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第六十話:高台の激闘

 

 瓦礫を方々(ほうぼう)に散らす時計台を、パラマは満足げな表情で見つめた。図の高い小蝿が無事に潰されたようだ。よもや代々受け継がれし聖鈴を狙うだけでなく、聖女ラ・フィリアの寝室に傷を付けるとは。パラマは未だ冷めやらぬ怒りを抑えるように息を吐く。


「手厚く歓迎したつもりですが、まさか恩を仇で返されるとは……やはり人は醜いですね。我らが母、慈しみの修道女が人に絶望したという言い伝えも理解できます」


 人の醜さを目の当たりにするたびに、パラマの中で妹という存在が神格化され、妹が守ろうとした街に固執する。なぜ彼女ほどの人格者が命を捧げなければならなかったのか。


「さて、残りの傭兵に挨拶をしましょうか。彼らの答えは非常に残念でしたが、欺瞞(ぎまん)と裏切りは世の常ですね。せめて新たなる信徒として迎え入れてあげましょう」


 パラマは背を向けた。直撃した時計台から煙が立ち昇り、支えを失った時計が瓦礫となって地面に落ちた。


「ギガンに命じて探させますか。妹の部屋をこんな状態で放っておけませんから――」


 直後、パラマの右腕が金槌で打たれたように跳ね上がった。「まさか」と思って聖鈴に目を向けるパラマ。そこには無惨に撃ち抜かれた聖鈴が()だけを残して砕け散っていた。そんなはずはない。ギガンの棍棒は確かに時計台に命中し、不遜な輩を粉砕したはずだ。


 パラマは振り返った。粉塵が昇る時計台、その奥に遺物を構える小蝿の姿が映った。屋根がすべて吹き飛ばされ、見通しの良くなった時計台の頂上で、銃口を向けるナターシャ。

 分厚い雪雲が一瞬だけ道をあけ、時計台に光が差し、白金の少女が太陽を背負う。


「なぜ生きて……まさか、ソロモンが防いだというのですか……?」


 ナターシャを守るように、彼女の前で鋼鉄の乙女が仁王立つ。パラマは湧き上がるような怒りを覚えつつも、敵に対する称賛の念を禁じえない。


 ギガンの投擲を人間が耐えた。それだけでも驚くべきことだが、なによりもあの煩わしい小娘(ナターシャ)は目前に死の塊が迫り来る中、逃げるのではなく、ソロモンが防ぐと信じて聖鈴を狙ったのだ。潰したという確信がパラマの油断を招いた。


 パラマは聖鈴の柄を握りつぶした。これは自分の失敗だ。自分のせいで聖鈴が失われた。

 だが、悪いのは傭兵だ。神聖なるラフランに土足で踏み入れたあげく、妹の眠る寝室に銃を向けた。

 許されざる。断じて逃がさない。


「鐘を鳴らしなさいギガン! 思い切り! この世の果てまで届くように!」


 頂上にのぼったギガンが力の限りに鐘を鳴らす。街が激震した。普段よりも甲高くなった鐘の音がラフランの全域に響きわたり、街の巡礼者に命令を与えるのだ。罪深き傭兵を殺せ。ラフランの威厳を知らしめろ。


 第二〇小隊が街に訪れたとき、ギガンの咆哮によって粛清が始まった。あのときはローレンシア兵が標的だったためナターシャたちに襲いかかる巡礼者は少なかった。今度は違う。巡礼者は鐘の音に導かれ、容赦なくナターシャたちを襲うだろう。


「我らが信徒よ、声を上げなさい! 怠けた隣人を叩き起こせ! 聖女代行の名において、粛清を開始する!」


 一斉に叫ぶ巡礼者。ラフランが脈動する。一度、粛清が始まれば罪人を殺すまで止まらない。ラフランに住まうすべての巡礼者が、大型も小型も問わず時計台へ向かうだろう。ドッドッと揺れる地響きは巡礼者の足踏みか。あふれ出した熱気が降り積もる雪すらも溶かしてしまいそうだ。


