第九十六話:解放戦線の旗頭
切っ先を向けられたミシャは「誰のこと?」と体を左右に揺らした。ラチェッタの刃はしっかりとミシャを追っている。残念ながらご指名のようだ。
「……ん、ごめんね?」
「悪く思っていないのに謝るな。あたしを馬鹿にしているのか?」
「……馬鹿にはしているかも。頭の悪そうな子」
煽ってどうする、とナターシャが首を振った。案の定、ラチェッタの顔が熱した鉄のように赤くなった。見ている分には面白い光景だが、当事者であるため笑えない。少し離れた場所で苦労人ネイルが「わあ、面倒事だー」と呑気に眺めている。
「やめなさいラチェッタ。彼の言うとおり、ルーロ戦争は終わったよ。これは戦争ではなくて革命だ」
解放戦線に似つかわしくないほど優しげな男が現れた。垂れ下がった目は戦士というよりも牧師のような印象を与える。
「久しぶりだね第二〇小隊。ルーロ戦争以来の再会だ。君は初めましてかな。僕はルートヴィア解放戦線の旗頭、ユーリィだ」
ユーリィはちらりとナターシャの結晶銃に目を向けた。目敏い男だ、遺物だと察したのだろう。
「こいつは新しい隊員のナターシャだ」
「やあイヴァン。禁足地を荒らしまわっているという噂は聞いているよ。本来ならば生還するだけでも奇跡みたいなものなのに、本当にしぶといね、君たちは」
「お前こそよくローレンシア軍に捕まらなかったな。ルートヴィア随一の逃げ足は健在か」
「ローレンシア軍がノロマだからだよ。奴らが捕まえられるのは肥えた鼠ぐらいさ。結晶に怯えて図体ばかり大きくするから僕たちに追いつけないんだ」
彼はラチェッタに顔を向けた。
「ラチェッタは下がっていなさい。君と第二〇小隊が絡むとろくな事が無いだろう」
「あたしは裏切り者を追い返そうとしただけだ!」
「僕が雇ったんだから追い返さないでくれよ」
彼女は不服そうに一歩下がってミシャを睨む。ユーリィの言う「下がれ」は「どこかに行け」という意味だったのだが、ラチェッタは頑なに離れようとしなかった。
「仕方がないな。彼女の態度は許してやってくれ。根は優しい娘なのだ」
「根は優しいだあ? あいつが優しかったことなんてあるかよ。子供の頃から一緒だった俺が言うんだから間違いない。ラチェッタは優しい女の子じゃねえよ」
「やめろベルノア。これ以上、隊長の俺に負担をかけないでくれ」
「俺が悪いのか? どう考えてたって口も頭も悪いラチェッタのせいだろ」
「ベルノア」
イヴァンの心労は増えるばかり。ナターシャは他人事のように同情した。
◯
その後、簡単な挨拶をしてから各小隊の隊長が会議室に集められた。作戦について話し合うらしい。今回は旗頭ユーリィが総隊長となり、解放戦線は旗手と呼ばれる隊長格が、傭兵は各隊長によって小隊単位で指揮を取るのだとか。関係の無いナターシャはぶらぶらと解放戦線の基地を散策した。
「階層状の洞窟都市か。シザーランドと金融都市を足して割ったみたいな場所ね」
「結晶風から逃げようとしたら自然と地下に街ができる。似たような街並みになるのも仕方がないことだ」
無事に合流したリンベルが隣を歩く。彼女は武器商人として解放戦線向けに商売をするらしく、大きな荷物を小型の機動船に積んで来た。商魂たくましい少女だ。
結晶が吹き始めてからはどこに行っても地下街ばかりである。ヌークポウのように高所からの景色を楽しめる街のほうが珍しい。手すりから見下ろすと、下の方から白い蒸気が昇っているのが見える。
「解放戦線の基地は地熱で動力を得ているらしいぜ。だから下に行くほど暑いんだ。場所によっては湯が湧いているんだってさ」
「相変わらず耳が早いね。さっき着いたばかりだってのに、いつの間に調べたんだか」
「ナターシャと違って交友関係が広いのさ」
「嘘つきね。リンベルは人と関わらないわ。一日中、店にこもって遺物をいじっているもの」
どちらも事実。リンベルは遺物漁り以外はほとんどの時間を家で過ごすのに、なぜか交友関係が広い。
「まあいいわ。気になることがあるの。ラチェッタって女が広場で叫んでいた言葉を覚えている?」
