第四十八話:忘れられない、譲れない
穴を抜けた先は半地下のような場所だった。天井付近に空いた窓からわずかに光が差す程度であり、室内は薄暗く、暖色の灯りが机の上に置かれていなければ隣に立つ人の顔すら見えないだろう。内部は四人が入っても窮屈に感じない程度に広い。そんな部屋の中央に痩せ気味な男がひっくり返っている。
「なっ……何すんだ馬鹿野郎! 人の家に土足で入りやがって!」
「靴を脱いだ方が良かったか?」
「そういう意味じゃねえよ! 外が騒がしいと思ったらお前らのせいか!」
「俺たちの責任ではないと思うが、突然邪魔をしたのは悪かった。図々しいのは承知の上だが少し匿ってくれないか?」
「お断りだ!」
「貴殿の優しさに感謝する」
「こら! 勝手に座るな!」
流石に他人の家に転がり込むのはどうかな、とナターシャは思いつつも、もう一度外に出ようとは微塵も思わないため静観する。イヴァンが良しと判断したならば構わないのだ。全ての責任は隊長が持つ、それが組織というものである。
「まったく……お前ら傭兵だろ。なんでラフランにいるんだ」
「よく分かったな」
「軍人以外で禁足地に来るのは頭のおかしな調査団か傭兵ぐらいだ」
「ハハッ、ラフランに住む人間も大概な物好きだと思うぞ」
「そりゃぁそうだ。ここは禁足地だぜ」
小柄な男は巡礼者と違ってまともな格好をしていた。破れかけの外套の下に防護服を着ており、どちらかというと商業国に近い雰囲気が感じられる。大きめの帽子をかぶり、乱雑に切られた髪が帽子の下から伸びていた。無性髭が伸びた相貌は浮浪者のようだ。
「この中なら防護マスクは必要ない。俺の名はバッカス。厄介事に巻き込まれた哀れな住民だ」
「シザーランド傭兵団の第二〇小隊だ。俺は隊長のイヴァン。後ろは仲間だ」
ナターシャたちは防護マスクを外して順々に名乗った。一通り挨拶を終えるとイヴァンが先ほどの騒動について尋ねた。
「大型の巡礼者に突然襲われたのだが、あれは一体何だったんだ?」
「粛清だよ」
「粛清?」
バッカスが口元を歪めて答えた。
「大型の巡礼者は街の守り人でな、北に馬鹿でかい鐘楼があっただろ? あそこを狙いに来る不遜な輩を追い返しているんだ。少し前にギガン様の咆哮が聞こえたから、どこぞの阿呆が喧嘩を売ったんだろ」
「ギガン様というのは頭部に布を巻いた巨人のことか?」
「そうだ。見たのか?」
「あぁ、ローレンシア軍の兵士が巨人の頭を撃ち抜く瞬間もな」
「どおりで巡礼者が怒り狂っているわけだ。あのお方様は聖都の頂点だからな」
大きなため息を吐くバッカス。
お方様とはまたかしこまった呼び方だ。イヴァンは機動船について尋ねる。
「広場に俺たちの船を停めていたのだが知らないか?」
「船?」
「黒銀で外側に変な遺物が引っ付いている機動船だ」
変な遺物、という言葉にベルノアが反応した。話がややこしくなりそうなため、察しの良いミシャが黙らせた。バッカスは顎髭に手を当てて宙に視線を向ける。
「船、船……あー、あれか。多分知っているぜ」
「教えてくれ、船はどこに行った?」
「ちょいと待ちな、お前らも傭兵なら世の中の仕組みは知っているだろう? 情報が欲しいなら取引をしようぜ」
イヴァンは当然のように頷いた。彼も対価を払わずに情報が得られるとは思っていない。バッカスは「話が通じる相手だ」と満足げに笑みを浮かべたあと、取引内容を語った。
「まず前提条件として聞きたいんだが、お前たちは何の目的でここに来た? それからいつ街を発つ?」
「目的は情報収集とシザーランドに帰る寄り道だ。船が無事に見つかればすぐにでも街を離れるさ」
「了解、それなら好都合だな。実は俺も商業国の調査船でラフランに来たんだが、船も船員も失って帰れなくなったんだ。あれからもう、三年が経っちまった」
禁足地で三年も暮らしてよくも生き延びられたものだ。同じく月明かりの森という禁足地で一年暮らしたナターシャは仲間のような連帯感を感じた。うんうん、と頷く彼女をミシャは不気味な表情で見つめる。
「お前たちの船に俺を乗せてくれ。無事に街を出て人の住む国まで届けることが条件だ――」
「反対だ!」
声を上げたのはベルノアだ。イヴァンが答えるよりも早く反発した。珍しく嫌悪感で表情を歪ませたベルノアは腕を組みながらバッカスを見下ろす。
「どんな理由があろうとも俺の船に商人は乗せられねぇ。救助船だと勘違いしているのなら橋のたもとで信号弾でも放ってろ」
「静かにしていろベルノア。そもそもこいつは商人ではない」
「情報一つでパルグリムの人間を国まで送れってか!?」