「逃がしませんよ小蝿ども。我らに刃を向けた罪、必ずや報いを受けさせましょう」


 聖女代行は一振りの剣を携えた。


 ◯


 ギガンは再び時計台に投擲すべく、鐘楼から高台へ飛び降りた。棍棒は既に投げてしまったが、代わりとなる弾丸はいくらでもある。そこかしこに生えた結晶は天然の砲弾だ。ギガンは高台に生えた結晶を鷲掴みにすると、その埒外な腕力で握りつぶした。


「……ァ?」


 彼の足元に黒い物体が転がった。手榴弾だ。

 轟音と共にギガンの足元が吹き飛び、彼の両足に無数の破片が突き刺さる。されど巨人は動じない。ギガンは何食わぬ顔で再び投擲の姿勢に入った。


「……無視はだめ」


 ギガンの耳元で声がした。いつの間にか彼の左肩にミシャが立っている。彼女は小銃をギガンの頭に当て、数回、発砲した。吹き出した血がミシャの隊服に飛び散る。


「ォァ……」


 流石のギガンも頭に弾丸が撃ち込まれるとふらついた。右手に持っていた結晶屑を勢いよく肩へ叩きつける。ミシャは反撃がくると予測して既に肩を飛び退いており、彼の右手は自らを傷つけるだけで終わった。


「やはり効かないか。前に見たから驚かないが、不死の巨人が相手とは厄介だ」

「……どうする?」

「脱出までの時間を稼げたら良い。関節を狙え、不死身といえども再生は遅そうだ」

「了解」


 イヴァンが腰の手榴弾に手を伸ばし、ミシャが小銃を構えて走り出した。

 襲いかかる二人の傭兵。自らに歯向かう小さな存在をギガンは鬱陶しそうに睨む。一刻も早く(パラマ)の命令をこなしたいのに、小蝿がぶんぶんと自分の周りを飛び回って邪魔をするのだ。ギガンからすれば叩き潰すだけで息絶える矮小な存在。されど無視をするには、いささか力を持っている。ギガンの中で優先順位が変わった。まずは邪魔な小蝿を叩き潰すとしよう。


「オッ……ォッォッオッオッ!」


 声を上げながら巨人の右腕が横なぎに振るわれた。巨大な図体を有する生き物は緩慢か。否、彼の強靭な筋肉から生み出される力は雪崩のごとくミシャを襲う。視界いっぱいに肉の壁が迫り来る光景は筆舌に尽くしがたい。


「飛べ!」


 ミシャは結晶塊を足場にして宙を舞った。眼下に結晶の吹き飛ぶ光景が映る。ギガンの目の前をくるくると舞う赤毛。彼女は着地と同時にギガンの右足へ小銃を撃ち込んだ。


「ォッ、ィ……アイ……!」


 巨人にも痛覚があるのだろうか。悲鳴に近い声は「痛い」と叫んでいるようにも聞こえる。巨人は泣いた。駄々をこねるように。助けを求めるように。


「ァッァアアア!」

「……急に、暴れ出すなッ!」


 退避は間に合わない。ミシャは舌打ち混じりに横跳びで地面を転がった。続けて振り下ろされる左手、その追撃をミシャは避けきれず、直撃こそ避けたものの、爆風によって吹き飛ばされた。


「ミシャ……!」


 イヴァンはすぐさま巨人の足を狙った。彼が手にしているのはミシャと同じ小銃だ。ギガンを相手するのに普段の拳銃では太刀打ちできないと判断したからである。

 さらに追い討ちで手榴弾を放り投げると、イヴァンはミシャが飛ばされたであろう場所へ飛び退いた。


「無事か!?」

「……避けたから平気、風圧で飛ばされただけ。ベルノアはまだ?」

「もうすぐ――」


 背筋が泡立つ感覚だ。奴が来る。二人は同時にその場から離れた。


「ギガンを泣かしたのは、あなた達ですか?」


 直後、彼らがいた場所に一振りの剣が突き刺さる。一体どこから飛び降りたのか。聖女代行は土煙を巻き上げながら優雅に立ち上がり、美しい装飾が施された剣をイヴァンに向けた。


