるかもしれないけど、その時はどうぞ捨て置いて下さい!ついて行かせてください!」
「分かった!分かったからその重苦しい決意表明とむず痒い話し方やめて、んでちょっと落ち着きなさい!」
「ほんと!?」
「ほんとほんと!だからほら、座る!」
無理矢理ひっぺがされ、そのまま席に着席。急に血の巡りが良くなったからか、指先が脈打っている。
重量感のあるため息を吐いて諦めて薄く笑う勇者。ああなぜ逆神とやらはスマートフォンをも奪ったのだろうか。どうやってこの困ったように笑む彼の神々しさを残せというのだろうか。せめて一眼レフをください。
「体調、悪そうだったけど。」
「すこぶる快調!いつでも行けます!」
「みたいだね。あと敬語やめてったら。」
「分かった!」
「はあ。一人でいく予定だったんだけどなあ。」
促され、誰もいないバーから出た。どこで装備を整えようかな、なんてぶつぶつ呟く彼を見て、ふと肝心な事を聞いていないことを思い出す。
「そういえば聞いてなかったけれど、貴方様、……貴方の名前は?」
「名前かあ。僕、名前ないんだよね。シキ決めていいよ。」
「は?この世界では名前がないとかあるの?」
「いや僕がちょっと特殊なだけ。必要なかったから無かったんだ。気にしないで、シキが呼びやすいように適当に決めてよ。」
「勇者様の名前を、私が、決める……?」
「様はいいから、ってあれ、聞いてる?おーい、もしもーし。ダメだどっか飛んでる。……待つかァ。」
ちょっと待ってくれ。私が本物の勇者に名前をつける?ただでさえ名前を付けられるタイプのRPGにおいて勇者の名前を考えるのに一日は要するというのに?今後活躍するであろう彼の名を?これからずっと側にいさせてもらえる彼の名を?私が?吐きそう。
私なんかより、高名な名付けのプロや、名のある占い師、数ヶ国語をマスターしている言語の研究者、今をときめく呪術師の方が、ずっと良い、実りの多き人生になるような名をプレゼントできるはずなのに!なのに、この世界にそんな人たちが存在しているかも分からないし、そもそも身分も戸籍も何もない私にそんな人たちのツテなどない!
ああこうしている間にも勇者である彼はまだかなまだかなと私の答えを待ってくれている。だんだんと分かってきたが彼は本当に勇者の中の勇者のようだ。明らかに戦闘能力の一つもない小娘連れ立って行くなんて面倒くさい。加えて、こんな時間も惜しいはずなのに馬鹿みたいに時間を盗る私に嫌みの一つも言えない。根本的に真っ当にシンプルに善人。救いを求める人の手を払いのけられない。村人から頼み事をされたら、はいかイエスの二択しかないタイプの勇者だ。素敵すぎる。
違う!違う!こんな状況判断などは今必要ない!今必要なのは名前だ!強そうで魅力的で高尚で耳障りも良く彼を彼たらしめる素敵な名!早くしないとどんどん時間が過ぎていってしまう!太陽だってさっきまで真上にあったというのにもう目線の高さほどまで落ちてきてしまって、あ
勇者の背に沈みゆく太陽が隠れて、彼を縁取るように線状の光が照っている。なんて、なんて綺麗な
「照る……。」
「あ戻ってきた。てる、テル?それが僕の名前ってこと?」
「えあ、や、ごめん、違くて、」
「違うの?気に入ったんだけどな。」
「貴方はテルです。」
地平線の向こう側で溶けるように落ちていく太陽。
彼は、テルは、私が思いがけず溢した言葉を名前だと認識し、あまつさえ気に入ってくれた。だったらそれ以外ないのだ。勇者の言葉は正義の言葉なのだから。
「ねえシキ、僕の名前呼んでくれる?」
「テル。」
「うん。ありがとう。」
とりあえず今日は勇者テルの現在の仮住まいとしている所があるらしいので、そこで一旦休むことにした。
「ってここさっきのバーだ。」
「ここ僕のなんだ。譲り受けたのはいいものの経営の才能なくて、早々に箱だけになったけど。」
「ああ。ツケられまくって売り上げ伸びないタイプだったんでしょ。」
「なんで分かったの。」