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第九十三話:ドットルが残したもの

 

 翌日、ナターシャとイヴァンは暗黒街に向かった。ドットルの遺品を回収するためだ。彼の拠点は巧妙に隠されており、洞窟の壁を無理やり崩して進んだ。洞窟に充満する死人隠しの香。奥に進むと大国の花(イースト・ロス)の中毒者が次々に見つかった。


大国の花(イースト・ロス)の大規模な取引所だな。傭兵の目が届かない暗黒街で売っていたんだろう。ひどい有り様だ、ああも廃人になったら救いようがない」


 まるで植物の根のように体中の血管が浮き出た中毒者が、その異様に細くなった手をナターシャに伸ばした。いたるところに赤い花。人の形をした成れの果てである。


「あら、ナターシャじゃない」


 ナターシャは足を止めた。中毒者の中に見覚えのある人物がいたからだ。一瞬では判別がつかなかったが、あの長い銀髪は間違いない。初任務で世話になった第三三小隊のシエスタである。だが、美しかったはずの髪は泥ネズミのようにくすみ、面倒見の良さそうな垂れ目も落ち窪んでいる。


「知人か?」

「シエスタ――ほら、パトソン隊長のところの」

「あぁ、第三三小隊か……解散したと聞いたが、一番手を出してはいけない場所を選んだのか」


 恋人を失ったシエスタは失意の果てに大国の花(イースト・ロス)の甘い幻想を求めてしまった。ナターシャの脳裏に初任務の光景がよぎった。パトソンと並んで幸せそうだった彼女が、今となっては日の届かぬ暗黒街で廃人と化している。


 大国の花(イースト・ロス)の中毒症状を見分ける方法は浮き上がった血管の他にもう一つある。それが――。


「初任務お疲れ様。大変だったでしょう。忘れ名荒野はすぐそこよ。かげろうに飲まれないように砂を潜りなさい。雲の花はどこで咲きましょう、お日様が昇ったらパンとナイフに花を植えてパトソンは絢爛豪華な砂の山。ああナターシャ、早くみんなと遊びましょう、ナターシャ――」


 幻覚による極度の錯乱状態。いわば終わらない夢を見ているのである。


 近寄ろうとしたナターシャをイヴァンが止める。手遅れだ。支離滅裂な言葉は彼女が完全に「あっちの世界」へ旅立ったことを意味しており、もう二度と現実世界には戻れない。イヴァンは無言で背を向けた。


「どこへ行くのナターシャ、石蟹を食べるのは滝壺で歌う猿の夢、雪が降らねば船を出すの。砂上の楼閣は星に飲まれたわ。だから潜るの、みんなで潜るのよ――」


 ナターシャも彼の背中を追いかけた。背後からシエスタの妄言が聞こえてくる。彼女だけではない。洞窟内は中毒者の妄言によって溢れかえっていた。

 花がほしい。花をよこせ。売人はどこにいる。

 この地に長く留まると頭が変になりそうだ。二人の足が自然と早くなった。


「ねえイヴァン」

「いいから行くぞ。大丈夫だ、あとで団長が人を送ってくれる。彼らの判断に任せよう」


 自分たちの役目は他にある。ここに来た目的は人助けではなく、ドットルが残した機密書類の回収だ。既に破棄されている可能性が高いが、少しでも有益な情報が残っていないかを探るのが二人の仕事。


「ここだ。罠が仕掛けてある」


 流石は元工兵だ。侵入者対策の罠が見つかりにくい場所に隠されていた。


「通信機は――ダメね、壊されている。書類も焼却済み。そういえばイヴァン、彼が抱えていた荷物は回収したの?」

「昨日のうちに団長へ連絡したよ。今頃は回収班が向かっているはずだ」


 イヴァンは仕事が早い。「それなら目ぼしい情報は持ち出されていそうね」と言いながら、ナターシャは奥の天幕を開けた。拠点の隣は大国の花(イースト・ロス)の栽培場だ。黄金の花弁に赤の模様が入った花が咲き乱れている。

 この花から取れる蜜が麻薬の原料らしい。一見すれば鮮やかで美しい花だが、正体を知っている以上は焼き払うしかないだろう。


「可哀想な花ね。せっかく植えられたのに、太陽を見ないで枯れるのだから」

「仕方がないさ。放っておけばシザーランドが内側から崩壊する。薬に応用するって話もあがったことがあるが、結局は予算不足で頓挫したらしい」

「ここを焼き払うのは最後にする?」

「そうだな、先に拠点の中を捜索しよう」


 恨めしそうに揺れる赤金の花。ナターシャは栽培場から出た。


「ナターシャにはまだ言っていなかったが、次の任務で恐らくローレンシアに向かう」

「天巫女に会うための潜入任務?」

「話が早いな。ローレンシアの西側、ルートヴィア地区の情勢が怪しいのは知っているか?」

「ルートヴィア解放戦線っていう武装集団が革命を起こそうとしているんでしょ。でも、私みたいな一般の傭兵が知っているんだから、革命の情報は筒抜けになっていそうだけどね」