「私の弟をいじめないで下さい。彼は優しい子なのですよ、ほら、あなたたちのせいで泣いてしまいます」

「ちっ……!」


 イヴァンの足元に暗い影が降りた。ギガンだ。目元を覆っていた包帯の隙間から涙が流れ、痛みをこらえるように歯を食いしばりながら、巨人は両腕を振り下ろした。


 ミシャは持ち前の身体能力で何とか避ける。しかし、ギガンの近くにいたイヴァンは避け切ることができず、飛散した岩を左腕にうけた。


「グッ……!?」


 直撃しなかったのは幸いだ。地面をでたらめに転がりながらも何とか体勢を立て直し、ギガンから距離を取るように離れた場所で片膝をついた。イヴァンは自分の左腕に一瞬だけ目を落とす。恐らく骨が折れているだろう。すぐに立ち上がれないほどの激痛が彼を襲った。


「……イヴァン、これ!」


 駆け寄ったミシャが鎮痛剤を打った。ベルノアお手製の薬はじんわりと彼の左腕に広がり、激痛を今の瞬間だけ忘れさせてくれる。


「私は非常に残念です。あなたたちはきっと、我々の想いを理解し、素晴らしい信徒になってくれると思っていたのですが。どうやら期待はずれだったようですね」

「信仰心ってのは勝手に植え付けるものなのか、随分と強引な神様だな」

「人聞きが悪いことを言わないでください。ラフランの鐘はあくまでも、あなたたちの信仰心を後押しするものです。神の教えを言葉ではなく現象として、皆様の心に直接お伝えする。それを受け入れるかはあなたたちの勝手でしょう」

「それを洗脳って言うのさ。あんたの身勝手な執着心に巻き込まないでくれ」


 イヴァンの額に脂汗が浮かんだ。彼を襲う鈍痛は完全には消えておらず、今も彼の体力を奪っている。あまり時間をかけられない。


「身勝手で結構ですよ――」


 パラマが地面を蹴った。イヴァンとミシャが同時に発砲するも、パラマの流れるような体捌きに避けられる。そして、速い。パラマの独特な動きが距離感を狂わせ、一見すればまだ距離があるように思われるのに、気付けば目の前にまで迫っていた。イヴァンはとっさにミシャを突き飛ばすと、小銃を捨ててナイフを構えた。


 鍔迫り合い。刃が重なった瞬間、イヴァンはその重い手応えに耐えられぬと察し、体を捻って受け流した。左腕が使えれば話が変わっただろう。片腕のイヴァンには、積年の想いが乗せられたパラマの刃を止められない。


「宗教とは身勝手から生まれるものです。人が決めた規則をあたかも神の教えのようにのたまい、こうすれば救われる、こうすれば祈りが届く、と根拠のない迷信を押し付けてくる。神の教えにしては随分と都合の良い決まり事を作り、支配し、貪り、切り捨てる。人の欲を信仰という耳あたりの良い言葉で包んだに過ぎません」


 言葉を重ね、刃を振るい、パラマは剥き出しの殺意をイヴァンにぶつけた。その猛攻、常人ならば一秒と耐えられない。元来、肉弾戦を得意とし、拳銃とナイフで戦場を駆けたイヴァンだからこそ、片腕であっても何とか凌ぐことが出来ている。


「聖女代行の、言葉とは、思えないな……っ、あんた、ラフランが嫌いか?」

「嫌い? いいえ、大嫌いですよ」


 パラマの脳内に妹の姿が浮かんだ。それだけで彼の刃はさらに速く、重く、荒々しくなる。


「勘違いしないでほしいのですが、人間がいだく信仰心とは美しく、素晴らしいものだと思っています。ですが――それを利用する宗教は、えぇ、まさにくそったれですね」


 一閃。パラマの刃がイヴァンを大きく後退させた。


 二人が激闘を繰り広げる中、背後ではミシャとギガンの争いが続いていた。両膝が再生したギガンは再び立ち上がり、地面を駆け巡るミシャに拳を叩きつける。


「……イヴァンっ!」


 ミシャは拳を掻い潜りながら、視線の端で吹き飛ばされる隊長の姿を捉えた。彼の援護をしようとパラマに銃口を向けるも、その前にギガンの腕に防がれる。このままでは各個撃破されるのがオチだ。ミシャは一か八か、巨人の足元をくぐってイヴァンの元へ駆け寄ろうとした。