「ああ、ミシャを指差して裏切り者って言ってたな。周りの反応から察するに、エイダンのような一部の傭兵は裏切り者の意味を知っていそうだった」
「それと解放戦線の人達もね。エイダンに聞いてもいいんだけど、彼は忙しそうだし、ラチェッタに直接聞くのが早いと思うの」
「あのじゃじゃ馬娘が素直に教えてくれるかね」
「強引でも構わないわ。もしも不当な理由だったらボコボコよ」
ナターシャが仮想の敵を思い浮かべてブンブンと腕を振った。そんな細腕でボコボコにできるのかとリンベルは呆れたが、ナターシャは日常的にイヴァンの体術指南を受けているため様になっている。
「というわけでラチェッタを探そう。どうせ任務が始まるまでは暇でしょ」
「私は開店の準備があるんだが」
「そんなことは後回し」
「そんなこと!?」
二人はぶらぶらと基地内を散策した。歩きながらリンベルが街について説明をしてくれる。ルートヴィアも星天教を信仰しているが、厳密にはローレンシアと宗派が異なるらしく、ルートヴィアに根付く信仰心はより原初に近いものだそうだ。この街がクレーターのような窪地になっているのも、西の果てにある星天教の聖地を模しているのだとか。
「星天教の聖地には信じられないぐらい大きな遺物が街の中央に建っていて、昔の人はその遺物を使って星空を観測したんだぜ」
イヴァンが聞けば喜びそうな話である。もしもミラノ水鏡世界に墓を建てられなかったら、星天教の聖地を目指してみるのも楽しいかもしれない。
「みてみてリンベル、見たことがない果物が売っているわ。これは何の実かしら。すごいすごい、面白いわ」
「果物一つでこんなにするのか!? ちょいとオヤジさんよ、これはふっかけすぎだろ」
「買ってよリンベル。せっかくのルートヴィア観光だもの、美味しいものを食べましょう」
「ルートヴィア観光」
解放戦線に聞かれたら殺されそうな発言だ。だがリンベルの心は既に傾いている。久しぶりのナターシャの手料理。それに勝る誘惑が存在するか。否、彼女はオヤジとの価格交渉を再開した。
そんなことをしているうちに元々の広場へ帰ってきた。おかしな話だ。ラチェッタを探していたはずなのに、気付けば両手に食材を持っているのだから。
「船に置きに行くか」
機動船は停泊場に停めている。開戦間近の自治区はピリピリとした空気が流れており、そこに荒くれ者の傭兵が加わったことでさらに剣呑とした雰囲気だ。
たまたま第三六小隊の前を通りかかった際、ウォーレンが解放戦線の女性と話しているのが見えた。仲間というにはどこか距離が近い様子。同期主席にも春が訪れたか。二人は生暖かい視線を送った。
そんな二人が急に足を止めた。理由は第二〇小隊の機動船の前に不審な人影があるからである。
「ねえリンベル。私の目が悪くなければ、うちの船の前で挙動不審に隠れているのは例のじゃじゃ馬娘だと思うんだけど」
「なんとまあ、下手くそな隠れ方だな。イグニチャフと同種の匂いを感じるぜ」
「困ったわ。第二〇小隊は人気者だから、ファンの子が来ちゃったみたい」
「ファンというよりも厄介者だろ」
そうこうしているうちにラチェッタは機動船の扉を開けようとしていた。だが恐ろしく不器用らしく、扉をガチャガチャと回しながら「このおんぼろ船、壊れてやがるな!」と愚痴を飛ばした。取手がきちんと回りきっていないのだと気付いた彼女は恥ずかしそうに周囲を確認し、こそ泥のような動きで船内に入っていく。
二人は顔を見合わせた。まさか泥棒の犯行現場に居合わせることになるとは。裏切り者発言について問い正そうとしていたナターシャにとっては丁度良い。
「後をつけましょうリンベル。面白い展開になってきた」
「楽しそうだなナターシャ。お前の船が狙われているってのに良いのか?」
「大丈夫よ。あんな手際の悪い泥棒がうちの船に侵入したって何もできないわ。それに、折角なら楽しんだ方が得だと思わない?」
「それは同感」
二人が笑みを浮かべて頷き合う。その顔はかつてヌークポウで悪名を知らしめた悪戯っ子の表情であった。