「仲間を救う情報だ。決定するのはお前じゃない」
「俺が船長だ!」
「俺が隊長だ」
ナターシャは二人がなぜ口論になるのか分からず、隣に立つミシャの横腹を小突いた。
「何でこうなるの?」
「……ベルノアは亡国の出身だから。商業国とは因縁がある」
商業国と大国に挟まれるようにしてルートヴィアという国があった。ルートヴィアは属国として商業国に長く支配され続け、国民は過酷な環境下での生活を強いられた。ただでさえ結晶によって資源が乏しい時代、商業国によって弾圧される日々はルートヴィアに暗い影を落とす。
両国間で戦争が勃発すると、商業国は強制的にルートヴィアを同盟国として参入させ、さらに両国の中間地点であるためルートヴィアが戦場になった。
商業国の代理として戦火にさらされたルートヴィア。本来は商業国と大国の戦争だったにも関わらず、ルートヴィアが最前線で大国と戦うことになり、その状況を指してルーロ戦争という呼び名で語られるようになった。
「……属国として支配した商業国と、戦争によって故郷を奪った大国。亡国からすれば両者とも変わらない」
「戦争の犠牲者たち、ね」
「……支配からの脱却。国の誇り。恨む理由は色々ある」
ナターシャは戦争を知らない。本当の戦火を見ぬまま第二〇小隊の傭兵としてラフランに立っている。精神が死してなお動き、ルーロの亡霊とまで呼ばれたミシャたちと、ヌークポウという箱庭で生活したナターシャ。両者を分かつ明確な壁。
「……あの戦争は、ゆっくりと首を絞めるように人の正気を奪った」
ミシャがおもむろに口を開く。燃え上がるような彼女の髪がランプに照らされる。思い出すだけでも不快そうに眉を歪め、赤い瞳にルーロの戦火が広がった。
「……上官を失ったにも関わらず最前線で砲弾を撃ち続けた兵士。略奪した金で前哨基地に慰問団を呼ぶ指令部。大国の花に溺れて味方もろとも自爆した中毒者。どれも、私が経験した戦場の一端」
寡黙なミシャにしては珍しく饒舌だ。
ナターシャの脳裏に、戦場を駆ける赤髪の少女が思い浮かんだ。小銃を抱えて硝煙にかすむミシャ。煤けた頬。ぬかるんだ地面。思い浮かべた姿は何故か、いつも独りで戦場に立っている。
「……イヴァンと出会わなければ、私はルーロの戦場に骨を埋めていた」
ナターシャはふと気が付いた。思い出したくもない戦争の記憶を、声を潜めてミシャが伝えるのは、彼女やベルノアが傭兵として戦う背景を教えることで、ナターシャに歩み寄ろうとしているのではないか。小柄な体に抑え込んだ戦争の恐怖。弱さとも呼べる一面を先輩である彼女があえて見せることで、ナターシャを仲間に迎えようとしているのではないか。
「ミシャは戦争が怖い?」
「……ううん、怖いのは簡単に変わってしまう人間の方」
「あぁ、それは同感ね。人は状況一つで容易く冷徹になれるもの」
ミシャの大きな瞳と目が合った。少し長めな前髪の奥に赤い宝石がある。どれだけ澱んだ世界でも濁らないであろう綺麗な光だ。
「……私たちは変わらない」
「本当に?」
「……それぞれが大切な一つを持っている。迷わないための指針。あなたは持っている?」
「私は――」
ずっと傭兵に憧れていた。優しい大人になって、何にも縛られず、自由な人生を送ろうと考えていた。しかし、いざ傭兵になってみると世界は存外、生きにくい。大人は平然と子供を襲い、酒を交わした友人は戦場に散った。
ミシャ達は確かに、大切なたった一つを持っているのだろう。イヴァンは亡き隊員を墓を立てること。ソロモンは大国への復讐、ベルノアは遺物の研究といったところか。
何を大切にして生きたらいいのだろう。
憧れとは夢を見つけるための最も身近な手段であり、何かを生み出す原動力は大抵が憧れから生まれる。ナターシャは外に憧れた。そうでなければ傭兵になる必要すら無かった。
そこから先は? 少女は傭兵となって何を成す?
「……ないならここで探したらいい」
わずかに口元を緩ませてミシャが言った。最初は棘のある態度に感じられたミシャだが、共に朽ちた聖城で戦い、何週間も船に揺られながら荒野を進むうちに軟化したようだ。ミシャは口数が少ないせいで勘違いされがちだが、忠告の意味を込めてわざと強く当たっていたのだろう、とナターシャは勝手に納得する。
今日を生きることすら大変な世の中だが、第二〇小隊でならば大切なたった一つを見つけられるかもしれない。
「禁足地を巡りながら探すんじゃ命がいくつあっても足りないわ」
「先輩の好意を無下にするなヒヨッ子」
「口が悪いよチビ」
見つけられないかもしれない。