「ォォオオオオ――!」

「……しまっ」


 至近距離の咆哮がミシャの足を鈍らせる。まずい、と直感した。既に巨人の右手がミシャにめがけて振り下ろされている。回避は間に合わない。あの肉壁に耐えられるか。それも不可能だ。小柄な体では果実の如く潰されるだろう。


「……!?」


 巨人の右手が目の前にまで迫った瞬間、肉の壁が手首から(はじ)け飛んだ。彼の右手首に撃ち込まれた弾丸が急速に結晶化現象(エトーシス)を起こし、肉の内側から粉砕したのだ。こんな芸当をできる人間は第二〇小隊に一人しかいない。


「……ひよっ子め、やるじゃん」


 ミシャは時計台に目を向けた。遠く離れた街の中央に二人の傭兵が見える。ソロモンが時計台に群がる巡礼者を片っ端から焼き尽くし、彼女に守られながら、白金の少女が狙撃銃をギガンに向けていた。続く発砲。正確無比な弾丸がギガンの右足を、左足を、そして両肩を撃ち抜いた。


「ォオ?」


 ギガンは状況を理解出来ず、手首から先が無い右手を見つめる。


「……今!」


 ミシャが巨人の股下を抜けてパラマを襲った。異変に気付いたパラマは小銃の弾を避けながら、大きく飛び跳ねてギガンの足元に着地する。状況は二体一、形勢が傾いた。


「助かった、ミシャ」

「……ううん、助けたのはナターシャ。後でお礼を言うべき」


 ここからナターシャの表情は見えないが、きっと得意げな顔をしているのだろう。イヴァンは優秀な新人に感謝をしつつ、聖女代行に向き直った。


「禁足地荒らしの連携は流石ですね。ああ、苛立たしい」

「お褒めに預かり光栄だ。どうだろう、ここで手打ちとしようじゃないか。俺はこれ以上街を壊したくないんだ」

「私も街を壊したくありません。妹には綺麗な景色を見せたいです。ただ、世の中はあなたのように合理で動いていないのです」

「……残念だな」

「ええ、非常に」


 パラマの覇気が昇る。聖女代行を表す白。


「ギガン、立ちなさい」


 命令を聞いたギガンが地を踏み締めた。ナターシャに両足を撃ち抜かれながらも、彼は愛する兄の言葉を聞いて立ち上がったのだ。巨人は街の守り人。彼がいる限りラフランは不滅なり。


「私たちは倒れません。聖女ラ・フィリアの加護がある限り、私たちは負けないのです」

「ォオオ――!」


自分達は、いったい何と戦っているのだろうか。戦闘中だというのに、イヴァンは神秘的な光景に胸を打たれた。聖女代行が戦場の中央で優雅に両手を広げ、巨人が雄叫びを上げながら空を覆う。ふと目を向ければ、奥の鐘楼からぶくぶくと巡礼者があふれ出していた。雄大で、そしておぞましい。


「――ォ」


 直後、ギガンの咆哮を遮って爆発が起きた。狙われたのは巨人の顔面。一体何が起きたのか。パラマはおろか、イヴァンたちですら把握出来なかった。理解できたのは時計台から様子を見ていたナターシャだけ。


「オラァッ! この完璧な砲撃を見たかイヴァン! やっぱり俺様がいねーと駄目だなぁお前らは!」


 声は高台の下から聞こえた。停泊した機動船、その甲板に備え付けられた砲台に一人の男が立っている。ゴーグルをつけて勝ち気な笑みを浮かべ、どこから湧き出ているのか自信満々に胸を張った男。

 我らが第二〇小隊の船長様だ。




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