「どこまでが真実かはわからんさ。解放戦線の後ろには商業国がいるって話もある。まぁ、この話をしたのはな――よっと」


 イヴァンが焼却された書類の山を崩した。ドットルは急いで逃げようとしたのだろう。燃えずに残った書類が灰の中から見つかった。


「俺たちは解放戦線に雇われるかもしれん」

「俺たちは、というのは第二〇小隊だけ? それとも他の小隊も?」

「恐らく他にも呼ばれるだろう。潜入任務については事前に先方へ伝えている。俺たちは革命に乗じて大国内に潜り込む予定だ」

「解放戦線が大国の気を引いてくれるってわけね」


 ルートヴィア解放戦線は先の大戦、ルーロ戦争の生き残りが結成した組織だ。彼らは恭順したように見せながら牙を研いでいた。辛抱強く。恥を耐え忍びながら。


「ルートヴィア地区は少しずつ復興が進んでいると聞いたわ。大国の傘下に入ったことで逆に他国から守られ、豊かとは程遠いものの、子ども達が街で遊ぶようになったとか。彼らは子を抱いたその腕で再び戦争を始めるつもりかしらね」


 ナターシャは心配した。ルートヴィアの民を、ではない。第二〇小隊の仲間達が心配なのだ。大国と軋轢があるイヴァンやソロモンは言わずもがな。ベルノアも故郷が再び戦火に巻き込まれるのは思うところだあるだろう。


「やるしかない。時代には流れがある。それはもう本当に大きな流れだ。一度始まれば抗えない。世の中には避けられない戦いがあり、戦いがあるから俺たちは生計が立てられる。合理的に考えよう」


 燃え残りがないか探すイヴァン。灰が舞い上がった。


「というか、ソロモンも侵入するの? すごく目立つよ?」

「いいや、彼女は居残りだ。本人も国内に潜入するより解放戦線と一緒に戦う方が良いと言っていた。ベルノアも居残り組だな」


 ナターシャも戦いの予感は感じていた。チリチリと肌を焦がすような空気が北の大地から流れてくる。ついに始まりそうだ。終わりなきルートヴィアの妄執。大国の戦火が再び燃え上がるのである。


「俺たちの最終目標はあくまでもミラノ水鏡世界だ。だから今回の戦いは表立って参加しない」

「潜入任務の前に負傷したら本末転倒だもんね。無理なくって感じ?」

「そうだ。最悪の場合はソロモンが残るから――」


 イヴァンの言葉が途切れた。彼は灰の山から取り出された紙きれを見つめている。端が黒く燃え落ちているが中央の字は読めそうだ。


「これは……朽ちた聖城における戦闘報告書だな。ローレンシア軍の被害や接敵した傭兵の情報、そして各兵士の戦果が書かれている」

「有益ね。団長が喜びそうだわ」


 イヴァンは珍しく迷っている様子だ。なにが引っ掛かるのだろうか、とナターシャが疑問に思っていると、イヴァンは何も言わずに紙切れを渡してきた。


「私が読んでいいの?」


 イヴァンが頷く。

 報告書は灰で汚れているが、読めないほどではない。軽く払いながら文章に目を通していく。


 そこに記されているのは各兵士の戦果だ。誰が何人の傭兵を殺したかが詳細に記されている。ドットルが双方の情報を照らし合わせて作成したのだろう。

 表の中にリリィの名前があった。その隣には彼女を撃ったローレンシア兵の名前も記されている。


「……ああ、そう」

「知っている名前か?」


 すん、と目を細めた。

 彼がヌークポウを出たという話はリンベルから聞いているが、その後にどのような道を歩んだかは知らない。もう二度と出会えないとすら思っていた。


「うん……生きていたんだ」


 用紙を持つ手に力が込められる。それは彼だけでも生きていた喜びか、それともリリィを撃ったことに対する悲しみか。


 ◯


 後日、大国の花(イースト・ロス)の中毒者は治療院に運ばれたが、大国の花(イースト・ロス)を失ったことによるショック症状で半数以上が亡くなった。そもそも大国の花(イースト・ロス)は致死率が極めて高いため、残った患者も無事に回復できる可能性は低い。


 シエスタは助からなかった。

 彼女を含めた葬儀は傭兵が主体となって大規模におこなわれた。身元が不明な者も多数いたが、それでも参列者の数は相当なものだ。身内や友人、もしくは傭兵の仲間。それだけ多くの中毒者が暗黒街で見つかったのだ。参列者は煌々と燃える炎を静かに囲った。


 第三三小隊の元隊員、ダンとアンナも葬儀に参加した。彼らは小隊が解散した後、ダンが隊長になって新しい小隊を率いている。

 アンナが空っぽの骨壷を持っている。人間の魂は火葬によって天上に昇るが、骨は燃えずに残るため、渓谷の底に落として大地に還すのがシザーランドのしきたりである。

 だが、シエスタの体は大国の花(イースト・ロス)に蝕まれ、骨も残らぬほどボロボロだったそうだ。




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